義理の母の話になってしまうけれど。
とても女らしく、やさしい気持ちの人だったと思う。
日本人形をいただいたのなら その人形を美しく飾ろうと心がけるような そんな人だった。
ものを 簡単に捨てるようなことのない人だったと思う。
まず どうにかして 保存できないか 活用できないか そんなように考える時代の人だった。 それは 国が違っても 時代背景やその人の感性によるものであるらしい。
それに比べ 私は ものに感謝する感性に欠けたうえに 考えなしにものを捨してしまえるような、 考え無しなところがあった。要するに面倒くさがりなのだ。シンプルがいい とか なんとか言い訳したところで、管理する 面倒が嫌いだったのだと思う。
でも 義母のそんな優しいものとの付き合い方に触れて以来、少しずつ そういうところを改善していくように努めていたと思う。
いただいたものを 優しい視線で慈しんでいく心って 尊いものだと 義母から教わったことだと思う。 それが たとえ偽物であったとしても 安っぽいものだったとしても その心ばえがものを光らせる。と でも そうすることには 本当に 本当に 労力のいるものだと
去年 父と義母を同時に亡くした私たちは 彼らから遺品としてやってきてしまうものの中で・・・アップアップ ちかれたああ と言いながら ものの整理や収納に追われているところがある。
心映のよくない 私など・・・「重いものより 軽い紙切れ(お金)のほうがいいなぁ・・・」などと 愚痴ったりする。
ほとんどのものは トンプソンの二人の姉のところへ いってほしい。それがものも喜ぶと思う。という私からのリクエストを考慮にいれても それでも 義母はものを大切にした人故に、お姉さんたちもお手上げだったのだろう・・・トンプソンがあれこれカナダから運んできてしまった。
女らしいアンティークのティカップ、シルバーのものたち・・・
磨いて 洗って 一生懸命、使わせてもらおう。 これを使うには パイナップルケーキでも焼いてみようか。それに美味しい紅茶が似合うだろうか・・・
義母のあの姿勢を知る前の私だったら・・・わずかながらでも、ものを生かす気持ちなど知らずにいた。それはそれでありだけれど。いまは まだ 体力がある内は せっせと ものを大切にするように試みて 次の世代に渡してゆける 受け渡し人の役割を果たすよう務めている。