勉強ってなんなのだろう

小学5年生の女の子が実用英語2級に合格された。

お父さんはよほど嬉しかったのだろう。かかえきれないほどのかりん糖と笑顔でおみえになった。

コツコツと毎週毎週、練習を重ねていく中で、この子は本当に勉強が好きなんだなぁ…と感心することが多々あった。そりゃ 人間だから調子の良い時と悪い時がある中でも、知への欲求の強いその命が彼女を前に進ませる。いまは単純に準1級にとりかかるのは少し直線的すぎるので、英語で世界史を二人で読んでいる。そうすると本人の世界史の勉強にもなるし。また、私も非常に勉強になる。

あれだけ勉強の嫌いだった自分が、小学生や中学生たちからいま、勉強ということについて教えられているのだから… ああ、時間よ過去はさておき前に進め。と、自分の場合は思う。

そういう勉強が嫌いだった自分を基準に置いているせいか、どのようなかたちでも諦めずに目標に進んでいく子たちの姿に感動することが多い。

Nちゃんは、高校3年生の秋・・・なかなか同じ2級が受からないでいる。が、彼女はあきらめずに12月にインターネットで挑戦するといまも頑張っている。現段階の彼女の語彙数、読解力の実力は、他の合格をした誰よりも上であり、これだけの読解力があれば、これを土台に色々なことに挑戦していけるだろうなと思うほどのもの。合格につながらないのはただただ時間との戦いで…そこだけが突破できないからなのだ。

ある日、私は 心から彼女に言ったことがある。

「Nちゃん、それでもさ…皮肉にも合格に繋がらないということがこれだけの力を蓄えさせたんだから、面白いよな…。必ず合格しなさい。そして、この培った力を途中で止めるんじゃない。これから推薦で(2級の不合格でもー1ということで推薦対象になったらしい)大学に行ったのち。必ずこれを土台に、何かを切り開いていきなよ。色々と楽しいことが待っている大学生活の中で、この苦労をただの一過性にするか。それとも肥やしにするか… 本当に多くの意味でこれからなんだね。君の人生は・・・羨ましいよ」と、自分の若き日の後悔の念をついつい彼女に押し付けて話をしてしまう。

興味のあることに貪欲で、そこから色々な知識が増えていくことを喜びとしているK君。難しい数学を私に問題出してきて、嬉々としている彼はこれからどんな人生を歩んでいくのだろうか。規格外のまま大きく大きく羽ばたいてゆき どのように 年を重ねていくのだろうか。

お金持ちと結婚することが夢だと中学生の時は恥ずかしげもなく言っていたこのNちゃんだって、高校生になりすっかりと女らしくなり、そんな奇抜な発言もしなくなり、一生懸命問題を解いているそのきれいな横顔をみながら、この子ならきっと良縁に恵まれるのだろうな。と、素直に思う。

本当に不思議だと思う。勉強をする学生さんたちから 勉強について教えられ

少しでも自分もましにならないと・・・と老眼鏡かけて夜に机にむかう自分と、まさか出会えるとは思わなかった。

いまの自分の夜の勉強は 日本史なのです。

日本史は どういうわけか英語とセットになって要求されることがあり・・・中学生レベル 目をショボショボさせながら 100円ショップの老眼鏡片手に亀の歩みでやっております。

でも 面白いです。高野山→空海→真言宗→ と そこで 料理について思う。あれ なんで高野豆腐っていうんだろ? と単純に思う。そうすると 高野山に何万石か領地が与えられたけど、そこは米が育つような土壌ではなく、仕方なく豆の栽培をしていた。と 何かの偶然に その豆で作った豆腐が凍ってしまい ありゃりゃと焦りながら その凍った豆腐の水分を絞って、乾かした結果にあの凍み豆腐が出来て、それと高野山 真言宗の宗教的なものと重なって 発展していった。 とか、いう 話も入ってきたり。

自分の興味は どこまでいっても食とかそういうものなんです。 で、それと 重ねて 自分の記憶を厚くしていく という 方法は あのK君から習いました。