自分にとって 東京の人ってどんな人?ともしも質問をされたら国立に住むOさんのことがまず浮かぶ。
広尾に住むFさんでもない だれでもない。 なにがあってもOさんなのだ。
そのOさんから昨夜、去年の地震以来ゆっくりとお電話をいただいた。
Oさんとは自分が初めて勤めた会社で出会い、かれこれ30年以上のお付き合いになる。
出会ったころは 私はまだ20代 Oさんは40代だった。
その時期、子育てもひと段落したOさんは、比較的近所にあった靴のメーカーである自分の勤める会社に経理のパートに来ていた。出来の悪い20代の自分のことを何かと気にかけてくれる人で、時々おうちに招いてご馳走してくれたりした。
国立にある一軒家のお宅には私より6つくらい年下の娘さんと、その下に息子さんがいらした。
夫のたんちゃん(Oさんがそう呼んでいる)は同じ年で、恋愛結婚で、代々続く鋳物を製造する会社を継いだのだという。働きに出なくてもよさそうな環境にいながらもパートに来ていたOさんだったが1年続いたのかな。仕事場で会うことはなくなっても縁というのは不思議なもので、私とOさんの縁は 細々とでも こうやって繋がっている。
なぜなのかな・・・?と振り返ると Oさんのことが好きだったことはもちろんだけれど。それ以上に ちょっと変わっている感覚のOさんのことが 自分は とうきょうの人 という特別枠でみるような部分もあったのかもな・・・などと思ったりした。
自分の両親より10歳くらい若い世代の都会的な感覚を持ったご夫婦なんだなぁ・・・と年月をかけてお付き合いをしていくうちに、つくづくと感じるようになったのは
それは娘のEちゃんが、地方出身の自分にはあまりピンこない名前の中高エスカレーター式の女子短大を卒業しお仕事を始めるような年頃になった時期のこと。
彼女がすごい金額を稼ぎ出すような人とお付き合いをしているという話をOさん夫婦二人の口から、面白おかしく話すような口ぶりで聞いた時だ。
「水上ちゃん。娘のEちゃんがね、なんだかすごいお金持ちとお付き合いしてるみたいなのよ。・・・あたしたちもあまり詳しくは聞かないようにしているんだけど。このあいだなんかね フランクミュラーとかっていうの?あんな時計しているから あなたどうしたのよこんな高いもの って聞いたの。そしたらね あいつったら つらっとして彼に買ってもらった。だなんていうのよっ」
隣にいる夫のたんちゃんは、にこにこ 笑いながら「まぁ いいんじゃないの?その逆なことしているんじゃ 困るけどね」と、至って 楽観的。
「は~~~。すごいですねぇ Eちゃん。そんな高いもの買ってくれるような人っていうのは、危険な人。または妻子ある人ってことじゃなければいいんですけど・・・ でも最近は独身でも若くても大きいお金を手に入れる人ってたくさんいるみたいですもんねぇ・・・。いいなぁ 私もそんな人と出会えるような星の下に生まれてみたかった」
・・・などと言いながらも、もしも私がそんな高価なものを誰かに買ってもらった。だなんて言ったら うちの親なら激怒するだろうな。と、その出来事をどこか面白がっているお二人をほんと?という気持ちで眺める。
Oさんは 続ける。「クリスマスなんかよ・・・チンチラのケープを ポンってプレゼントなんかしちゃったくらいにして きざな奴よね。でもね ホテルを予約していてくれたらしくて、その部屋でEちゃんずっと待っていたみたいなんだけど、とうとう現れなかった。って落ち込んでいたわね・・・あの子」と たんちゃんに確認をするように話しかけると
たんちゃんは その時少しだけ友達親子から男親の顔をしてこう言った。
「おそらく 家庭のあるやつなんじゃないかな・・・彼は」
「えっ! そんなっ! そんな風に思っていながら! お二人はEちゃんを咎めるっていうかやめなさいと怒るってことはしなくていいんですか??!」と 例え自分が道にそれるようなことをしたとしても、それを問い正そうとしない親というものは理解が出来ないという風に疑問???を投げかける。
私のその疑問に対して、Oさんは
「でもね水上ちゃん、私たちって親っていう関係性に必死になろうとしてもどうもダメなのよ。それよりもつかず離れずの仲でいたほうが お互いのためになるって もうどこかで決めちゃったのよね。私の場合は夫婦単位で生きていきたいって気持ちが心の奥にすごくあるのよ。たんちゃんは心の底ではどう思っているか分かんないけど。私は あるの。もちろんかわいいわよ Eちゃんもジュンペー君(息子の名前)も」
そんな会話をした時からまた20年くらいの月日が流れた。
その間 Eちゃんは その王子様と呼ばれていた彼とは静かな終わりなのか修羅場であったのかは知らないけれどもお別れし、同じような年の一般的なサラリーマンと結婚をした。
フランスの教会で式をあげると聞いたが さすがにフランスまでは出席できないからと僅かばかり包んでお祝いした記憶がある。
その時 私が思ったことは Eちゃん 大丈夫かな・・・なんだかEちゃんらしくないな。あの色々な意味で話題にのぼっていた彼と別れた反動でやけになっているのかな。よくも悪くも まっとうなサラリーマン風の彼は 贅沢好みのEちゃん・・・無理なんじゃないか?という予想に反せず、Oさんから 3年くらいたったときに、Eちゃん離婚しちゃうのよ・・・という電話が入った。
子供もいないし まぁ またあの子も 新しい人生の出発ね。と その時もOさんはまたNew親世代の捉え方での話しぶりだった。
それから数年もたつかたたないかのうちに、内科の開業医と再婚することが決まったのよ と 昂ぶりを隠せないOさんの声でお知らせが届いた。
それを聞いて 私はこう言ってしまった。
「よかった よかった。Eちゃんは絶対にそういう条件というか マスト枠は厳守したほうがいい。人にはそれぞれ譲れないものってあるはず。それはEちゃんの場合は・・・ 親であるOさんに言って失礼になったらごめんなさい!でも Eちゃんは お金というものが 普通の私たちよりかかる人だと思うし それに嘘をつくといいことない。いや 愛で結ばれた二人におめでとう!というべきなのに 私ったら ごめんなさい! でも いい選択におめでとうと Eちゃんに伝えて」
「ありがとう 水上ちゃん、そう理解してくれて ありがとね。あの娘の幸せを祈っててちょうだいね どうか♪」
というやりとりから また月日が流れ・・・
昨日の電話で ひとしきりお互いの話をわんやわんや。
。
この30年弱の間に、死んじゃったら困る夫であるたんちゃんの大病や、Oさんの、本人はいたって深刻なのだろうけど、訴えを聞いているうちに ちょっと笑ってしまうような更年期の七転八倒の時期も経て、いまは庭付きの戸建てを売り国立の一橋大学近くの桜並木のみえるマンションで、たんちゃんと8月と9月だけ山中湖の別荘で過ごすような生活をされている。
自然とEちゃんのことに話題がなり、Eちゃんは再婚で息子が出来て今年小学校に入学したのだという。
しかし数年前に乳癌になって全摘手術をしたということを Oさんはさらりっと言ってのけるから・・・「Oさん そんな 大変だったでしょう・・・」という私のおどろく声に明るく
「でもね、彼女の人生で乳癌の時期を乗り越えて。子供は息子一人しか持てないけれど、まぁ それはいいわって。大丈夫よ。彼女も彼女の人生の中で色々あることは あるわけだから。それより ジュンペー君がさ(息子)水上ちゃんも知ってのとおりの野心もなんにもないよーなぼ~~~~っとした子だったでしょ。あの子が地元のイタリアンでずっと働いていたのは 知ってるわよね。そこまでは。・・・・でね、2年くらい前に まぁ 私たちの力も借りて国立でイタリアンのお店を持ったの。でもね 1年経つくらいの時に、もうお母さん だめだ・・・っていうから もう仕方ないから いいわよいいわよ たたむときも なんとか面倒見てやろうくらいの気持ちでいたわけ・・・それがね、あのいまの あのNSN・・・??あ? SNSっていうの?そうそうそういうのでね お友達が宣伝をしてくれたみたいなの・・・それで なんとか 2年たつんだけど なんとか続けてやっていけてるみたい」
私は・・・この Oさん夫婦の口調というか 風情を感じる時に・・・・
なんつううか・・・都会の人にはかなわないなぁ・・・と 心底思ったりするのです。
私の親であったら 妻子持ちの人と付き合い 贅沢な生活をおぼえる娘を野放しにするわけはなく。いわれのない高価なものを受け取ったなどと知ったら 殴られると思う。
そして商売がうまくいかない、わが息子の話を他人事のように 軽やかに語れる その感性。
これは 私の知っている ちょっとしたことも重々しく 苦々しく 語りがちな 特に母方の親戚の世界にはないもので。
Oさんは 思いっきり オーソドックスな世界で生きる母の感性にしたら ありえない感覚の人なのかもしれないし・・・ 確かに 同じ東京に住む人たちでも コンサバな考え方、美智子さまのご実家のような人たちなら目を点にしてしまうのかもしれない。
だけれど Oさんは Eちゃんやジュンペー君のことを心配していない訳ではなく。そして 要領よく生きていけばいいと思っているわけでもないと思う。ただ Eちゃんには Eちゃんに用意された 試練を乗り越えるために 親である自分がでしゃばっても 徒労に終わるのではないか?・・・と ドライな 割り切った考え方を、どこかの時点で 親である苦悩がもしも誰にとってもあるのだとしたのなら、きっと どこかでそれを、処世・・現代を生きてゆくために身に着けたのだと・・・私は 思っている。