いつの頃からか 人からお招きをいただいたら、箪笥の底をはたいてでも その時の精いっぱいの装いをして
出かけてみよう。という心構えをもつようになった。
それは 自分に 光り輝くような若さも 売り物になるような美貌もなく そして 場持ちの良い話術もない。と 悟った時からだと思う。
箪笥の底をはたいてでも・・・と はりきったところで すごいイブニングドレスがあるわけでもなく また ガラパーティに行くわけでもないのだから。・・・そうなると 和装が一番 頼りになる。 そして 運のよいことに なぜだか 着物だけは 自分の場合は箪笥にあるのだ。集まってくる。 人生じまいをする叔母のところや 母のおさがりや なんやかんやと多方からやってくるのだ。 箪笥の肥やしにするのはもったいがないので、自分で着れるようにと励む。
でも お招きの場合は 髪だけはセットしてもらう。
それが 自分なりの精いっぱいの礼節の表現なのだが・・・。
きっと いまの若い世代 20代の人たちは もっと もっと 自立した考え方で男女間を対等に付き合っているとは思うが
私たち世代 (50代、いまの 40代も若干、その傾向がある人が残っていると思う)は、 質の悪い考え方が 植え付けられていて、男が払って当たり前。 めっしー君 あっしー君 とか 流行語になったような時代が まさに20代のストライクゾーンに生まれ落ちた。 ちょっと間違った時代だったなぁ・・・と 流されやすい自分でも さすがにそう思う。
そんな時代の中においても やはり 素敵な女の子は みな 自分の足で スクッと立ちたいという気構えをもっていた。
それを象徴する 一人で車を運転して鎌倉に行ってきた。とか、一人で美術館で過ごしたわ・・・とか 日曜日はサーフィンする。とか さらりと言うような同性に憧れた。
男の人に依存していないな と 思わせるような同性に 一目も二目もおいてるくせに、男の人にたくさん貢いでもらえるような そんな魔性系も心のどこかで羨ましかったりと、本当に定まりのない いけていない自分であったと反省する。
あの頃に、もっと 素直な心で 毎日の生活 ケの日を努力とともに大切に過ごし、ハレの日 特別な日には 精一杯の礼節を尽くして 誰かに会いに行く。 そんな女の子であったのなら もっと もっと 幸せな 充実した日々を送れていたのだろう。
なかなか それが出来ないのが 若さの代償であったのだろうとは 思いながらも。
後悔の心があるから いまが あるのかもしれない。