97歳に元気づけられてしまった・・・

97になる実の祖母が足を骨折し、マンション型ケアホームより病院に搬送され、手術をした。術後の経過は良いとは聞き、もうすぐ退院となっている。退院する前に見舞いくらいに行っとかないと、なに憎まれ口聞くことか・・・と、今日の昼休みに北海道病院というところへバラの花を一輪持って、 病院に駆け込む。

6階の4人部屋の窓際に 小野智津子と名前が記入してある。時刻はお昼が終わる頃、皆様ベッドの上で御膳を前に横たわり、ぐったりしている人もいるし。病人らしい方も当然ながらいらした。きっと、祖母もそんな具合なのだろうと窓際のベッドで横たわっているはずの彼女に、私は やさしい孫らしく「おばあちゃん、お加減いかが?」くらいの声をまずはかけるつもりだったのだ。

しかし、ぐったり生気を失い横たわっているはずの祖母の姿がベッドにない。もぬけの殻なのだ。 え?・・・と 具合が悪くてどこかに行っているのか?? と 隣のベッドの患者さんのお世話をしている看護師さんに 小野智津子さんは いったいどこへ・・・と 尋ねると。

明るい笑顔で、「小野さんは、ナースステーションでお昼ごはんを食べていらっしゃって、いまちょうど終わる頃なので呼んできますね〜〜!」と。看護師さんは小走りにいなくなった。

残された私は、???ナースステーションで昼ごはんって・・・??と ベッド周りを見渡す。海苔の佃煮の瓶に。梅干しのタッパーの横にペットボトルの水。 小説が3冊。徳川家康 という題名が。・・・おいおい病人が 徳川家康 読むのか? … 藤沢周平シリーズもあり、その横には なんとか殺人事件 という本まで。 そして 鏡と豚毛のヘアブラシまでおもむろに置いてある。 あの禿げているほうの面積が広い髪になぜ豚毛のブラシが必要なのだろう・・・と。ジッと豚毛のヘアブラシをみつめているところへ、看護師さんに車いすを押されて戻ってくる祖母の声が廊下の方から聞こえた。「あらあら 今日は 一体、どなたが来てくれたかな?」と それはそれは 響き渡る音量の声で。

そして 私をみつけるやいなや。「あら! これは これは あつこさん。お久しぶりでございますこと。看護婦サン。これ 私の 孫」と、看護師さんとの挨拶を ワンやヤンわと行い。 看護師さんがいなくなられた途端。「いやぁ オマエも 年いったねぇ」 と、いつもの挨拶を 私にまず。はいはいと・・・色々聞きかわし。まぁ ある程度 落ち着いたあたりで。

「ところでおばあちゃん。 ナースステーションでお昼ごはん食べてたって聞いたけど。どういうこと? 普通は、患者さんというのはベッドの上でご飯を食べるものじゃないの?」とその疑問を投げかけた。

すると、「いいや。具合が悪くて 起き上がれなくてっていうんならね、布団の上でご飯をいただくというのは分かるけどさ。そうじゃないんだったら、お布団の上でおまんまをいただくなんっちゅうのはね、ぐうたらのすることっ。そんなんじゃ駄目な・の。ちゃんと起き上がれるのなら 食堂に行ってご飯を食べるべ・き!」と 同室の、ほとんどそうされている皆さんの前で大声で、啖呵をきるように言い放つから 「ちょっと!声が大きいってバ・・・。というか おばあちゃん、食堂とナースステーションは、大違いだよ。そういうの この病院では許してくれるのかい?」・・・と心配する私に説明してくれるところによると、どうもリハビリ室がナースステーションに近いらしく、そこにテーブルがあり、そこに 日中はいることの方が多いらしい。

そして、そこで過ごしたほうが 病室にいるよりも若い生きている気を感じれて 実に健やかになれると、50の孫に97歳は、「いいかい。私の家系はね、長生きの家系だよ。まぁ 間違いなく長生きはするから、死ぬことを心配するより 長生きのことを考えて 生きなされよ」 「・・・なんか それも 憂鬱なのよねぇ・・」と 私が答え返そうものなら・・ 「あっ? なんだって??」と 耳を寄せ付けてくるから。「・・・長生きしすぎるのも切ないって!・・・言っ・た・の!」と やけになって大声で返す・・・しかしそこはいみじくも一刻もはやく病から快復を願う方たちが身体を癒やされている病室。

「いや。オマエ そんなこと言うもんじゃない。生きていられるっていうことは、実にいいもんだよ。だから オマエも 生きさせていただけているうちは、明るく 毎日を 明るく 毎日 楽しく 精々、生きることだよ。おばあちゃんなんて、みてご覧このとおり気迫がみなぎっているだろ」

97歳の祖母を見舞いに行った筈だった。そうなはずだったのに ウルサイまでのハイテンションなエネルギーというか 気合を入れられて・・・ 病院から送り出された。

大したもんだよ・・・ 夏の喪服が必要かなぁ・・・と 思ったけれど。 今年は必要なさそうだ・・・ いや 彼女に関しては あと10年は必要ないような気がする。軽く100は越えるだろうな。 10日間 休んでいないくらいで、枯渇していた私のエネルギーの方が、認めたくはないけれど、いわゆる、元気をいただいた形になって・・・病院を後にした。と思う。