先日 脳みそが筋肉のような少女、Hちゃんに。
「水上さああん! 英検2級おかげさまで受かりました。ありがとうございます。 ・・・で 水上さん!一緒に1級受けましょうよ」
「いやだ」
「え!何でですか?」
「Hなと 一緒に受けて、Hな が 受かって わたし 落ちる可能性の方が高いもん」
「そんなことないですよぉ 一緒に受けましょうよ」
「いやです。こっそり受けます」
・・・と ついに こんな日がきてしまった・・・。
アタマの良い子で 確か5級から始まり、高校1年生で 英検2級。
このままでゆくと 本当に高校在学中に1級くらいいくんだろうなと思う。
人の命の運びって変なもんだなぁ・・・と この年になり、つくづくと思うことがある。
あれほど勉強の嫌いだった私が、 なぜか 子どもたちに 英検 はたまた英語長文難関攻略云々など 教えさせていただいている。
で、楽しいと思う。教えていると自分も学べるから。そして、出来てしまうHなちゃんのような人を教えるのも楽しいけれど。 できないよ自分・・・だなんて 信じ込んでいる子供さんの ひとつひとつ 力をつけてゆき、自信をつけてゆく様が、なんとも嬉しく思ったり。
勉強って こういうことだったのかぁ・・・ と 教えさせていただく立場になって 開眼することが多々ある。
きっと 長文を読む力を養うことは、ものごとを洞察する力を持てることに繋がり、洞察する力を持てるようになるということは・・・ 人との間で その人が何を言いたいのか そして 何を自分が伝えるべきなのかを 瞬時に要約する人になる可能性が高いということなのだ。と。・・・となると どちらかというと生きやすくもなれるということ。
そして、ああなれば こうなる ということを 歴史などから紐解いて行けるような人は、灰皿と言われたら マッチまで持ってこれるような人になれる・・のかもしれない。
例えば、魚屋さんになったとする・・・ そうして お客さんが
「今晩、鯵のたたきにしようかなぁと思っているの。 おろしてくれる?」
と言ったとしよう。 そこで その魚屋さんが
もしも おろした魚に、「わさびでも添えてこうか? たたきにわさび美味しいからさ」 などと言ったものなら・・・
私がもしも お客さんだったら その魚屋サンのもつ 深い洞察力に感動すると思う。それは どうやって 養われたものなのか・・・と お客さんとのやり取りでそうなれるものなのか・・・。 それとも 自分が ひとつ深く考えてみて 読み取れるようになれるものなのか。
その人 その人の 才能、感性もあるのかもしれないが・・・
せっかく 勉強するのだったら このレベルにならないと・・・と 感動すると思う。
船出する船のように 段取りをつけられるような人になるのにも・・・
身体がまわり、アタマもまわり まわっているような人って きっと 楽しいだろうなと 思う。
生活を楽しくするためにも あたまを 感性を 少しでも 前に使えるようになれたら どんな感じなのだろうか? と そんな世界を 少しでもみてみたいと 毎日思っているが なかなか・・・ この度の人生ではむづかしいようでありながらも 夢見て生きてます。