雷さん 怖かったですねぇ・・・。怯える猫と 一緒に布団にくるまっていましたが。 すっかりと 眠れなくなり 本を読み始めていると。
池波正太郎さんの 短編集のなかに こんな話がありました。
武士であった父親が 武士の仕事にあぶれて金貸し業を始める。
その一人息子。父親の金貸し業を手伝いながら 一人の 商売女にすっかりとのめり込んでゆく。 頼まれた集金をして そのお金をごまかして 女遊びに使う。 それが 父親に知れたらと、不安になってくる。いっそ 父親を殺そうか と 馬鹿な思いつきを、段々と本気の思いにつめてゆく。 そんな思いでいる内に 父親が 罠にはめられ 無実の罪をきせられ お上の達しで 打首となる。
かつては父親を殺そうと思っていた息子であったはずなのに、無実の罪で殺された父の敵討ちをしようと・・・ そこから 不思議なチカラを発してゆく 物語で。
読んでいて 面白かったのが ただの敵討ちの話なら、こんなにも惹きこまれることはなかったはずなのに。 浅はかなバカ息子が 父親の代から縁のあった和尚とのやりとりの会話や、その和尚の導きで雲水として修業を積みながら 敵討ちのその日に向かい 澄み切ってゆく視線は、だんだんと、罠にかけられた父親にも人に恨まれる非があったとみえてくる。悟りを開きながらも それでも まだまだ 彼の人間の愚かしさを残したまま 進んでゆく話は、なんとかこうとかして機が熟すとように静かに目的が果たされる。 幸いに物事が運ぶ時というのは幸運に物事が好転し、かつ、彼はその罪を免れることも出来た。 そのおかげで それまでお世話になった人たちも自分も幸せにできる生活を送れるはずなのに。 なのに、 この男のもつ 頼ることの出来ない 性質。 どうにでも 変わってゆく(いってしまえば 無責任な)性質は せっかく築くことのできた 家庭、人を捨てて どこか違う土地へと流れていってしまう。 しかし、その 流れた先でも この男は それなりに生きていきつづける。 そういう物語であったと思う。
なんだか・・・ よう 理解できないけれど。 私は好きなタイプの男ではないけれど・・・ こういう人も いるに 違いないんだろうな。 いつの世の中でも いると思う。
新聞で 19歳が 養子縁組をした 実の祖父母を殺害したというニュースは 今の この時代だけではなくて いつの 時代にもありえた事件だったと いうことかもしれない。
その 遊ぶお金欲しさに 殺人を犯してしまった 人間の中にだって 何かの 偶然で 違うことができた 可能性があったのでは ないか? と この 短編を読んだ後に感じた。
いい人ね いいことをする人だ。人格者だ。 確かに 善行を持つ人には 理由があり、考え方があり、習慣があり いい 環境がある。
そういう人は尊敬に間違いなく値し。できれだけ、そういう方たちと知り合いたいと願う。
しかし 自分はどうなのさ?と 問うてみて。
この 主人公のことを 理解できない人。いややわぁ こんな奴。・・・と、その一言だけで、あっちのほうへ片付けられない自分も、いてしまう。