お盆の時期は、いつも寂しくなる。
気を晴らすために盆踊りのような行事があれば、参加したいと思うほどに・・・
段々と日の暮れるのも早くなり。また、終戦記念日との兼ね合いから、テレビでは戦争の番組も多く、食い入るように観ては・・・どっ・・・と恐ろしい過去の現実に戦き。いまの平和のありがたさを噛みしめつつ、未来にあるかもしれない戦争の恐怖に不安になる。といった循環を繰り返す数日。
この気持ちの落ち込みは、必ず 自分の場合、夏の終わりに起こる。
そして ある事実に、また 今年は、はっとさせられた。
一緒に暮らしを伴にしている相手が2か月近く不在である。
最初の頃は、これもいいもんだなぁ と 楽しく 普段ゆっくりと観ることの出来ない日本映画をみたりしていたけれど。お盆も過ぎるころになると、人の気配のないことが、こんなにも寂しいものなのか。と 伴侶を亡くした一人住まいの高齢者の気持ちを慮る。
・・・と、そんな心持でいるところ、ある高齢者のお財布を拾ってしまった。
スクールの2階に居住している母に、仕事中だというのにらる畑の牛乳とヨーグルトを買ってきてくれとせがまれ、15分間の中で往復して買ってくるという具合で車を走らせていた。
買った後に赤信号で止まるので速度を落としながらいると左手歩道に折りたたみ財布が落ちている。
拾ったところで警察署に行く時間がないから見て見ぬふりをしようか・・・と一瞬思ったけれど
まだ夏休み中。この近辺を歩く子たちは落し物は交番に届ける良い子の皆さんに違いはないが・・・けれど若さとは魔がさすことも時にある。
仕方がない・・・と車を停めて財布を拾う。
見た目から、きっとお年寄りの男性のものだろうな。と中に入っている身分証明書になるようなものに
なんと 昭和10年 と記入されている。
うわ・・・ 亡き父と同じ年だ
と スクールに戻り、なにか電話番号らしきものは書かれていないかと探してみても どうしても 出てこない。
けれど、この世代は必ず104に電話登録をしているに違いないと、身分証明書の住所で調べたら案の定登録されていた。
電話をかけて留守電になったのでメッセージを吹き込んでいる途中で、本人らしき人が電話に出て、しっかりとした口調で私とやりとりをし、今から自転車に乗ってそちらへ行くから! と 威勢よい人のようだ。
それを聞いていた アンドリューやレイチェルは、あつこ年齢的に80も後半なら自転車にここまで来るの無理じゃないか? 家まで持っていってあげたら? と心配している。
いや 自分もレッスンあるから それは無理。それにあの口調はかなりお元気そうだったよ。と私。
で・・・しばらくもしないうちに、すごい速度で自転車を走らせているその年齢らしき男の人がスクールの前を通る。でも 看板に書いてある トンプソン・インターナショナルの字は英語が主でカタカナは小さいので見落とすのだろう、速度を落とさずに飛ばしてゆく。 焦って外に出て呼び止めようとしても もう遥か彼方の角まで行ってしまっている。というのを2回は繰り返しただろうか。
折り返して戻ってくる、その人をようやくとめることが出来、お財布を渡すことが出来た。
年齢は87歳。一人住まいだという。 いやあ 現金はなんぼも入っていないけれど、この銀行カードやクレジットなんとかというのがなくなったら大変なとこだった。 ばあさんが死んだときもえらい目にあったんだ・・・助かった。と 眉毛の太い 色黒のその方は、おそらく外仕事を生業にしていたのではないだろうか しっかりとした体格としっかりとした言葉の運びと・・・感心してしまった。
子供たちも 皆、東京に行ってしまって、一人でなんとかこの年でも暮らしている。とありがとう。とその人は自転車に乗って去っていった。
私は、英検準備特訓のクラスへ戻った。
レッスンが終わり、87歳 独居生活の男の人ってすごいな、我が父なら決して出来なかった偉業だよ。 奥さんを亡くしても一人でのやもめ暮らしをしていると言っていた人のことを母に話した。 きっとあの時は自宅から東光ストアにでも買い物に出かける途中だったんだろうな。 電話かけたとき、東光ストアのサービスカウンターに置いておいてくれないか?と言ってたもんなぁ。
104の料金と電話代かけておじさんに連絡して、人助けをして悦に入るほど単純な自分であれたら良いのだけれど。
人の悪い自分など、このお財布の主は、お財布を拾ってくれてありがとう。お礼に。と、お財布から数千円取り出し置いてゆく・・・というような洒脱な真似は きっとしないだろうな。と そのお財布を拾った瞬間にわかっていた。
警察に行って落とし物です。と、そこで面倒な時間を取られるのも困る。
正直、拾いたくないな。とあの時私は、思ったはずだ。
でも、拾ってしまった。 行きがかり上。
しかし昭和10年生まれという身分証明書をみたときに 私は その人に会ってみたくなった。
父と同じ年の人が どんな様に 生きているのだろうか? と 興味を持った。
もしかすると 父と同じ年ということでなければ 私は104で住所で電話番号など確認せず、自分に時間が出来るのを待って警察に行っていたかもしれない。不安に待っているだろうからすぐに連絡を取ってあげたい気持ちと天秤にかけていたかもしれない。
やってきたその人には、生命力があった。
力仕事で身体を動かしてきた人なのだろう。
戦時中に生まれ、奥さんに先立たれ、子供たちはみな東京に行ってしまった。
と それでも独りでなんとかやっているけれど、このクレジットカードとか銀行のカードがなくなってしまったら厄介なことになってたなぁ・・・。と笑う。
神は、独りで生きていける力のある人に、最後に残る人という役割を与えるのだろうか。