読書

読書の秋 と以前はよく聞いたフレーズです。

読書をするには、少し落ち着いたトーンが必要なのでしょうか。

色々なお楽しみや行事続きの夏の喧騒どきには、読書をする時間をみつけるのは難しいようです。

・・・もっと 読解力があったなら、自分の人生もう少しいいセンいけたのではないか・・・と、色々と悔いの残る中で。

自分が本を読み終わった後に よかったあああと実感できることは、生活に根付いたものの発見をできたことに限るのです。

100ページ以上あるような文章の中で、スパゲッティの茹で方は

100グラムのスパゲッティに対して、1リットルの水と10グラムの海塩で茹でる。ということを見つけた時や。

カステラは手でちぎった方が美味しいよ。とか・・・

人の綴った長い文章の中から そんな 一言を拾うためだけに読んでいるような気がするのです。

考えてみると 装いとか お洒落とか そういったものを探す時でさえも ファッションに関わるそのものの雑誌よりも、アガサ クリスティやロザムンド・ピルチャーなどが書いた文章の中で、あるいはココ・シャネルの自伝などの装いの描写から、色々と空想したりすることの方が 面白いと思います。

人の書いた文章の中にも いいものと 悪いものが あることも段々と分かってまいりました。

その時期と共に 目が悪くなって小さな字を読むことがしんどくなってくるのですから・・・残念だなぁと思います。

そして 旅も人の心に多くの栄養を与えてくれると、よく言われます。

が、自分は 実は旅が嫌いです。・・・というのは極度の飛行機恐怖症が理由です。

でも行かねばなりません。で、行きます。

行ってみると 確かに 日常の時間から離れた数日間は、普段動かない神経やその他諸々のことを刺激してくれるようです。

ですが刺激は刺激でしかなく 日常ではないと思うのです。

これは 私個人に限った リズムですが 日常を大切にして、人の時間を通した、よい書物を読み。 自分の周囲にいてくれる人やあるものを楽しみながら、一年に一回、いえ もしかすると二年に一回 旅に出る。 そこでも 自分の小さな 円をイメージするのです。 それ以上のことは考えない。 英語も、すごいことを考えずに 自分の小さな円の中で 少しずつ 少しずつ 言葉を発してゆくとよい。くらいのイメージです。 この私がCNNのジャーナリストになれるわけではないのですから。

これから 留学をしようとする子供たちに伝えたい事は きっとそんなことなのかなぁ と 自分の失敗や堂々巡りを振り返りながら思います。

留学するときに、まず自分の小さな円(縁)を大切に 大切にね。そこから 少しずつ 必ず大きくなってゆくから。と 伝えたいと思います。