A Long holiday.

長い 大型連休でしたねぇ。皆様英気を養えましたか?

しかし こうも長いお休みだと、お仲間の多い人や、家族 または 社会的に大きく求められているような人を除いては、

私くらいの年齢になると

自分がいかに ひっそりと 独りかってことを確認するはめになったりして。 仕事があるから人との触れ合いもあるのだねぇ と感じ入るものです。

家の人もオーストラリアへと不在の中とっぷりと個の時間を費やしながら、一人友人が食事に来てくれた夜と、一日支笏湖へドライブをご一緒にした方と以外 ほぼ誰とも話すことなく時を過ごすことに。

人格形成をもう一度省みて、人に求められることは無理でも もう少しさ 人と交わる生活を 考えた方がいいんじゃないか?と心の片隅で思いながらも

庭で 草むしりをしながら過ごす時間。 朝のまだ目がなんとかみえる時に えいやっ!と、勉強を課す時間。

そんな時間の中で充実して過ごしている自分がおりました。

そして 驚いたことに

一冊、一気に 一晩で読み切ることのできた小説との出会いがありました。その気になれば 見えるではないか眼。と驚きました。

それは 昭和51年くらいの 曽野綾子さんの作品で 「希望」という題名のものでした。

北国(地名は明記していなくとも おそらく石川県あたりと想定)の老舗に嫁いだ一人の女の戦中戦後における半生を、その時代、歴史の長い地方に存在した嫁ぎ先での 重苦しい因習、縛られた時間の中で その女の感性が刻々と変化・・・いや変化という表現ではないかな・・・ 蝕まれてゆく・・・ 潰されてゆくような 生き方を描いたものだった。

内容からすると 相当暗く、読み終わったのちに、ずっしりと 頭をふって覚醒したくなるようなものであるのに、なぜか うっすらと 爽快感が残ったのは、 これは 曽野綾子さんという作家の存在感に繋がるのだろうとそれに感動をしたのだと思います。

いまは エッセーしか書かれていないような印象を受ける曽野さんだけれど、何かがのり移ったかのような長編を書かれたこの時は おいくつくらいだったのだろうか いまの私より少し若いくらいの年齢だったのではないか?

あまり本を読む習慣に恵まれていない自分ではありながらも、数年に一回くらい 記憶にずっと残るような本に出会うことがある。偶然というような出会いで、白い巨塔で有名な山崎豊子さんの最初の頃の作品、「暖簾」という題名のものもそのうちの一つに入る。

衒いなく、自分を出し切り、また 次の何かに向かって 淡々とむかってゆけれる人は 幸せだろうな・・・と

私は おそらく この 希望という本から テーマ内容そのものよりも、人気の音沙汰のない時間の中で 曽野さんの無心なほどに懸命に書いている時間のなかに連れて行ってもらい、その彼女の姿に感動を覚えていたのだと思います。