インターネットと英語

初期のインターネットは、英語しか使えませんでした。その後日本人日本語同士で通信できるようになりましたが、日本語のサイトは海外から見ると「文字化け」していました。そのため、当時の日本のウェブサイトは、別途に英語ページを用意したり、できないところはトップページに”Japanese Only”という断り書きを掲げていました。これは、今でも当時を語るときの笑い話になっています。

ところが、がんばって英語ページを作ったサイトで、その後、本当に海外との関係ができたところが少なくありません。文字化けして読めない多くのサイトの中にあって、日本に関する貴重な情報源だったからです。
「インターネットは世界中から見られるのだから、英語ページを用意しなければ」
当時の人の発想は単純でしたが、真実をついていたわけです。

現在でも英語のウェブサイトサイトが最も多く、しかも増え続けています。それに対し、日本のサイトで英語ページのあるところは、むしろ少なくなりました。日本語だけのサイトは、海外から見ても日本語として表示されていますが、意味がわからない点では文字化けと変わりありません。せめてそこが何に関するサイトなのかだけでも、英語の説明があっても良いような気がします。

現在ではウェブサイトの閲覧に自動翻訳が使えますが、やはり初めから英語のアナウンスが用意されてういるのと来訪者が自分で翻訳しなければならないのとでは、信頼感が違うでしょう。これは、私達が海外のサイトを訪れ、自動翻訳の少々怪しげな日本語を信じて、ボタンをクリックしたり、お金の決済をする気にならないというのと同じです。

それでいいのだ・・・

不気味な画像はこれ、先週庭の大木の根本だけが残っているのを、トンプソンと二人で取り除いていた時に 死んだ木の中から うわッと出てきた代物たち。 キャー!!なにこれ!と 大きく後ずさりしたものの・・・あれ? これって 昔 O太郎君がスクールに公園から拾ってもってきたあの幼虫と一緒じゃないか? ということは これは いずれはクワガタにかえる幼虫だよ。 ・・・と しばし冷静になる。

幼稚園児だった彼も もはや 中学校3年生。 もうクワガタ捕まえて嬉しがるような年でもないとは思うけれど。 喜ぶんじゃないか?・・・と、とっておいた。

で、写真で送って いる? と聞いたら、丁重に 「もとの場所に優しく戻しておいてあげてください」と大人な返事が返ってきた。

虫の死骸や あんな気持ちの悪いものをスクールに持って来ては私に怒られ。そしてレッスンも集中できず・・・ 落ち着かず。時にはネイティブの講師から 私も悩み相談を受けたりしていた あのO太郎が・・・ なんだかの学校以外の模試テストで英語の順位が2位になったと 先月その結果を嬉しそうにみせてくれた。

数学 国語 英語の 3つの数値があの 円で表わされていて、あまりにも 国語と数学の数値が英語と比べて ひっこんでいるから 「これ まずいじゃないの?O太郎?」と私が尋ねると。

「違うのこれ。数学と国語は平均点以上とれているの。でも 英語があまりにも点数高いからこうなってみえるだけ」と言う。

「へええ。すごいじゃないの キミ」と私、驚きながら じゃ やるか と演習を始める。・・・で

この 数年間 変わらず 一徹していることは 彼は まず ノートもとらない。演習とか もう スピードがありすぎて 字も書かない。というか書けない。

最初は 書きなさい~~~! と やっていたけれど。 ある時から 私は 悟った。

これが 彼のやり方なのだ。と。

そして 例えば、 Y君が じっくりとじっくりと 問題を読みながら 点数につなげていくタイプだとすると このO太郎君は 瞬発的に答えが頭の中に閃かないと もう そこで ストップ。 それから 思考が止まる。消去法とか こうではないか? とか 攻略とか あまり彼には関係ない。けれど すごい ものが天から降りてきたように いい訳をしたり、解答率が高くいくようになってくると もう 水がなみなみと漲っている。という状態になっているということ。

だから 彼との演習は とにかく スピードをもってリズムをつけて 彼の閃きを促していくといったことにしている。

字を書けとか もっと考える力を養いなさいとか そんなことより数をこなして 彼の頭の中にごっちゃごちゃとあちこちに乱雑に溜まったものが 噴火していく様子。 整理して 字をきれいに書いて 構築して とか そんなやり方は彼には 当てはまらないんだな。・・・と 思うようになった時と 彼の成長時期が重なったのか・・・すごいことに いま なっている。

そんな風になっているというのに 私の中では いつまでも こんな幼虫を追いかけていたO太郎のままでいたのだから 笑ってしまう。

やさしく元のところに返しておいてあげてください。・・・か なんだか この私が 諭されてしまったような気持ちになった。

TOEIC、認定証を完全デジタル化


TOEICが、2024年度以降の紙の認定証を廃止し、デジタル認証だけにすると発表がありました。今後おそらく様々な分野でデジタル化が進むなか、TOEICが先鞭を着けたというのは、意外なような当然のような、ちょっと複雑な気分です。IT系の資格検定があふれる世の中で、制度のデジタル化を真っ先に実施したのが英語関係だったというところに、ちゃんと時代に即しているのを感じます。 認定証のデジタル化は、数年後には当たり前になってるでしょう。今は「ブロック・チェーン」などの専門用語が飛び交っていて、なんとなく不安を感じる人がいるかも知れませんが、技術用語やその仕組などは、わざわざ覚える必要がありません。正式な資格所有者にとって、デジタル化は、資格がより正確に、スピーディに証明されるなどのメリットが大きく、すぐに便利さに慣れてしまうもののはずです。実力がより活かせる時代が来ると言えるかもしれません。ただ、希望者には紙の認定証も発行してくれたほうが、張り合いがあるような気はしますが。

Tresure every meeting.. 一期一会

Recently, I became to understand the meaning of ” Tresure every meeting..”for my own interpretation.

最近、自分なりの解釈で 一期一会の意味をとらえられるようになってきました。

今朝、Thompson Internationalで8年近く一緒に仕事をしてくれてアメリカに帰国したアンドリューの住んでいた家の前を通りました。ある人から、売りに出ていたその家は中国人に無事売れたようだ。と聞いていました。

もうすでにその家族が住んでいるようでした。桜の木が 山の上にあるその土地では いまが盛りでした。

アンドリュー、元気にしているかな? 幸せに皆アメリカで頑張っているんだろうな。と 花があちこちで咲き乱れる坂道を運転してきました。

8年間という長い時間を過ごせた、彼に敬意を払って あの出会いも一期一会だったんだろうな。と しみじみと思っていました。

もうお互いに接点がないから連絡をしあうのもおかしいけれど、常に彼のことは思い出にあり、いつも心の中で応援している相手。

そんな出会いを 一度だけの出会いでも出来るような そんな風に 人と出会っていきたいな。と最近思えるようになってきました。

自分事ですが、最近自分の演習が役立つと思ってくれるのか、小学校3年生4年生などで英検2級を受けるようなお子さんたちのお母様から多く要望をいただけるようになりました。

正直、もう平日は余裕がなく 休日月曜日に行うことと至っています。

それに対し発信元となられたお母様の一人が私に、「本当にごめんなさい、私がトンプソンさんのことを教えたばかりに 大変な目にあわせてしまい・・・」と謝られたのです。

私は 思いました。

役に立てることは嬉しいと。 そして その役に立てることも永遠ではないのだから だから 余計に貴重だと 心から思いました。

子供さんの一時期、その時間に携わっていられるのは そう 用があるから 役割があるから 私がいれる。その時間が終わり、役割を終える。

それで良い。

と・・・ その時間に その相手と向き合えばよい。と。

これは 家を建ててみて また しみじみと思うことでした。

いくら建築家さんが 先生、先生と呼ばれても、 壁の修繕工事の時には 私たちにとって一番必要な相手は左官屋さんなのである。

先月、竣工あとの修繕ということで左官屋さんが3人おみえになりました。

するとうちの壁はペンキで塗っているので 乾燥でひびが入っている部分が広範囲にわたりました。

最初は、午前中だけで終わるだろうとそのつもりでやってきたようですが、これは一日仕事になるなと内心焦った表情が、伝わってきました。

我家の建つ場所はセブンイレブンはまぁ あるといえばあるのですが 車で5分ほどといったところです。きっとお昼、食べるところ探すの大変だろうな。と これまでの経験で分かりました。

どうせ自分たちの夕食の分を作らなければならないし、一日中、家にいなければいけない。

ということで ミートソースを作り始めました。

それをお昼にいかがですか? と言ったら いただきます! ということで

お昼に ミートソースと ライスという不思議な組み合わせでしたが お出ししました。

そして夜の6時まで、通して頑張ってきれいなお仕事をしてくださいました。

その間、刺青がいかつい腕をした一人の彼がなんと3人の子持ちであること。女の子ばかりで、もうよく喋るんですよ。というような話や色々な話を嬉しそうにしていたことが印象的だった。

仕事が終わり、お疲れさまでしたと見送る私に「お昼ごちそうさまでした。美味しかったです」と、その一番やんちゃそうな刺青の彼が、他の人を出し抜いて言ってくれた。

また なにかあったらよろしくお願いします! と お別れした。

私は 俗物なのだろうか。 きっと 常に人は平等であるという気持ちを持とうとされる高尚な方に比べると、かなり即物で物を考える人間なのかもしれない。

けれど、私にとってあの日のあの時間、あの時には、先生と呼ばれる建築家さんより何より、左官屋さんが大切な相手であったと思う。

あの左官屋さんとは もう会うことがないのかもしれない。でも ごちそうさまでした 美味しかったという言葉を残してくれた彼のことは忘れない。

私は 一体、誰に その 思いを 残し そして 去り、去られてゆくのかな・・・と

自分が生産的なことで、もう人の役に立てなくなった時、今度は どんな景色がみえてくるのかな・・・

その景色は もう少しあとに みえてくるのだろう。

いまは 一期一会 の言葉の 自分なりの解釈が 前と違ってきた そんな気分を眺めています。

 

 

一年長期保存ピクルス完成

出来ましたああ。 これで本当に一年間長期保存可能なら、苦労して作った甲斐があるはず。

昨夜、さっそく夜6時半に帰宅して、塩しておいた鶏ささみのフライを揚げ、茹でておいた行者ニンニクとルッコラをお皿に盛り、そして このピクルスを添え、鶏ささみフライを揚げる前に 白カブの葉を干しておいたのものを、水分なくすように弱火で揚げて、それに塩をパラりとふったもの。そんなものも ふんわりかけて お皿に盛ったら( またもや 食することに徹してしまい 写真撮らずじまい) これ なかなか いい感じの一皿に出来上がりました。

味も ピクルスの 熟れ味がいい方向に 鶏ささみフライをもって行ってくれる。

いいわぁ これ。 こういうのがあると 色々と食卓にあがるものが助けられるんだ。と、嬉しくなりました。

もしも 料理作るのが苦手 嫌い。と 思っているような場合は、 何を作ろうか いやだなぁ と台所に立つことが 苦手に思える 理由があるのではないかなぁ・・・と。 仕組みづくりを持てたら みな 次から次へと 手が動いてくるような気がするのですが・・・。 上に盛ることだけを意識した食事作りは確かに 疲弊してくると 思います。 が 下に下に 落としてゆく感じで 料理に取り組むと 面白くなってゆくように思います。

夏の間は 鶏ガラや牛のすじ肉からのスープ(出汁)づくりは少しおやすみし。 カツオ節を使った出汁をこの季節は ストックしておこうかなと考えています。 夏は和の出汁が 旬の素材に合うような気がするのです。

 

仕込み料理 熟成れものづくり

すっかりと東北の味に魅せられてしまった自分は、常々自分の足りないと思っていた分野にとりかかりました。

冷蔵庫はなるべくすっきりと味噌、バター牛乳チーズ等以外は毎日食べるものを循環良く買い足すくらいで良い。・・・と思ってやってきてはいましたが、でもそれだと… 平日6時過ぎに帰宅してから作り出す料理に限界を感じていたのでした。

で… 東北の人のてまひまをかけた料理法に多くのヒントがあると。そこに私の救われる道はある。と

札幌に帰ってきて残りのGW休み中は 庭の伐採土いじりと、ひとつでも仕込み料理をしよう。と

数種類の野菜の長期保存型の酢漬け。に挑戦することに。

材料は今時期は、山うど、他きゅうり、大根、ニンジン、セロリ、茗荷、小さな玉ねぎ、かぶ。を酢漬けするのに良い大きさに合わせて切ってゆき、それを 塩10パーセントの塩水に計6日間つけてから、しっかりと水切りし、合わせ酢(氷砂糖、酢、そして 洋風だと白ワイン)を50度くらいの温度にしたものに 10分くらい 煮るというか温かくして、それを保存するもの。

こんな手間をかけてまでと思うけれど、自分が欲しかったのは1年くらいは小刻みに出して食べれるもの。

時間が 良い方にしむけてくれる そんな一品。

糠漬けにも再挑戦。

これまで冷蔵庫に入れて 手入れしていたから、今一歩 心がはいらなかったけれど パントリーの少しひんやりしたところに置いて毎日手入れしながら 今年は夏野菜 美味しく漬けよう。とがんばってみようかと思ってます。

ほろ苦い味。時間とともに熟成してゆく味。

そういったものを上手く取り入れて 献立を組み立ててゆくと、食卓が豊かになるのだと・・・それを教えてくれたのは、今回の旅でした。

新鮮なものばかりを追いかけて 追いかけての 食の組み立てに・・・ それに限界を感じていた

ちょうどそんな時に、出会うことの出来た 東北の味。 これまで出会うことがあっても・・・その時ではなく、残念なことに気づかなかったのだと思います。

 

 

 

みちのくの旅

ツアーで組まれた旅行は、自己責任が少ないぶん気が楽で私の好みではあります。

が、 連れ添う相手が大の団体行動不適合者。

なので 自分たちでレンタカーをし、ホテルも予定を立ててゆく旅となってしまいます。

が、この 自己責任旅行は どひゃーーーとすることもあり、旅の間は口論の絶えないものとはなりますが、結果として 思い出に深く結びつくような気がします。

まず、自分たちで選ぶ食事宿で美味しいところにあたった時の喜び。

今回の岩手平泉を巡る旅に選んだ宿は、祭畤温泉かみくら旅館というお宿。

HPの写真から、あら この旅館よさそう。と 伝わってくるものがありました。

温泉の後の夕餉の配膳がされたテーブルの前菜に箸をつけたとき。

山菜を使った料理でしかないのに。その味に驚きました。

こういう料理って・・・ これって ただ単に 瓶詰にされたものをお皿に盛っているのではなくて。ひとつひとつ仕込んでいった いわゆる熟れものなんだろうか。なのに 山の自然の味がそのまま残っている。

それから ひとつひとつ出されてゆく料理に 舌鼓をうちすぎて また写真を撮ることも出来ず。

前沢牛の鉄鍋焼き、牡丹鍋を頂きにして組まれた そのコース全体が いいバランスで組まれていて、料理人さんの優しさが伝わってくるお料理でした。

この宿に二泊とってよかったあああ。と心から思えるお宿でした。

そして最後の夜は仙台空港を利用する理由から、仙台で一泊。

ここはホテルにして、街中でイタリアンでカプレーゼ そして フレッシュサラダを食べよう!と日中に観光している間、大体店構えをみて 目星をつけておいたお店に電話で予約。

BEEFEATER という お店でした。インターネットでは仙台で食べるならこの上位10位!と 色々と他のお店もありましたが、どうも インターネットの写真からは 料理が好きです!というそういう空気が伝わってこない。

やはり あの お店がいいよ。と 店構えだけで決めた そのお店に入って、これまた正解でした。

迎え入れてくれた男性一人がやっているカジュアルなお店でした。

カウンターと二階の個室がありますが どちらがいいですか? と聞かれたので

せっかくですのでカウンターで。もう二人だけは飽きました。という私たちをにこやかに話し相手をしながらしっかりと手は動くのを忘れない。 すごい Multiple tasks だよ彼。と トンプソンも尊敬の眼差し。

常々思うのですが、優れた料理人さんって 話し相手もしながら料理もすごいレベルを作れる。

色々な会話をしてくれながら、美味しいお皿が次々と出てくる。

お客さんたちも次々とやってきて、カンター越しに話しているうちに段々と料理人さんの人となりが掴めてきたことは、彼は素直に男として女の子が好きだということを隠そうとしないタイプの人で また それが彼にとってもよく似合っていること。

二階にいる男性客数人の中にお店の常連さんのような女性が一人いて、学生のバイトが春とGWの端境期で不在のために忙しくしている彼を手伝いに 二階から下に降りてきて彼から料理を受け取り2階に運んで行った。 きれいなその女性にお皿を手渡して、くるりと私たちの方をむいて戻ってきた時のその嬉しそうな笑顔に私もつられて笑うと。「あの娘(こ)昔、キャバクラでナンバーワンだった子なんですよ。それで結婚して辞めたんだけれど、また 離婚して、戻ってきたんです。いま知り合いのスナックで働いているんですよ。でも ナンバーワンだった頃より、現在の方がすっごいいい女になって帰ってきたなって オレ的には思っているんです」

「色々あって いい女になったってやつだね。 いいね 30代は色々あってが様になるから」と

そんな話から どういうわけか海鞘の話になって。私が東北リアス式海岸の海鞘の塩辛が好きだ。と言ったら、知らないうちに お向かいの高級和食店から海鞘をもらってきて、それをサラサラッとお刺身にして出してくれた。

「こちら サービスです! よく オレ ここの女将さんに山形の実家から送ってきてくれたものとか差し入れしているから、無料(ただ)でもらったものですから 気にしないでください」

と いままで食べたことのないような 新鮮な味の海鞘を 酢醤油でいただきました。

料理の好きな人が料理を腕に生きている。そんな当たり前のことに 旅先だから出会えたのか。日常の暮らしでは見落としているだけなのか。

自分の才覚を腕に懸命に生きている人たちに出会えるのって 旅先だからみえてくるのか・・・

いいもんだなぁ。

松尾芭蕉が俳句をつづりたくなる気持ちの分かる。奥州の旅。

ここで 一句。

オンナノコ イルカラオレノ ウデアガル

5 7 5

とれてるから これで いいのか?

 

 

Can of worms

時々、「キジも鳴かずば撃たれまいに」 という言葉をなぞる時があります。

結構、この言葉で表現できる状況。って、世の中に多発しているんじゃないかなぁ。と 昔も現在も。

英語で表現するなら この キジも鳴かずば撃たれまいに

If A bird never quacked, it would not have been shot.  かいな? それとも 英語表現である

Can of wormsを使って You just opened a can of worms.  なのかな。 とか 色々と考えてしまうほど、いい大人になっても、墓穴を掘ってしまうようなことがあるのかな。と、自分の行いも省みながら、人様の様子をみることがあります。

若い時、よほどの利口者でない限り、大体の人は、己の浅はかな言動で大恥かいてしまったというような経験をしたことがあるのではないでしょうか。

振り上げた拳を下すのに、要らぬ損をしてしまうような目や。

自分の言動が全くのお門違いであったことを、結果として知る羽目になってしまうとか。

歴史上の人物でも大物級の徳川家康を形容する時、狸とか、なかなかのしたたか者とか。鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス。とか そういう様子の人だった。と言われます。

家康はおそらく この キジも鳴かずは撃たれまい を、心して理解していたのではないかなと思う時があり…偉いものだな。と

ただ黙っていればいいだけでしょ。簡単なことでしょ。と 昔は思っていましたが

いやいや なかなか 出来ることではないと思います。

 

 

 

 

 

 

桜 桜 Cherry blossoms

北海道、亜寒帯気候の春は、居心地良くうららかな春の陽気に包まれて。というような日は滅多にありません。

三寒四温という柔かい表現ではこの北国の春の気温の不安定さを伝えきれないなぁ。というのが 私の北海道の春に対する思いです。

ですが、不思議なものです。空から4月中旬の雪が降ってこようが、凍てつく夜に黄砂がボタボタと落ちてこようが、桜は咲く時期をじっと地中の中で決めているかのように 雪の中でも蕾を開くときは開きます。

こういうのを理科の先生がいたのなら、順序だてて色々と教えてくださるのでしょうけれど。地熱の力ってすごいんだなぁ。と、一般教養に欠ける自分は、ただひたすら樹木と土 光 そして 水のやりとりに魅せらるだけです。

木の持つ力、春ですね… 思いっきりいただきたいものです。(寒くても)

英語とネット通信教育


COVID-19の世界的な感染拡大に関して、世界中からいろいろなニュースが飛び込んできました。その中に、外出制限されたイタリアで、アパートの窓辺で他の窓の住人と楽器を合奏する光景があり、評判になりました。そのせいでしょうか、いまネット上では、楽器演奏などの通信教育サイトや動画の公開が急増しています。中にはバークリー音楽院の先生やグラミー賞受賞者などによる講座もあるほどです。動画やテキストによる初心者向け講座の他にも、ZOOMによる個人指導もあって、かなり興味を惹かれたのですが、自分の英語力を考えて断念しました。

私の知人に、高校時代にジャズに目覚めて大学卒業後、バークリー音楽院に留学し、現在もシカゴでジャズメンをしている人物がいます。なんとか英語力を身に着け、さらに反対する親を説得するなど、当時の彼の苦労を聞いているだけに、日本にいながらにして世界最高峰の指導に接することができる、すごい時代になったと思います。

ネット上では、英会話の通信教育も花盛りです。ただ英会話の上達を目的にするのではなく、英語を踏み台に、仕事や趣味の分野で、世界最高水準のスキルを獲得する。そんなことも、決して夢ではないと思います。