Gift season( a year end gift season)

お歳暮の習慣は薄れたと言いながらも、年末は 人との交流が増える時期。

 

クリスマスパーティや 忘年会や 皆さん忙しそう^^。

いいことだな。と 拝見していて思います。

交流はないより、あったほうがよい。と、すっかり、外出も少なくなったいま、そう思います。

先日、静岡の友人より お庭でとれた 柿、ゆず、レモンが届きました。 嬉しいものですね。

何をこちらからは 贈ろうか? と 相談するのも楽しいものです。

私の生活は おかげさまでか・・・ 義務としてのお歳暮のやりとりからは 免除を受け、その ご苦労は あまり 知らずにいるので、人からの ご厚意や サプライズは 素直に嬉しいです^^!

 

先日、お洋服店を営んでいる方 二人が こんなことをおっしゃっていました。

「もう、いまは 心の時代になってきているから・・・人が衣服を買わなくなっている。そして 人に衣服を魅了した形で紹介できるカリスマ的な店員もいなくなっている。衣服も 安物ばかり たくさん 生産したって それを 欲しいと思う人が 衣服を大切にしない」と、嘆いてられました。

 

「でも。でもね」 と、私は なんとか 言葉を探します。

そして 本当にいま、感じていることを 出しゃばって言ってしまうのですが。

「いまの、私達世代が 六十代 七十代になる頃に 私達 ひとり ひとりが もっと ファッション お洒落 洒落心を 楽しんでいる時代になっていたいと願うよ。そうならなければ 心の時代に いま なっている 意味がない」と。

 

心を整えるのが大切だと。私たちは いま 一人ひとり 意識し始めている。

こんな無信心な わたしでさえも。 にんげん 最後は信心がなければ救われないんじゃないか? とさえ、思う。

 

同時に 心を入れる 箱が 美しくなければ 信心の意味がない。と、さえも 思う。

心が整えば 必ず 必ず 私たちは 豊かなものを 求め始めるはずだと信じている。

美しい アイスブルーの モヘヤのセーターがあった。 きれいだった。 あんな服着てみたいなぁ・・・ いまは 買えないけれど いつか 買える自分になりたいなぁ。 そんな 希望を持つことを多くの人が断ってしまったら、 せっかくの 美しい国 日本が もったいない。断捨離しても、また そこに 希望のないものを 買っていったら 同じことの繰り返しになる。 それよりも 夢のあるもの、美しいもの 背伸びしてでも 欲しいと希うものを ひとつ ひとつ 叶えてゆきたいよ。と、ねがう。 いつか 失う時があっても。

海外からのお客様も 年々増えているという。ヨーロッパ、北アメリカでは既に一般的となっている民泊を推奨するくらい、日本は 自分の国の文化や歴史、副産物 風景を 売り物にしようとしている。

 

きっと、海外に行って暮らしたことのある人なら 皆、感じていることがあって。日本人って悪くないな。日本人でよかったな。 これは 日本人ということは 世界で十分 ブランドになるぞ。って。

大体が正直できれい好きで 嘘をつくことを 根本は罪だと思っている 国民性は、稀少価値があるのだと 外に行けば強く感じるはず。

その 祖先からの恩恵を 台無しにせず保ちつつ、更に次の世代に課せられていることは 洒落っ気を忘れずにいることだと思う。

知識、頭脳を 鍛える人や、外見なんてと 洒落モノに 重きを置かない 置く意味が理解できない。と、いうくらいの人でも、 知性が光るような着こなしをしたら、それがいいと思うはず。くらいの勢いでファッション業界も根元から元気になる時代がやってくると思いたい。 衣食住 日本は いいよ。と、売り物にできるはず。

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