コロナが始まる年までと、台湾に続けて訪れていました。
理由は東京の知り合いが台湾に精通していて、台湾出身の東京在住の人と予定を合わせて、とても楽しい手作りツアーを催してくれていたからです。
2年続けて、それはそれは美味で楽しい旅をさせていただきました。
その旅のユニークだったのは、東京在住の台湾出身の趙さんは元軍人さん。それも幹部級の人で、台湾でのその旅には故宮美術館やポーピリャオ歴史街区諸々の他に中世記念堂の衛兵交代式や 更に軍事色の強いツアー、例えば軍機ミュージアムや戦時に関わるようなものも結構組み込まれていて ^m^;。もっと興味深かったのが夕食は 地元の人がこぞって行くような所が毎晩予約されていてそれも楽しみの一つであり、本当に美味い! その一言につきる場所を毎晩用意してくれた。それがリピートして参加した理由かもしれない。
そこには必ず趙さんの知り合いが一人か二人招待されていて、趙さんの知り合いといえば当然軍関係の人たちで、軍隊司令部のトップの王さんという方などは 台湾のテレビに 中国との危機感などを語ったりするのによく出ている人らしい。 また とても素敵な人であった。声がたまらなく素晴らしいのだ。その方の他に大学で国際政治やまた戦略研究会の理事長なる方もいたり・・・なんとも台湾の防衛への意識の高さを毎晩教えられる。平和ボケしてしまっている私や夫のトンプソンなどには 英語でもお話しくださるのでなんとも刺激となり有事への準備を考えさせられる・・・ しかし 目の前には台湾の美食が並び 国家危機を語られても、その時は身の引き締まる思いで傾聴していても、甘ちゃんの 日本人とカナダ人がそこにはいる。
そんな旅の中に、毎回組み込まれていたのが 海辺の料理屋さんだった。
海辺にある村へ行き、そこでは海鮮物が売られている市場がある。自分の好きな店で好みの海のものを買い求めて、その店が経営している食堂で調理してもらうといった処だった。
そこの店主さんは女性だった。きっとご主人が漁師でその人が売っているのだろうと思う。
その女性は褐色に焼けた肌を活き活きとさせて働いていた。威勢が良かった。そしてスタイルもよかった。髪の毛が長くストレートで艶々していた。その旅のリーダーのHさんが色々と選び、そして 食堂の方に坂を登って歩いていく誘導をしてくれた。 食堂は簡素な造りだったけれどとても清潔だった。キラキラと輝る海が一望できた。西日が強い店で 暑かったのを憶えている。 けれど扇風機くらいしかなく 暑い中で料理人たちが強い火を使い調理している姿が店を入ってすぐにみることが出来た。台湾の料理屋の面白い造りで、台所を前に置くというのがあった。 前に置いて 常に見えるようにしている店が流行っているように感じた。 その台所は決まって清潔に扱われていた。
料理が次々と出てきて 舌鼓を打ちながら 食べてゆく そんなリズムの似合う空間だった。
坂の結構急な場所にどのように買った魚を運んでくるのかな? 車? と思っていたら 女主人のその人は小型バイクにまたがり魚を次々に下にある市場から運んできていた。
勢いがあり、働くことに燃えるその姿は 文句なく美しかった。
褐色に焼けた肌は 美白?という言葉を知らずに生きてきた人のもので。ピンッ!と余計なものを塗らずにいる人独特のそれだった。 美容家たちは それが肌への一番の大敵と言うのだろう。 確かに 若い時はいいけれど年を重ねたときに肌の老化が云々とおどろかされると・・・私たちは当然日焼けクリームを塗り、日傘などをさし、もっと美意識の高い人なら長い手袋や 色々と策を尽くすのだろう。
が・・・
その浜辺の女性が命を輝かせて生きている姿の前で、黒装束で身を纏い数年後の肌の状態を心配して生きている マンションの窓もUVが危ない などとは 恥ずかしくて 言えないのではないか。と 直球に思った。
それぞれの立場の中で それぞれの生活があるから それぞれで良いのだと思う。
それでも、私の目には あの浜辺の女性の輝く命が キラキラしてみえた。
その人は子供たちにも仕事をさせていた。 お客さんの食事後のビニールをとらせたり、細かい仕事をよくさせているのがなんとも印象的だった。子供たちも動いているからそこからエネルギーが発せられて また あの西日の光のなかで生きている。という そんな絵をみているような時間だった。
また 台湾のそこに行き あの エネルギーに満ちた絵に出会いに行きたい。と、どうか 台湾がこれからも 台湾のままであれることを 心から願っています。