違う街を訪れると、突如心は詩的になるわけですが。
何も悔いを残さずに一生を終えることの出来る人などいないのではないか?とこの旅でその思いを強くしました。
津和野での3日めの朝。トンプソンが写真を撮りに行っている間、部屋でコーヒー片手にNHKニュースをみていました。
津和野は同じ県の松江市に行くよりも、地震で大変である熊本に行くほうが近い地理にあると聞きました。
NHKも熊本放送なるものが放映されるわけです。
ニュースに 昔 その むかあし 私が憧れていた人が映ったのです。 悪いことして映ったのではなく 一応活躍されている様子でした。
それまで 蓋を閉じていた心が ブワッ〜〜〜〜〜っと開いてしまったような感覚。って 分かります?
この 感覚が もしも もしも 数十年前に襲ってきたのなら 自分の後悔を残さないようにと 私は何かリアクションを起こして、あがいてみせたのではないか?と。
そして あがけばあがくほど ますますの 悪循環に陥ってしまっていたのではないか?と。
それを 人は 相手には一生 思いの届かない 苦しい片思い。と呼ぶのかもしれません。
その思いに蓋を閉めることよりも この 写真の夕暮れのように 自分の中に包括してしまうことだったのかな・・・と この旅で初めて思えました。
後悔も何もかも全て自分の一生のワンセット。後悔のない人生など何処にもないのだろうね。と、そんなようにも。ない人もいるのですか?いいなぁ・・・