建築家のある方が、こう言ってましたっけ。
「よい建築物は、朽ちてゆく時も 美しいんですよ」と。
自分の育てている花たちに その言葉をつかうのは、語弊があるかとも勇気がいりますが。
庭で育てたバラは 朽ちてゆく時も美しいな と 自画自賛の目で眺めています。
多くのものたちがきっと・・・そうなのでしょう。
できることなら そういったものたちだけに囲まれて生活をしてみたいと願うのが多くの人達の持っている本能なのではないでしょうか。
質のよいカシミヤのセーターは20年以上着ても 良い味わいをもってくたってゆき、ゆっくりと身体に馴染みながらその役割を終えてゆくのでしょうし。
いい家具たちは 時間とともに存在感を増してゆき。代々と時間をくぐりぬけてゆく。
食べ物だって 質の良いものたちは 鮮度の良い時に食する人間の身体にも気持ちの良い後味を残してゆく。 鮮度がよいものは 保存方法次第で また よいものにも変わっていってくれるし。
でも よいものには よい値がついてもくるものですし。
それだけを選びとるということは 予算生活を持っている私には無理なこと。
それでいながらも 私の育てたバラが語りかけてくるような気がします。
ね。いいものはね こうやって きれいに朽ちてゆくのよ。って。
人間も こんなように朽ちてゆける人は きっと きれいでしょうね。