A sound, 音
音が 記憶に大きく影響していることに 驚きながら。
自分の発する音が 聞き苦しいだろうなぁ・・・と
いい音を発して 生きていきたいのに。
家族と話すと どうしても 素の声に 嫌になってくるし。
だから 私は 夫と長く話すのが嫌い。
短時間なら なんとか コントロールも効くが 長く話せば なにいいい??? と、なることが多いから。 嫌(いや)。 話すときは タイマー押して はい! 修了。としたいくらい。
あとは 母親と話す時も 「ちょっと 言葉に化粧して話そうよ」と、事前にことわって 話すようにはしていても。 段々と 年をとるとは こういうことか・・・と、思うけれど 母は 言葉にしまりがなくなってきた。 仕事をリタイアして 15年。 話す相手は 父の介護にきてくれる方たちと、親戚と 身内とという感じ。以前なら 言葉遣いが荒い彼女でも お客様、よそ行きの言葉で接しなければならない相手と、幅があったので 言葉の音に もう少し はりがあった。 彼女と話すときは、私もペースにのまれてはならない。と、思いながらも 同じトーンになっていてはどうしようかと気がきではない。
猫が悪さをすると、「チッチー!」← チャイという本名はエレガントすぎて彼女には似合わない)と、声を荒げ。
子どもたちに教えるときは どうしても 教える口調となるように気がする。 なので、気づいた時は よりそうように 声を発し、教えると 女の子は その方が好きみたいだし、吸収してくれるので、そのようにする。 じかじ・・・男の子には それが 通用しない。 やはり 男の子は 「さ!次! いくよ!はい!」 という テンポでいかねばならないし。
ここ最近、仕事でやりとりのある 若い女の子には 気の毒にも ついつい 声に棘を出して 接してしまうこともあるし。 後悔はするのだけれど・・・ あまりにも 昨年の担当の人とペースが違うので 驚いてしまい・・・ 年上オンナの根性の悪さが出てしまう。
もう・・・いや。 こんな声に包まれて (と、いっても 自分が発している声なんだけど) いやだわあ と ほんと やになる。
だから、私は声のいい人と接するのが 好きなのかもしれない。
自分も よい声になったように感じさせてくれるから。
ツヤのある声。 丁寧な声。 人を思いやれる気持ちのある声。
仕事で知り合った ガラスの器を扱うお店の人の声なんか・・・憧れるなぁ。
仕事でも、愚痴らず 常に前を向いている人の声は、活力に満ちていて 前に通る声で こちらも ひっぱられるように いいエネルギーを返せる。
そして 恋をしている人の声は 聴いていて 本当に 心地よい。
だから、 人は 若い女の子が好きなのかもしれない。
若くて 恋をしている 女の子の声は いい響きがある。と、思う。
そして この デブちゃん猫の声は、体に似合わず 鈴のようにかわいらしい声。しかし、いたずらっ子であるのです。