この数ヶ月間、実家へと毎月引っ越しのための片付けに通っていた。
先日は、力仕事も必要とトンプソンも一緒に おおいに働いたと思う。
で。片付けに精を出しながらも切手とか 外貨とか 記念貨幣とか テレカとか お宝も頂戴することを忘れない右手に 林真理子さんの30年以上前の作品も数冊手にとった。
札幌で夜寝しなに読む本にピッタリで面白く、読ませてもらった。
それにしても あの尖っていた時代の林さんの書いたものを改めて読んでみたら。
あたしなど この人の筆にかかったら こてんこてんに馬鹿にされて書き捨てられるくらいの対象だったろーなー。いや ネタにもされないかな・・・と 苦笑いしながら その当時の空気感を読んでいた。
野心 野望 上昇志向 ピカピカのマーブル 毎夜のように イタリアン ふぐ フーディ(新しい英語らしく グルメの意味)なレストランに行きたがる傾向。
あれから30年弱。そのどれもが いまの時代に そぐわなくなっている。
平和 循環型社会 癒やし 精神性 心の時代 無垢材 健康食 家ごはん 毎日を丁寧に。
けれども なぜだか 林さんの書いた文章は 時代遅れの要素を持ちながらも 面白く読めるのは 青写真を持つ 持ちなさい! という普遍のメッセージが漲っているからなんだな。と 思う。
野心を持ちすぎて 潰れてしまうことは多々あるけれど。 青写真を持たない生活に希望は薄い ってのも なんとなく分かるような年になった。 もっと早いうちに持っておけばいいものを。この年になってやっと分かるのが 成功者と 一般人の差なのね・・・と。
と、ここのところの 一般人のこの私の青写真は。
18年ほど お世話になった いまの場所を出るにあたって 現状回復義務を果たさなければならない可能性が高くなってきた。 正直いうと8ヶ月前に描いていた 居抜きのまま次の人が引き継いで敷金はほぼ返ってくるという 自作のシナリオとは違ってきてしまうのだ。 理由は、オーナーさんが次の人には 家賃の値上げをするということから。それまでいた希望者も恐れおののき、辞退してゆく。
当然 私の憤懣 不満は 出て行くものに対しての態度など どうでもよいというよーな管理会社に向けられた。
2年半前に辞めてしまった担当の人の印象が良かったせいで、いまの人たちに辛口の態度になってしまう私の印象も 相当よくないだろーけど。
なんだか や〜〜〜な印象を管理会社に持ったのはそれは事実、 でも いい時もあったのだから。まっ もう いいや 流そう 抗うのはやめよう 放っておけと 今日思った。 これが いまの 自分の次の青写真である。 淡々と なるべく 価格のおさえた業者さんに スケルトン工事をお願いし。 期日通りに さっさと 出る。 嫌味のひとつやふたつを言いたいところを その我儘をひっこめて お別れしよう。
お金は 敷金だけじゃ足りなくて かき集めなければならないだろーけど その流れならその流れにのることだ。 それだけの ちっちゃな青写真が出来るまでに
まず 亡くなった父のことを思った。 父ならどういうか・ あと 自分が かねてから すごい人だなぁと 尊敬している女性がいる。 その人は 私より1つか2つしか上じゃないはずなのに 何かあったときに 自分は 彼女ならどうするかということを 思う時が多い。 年が近いから 自分が恥ずかしい真似をしそうになるときに すごく参考になる。 その方は いま 一年中旅をして暮らしているような身の上を楽しんではいる。が、 あるとき ポツリと こんなことを言った。「裁判所にも2回か3回足を運ばなければならない、いやあな経験もしたけれど あれも いま考えれば とてもいい経験だったわ」と。 色々とあるんだろうなぁ 彼女のような大きなお金に関係のある人なら 人の嫌な部分とも付き合わなければならないこと 多々あったのだろうなと 推察できる。 でも それを 乗り越えた彼女は とても優しく 人を許せる 大きな包容力で 人生を大きくエンジョイしている。 私のようなレベルのことを 彼女なら どう操縦するのだろう どう 切り替えて 対応していくのだろうか と、器は違っても人生行路の指針はその人の考え方に向いてしまう。
と、ハヤシマリコさんの 作家としての野望、華やかな人生風景の青写真と 比べてみると 私の青写真は いつも そんなところどまりである。 自分のエゴ、欲、我儘 そのあたりと どう付き合ってゆくの?と・・・ そんなレベルなのであります。
本音を言うと ハヤシさん羨ましいです。