よい寸法に辿り着くまで

ときどき 自分が生きているのって・・・

自分の寸法を探すために生きてるだけなのかなと。錯覚する時がある。

イメージとしてはこんな風。生まれ落ちた時は ぶかぶかの 寸法もなにもあったものじゃない布切れの中にいて。

その布切れの中で右往左往と泳いでいるうちに 少しずつ 自分のサイズがわかってきて。 ここをああすれば ピタリといくのかな とか あの辺りが無駄だなとか・・・このあたりは も~少し余裕もたせようよ。あまりピチピチもかっこ悪いよ。とか ブツブツ言いながら 毎日やっている感じ。

昨夜 11時を時計の針が指したというのに。

部屋の中が なんとも 居心地が悪いな。なんだろう この居心地の悪さは・・・ いままで ずっと このレイアウトでやってきたのに。

気になって気になって 仕方がなくなり。 ソファの位置を変えたりドタバタと始めた。 夜中時間に何をしだすのだ?うちのマスターは?と猫が驚いて跳ねたり飛んだりとし始める。 トンプソンは 経験から慣れたもので 口を出さずに じっと自分のことをしている。

色々と動かした挙句に・・・ 結局 位置を変えて 心が一段落 落ち着くことが出来たものは 観葉植物を 一人がけ椅子の右から左に移しただけ。 それで 落ち着いた。

たった それだけの変化がもたらす心理的な大きさに驚きながら。また、この気付きに3年以上もかかったことや。

観葉植物の位置を決めるだけのことに 3年以上の月日が必要な人間が。人生の大事の気付きにはいったいどれだけの時間がかかるのか・・・と 変な心持ちだけれど 諦めが出来た。 これからも たくさんの時間をかけて 少しずつ 色々なことに気づき できるだけ 自分が心地よいと思える 衣が 分かれたら 仕合せ。くらいにして そのペースで生きようと思えた。 焦ることはない。 まだまだ 発展途上。 何もかも ぴったりと 最初からあつらえられることもないのだ。あっちへずらし こっちを変えて 頭をひねり 何がいいのだろーか? と 自分サイズを探すのには その方法しかないように思えた。