捨てる前にちょっと立ち止まることが多くなったのは 年のせいもあるのだろうか。
それとも、断捨離ブームにはあまりのっておかないほうが良いだろうというどこからともなく来る心の声が自分をそうさせるのか。
先日の日曜日。身体の調子があまりよくなかったので、実家で来年の春に引っ越しをする母の手伝いをすることを取りやめ自宅で休息をとることにした。
しかし、以前からずっと気になっていた、夏用の火鉢の灰を始末しようと思い立った。
灰を掃除しているうちに、何十年に及ぶと思われる埃やチリ、そして髪の毛などが入っているのだろうな・・・火鉢を使うことなく 結局飾り物と化してしまっているこの状態は よくない。 水と一緒で ものも使わないと そこに停滞したものが生まれてくるのは確か。
どーしよ。 捨てよかな。 でも これは 大正のときから 祖母が大切にして持ち続けていたものなんだよな。ご先祖様の怒りに触れてしまうだろうか。 いや でも 使わないものを持ち続けているのは ただの場所ふさぎなだけだし。
まぁ まずは 灰を取り除いて 桐の容れ物と銅の灰受けを洗って干しておいた。
それを 古道具屋さんに持って行こうかと思うんだ。と トンプソンに言ったら。
「桐の表面をヤスリで整えて、透明なラッカーを塗ったらきれいになるよ。そして この銅を磨き上げて 中にみずみずしいグリーンをいれたら これは ものが生きてくるよ」と 冬の仕事としてやってくれることを約束してくれた。
出来上がったら 引っ越しをする母の新しい家にグリーンとともにプレゼントしてあげよう。と 今から楽しみであります。
古いものと 新しいものとの取り合わせの バランスってどれくらいが黄金バランスなのだろう・・・と、思ったりします。
すべてが 古いもの ビンテージもの 骨董めいたものばかりだと どうも陰の要素が高くなってしまい、重たく感じてしまうのは私だけでしょうか。
そうかといって すべて 新品ピカピカ 最新のものだけで構成された空間も 落ち着かないものになってしまい。
服装でも 同じことがいえるようで。
アンティックとも呼べる50年前にお母様がテーラーメイドで仕立てた新婚旅行の時のツーピースのスカートを少し手直しして、15年位前に自分が結構背伸びして買ったエルメスのベルトをしめ、トップは真っ白い新品のシャツがしっくり、ピッタリと合う。
そんな装いがとても新鮮に感じたとしたのなら・・・
古さと新しさが ちょうど うまくブレンドされた黄金バランスを身体で服装で表現できているということなのかもしれないですね。
何でも捨ててしまおう・・・という乱暴な気持ちを抑えて もう少し慎重にものを見る目を養ってゆきたいと思うこの頃です。