生きやすさ

生きやすさとは…と 思いつくことが最近、多くなった。

生きやすい人とは、明るく 前向きで 常に人の裏の心理など考えず 毎日を清々と過ごせる人と

自分の持つイメージは 日向の中で 生きられる お日様の方向を向いている人たちだ。

人に囲まれ、友人が多く、思いやりに溢れ、自分のするべき仕事を持っている。

大谷翔平選手とまではいかなくても、人望厚く多くの人に好かれるような人。そういう人は 生まれ持った資質なんだろうなぁ。と、思っていたところ、その類に属するような人のお一人が、手首にあの、念仏のようなものを書いた数珠をまいているではないか。

私は思わず尋ねた。「これをすると何か効き目…があるのでしょうか?」と。

その人は答えました。「…うん、あると思う」

「なににでしょう??」と私。

「うん…そうだなぁ 自分の邪念がとれるというか、少なくなるような気がする」

邪念などと全く無縁にみえ、多くの人たちに好かれ慕われ尊敬されているその人にも、邪念と呼ぶようなものが存在するのか? と、驚きつつ、  ああ そうなんだという 安堵を感じた。

大谷選手はまず、おいておいて。

一般人の中でも ワンランクもツーランク(お金だけではなく 人格など)上の人でも 生きるという作業の中で 色々とあるんだなぁ。と、思うと 自分というものに 苦悩している自分など ホッとするではないか。

自分を切り離す訓練が、人と人との間で起こる出来事の中で生きていく時に必ず必要となる時がある。

その作業は、勉強するのも自分のやり方があるように。人間関係というのはうまく立ち回るとか、あたらず障らず とか、そつなくマナー通りにとか そういうもので解決、力がついてくるものではない。

自分を切り離す訓練なのだと思った。

忘れることのまず第一歩目は、自分が、自分だったら そんなことしないのに・・・とか、意外とあの人って そういうことするんだ。と、愕然とする出来事があったとしても自分が自分だったら…の思いを、捨てる。

執着しない訓練を重ねてゆく。時間がかかるかと思うけど、勉強も時間がかかるのと同じだ。

恋をしている人は、いいものだなと思う。

そういった作業にあたるとき この恋心が 念仏入りの数珠よりも効くかもしれない。

恋が、大体 多くのことを どうでもよいことにしてくれる。その恋が暗礁にのりはじめるまでという期限付きの欠点があるのが人間同士の恋だけど この恋心というものを利用しない手はない。

春。なにか これまでしたかったことを 恋をするように 始めてみようかな。と、久しぶりに思える。そんな春です。

一つだけ あるんです。今年始めることが。

ずっと したかったこと それの扉をたたいてみようと思います。