明治生まれの小学校しか出ていない 曾祖母の語録を 時を経て母から聞くことが時々ある。
3つほど 印象に残り、ここ最近 なるほどなぁ 本当にその通り 昔の人は 高い教育がなくても知恵を持っていたのだ。と感心することがある。
キクさん語録その一。
カラスが、かぁあと鳴いたら 利息が増える。← 分割払い、利息の付いた買い物は極力するな の教訓。
その二。
ツケで物を買うということは、亭主を質(抵当)に置いたようなもんだ。 ← 上と同じで利息のついた買い物は避けるように
そしてその三。
支払いは、待ってましたとばかりに。← お金にルーズなのは信用を失う。
この 三つは 私も年を重ねるごとに ほんとに感じ入ることで
とくに この その三 支払いは待ってましたとばかりに出船のごとく・・・ は 人の心理をよくついているなぁと
どこそこ大学出身です・・・と 誰も聞いてやしないのに言うような人が お金にルーズだったりするのを 垣間見ると・・・
小学校しか出ていなくても、利口者は 世間から多くを学び生きてゆけた そんな時代のほうが、今よりよほど良かったんじゃないか? と思ったりする。
キクさんは 出入りの業者さんが来る日には 必ず 支払いのお金をちょっきり封筒に入れて待っている。そんな人だったらしい。
その姿をみて 育った母は、ダスキンさんや その他 マッサージで来てくれる人 お米をご厚意で自分がとるついでだからと届けてくださる方 そんな方々が 来る日の前に、封筒にお金を用意して 宛名を書いて待っている。
私は こんなに いいお手本が近くにあったというのに 全く いったい 何をみていたのだろうか・・・ と最近になり
とても反省しながら その点に気をつけながら 見習っている最中で。
でも・・・ 最近 注意して 暮らすようになったら 分かったことがある。
生き金・・・って このことだな。と。
私は生き金の意味を はき違えていた・・・と これまでの自分を 心から反省した。
生き金っていうのは 自分の得や、自分への投資とばかりに使うことではなく・・・ 相手に気持ちよく思ってもらう様に使う。ということだ。と。
お茶の先生が 封筒に新札でお稽古代はお願い申し上げます・・・と うるさく 言った 真意は これを教え諭したかったのだろう・・・ けれど 私は 茶室ではなくストリート(世間の出来事)からしか物事を学べない 愚かなところがあって 最近やっと わかった。
封筒を用意し、新札に気持ちをこめて 待ってましたとばかりに 支払うところにお金を支払う心構えを持ってみたら
何か 少しずつだけれど 違うような気がする。 まず 支払われた相手様が 気持ち良いと思う。