GW Holiday

GWは4月29日土曜日より5月5日まで、水上の英語検定特訓を除いてはお休みをさせていただいています。

休みでもやりますよ〜〜 と 声をかけてみると意外と希望者が。

朝や夕方は仕事して、頭のトレーニングして、夜はゆっくり友人たちと 集う。 トンプソンは不在。これぞ 自分の理想の休日の過ごし方。

みなさまもいい時間を過ごされますように♪

 

真面目にレシピにしたがって

昨夜、ハンバーグを作りました。

たかがハンバーグ。でも、小滝あゆみ先生(Chibi クッキングスクール)のレシピに忠実にそって作ってみました。

ここではレシピをご紹介することは できませんが。

いたって 基本の作り方のものだと思います。

二つ 自己流にはなかったものは。 お肉を粘りが出るまで何も加えずにこねることと。 タネ作りをしてから 形をまとめて 冷蔵庫で30分以上ねかせる。ということ。

味は ほんと~に ホントーに違いました。

夜10時 帰ってきたトンプソンと 美味しい美味しいと 食卓を囲みました。 ハンバーグを美味しいと褒めてくれたのは きっと初めてではないかしら?

さすがは 小滝先生です。

今年になって まだ 行けてはいないのですが、いままで 習ったものを おさらいして 作ってみて 自分のものに出来るように GWに友人たちを数人招いて料理作りに励む予定です。

良妻賢母

男の人は結婚となると、突然、実に保守的になるものと、言われるようで。

そうするべきだと、 いまの私なら、彼らのその気持を心の底から理解できるみたいで。

社会性があって、かわいらしくて、無駄な敵をつくらずに 健やかで楽しげに、ほがらかに家庭を守り、運営してくれるような女性と結婚したいと、私が男でもそう願うはずで。

そういう女性は実際にいるし。そういう人と結婚できた男の人はラッキーだなぁと思うのです。

かわいらしくて 愛らしくて 頭も良くて というような女性っていうのは いいもんだなぁ・・・と 私もお慕いし申しあげたくなります。それが 人間ってもんですよね。

ところがですね。日本で住んで 日本語の未熟な夫のかわりに 私が大体の事を やらざる得ない場面がありますね。 言ってしまうと 男の人の役割をしなければならない時に、かわいらしくて 愛らしくて という要素がもともと少ないところに ますます 目減りしてきている自分がいるのですよ。

そんなきかん坊になってしまった私が言うのですから 間違えないです。 女は性格の愛らしい人の方がいいに決まっている。

だから 女友達はというか お慕い申し上げるタイプの人は そういう人をどこかで追い求めています。 あちらとしては 迷惑な話かもしれませんが、お近づきになれれば 少しでも 伝染して そんな人に近づけるのかもしれないし・・・などと 希を託しながら 好きです そういう人。

そりゃ・・・ そんな女の人には 大体 力のあるバリバリと外交的で、妻をしっかりと守ってくれて、家では妻に対し世の中に通用しない我儘をたしなめ、指導してくれるそんなご主人がいるから。という場合もあるけれど。 でも、一方でご主人を早くに亡くされて しっかりと一人息子を育て上げ ほがらかに 多くの方に好かれて 楽しげに暮らしている人を私は知ってます。他にも シングルキャリアウーマンでいながらも軽やかに、羽よりも人に重さを与えたくないというような心をもって素敵に生きている明るい女性や。亡くなったご主人の事業を受け継ぎ きっと色々なご苦労もあるかと思うのに、いつも相手の立場をまず先に考えられるような人。 彼女たちのように 色々なことがあっても 屈折しないで生きていける人と、そうでない人の 分かれ道は 何なのだろう・・・と それは いまは 分からないけれど、 実際のところ 煮ても焼いても食えないおばはんになるか、少しは矯正するべき道を進むかの いま際どい分かれ道に立っているに違いない自分としては、真剣に模索中ではあります。まぁ 模索したところで きっと なるようにしかなれないのでしょうが^m^;。

ひとつ・・・ これは 違う意見もあるかもしれませんが。

女が素直に かわいらしく 生きてゆくには やはり  (オマエ、いや 君でもいいや)それは違うぞ。 とか 言ってくれる 異性の声というのは 大切なものであるように思うのです。

自分にとって そんな人は たった一人・・・ 我が父だけだったのだと思います。 またもや 憐憫になってしまいますが 父の声を聞きたくて トンプソンと 父の思い出話をします。 そうすると 父のことが大好きであったトンプソンも お父さんだったら こういう風に考えてのではないか? とか二人だけの 会話にならずに済んでいます。 第三者の目をもつことが必要な場面というのは 殊の外 あるものだなぁと 思います。

春の訪れを待ちながら。

また雪模様になってしまいましたね。

こうやって 寒さ 暖かさを 繰り返し ホットする春の訪れを待っているのは分かりながらも。 吹雪のような景色をみると この時期 道産子 北海道人は 愚痴のひとつも出てしまいます。

こちらは横に吹雪く雪のなか下を向き歩いているというのに、かたやどこかでは春の桜のニュースを聞くと いいなぁ・・・と羨ましく思うものです。

それでも 今日は ちらし寿司を作ってみようかと考えています。温かいおすましと。 色華やかなちらし寿司で 気持ちや 目のマッサージをするだけでも よいかな。などと よっしゃ ちらし寿司。 今日は5時40分で帰らせていただきます。

スタッフの皆様 いつものことながら お先にどうかお許し下さい。

プレゼント

先日、一人で暮らしている 母のところへ プレゼントを持って行ってきました。

プレゼントはこちらです。

二人で 仲良く暮らしているようです。 名残惜しくて 離れがたかったけれど 我が家には もう大きなおねえちゃん猫がいるので 弟タビビ君は 母の家で 王子様のように暮らしているようです。 よかった タビビ。 幸せに幸せに 生きるんだよ。

しゃれたお顔の人

3月31日、自分の40代のほぼを占めて、約10年間抱えていた問題が終着しました。
当日は少しぼーとし、翌日は気持ちよく肩の力が抜けたように仕事場で過ごし、休みの今日は、化粧品の整理をしました。

これからはこの量で良いな。という目安がこれで減る事はあっても増えることはないでしょう。

10年振り返り、長い長いトンネルであったけれど、そのなかで 多くの人が思い通りにならない時間を過ごしながらいるのだ、と…

すべて 整理整頓した中で生きたいと願っても それは 傲慢なことなのだ…と 教えられました。

ゴチャゴチャ ワヤだわ💦と やりながら そこに光を見出しつつ 日々、だましだまし 時間を紡いでいくうちに 何か やわらかい 春の陽射しの中に 浮かび上がるのかなあ…と 春の光のなかで化粧品整理の時間が幸せでした。

ところで そんな時間を通過のちの自分の視線が変化をとげていることに気づくことがありました。

人のお顔をみる時の視線が変わったのか。 美しいと思うものに対しての意識が変わったのか。

先日、とてもしゃれた顔の人だなぁと思う女性をみかけました。

いくつくらいなのか、分からないけれど 40代以上ではあると思います。

ふんわかと明るい表情をしながらも、落ち着いた感じの人でした。

いいお顔をした人だなぁ・・・と いいなぁと 遠くの席にいながら 私はその人の顔にしばしみとれていました。

若い時は 顔の造作やスタイルやそういったものに 視線がいっていたような自分なのに。 いまは いい表情のしている人だなぁ というものに 魅力をおぼえます。

全てが順風満帆、悩みのない人は いないぞや。と 判明したせいか。

眉間にしわを寄せずに 猜疑的な表情が顔に残ってしまっていない そんな 穏やかな表情の人に憧れを感じます。

解決前の一年くらいはすっかりと疲れ果て暗い、トンネルにはまってしまい気がつけば 家の近所の 新興宗教団体の掲示板に張り出されている “幸せとは” なんて見出しの前で立ち止まりその訓示を読んでしまうほど弱っていたので人間最後は宗教 いや 信仰がないと救われないのかね? と自問自答してしまうような具合でした。  
神様に救ってもらうのは 自分らしくない と さすがに 教会の扉は叩くことはなかったけれど。でも 信じるものがある人は 明るいのかもしれないなぁ と 暗い目をした私は思ったものでした。

・・・と、まぁ それはさておき いい顔をしている人は 気持ちの明るい人だと思います。

色々なことがあるのは 当たり前で それを 明るく さばいてゆける 力が お顔に出るのだと思います。 素敵でした あの女性。 そして お洒落な人でもありました。

ここ数年間、ずっと 下を向いて 周囲を見渡していなかったんだなぁと ハッとさせられた そんな人でした。

 

いちご狩り

今朝、お決まりの出勤前の15分間、トレッドミルで歩きながらテレビの画面をつけた。
この時間と夜のNHKくらいしかテレビをつけて情報を収集することはないのだから、極めて重要なNEWSを見聞きしなければと思いながらも。

シニアの婚活 という文字のところでチャンネルをコントロールする手が止まった。
シニアの婚活 女性の参加年齢は40歳から65歳まで。 なぬうう?? と 言うと いうと! 49歳は おもいっきりシニアのど真ん中。中堅どころということなの? と言うわけで目が釘付け。

シニアの婚活・・・って 皆さん 勇気あるなぁ。どんな身元の人が来るかわからないところで 自分を賭けるだなんて怖すぎるよーな気がしますけど・・・でも それでも 人生のパートナーを求める気持ちに 20歳も 65歳も 変わりはないのは 分かる 分かるし。それに、女の人がモテるのに、年齢は関係ないということは 私は よく知っている。

と、いうのはですね。

仲良くしてださっている年上の女友達二人と食事に行った時。私は早く到着したところに、おじさま4人位が席でガヤガヤとやっていた。
年の相は、65歳近くかな。現役を退きながらも ずっと務め上げた会社が用意してくれた会社で、管理職に就いているような感じのおじさまたち。そんな雰囲気だった。私が入っていった時にはですよ よそ行きの雰囲気もみせず 結構、そのまんまっていう感じの会話をしていたというのに。

しばらくして「あっちゃーん、お待たせ♥してごめんなさいね」と それはそれは 素敵なオーラを運んで入ってきた マダムRが登場した時に。おじさま達の ドヒャドヒャした会話がとまった。 とまったのよ。本当に。マダムRは 年の頃はその当時は64歳位だったと記憶している。

エレガントな御髪は、お出かけの時は いつも美容室でシャンプーし、ナチュラルなウェーブカールが 素敵なロングヘア。着ているものはスポーティだけどエレガントな白っぽいコーディネートだった。そしてまとう 雰囲気が これは 一朝一夕では真似のできない マダムRならではの 毎日の積み重ねの フレグランスなのだ。

おじさま達は、一瞬だまり、いづまいを正したのだろうね。背中で感じたね あたしは。それも皆が皆一斉によ。(笑)
で、話の内容が 私だけいた時と随分違う方向に なったよーな感じを受けましたね。 よそゆきの会話ってやつにみごと方向転換。

なんだ?おい?と 思いながらも まぁ マダムRなら そうなるわなぁ・・・と ニヤニヤ私が下むいて笑っているところに もう一人 これまた 美しいTさんが現れる。Tさんだって その時は 年頃は60歳はいっていたはず。 おじさま方、また 黙りましたね。

と、言うよーな お手本をみせていただいたので。 女は若いほうがモテるという幻想、そして 驕った考えは わたしの中には ございません。はい・・・・・ それゆえに シニアの婚活の皆様のゆくえはどうなるのだろうか・・・と 気になるところ。

 最初は 確かに65歳の妻に先立たれて3ヶ月というような おじさんも 45歳の明るい人に気がいっていたようだけれど競争率の高さや、年齢差から、最終的には彼を一途に追った、64歳の人ということになったようで。

 番組スタッフの色々な指南もあったのかもしれないけれど・・・その辺りで落ち着くことは出来るんだな・・・と思ったら 
マダムRのようには無理でも。ちょっとくらい春めいた気持ちで、イチゴ狩りを、どんな人とも楽しめるような60代になりたいものだ。というくらいの気持ちを意識したいものだと。この約10年の間で、ちょっと人との接触は面倒・・・というような境地に成り果てている 今日このごろの私。このまま放っておくと 間違いなく
どんどん 可愛げのない 女に成り果て。眉間にしわをよせながら、人をみればまず疑ってかかるというような人相が益々顕になってゆき。 この調子でいってしまうと 誰もいちご狩りに誘ってはくれないはず。いや 別にいちご狩りはいいとしても。高峰秀子さんレベルの人なら孤高さも様になるが。1市井の人でしかない私は、ちょっとは男にも女にもかまってもらえるシニアになりたいではないか。 いま シニアの中堅どころであるという事実を教えてくれた その番組から 今後のこと、もし トンプソンと死に別れでもしたら 婚活できるくらいの自分は保っていようよ・・・ということなど など。

 

それぞれの春

 春の夜空は、明るい。と気づいたのは ここ数年。
先日、バスをひとつ逃してしまい寒空のなか30分ぼんやり待つのもなにかと・・・バス停を3つほど歩きました。
15分間歩いても、待つ15分間の長さのつらかったこと。
タクシーをつかまえようかと挫けそうになっても、タクシーの影すらも、私以外の人影すらも見当たらないようなバス停の前で
ひたすら夜空を見上げながら 温かいこと、暖かいものを思い浮かべようと必死でした。

 春分近くの夜空は、少し白みがかった群青色なんだなぁ・・・ずっと目を凝らしてみていると 昼にもみえるなぁと見上げながら
午後に大学に合格しました!と お菓子をもってやってきてくれたHちゃんとそのお母さんのことを思い浮かべてみたり。
10年以上前に子供クラスを始めた頃にやってきてくれて なぜか高校2年生ころまで もちろん お休みする期間はあっても
うちのことを うまくご利用いただき、晴れてこの春 一橋大学政治経済学部現役合格。 いや・・・すごいね・・・すごいっすね そんなお嬢さんを持った母親の気持ちっていうのは いったいどんなものなんですか! Miwaさん! と私のひやかしに。 母上Miwaさんは、「あの子、こうやっていま 笑顔でいれるけれど。 これまで たくさん泣いたから・・ いま笑っていてくれて。いえ いま 合格できなかったとしても こうやってあの子が笑う姿をみていると、ああ たくさん泣いて よかったのかもなぁ・・・って思うんです」

 たくさん泣いて 涙を何かに変えながら 笑う力になって、その姿をみて 嬉しい。 母親の思いがはいってますねぇ 
泣けるじゃないですか。 と 夜空を見上げながら 涙ぐむ私。

 涙ぐんだついでに
 去年の夏に亡くなった 自分の父に バス停で一人夜空に問いかけ始める。

 お父さん、お父さんはさ。お母さんのこと 子育てが下手だった・・・って 晩年、私に呟いたね。
でもさ お父さん お父さんが いちばん 子育って下手だったのかもよ・・・ 優しい人だったよね。自分にきびしくて人にやさしくて。
そんなお父さんの優しさに、大体の人はスポイルされちゃうんだよ。 凡人はね優しい人には つけあがってしまうんだよ。この私みたいにさ。

 お父さん・・・お父さんが亡くなってからさ・・・ お父さんがお金を貸した人の 借用書が出てきたよ。お父さん 期日ももうけなくて人にお金を貸すような人だったね。そして 返してこなくても 放っておく・・・そんな人だったね。そのやさしさって もしかすると 人をダメにしてしまうのかもしれないよ。 自分の娘にも その調子で甘かったから・・・。まぁそのぶん お母さんがヤクザのように怖かったけどね。
でもさ お父さんのやさしさは あれは罪つくりだよ。 おかげでお父さん、わたしは自分立て直すのに 残りの人生 けっこう必死だよ。

 Hちゃんが、一橋大学合格したって・・・女の子ですごいねぇ。そんな子もいるんだねぇ。
いっぱい 泣いたってお母さん言っていた。きっと そうなんだろうね。 
 わたしはさ 大した泣きもしなかった青春送っていたから こうやって 街のはずれにあるようなバス停で凍えながら いまごろになって涙してんのかねお父さん。 そうはいっても、これ、ここ最近だけどさお父さん・・・ 甘えていいようなお父さんが 病気になってから 色々なことあったけどさ、お父さんがもういない(ってまだ闘病してただけで生きていたんだけど)そう思ってからのほうが なんだか しゃっきりしたよ。けっこう泣いたけどさ。まぁ こうやって なんとかやっているよ お父さん。
 

  

糠漬けサラダ

  ずっと 料理を作り続けていると その家なりのレシピが出来てきて。

 自分で言うのもなんですが、私の場合 サラダは褒められることが多いような気がする。

 一年365日 ほとんど 欠かさず作り続けていると そりゃ それなりに熟練されてはくるようで。
 
 ほうれん草のサラダは ほうれん草にカリカリベーコン、ラディッシュ、オリーブオイルで焼いた茄子にゆで卵 そして タップリの浅葱 ドレッシングは 塩にわずかの醤油にビネガー 少しのレモン汁、そして 自分は米油で作る。

 最近 うちならではのもので きゅうりの糠漬けを ちょっと大きめの千切りにして、緑の野菜(これには ロメインレタスよりも 丸い形のレタスが合う)とだけで 作る。
糠漬けの塩分があるので 塩はほんのわずかで 胡椒とお酢に 紅花油でも米油でもどちらでも。

 自分で漬けている糠漬けを無駄にしたくないという 発想から生まれたレシピ。

それぞれのイソップ物語

イソップ物語の原作は読んだことがないけれど。

田辺聖子さんの 訳した(という言い方が相応しいのかどうか・・・)ものを、読んだことがある。

それによると 動物界のそれぞれの個性をおちょくり描写し読者を笑わせながらもこの世界に神が創造したモノたちの中で完璧であるものなどいないのだ。と、いったそんなメッセージ性を含んだ物語であったように記憶している。

ある時、私にしてはまとまったお金が入ったことがあった。

その頃は、こういったスクールも始める前で、ついでに時間もあった。

そのお金を、自分なりに 何か記憶に残るものに遣おうかという意識が働いた。いまより20年位前。若かったので、守りの意識が今より20年分くらいなかった。

一ヶ月間、イギリスのオックスフォードに行くことに決めた。

ついでに オックスフォード大学の夏期講習なるものを受けてみることになった。

そこに行ってみると、世界中から優秀そうな人たちがやってきていた。

日本人勢にしても 東京大学卒、日銀勤務。とか 大手企業の研究者とか そんな人達が あれ きっと 企業の方でも ある程度勤務したプレゼントというような感じで、30代最初の頃の彼らにこれからも頑張れよという褒賞として1年くらい会社のお金で海外留学出来るんでしょ?きっと。そんな人達が数人いた。そして、国立大学とか有名私立大学あたりの奨学金制度をGetして留学を果たしたというような大学生たち。そんな構成だった。

オリエンテーションが終わり、そんなエリートと呼ばれる人種と毛色の違う私は・・・それなりに考えた。さて この 構成の中で どの辺りに身を置くか・・・と。

と、そんな策士めいた思いを張り巡らせようが、張り巡らせまいが

きちんと その人にあたわった その人の イソップ物語は ちゃ〜〜〜んと 始まるのだ。意図の時を待たずして。

いつの間にか 日本人同士も、イタリア人も そしてパレスチナから来ていた女の子も平和そうな日本人グループといたほうが、なにかといえば論議をもちかけてくる違う国からの留学生よりも一緒にいて楽だと気づいたのか。 ふと、気がつけば日銀から派遣されている才女。家族より早く留学先に到着し、独身時間を 遠慮がちに楽しみつつあるような お坊ちゃんがそのまま大きな企業ですくすくと純粋培養されたような好感度の高い技術職の彼。彼らは会社が費用持ちの学位留学。

大学生のメンバーは横浜国立大学から奨学金をもらって来ている男の子。九州の大学から自費で留学してきた白い目と白い歯が際立つ育ちのよさそうな女の子。そしてもう一人の女の子がこれまたぶっ飛んだタイプの子で。有名私大から費用が出て、デンマークに学部留学する前にオックスフォードで研修を受けに寄っているという子だった。大学の友人たちに避妊道具を餞別としてたくさんもらって来ていると自虐ネタをよく言っていたな・・・そういえば。

そこに、一年前からいるようなメンバーも加わり 時々 共に食事をするような日々が続いたある日。

パレスチナの女の子が、シリア料理の美味しいものを出す店があるから皆で行こう。という提案をした。

それでは 行きますか。と、上記のようなメンバーでゾロゾロと行ったと記憶している。

そして 料金を払う段階になって 皆現金で出しあったものを 横国から留学費用が出てきている男の子が集めた。そして 彼は クレジットカードで決済をしようとしたのだが、そのカードが使えなくなっていたのだ。

結局 その時の彼の費用は 皆で出しあったのか どうだったか 忘れたが。 帰り道、テクテクと 帰るとき、私と、その彼と九州から来ている女子大生が並んで歩いていた。

その性格も安定していて育ちの良さそうな女の子が彼にこう尋ねた。

「Y君。どうしてこんなことになっちゃったの?」

「奨学金が入るまでのつなぎに カードで支払っていたら もう 利用金額がオーバーしちゃっていたみたいで。ごめん 皆に迷惑かけちゃって」と 彼は 下をむいて トボトボしている。

そこで 「あ! だから あんた← (こういう言葉遣いをするのは このうちで 私ぐらいのものだった) 最近 小刻みに ちょこちょこ 私に お金借りに来ていたんだ!」と ここ一週間ほど

寮に、彼が 非常に微妙な額のお金を2回くらいに分けて借りに来たことを思い出した。返せとも言いづらいような 額というのが一番困るよな と思いながら 貸したのを思い出した。

その夜の私は、ただお人好しなだけのこのオバサンならお金を貸してくれるだろうなと 甘くみていた彼に対して この先も善意ある態度で接しようとはさらさら思っていなかったはずなのだ。

これまでの貸したお金のことは忘れてやるから 飲まず食わずでも 奨学金が来るまで なんとかやれ! くらいで見放すつもりでいたはずなのである。

それが 私という 本来の人間だ。

そうだったはずなのだ。なのに なにが どうなって わやになったのか。

私は 彼に借用証を書かせて 奨学金がつくまでの つなぎ資金を貸していた。

なぜに そんなことになったのか?・・・と思い起こしてみると

こういうことだった。

同じくして彼の横を歩いていたまだ二十歳かそこらの女の子が・・・こう ポツリと言ったからだ。

「それは、どうにかせにゃあかんねぇ。そういうお金のことはもっとしっかりしなければいけないよ。でも 現実として 困る状態にあるのだから アテにしているそのお金がつくまで お金を立替えてあげるように 自分の親とも相談してみようか・・・」と。

私は ガツンとくるくらいの ショックを受けた。 そのコリスのような可愛らしい女の子の 思考の純粋さ 優しさ 白い歯と白目の美しさは 彼女の人柄を形容するのに十分な代物だな と 一瞬でも彼を見捨てようとした自分を恥じた。

そして 前を歩く 日銀の才女も研究者の彼も そんな せっかくの長期ホリデー これまでの社会貢献への対価とばかりに謳歌しているこんな麗しい時に そんなしみったれた次元の低い話に関わり合いたくないだろうなぁ・・・と 眺めた。 ましてや 毎晩のごとく Y君をパブに引っ張り回していたイケイケの彼女については そんな景気の悪い話には一切関わり合いたくないという態度を露わにするだろうな と、はっきりしていた。

それに較べて、この 彼女は 20歳そこそこで

親御さんの育て方が よほど いい子なんだろうなこの子。と 感心した。

私は 彼女の その素晴らしい考え方を 自分のものとしたいとばかりに

「いいよ Mちゃんも 他の皆もまだ この先 一年間 学位や学部留学しなきゃならないんだから お金のことで とやかくもめたくないっしょ。 その点 私は あと 2週間もいれば日本に帰るのだし。それは Y君も一緒(彼は一年前から留学していて 私と同じ頃に帰国するメンバーだったのだ)だから、日本で しっかり 彼に返済してもらえるし。借用書も書いてもらうわ」

と・・・

そして 私は お人好しのちょっとおバカな人という イソップ物語でいうなら 何の動物だろ?  イタチあたり? そんな立ち位置に、ちょっと善意を持つ勇気ある人。というようなものを加わえたのだった。

しかし、私はその時に、本来の自分というものを知っているが故に、この アフォリズムをしっかりと心に刻んだ。

「人は積極的に善行を果たす人など殆どいない。 なぜかしらの偶然でその時に そうするしかなかったから という 経緯だけで 人は善行を為すのだ」と。

だって 誰もいなかったのだ。

20歳そこそこの女の子にそんなことさせて、自分が黙っているわけにもいかんし。 あの お金の負が生じそうだなぁと思った時に みせる当たらず障らずといった 距離感を持つ 聡明な人たちにお金の打診をするなど 彼も期待薄そうだったし。

と、翌日 私は彼を部屋に呼びつけ 自分の書いた借用書に

名前と日付を書かせた。 そして 日本に帰国し1ヶ月以内に振り込む口座も教えた。

その時 私は こう 偉そうにY君に言ったのだ。

「Y君、お金を貸すには口も出すけどね。借金を返すときは 1000円からでも返すという考え方大切だよ。一気に返そうとするから 返せないっていう考えもあること伝えとくよ」 などと 親から借金をする場合の心構えと口酸っぱく言われ続けた言葉をそのまま 偉そうに 言い放っていた。

話はそれるけれど。 うちの母親は変な教訓を 私たちに言い続けてきたと思う。 お金を得ることと 同じくらい 借金の怖さ 更に 借金返済の心得というものを 子供に厳しく 恫喝するがごとく言い続けてきたような人だった。

それから 彼の 色々な話を聞かせてくれた。

お父さんが横浜で事業をされていたけれど、一時期は羽振りがよかったものの、バブル経済が破綻した頃 会社も傾いて 蒸発し、お母さんが彼と弟を育ててくれたこと。 彼は勉強がある程度出来て、奨学金で横浜国立大学で勉強しているということ。

「そうか・・・偉いんだなぁ・・ これからなんだから がんばってな」

と、彼は それから2週間後の私の出発の時、朝早く起きて バス停まで送ってくれた一人だった。

それから 数カ月後 銀行にお金は振り込まれていた。

その後 年賀状が届くようになり、そのうち結婚しましたというマンションの引っ越しカードが届いた。

いま FBで 子供二人としっかりした感じの奥さんに囲まれた 禿げ上がった頭の彼が 笑っている。

大学生だった 彼は その後 養護学校の教師となり しっかりとした奥さんと出会い 幸せにやっているようだ。

あの時のメンバーでつながっているのは 彼一人だけ。 他の人達とも会ってみたいなぁと時々思う。

それぞれのイソップ物語の中で それぞれの 役割を眺めていたような。 あの時間をいまに持ってきたのなら それぞれの 役割は どう変換されるのだろうか。

癒しのいじられ役の羊さん。利己的なおサル。大物のサイ。

純粋なウサギちゃん。ちょっとだらしないけど善良さを持ち合わせているカバ君。 いい人ぶりたいお人好しのイタチ。

それぞれのイソップ物語で それぞれの役を生きているのには 変わらないだろうけれど。 役回りは変わっていると思う。

Y君も いつまでも 大学生のままではない。 私もいつまでも お人好しだけで生きていられるほど この20年は 甘くはなかったように。みな どうなっているのだろうなと 思うことがある。