Moving 引っ越し

自分事ですが・・・年末だというのに、自宅の引っ越しです。

人生計画通りでゆくと、死ぬまで もう一回引っ越しはあるでしょうが ある程度、次が終の棲家・・・の予定です。

65歳と55歳が、はじめて自分たちの家を建てることを決意したのは おそらく3年ほど前。

東京の賃貸暮らしから始まった結婚生活、安普請ながらも、東京タワーが小窓からみえて、東京のその街に住めているというだけでワクワクできた。不安定なその日暮らしすらも楽しめたのはまだ20代の終わりにぶらさがっていたからだろうか。

札幌に来て、しばらく賃貸マンションに住んで2年くらい経ったころ、円山のマンションに縁があって住むことになった。 そこは持ち家だったけれど、トンプソンがマンションに耐えきれなくなってしまった。

日本のマンションと カナダの実家と比べられても困るよな・・・と、途方に暮れて 夫婦喧嘩が絶えなかったあの季節。 ある日私は決意した。 このままだと ダメになる。と。

で、山の上にあるテラスハウスというところへ 賃貸でまず住んでみようと マンションは貸すなりなんなり、後で考えればよいかと とりあえずのものをもって 引っ越した。

すると 少しずつ トンプソンが元気になってきた。そして 私も山の生活がとても気に入っった。

空気が違う。と、まず思った。

そして 色々なことが その家にいるときに起こった。 人生の膿を出す時期と重なったのだろうか。私はあの時、あの場所に住むことで、色々な厄落としが出来たような気が、今でもしてならない。

このままこのテラスハウスで間借り生活し続けてもいいかなぁと思い始めた頃、現在の住んでいる家と縁があった。

トンプソンが散歩している途中に見つけてきた。

売りに出ているんだけれど、カナダの近所の家を思い出すような、そんな家なんだ。と その中古の家は自分たちがなんとか工面できるくらいの価格だった。

思い切ってその家を買った。

住み始めてわかったことは、その家を建てた人はすごく材質にこだわり、カナダのレンガ、カナダからの建具を使ってその家を建てたということ。

お商売がうまくいかなくなり、残念ながらその家を手放されたために・・・私たちでもなんとか縁があった家。

10年暮らし、愛情持って暮らせたと思う。

ひとつひとつ相談しながら色々なことをした。 庭にトン単位になるのではないか?というような黒土をトンプソンと運び いい土をつくり バラを植えた もみの木を植えた 色々なものを育てた。

ここをこうしよう ああしよう と工夫したり、屋根の塗装もトンプソンが脱水症状になるのでは?と近所の人に心配されながらやり遂げたのも あれも いまとなれば(何事もなく)いい思い出だった。

いまのこの家で、私は正直、年齢的なものもあり、体調の良い絶好調!という時はあまりなかった。自分の体力にも自信がなくなり、もう若くないんだなぁ・・・と 当然のごとく老いというものを見つめるようになった。

けれど その分、自分の内面を見つめることの出来た家だった。

洗濯物は自分で干さなければ乾かない・・・ということを、そんな当たり前のことを、多くの面において教えてくれる家だった。

暑い暑い夏の日に食卓テーブルで、いつまでも受からない英検1級の勉強をしながら、ふと 風が窓から入ってきた その瞬間に・・・ 勉強をすることは 景色をきれにみせてくれることなのかもしれないな・・・と 教えてくれたのも この家だった。

夫と、これまで 建てたことのない一戸建てを建ててから 人生を閉じてみようかと相談することが出来たのも この家のおかげだと思う。

夫と決めたことは私たちには子供がいない。けれど 次の世代がぜひ住みたい 住んでみたい!と思ってくれるような そんな家にしよう。

そんな家になってくれるかどうかは まず おいといて

でも 多くの応援してくれる人たち 多くの縁に恵まれて 3年かかり やっと完成します。

次は 少し体調よくなる家になってもらいたいと願いながら・・・