タオル

暮らしの質(クオリティー)は、タオルに宿るのではないか?と脳裏には常にございまして。

ここさえ、ほんとにここさえ、底上げ出来たなら 私も、も~~~ひとランク上の生活というものを手に入れることは出来なくても、演出することは出来るのではないか??と、思うほど。

どうやったって この ワンランクを突き破ることが出来ないのが タオル。

銀行とかでたまに貯金なんかすると貰えたり、年末に魚屋さんなどから貰ったりするようなあのタオル。実は あのタオルが自分は一番使いやすくて好きだから困る。

世の中には あのタオルを布巾とか雑巾がわりにしか使わない。という方もいるらしいが、どうやったらそんなもったいない事が出来るのだろうか?・・・と、いうくらい あのタオルが好きだ。

まず あの薄さ。乾かしやすさ。そして なによりもかによりも あの寸法(丈具合)が どれだけパーフェクトであるか? ということを 皆様ご存知なのだろうか? 知ったかぶりに聞こえるかもしれないけれど 良いホテルというのは タオルの丈が 長すぎず、短すぎず 出しゃばらずと 大変よい心地のものを置いている。

その寸法にぴったりと合致しているのは、百貨店やこだわりのお店で売っているような 厚地のタオルではなく

たくぎん(北洋銀行の合併前の銀行)とオレンジ色の字で記された あのタオルであると思うのです。

しかし、室蘭信用金庫と記されているタオルをタオル掛けにつるす勇気はなく、こそこそと(誰も見てやいやしないのに)棚から出して、お風呂上がりの体をそそくさと乾かし、それで頭も乾かし、巻いて 化粧したりしながら過ごした後は また そそくさと 洗濯機に入れて 洗濯、乾かし 使い続ける。といった日々の中で へたってきたものは 自然に雑巾となってゆく その自然な淘汰のされ方も出来る このタオルを愛おしく思う。

これが、ちょっと 奮発して購入したもので たまに 自分の好みにすごく合ったものがあったとする。

そうだ! 数年前に すごく好みにあうものが、売られていたのだ。色合いも薄い卵色のものがピッタリと好みで。表はガーゼで裏は薄いタオル地 薄さも 丈も 色味も すべて好み!という代物があった。そこで 私なりに大人買いをして 嬉しく 使わせてもらっていた。 (タオル掛け用のものとして) それが! なんと もう製造停止になる。と そのお店の人もとても残念そうに知らせてくれた。

驚いた私が 「なぜ! なぜなの?あんなにいいものなのに~~~~」と涙交じりに尋ねると。

「その、良いものである。というのが問題だったらしんですよ」とお店の人。「え???」と私。「どうも・・・いいものすぎて 採算がとれなかったらしいんです」「ありゃ・・・ それなら 価格あげてでも また 売って欲しい・・・」「中途半端な値上げ設定も また リスクが高いらしく・・・。実は 私も 製造停止になると聞いて すぐに大量買いをしたんですけど。 そのなかのものから 少しお譲り(もちろん有料で)いたしましょうか?」「いや それも 申し訳ないし・・・」などというやりとりのあったものを、後生大切に使っている。もう 黒ずんで どうみても 雑巾だろ? と 思うものなのにどうしても 往生際悪く 捨てられない。・・・だって 新しいものを新調できないのだもの。 同じように一瞬みえる代物でも 若干 丈が違っていたり なにかが違うのだ。

こうやって このタオルという小さな代物に宿る 一ランク上の暮らしに 一生、たどり着けずに 私の人生は終わってゆくのかもしれないし。 最近では もう上質な暮らしとか どうでもよくなってきてしまっているけれど 一つだけ どうにかしなければいけないことは 捨てられない 販売停止となったあの くたびれ切ったタオルの始末で。

そうなのだ・・・ この 始末するときに 往生際が悪くなるような もう二度と会えないかもしれない・・・。と、いうものに囲まれすぎていても 暮らしは 埃っぽく くたびれて 辛気臭さが漂ってくる。そうなると 私の生活のレベルは あの 薄く 乾きの良い おしみなく使え、おしみなく雑巾におろし 潔く捨てることの出来る あのタオルということなのだろう。