別れ話

いやぁ・・・帯広の例の事件、やはり多くの人が思っていた通り、別れ話のこじれが原因であったのですね。

別れ話って、むつかしいものなのですね。

こういう間柄は別れ話も場所も選ぶでしょうし。なかなか技がいるものと思います。

別れ話といって、実に面白い話をしてくれた元同僚がおりました。

このブログでも時々、話すことのあるYさんという30代のころ共に仕事をしたことのある、私の中では忘れることの出来ない面白い人でした。F女子大学時代の上昇志向の高い同級生との確執やなんかを、自虐的に自分を笑いながら話す技に長けている人でした。このブログをみていたら連絡ください。連絡先を失ってしまい残念です。また会って面白い話聞きたいです。

と、彼女がそれこそ高校教員をしていた時代にお付き合いをしていた男性がいたらしいです。

結果として、そのお付き合いは彼女がフラれた形で終了をしたらしいですが。

別れ話の際に、相手の振る舞いが十年以上も経ったいま(その当時)も忘れられない。いい人だった。というのです。

「ほう・・・別れの時に株をあげる男の人って少ないわよねぇ」と私。

「大した人だったのよ。別れ話の時によ。その時に、すっごいいいレストラン予約してくれてね。席について君とは残念だけれども結婚できない・・・。とその理由をまっすぐに伝えるのよ。最初はそりゃ腹立ったわよ・・・気が動転していたわよ。その場所から立ち去ろうと考えたけどさ。相手がまっすぐに私と向き合っている空気がそうさせてくんないのよ。それに担当のウェイターの人が、遠目からみているし。こちとて恥ずかしい真似できないじゃない。食べ物だけはやってくるし。それ食べなきゃと思うし。そして空になると、今度はウェイターさんがくるし。なんか話という話も出来ないまま・・・。最後までどんな罵詈雑言も受けても仕方がないと真正面に相手は座っているし。もう、こちらも・・・負けた。と思った」

「すごい人だね。そういう攻略もあるんだ。大体の人は、こそこそ逃げるように終わるんじゃないの?自分が別れたい場合は」

「それが、最後に家まで送ってくれるのも、あれも最後まで徹底して頑張ってくれたんだよね。その頑張りに拍手かな」

「それ大した人だわ。今頃、大した人になっているといいね」

「だと、いいね」

別れの話は、多様性に満ちていて、これが王道というのはないけれど。

演技を投じてでも、いいお別れが出来たら良いのになと思うのですけれどね。

もっと、本屋さんにかつての森瑤子さんのようなタイトルで「別れの法則」的な本が並んでいてもいいのにな。

と、いま、別れ方の下手な人が増えているんじゃないかな・・・世の中が短絡的になりすぎてるのかな・・・ラインで辞表を示す人もいるとかいうし。そんな感性の人種がこの世の中で最も難易度高い男女間の別れ話を扱えるとは到底思えないし。などといらぬお節介の危惧を持っています。