霊感などという傑出した能力はありませんが、なぜか夢でメッセージのようなものを感じ取ることがたまにある。

先日など、しばらく 忙しそうにしていたから そっとしておいた方がよいだろうと思っていた友人の夢をみた。

その夢の中で、彼女は弟さん?のような人の結婚式に出席するための服を選んでいて、とても幸せそうな表情だった。

S子さん、きっとなにか 変化があったかな? と ラインで 元気かーい?としてみた。

すると すぐに いま電話できる?とあったので 電話で 近況報告をうけた。

この数か月 大変なことが起きて、家族一丸となりその解決に向かっていたと。その決着がやっとその二日前の土曜日にあり、これで私にも ゆっくりといろいろな話が出来ると、ちょうど今日電話しようと思っていたのだという。

彼女は すごく感覚の鋭い人だから きっと 私に念を飛ばしたのだろう。そういう相手でないと自分は受けることができないが 夢をみる人ならば 夢の中でも、意外と人の念は交差しているように思える時がある。

話は変わり、最近年重ねてきたせいか、人をみる目がかわってきてしまった。 もう目鼻立ちとか 頭の良さとか 肩書きとか あまり そういうものだけで人の素晴らしさ 価値? といったものが ズンッと響いてこないのだ。

極端なはなし・・・かなりのやっかみも兼ね備えてはいるとは思うが 中途半端な美貌や頭脳の明晰さだけなら・・・かえってその人にとって邪魔な持ち物なってしまうのではないか?・・・などと余計なお世話だけれども、そういう感想に、落ち着いている。

美しさに恵まれた人はまるで自分の美貌を忘れたかのように、何かに邁進している姿が美しく。

頭の良い人は、教養知性が、人を包み込む人柄に繋がった時に 月を映す湖のような魅力を人に与えるのではないか。

・・・と、なると 凡人の自分は そういった持ち物を最初から持ち合わせていなかったのに 持ちたい持ちたいとあがいたぶんだけ滑稽であったと苦笑い。 そういうものは 持って生まれてしまい その中で切磋琢磨してゆき自我をどこかに置き忘れられる。そんな人にあたわってこそ、価値があるのだと思う。

それでも 自分は生き続けてゆけるわけで。 家族や他人様に不安感を与えない自分になろうと努めるだけで、結構 毎日日は暮れていってしまう。