パンドラの箱の 言葉です。It wasn’t a bad spirit 悪い気ではなく、it was a spirit called Hopeそれは希望と呼ばれるものであった。
昨夜、お隣の90歳になるおばあちゃまが、「暑いわねぇ。冷やしラーメン作ったの。もし よかったら 食べて」と 夜に持ってきてくださった。
トンプソンには 私の作ったものをそのまま用意して、あまりにもその冷やし中華が美味しそうなので、待たずに 一人 ツルツルと食べていた。
食べながら、 世の中の善意の方々。ということを考えていた。
パンドラの箱を開けてしまったばかりに、病気や飢えや怒りや憎しみという感情(気)を、人々は知ってしまった。その中で人々を救ってくれたのは、希望という光だった。
他人からの 優しい言葉や、慰めや、同調ではなくて本人の希望だけが 苦しみからその当の本人を救ってくれる。と、いうこと。
その希望は、私自身の未熟な体験からでしかないけれど、人からの当たり前の善意や明るい光。それによって救われることが多かった。
いま、世の中では 助けようのないイジメが蔓延していて、ターゲットにされた子どもたちは、その負の気から抜けだせずに 本当に 本当に苦しんでいるという。
いじめる立場。いじめられる立場。 絶対にいじめられる立場に立ちたくないと その気持に窮して、保身に徹することに身をついやしている人。
様々の様子が 立場変わればその立場で 行われている。
90歳のおばあちゃまの作った冷やし中華が、私に希望を与えてくれる。 いつか 自分が 年をとった時に わたしは 人に希望を与えられる人になれているのだろうか。 なれていないのだろうか。 わからない。 わからないけれど、いま 90歳の方から希望をいただき、90歳になれる頃には 善意のみの存在になれていたら 少しは 世の中の役に立てるのだろうか。と 夏の静かな夜に 冷やし中華をツルツルしていた。