バッグについて考えてみた。

女性が 高級バッグを持っていて 誰かに とても素敵ね 似合っていますね。 と 言われたら

素直に受け取ってよいと思う。

似合っていなかったら あまり 褒められることのない アイテム、それは バッグだと思うのですよ。

知り合いの方で、ロエベ シャネル セリーヌ はたまた エルメスといった バッグたちが 嫌味なく とても似合う人がいる。なぜだろう その人が持つと そういったバッグたちが 普通の人が持つよりもとても素直に光を放ち、側にいる私などが 素敵だなぁ と口からポロリと出てしまう。

バッグだけが悪目立ちすることなく その人も輝いて映るから、その言葉は出てくるのですよ。

私は ある時 「なぜか ***さんが 持つと CHANEL と 大きな字で書いた バッグも 素敵にみえる。普通そういう人は滅多にいないと思う」 と スパッと言ったのです。

「あたし バッグがすごく 好きなのよ~」 と 笑って 嬉しそうに言う彼女を見て

それが 絶対の理由なんだ。と 感心しました。

これは 皆さんに 信じてもらいたいのですが 自分が素敵というときは 心からそう思っているときのみです。

それも きっと 彼女に伝わったのだと思います。 色々な話をしてくれて 彼女のバッグ熱がすごく伝わってきました。

はた・・・ と そうか・・・ と自分が持っていて 褒められることの重なるバッグは この写真にある

この変哲のないバッグ。黒く 中身まるみえの このバッグ。 このバッグは、なぜだか褒められる。

Arts and Science の もので 味も素っ気もない

5年くらいのもので 最近 自分の身体の一部のようになり 自分も愛着を感じるようになってきた一品。

別に褒められたくて持っているわけではないといいながらも、ちょっと ハイエンドなバッグを持っていても 褒められたことはこれまで一度もなく、そして これからもないような気がしている。

それは おそらく 上記の 愛着・・・という情熱が バッグに対してはそんな熱意が足りないからなのかもしれない。いいものなど持っていても 照れや あれだけ 投資したのに 使いにくいなあ とか どこかで けち臭いことを ネガティブに考えているからだと思う。

大体 清水の舞台から飛び降りた気持ちで求めたバッグの4つのうち3つには裏切られる。

だから バッグを求めることに対しては 至極 消極的である。

それに比べて 彼女のバッグに対する愛情とか熱意は 豊かだし おおらかだ。

経済的余裕も 関係あるといえばそうでもあるし

バッグ は 靴と比べて 慎重になり これまでの経験がいうことを効かない買い物と。

一種 ギャンブル性を持っているもの。

25パーセントしか うまく いかないものに対して どこまで 投資する価値があるのか・・・

そう いつも うじうじと捉えているから 輝かない かわいそうな 私のバッグ。