Thompson International Summer Festival

小学生向けの フェスタになります。

Thompson Internationalで 7月29日 12時から14時まで 2時間の催しがあります。

当日は バーベキュースタイル(雨でないことを祈りながら・・・雨でも庇のあるところで炭をおこし)の

ホットドッグ 🌭

手作りコールスロー

ジュースを楽しんで。

集まりのテーマは、ファーストフード店でのオーダーの仕方。

全世界どこへ行っても ファーストフード店で速やかにクールにオーダー出来て、お父さんお母さんがいなくても大丈夫。と、そんなフレーズをGetしてください。

まず Thompson Internationalのメンバーとそのお友達を集ってから・・・と

発表が遅くなりました。

日程:2022年7月29日金曜日

時間:12:00~14:00

場所:Thompson International(中央区北1条西28丁目4-18)

費用:2.000円

ご希望の方は まずお電話をお待ちしています。

09075168153(担当水上)

ご予約締め切りは7月23日です。

 

五感 Five senses

古代に生きた人たちからしたら、現代の私たちの生活って???マークでちゃんちゃらおかしく見えてしまうのかな。と・・・思いながら

運動不足解消のために車でスポーツクラブに行き泳いだり、便利さを追求するばかりにつまらないところでいらぬストレスを抱えたり。不思議な行動だらけだと思います。

そんな現代に生きている一人の自分ではありますが。

さすがにこれは、問題ではないの?と思うようなシーンに遭遇したことがありました。

あれは夫と二人で旅をしていた九州での出来事。

福岡の中洲ということろへ向かいたいと、ホテルから歩き始めました。

夫はアプリを開きそれに則って歩き始めました。

ある地点に来て、どちらに行くのが正しいのだろうか?と迷うような地図に遭遇しました。

私は単純に、あちらから屋台の匂いがしているからあちらに違いない。とそちらに行こうとしたら、慎重というか文明の餌食になってしまいがちなタイプの人というか夫は、いやアプリをもうちょっとみてから。と言い張ります。スーツを着た男性がちょうど近くにいたので、私は地元の人と思いその人に同意を求めるように、中洲方面はあちらですよね?と聞きました。そうするとその人もアプリを開いて、「いや僕もいまアプリで検索しているところなんです」といっぱいいっぱいの表情でお返事が。

あらスミマセン。と失礼と、向きをかえ、炭火の匂いはあちらからやってくるので間違いなくあちらだと確かな足取りで私は横断歩道を渡り始めました。

焦った夫は、「あっちゃん大丈夫なの?」と続いて追ってきました。

「当たり前でしょ。どう考えたってこちらの方向しかありません」と

ずんずんと歩き続け。横断歩道をわたり終わり、声をかけたあちら側にいる男性をみました。まだアプリを必死に見入ってます。

それを見て、ふと不安に思い・・・夫に目をやり、頼むぞ我が夫、どうか、ああにだけはなるぞなもし。と、心から願いました。

しばらく歩くと美味しい匂いでにぎわっている屋台の連なりがみえてきました。おおおあれが噂に聞く中洲というところなのか。と昭和の血が騒ぐ光景でした。

残念ながらそこでは食事をせずに、知人の紹介で伺った雅加栄さんというところへ参りました。

Vision, Hearing,
Sense of Smell, Gustatory Sense( Snse of Taste), Sense of Touch,

鍛えたいものです。

不便な暮らし 手を使ってみると鍛えられるのだろうか。

 

別れ話

いやぁ・・・帯広の例の事件、やはり多くの人が思っていた通り、別れ話のこじれが原因であったのですね。

別れ話って、むつかしいものなのですね。

こういう間柄は別れ話も場所も選ぶでしょうし。なかなか技がいるものと思います。

別れ話といって、実に面白い話をしてくれた元同僚がおりました。

このブログでも時々、話すことのあるYさんという30代のころ共に仕事をしたことのある、私の中では忘れることの出来ない面白い人でした。F女子大学時代の上昇志向の高い同級生との確執やなんかを、自虐的に自分を笑いながら話す技に長けている人でした。このブログをみていたら連絡ください。連絡先を失ってしまい残念です。また会って面白い話聞きたいです。

と、彼女がそれこそ高校教員をしていた時代にお付き合いをしていた男性がいたらしいです。

結果として、そのお付き合いは彼女がフラれた形で終了をしたらしいですが。

別れ話の際に、相手の振る舞いが十年以上も経ったいま(その当時)も忘れられない。いい人だった。というのです。

「ほう・・・別れの時に株をあげる男の人って少ないわよねぇ」と私。

「大した人だったのよ。別れ話の時によ。その時に、すっごいいいレストラン予約してくれてね。席について君とは残念だけれども結婚できない・・・。とその理由をまっすぐに伝えるのよ。最初はそりゃ腹立ったわよ・・・気が動転していたわよ。その場所から立ち去ろうと考えたけどさ。相手がまっすぐに私と向き合っている空気がそうさせてくんないのよ。それに担当のウェイターの人が、遠目からみているし。こちとて恥ずかしい真似できないじゃない。食べ物だけはやってくるし。それ食べなきゃと思うし。そして空になると、今度はウェイターさんがくるし。なんか話という話も出来ないまま・・・。最後までどんな罵詈雑言も受けても仕方がないと真正面に相手は座っているし。もう、こちらも・・・負けた。と思った」

「すごい人だね。そういう攻略もあるんだ。大体の人は、こそこそ逃げるように終わるんじゃないの?自分が別れたい場合は」

「それが、最後に家まで送ってくれるのも、あれも最後まで徹底して頑張ってくれたんだよね。その頑張りに拍手かな」

「それ大した人だわ。今頃、大した人になっているといいね」

「だと、いいね」

別れの話は、多様性に満ちていて、これが王道というのはないけれど。

演技を投じてでも、いいお別れが出来たら良いのになと思うのですけれどね。

もっと、本屋さんにかつての森瑤子さんのようなタイトルで「別れの法則」的な本が並んでいてもいいのにな。

と、いま、別れ方の下手な人が増えているんじゃないかな・・・世の中が短絡的になりすぎてるのかな・・・ラインで辞表を示す人もいるとかいうし。そんな感性の人種がこの世の中で最も難易度高い男女間の別れ話を扱えるとは到底思えないし。などといらぬお節介の危惧を持っています。

 

 

英文ライティング道場

朝日ウィークリーの英文ライティング道場は、自分も楽しみに翻訳してみることがあります。

 

前回のお題、

子供と気兼ねなくお出かけできるよう、子連れ専用のスペースを設ける鉄道会社が増えてきました。

歓迎の声もある一方で、前向きな受け止めばかりでもないようです。

 

To encourage parents with kids to go out without hesitation, more railway companies are making space for groups with children.  Although many welcom it, not everyone is positive about it.

と、これが自分のやってみた訳です。

どんな訳が出てくるのか 次回の朝日ウィークリー楽しみです。

あるじなしとて春を忘るな

スクールの近くに、長らく空き家になっているお宅があります。

現在のところに移動してからかれこれ5年は経っているのに、そこのお宅は主は不在のようです。

毎年、春になると木々に花が咲き、そして5月の声を聞くころには濃い朱色の薔薇が見事に花を咲かせています。

このお宅の主が一生懸命、庭を手入れされていたころのことを想像します。

このバラを植えたときのお気持ち。春を待ちわびて庭づくりに精を出していた一年の時刻にも、いつか終わりが来るのだということを、その主のいない家は教えてくれます。

きっと菅原道真は、違う思いで 東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春を忘るな と歌を詠んだのでしょうけれど、私はそのお宅の前を通るたびに、この歌を思います。

お宅が5年間そのままだということは、(不動産屋さんらしき人達がよく行き来しているのを見かけながらも)きっと、どこかのホームに入られているのだろうか。不動産の整理をされたくても、それをする気力や諸々の事情がそれを許さないのだろうか・・・。とか、想像を重ねながら、夏至に向かってゆく季節の中で、朱色の薔薇が揺れるその庭を眺めます。

あるじがなくとも、薔薇は今年も美しく花を咲かせてます。そしてその姿は、何一つその主と面識のない私のような者にも、その方の時間を伝えてくるような気がします。

 

 

自分の怒りとの折り合い。

前回、結構好き勝手なことを書いてしまいました。

削除しようかな。と思いながらも、まぁ 賛否色々、好意的でない人もこの文章をご覧になっていることをわきまえながら。

一つだけ ああ。そうか。と、分かったことがありました。

利口な人は、望ましい生き方をもっている人は、自分の怒りとの落とし前のつけ方を心得ているのだ。ということ。

凝り固まった怒りを野放しにしない。

自分の怒りの終え時、そして折り合いのつけ時、相手に対して自分の狭い領域の正論をぶつけ合うのではなく、相手にも、そして自分にも、逃げ道を必ずひとつ用意してあげながら話し合いに臨む人は、言い方を変えれば、前に向けてのお互いの建設的な話し合いに臨める人なのだと思います。

そういう人になれたらいいな。と、思ってます。

 

からたち日記ならず腹立ち日記

最近、きかん坊になっている自分がいます。鍼灸の先生には あっ!怒ってる。と肝臓が怒ってますねぇと言われながら鍼を打たれている始末です。

まぁ、カッカとする理由などを、ちょっと挟み込むことにしますと、信頼出来ない相手とやり取りしなければいけないストレス・・・というところでしょうか。色々なやりとりの中で、プロの人、仕事が次から次へと舞い込んでくる人というのは、絶対の一人のファンを持つことに徹しているからだと。いうことを痛感しました。一人のお客の信頼を得るために頑張るから次の紹介がある。という仕組みを、恥ずかしながらこの歳になってやっとやっと人の振る舞いから学びました。

残念な目にあってしまう相手とは、自分は中庸な立場であって、どちらの味方にもつきませんから。と気取っている人は、結局、お客をみて仕事をしていなく、自分を守ることしか考えていないように受け止められるのかな・・・という印象を持つ出来事がありました。

と、まぁ、はらたち日記第一段はこのくらいとして。

それよりもなによりも、先日、こんなことがありました。

20年ほど前に会員だったことのあるホテルのスポーツクラブにまた、入会しました。それは81歳の母と一緒に全身運動が出来、彼女の運動時間の送迎のロスを省こうという考えから、スイミング施設の整ったそのクラブを選びました。

私は大体700メートルくらい泳ぎ、母もそれくらい水中で歩くという時間をこなし、お風呂に入り、鏡の前で髪を乾かしていた時に、かしましい声を発しながら入ってくる人がいました。

あらあ 混んでるわ。混んでる 混んでる」と、まるで人がいてはいけないかのようにその声の主は騒がしい空気を持って、母は早々と身支度を終え別室で按摩器にかかっていたので、パウダールームには私しかいなく、そんな静かな空間に入って来ました。おそらくロッカーの多くが使用中になっているのを見て、そう叫んだのでしょう。

私は、この声の主はもしや。とその人の顔を確認しました。するとなんということでしょう。その人は20年くらい前にもそのスポーツクラブにいて、まるでそのスポーツクラブの主のように振舞うようなそんな人でした。ある女性はその人に虐められているような印象を受けるそんな様子を見たことがありました。

うわ。この人、まだいたんだ。しかし、あんま年取ってないなあ。時が止まったようにあのまんまじゃないか。しかし、あの時、私はこの人すごい年上だと思っていたけれど、いまこうやってみると、もしかすると私と大した歳違わなかったのかな。でも70くらいになってんのかな。に、しても元気そうだなぁ。 と、思いながら知らんぷりして、鏡に向かっていましたら。

そうしましたら、水中アスレチックスの練習をしていたご年配の女性がお風呂に入る前にロッカーで自分のものを出し、そしてお風呂の方へゆっくりとゆかれました。

数十秒後くらいに、「ちょっと!! あの水の跡っ!みてぇ!これみてよ!あの人でしょあのいまお風呂に入っていった人よ。ちょっとぉ!」大声で騒ぎだし、あちら側のロッカーにいる人に対してなのでしょうか、賛同を求めているのか、ただの叫びなのか、兎に角煩いのです。

そのロッカー部屋の端の方に居合わせ、同意を求められた状態になったような人も、ふふっと笑い声は出しても決してコメントをされません。そういった細長いその空間の居合わせた方は、さー--っと、そこを立ち去られたようです。

利口で上品な方たちの処し方です。間違いのない振る舞いです。

ですが、私は、その時の私は、こう考えました。

この人が20年近く、こういった傍若無人の同じ振る舞いでいられるのは、こういった品の良い人たちに囲まれ、何も言われずにいてしまったからではないか???と、こうなったら私が言ってみせましょう!と 無謀な正義感に燃え立った自分は

そんな大声で騒ぎ立てるような事柄ですか?」とポロリと言葉を発してしまってました。

そうするとその20年前と同じ髪形をし、同じ化粧を施した負けん気の強そうな女性は、驚いて私のほうを振り返りました。

なに言ってんの?この新入りは?というような風にマスクの上にある目は訴えていました。

え!? 放っておけないことよこれは!」と言い返します。

水がカーペットに染みているのは、いつかは乾くことでしょ。それがそんなに大事なことなんでしょうか? それにここは公共の場ですよ。皆が使う場です。あなたがそれを不愉快だと思うのであるのと同じくらい、あなたのその騒ぎ立てる声が私にも不愉快です」

…ちょっと なによその言い方?」と ぎりぎりとした空気が生まれる。

一触即発ってこういう状態のことを言うんかなぁ・・・と私は脳裏のどこかで思いながら、こんなことをしでかしながらも気の弱い私は、この空気を早く終わらせねば。と

「皆さん、きちんとそれぞれが気を付けていらっしゃると、私は思います」と無理やり会話にピリオドを打つ。

「そうかしらー--?」と 皮肉めいた答えが返ってきたけれど、相手にもうしない。と決め鏡に向かった。

相手も諦めたらしく、黙り、ばたんばたんと忙しなく、いつまでも時間をかけて着替えていた。

そのうちにプールでのレッスンを終えたグループの方々がお風呂を終えて大勢、私たちの緊張の場へと戻ってらして、私は席を立った。

こんなことは、本来するべきでないのである。

放っておけばいい人なのである。しかし、こうやって放っておかれていたが故に、あの人はずううううっとあのままでいれたということに、私は腹が立ったのであった。誰かが言わねば!といきり立った。

が、きっと、あの人はきっとこう思っているだろう。なんだあの女は?新顔のくせにいきなり偉そうに。なんだなんだ?と、意表を突かれながらも腹の中は煮えくり返っていると思う。

が・・・

自分も、もうこれくらいにしておこう。と 腹立ち日記をお終いにしなくては、体に悪いと・・・そのうち鍼灸の先生からお𠮟りを受けるかもしれない。

怒りって倍増してくるんですよね。どこかで意識して終えなくては、ある人への不信感からの怒りが、それがホテルのスポーツクラブでのあの人への怒りへ繋がって。倍増倍増してくるのであるからして。どこかで自ら意を決して断ち切らないとあかんね。・・・と

そんな私へ、昨夜夫が

こんな言葉を私にくれた。

Its better to walk away quietly than to retaliate.

静かに立ち去ることは報復に勝る

 

ソックス

足元のお洒落と聞くと、靴と思われがちです。

が、あることを発見しました。

靴の前に、ソックスの存在。草履なら足袋だということを。

これは「怪我の功名」というものから体感したこととなるのですが。

私、ジル・サンダーというところの服が好きなんです。でもお高いですね。

著名人でもない自分が着ていいものか。というくらいの値札がついてます。

でもパンツのラインがとてもきれいなんです。よそ行きというか、気の張った時に着る服はパンツはジル・サンダーを少しずつ買い足して楽しんでます。

買う時も、しごく慎重になりますね。

店長さんがピンを打ったりなんだりしてくれても、気にビビビっとこなかったら申し訳ない!と、率直に謝り、購入しない覚悟で試着する感じ。

・・・に、してもすごくすごく悩んだ一品があったのですよ。淡いピンクのパンツで悩みに悩んだ結果、買わないと店員さんに伝えるときが、自分はすごく嫌い。でも、言わなきゃいけない。ごめんなさい!と、その時、気の弱い私は 靴下3足セット21.000円という品を手に取り、代わりにこれを貰っていきます。と口走っている。

店長さんは、トンプソンさん、無理にいいんですよ(汗)という風に言っているけれど。

に、しても 一度取り置きをしてもらって、それに合いそうなトップを持ってきてまた試着して、やはり気に合わないからごめんなさいね。と立ち去る。そんな太い神経は自分には・・・持てないのだ。

で。買いましたよ。3足セットのジル・サンダーの靴下。なぜだか靴下を入れる袋までついているもの。

黒と柔らかいベージュと、オフホワイトのもの。

買ってきた当初は、靴下一足に7000円以上って あほか。私は。と ぐじぐじと思っていたけれど。

履いてみてわかりました。 1000円のソックスとの違いが。

2年以上たってもまだしっかりとしているし。また履いた時の気持ちの良さ。居心地の良さ。地に足がついている感じの受け止め感。

靴下は大切だと知ってしまいました。

7000円もしなくても、おそらく、これはおそらくですよ。

靴下で言うなら3000円以上のものは足元を安定してみせてくれると思いました。

靴も大切だけど、靴下はより重要と。そんな出来事が起こってしまったために分かりました。

 

 

日曜日のジュェリー売場

日曜日のジュェリー売場には若いカップルがおりますね。 特に4℃あたりの売場にはこの間まで中学生だったようなまだニキビのありそうな男の子・・・きっと23歳くらいなのでしょうが、初めて彼女へジュェリーを買ってあげる照れと、とまどいと、そしてしっかりとしてゆくぞという自覚とを一身に着ようとしている…そんな男の子の隣には、首をかしげて、男の子よりジュエリーをプレゼントしてもらえる幸せに輝いている女の子がいます。

いいねぇ・・・ と 私は、股上のマチの深いパンストを店員さんに探してもらっている母を待ちながら、若いカップルを眺めています。

私にもあんな時があったのだろうか。どうだったのだろうか・・・それにしてもいいなぁ若いって。と股上の深いパンストじゃなきゃお腹がおさまらなくって、わたしなど困るのよ。と大声でレジでの支払いを終わった母と歩きながら私はこう呟きました。

「おかあさんさぁ・・・ 自分で100万以上の宝石買える人とかさ、おかあさんみたいにさ夫がうるさい人でなかったから、さらえ構わず図々しく自分で好きなもの買えるような女とだよ・・・ 彼氏や夫にかわいい表情でおねだりしてジュェリーや宝石なんかを買ってもらう、そんなひと苦労の振る舞いが必要な人と・・・どちらが いいんだろうねぇ・・・ わたしは なんか後者のような気がするの」

「え? そんなの決まってるじゃない。自分で自分の好きな宝石買える女の方がいいに決まっているわよ」

と81歳の人は言うのですが。

どうでしょ。 どうなんだろう。

外商担当の人が出てきて、翡翠、エメラルド、ダイヤと一人で選んでいる女より

私は彼氏が一生懸命バイトで貯めたお金で数万円のジュェリーを買ってくれるという過程がなんとも意味のあるもののように思えたり。結婚しても理想は、理想は、何かの思い出に、その時々の記念にと、ポーズだけでも夫に買ってもらったという感じのメモリーが欲しいではないか。自分で自分にご褒美にも節目の記念が必要なように。

宝石、ジュェリーには思い出。記念。なにか思い出が必要な気がするの。

ただ、自分が求める思い出と、夫のそれとは、必ずひとつ桁が違うのが問題なわけですが。