ミートソース

日曜日か月曜日は、時間のかかる料理が出来るので嬉しいです。

でも、夏の火を使う料理は、ちょっとしんどいですね。

そのうち低温調理方法を夏に取り入れようかと思案中です。

とはいえ、昨夜はミートソースを作りました。

我家のミートソースは塊肉を利用します。

余談ですが、ここ最近、スーパーの棚から豚の塊肉が消えたことお気づきの方いますか?

昨日、ある方よりその理由を教えてもらいました。

豚肉業界にも戦争が影響し、輸入物が入ってこないそうです。それでも1億単位の人口の豚肉好きの口を養うためには少ないパイを皆で分け合わなければなりません。

豚肉といえば九州か北海道。九州よりも北海道の肉は価格がお財布にやさしく。そこで業者は大量に買い占めていきます。それを薄く切ったものを冷凍し、スーパーに並べ消費者に提供しているのだそうです。

スーパーは、お肉のルートの安定していないことが原因だとか。

もし、塊肉を大きくゲットしたい方は、札幌の方なら中央市場の大金畜産店がお勧めです。

さてさて

ミートソースの作り方、こちらに簡単ですが記しておきます。

あまり暑くない時にお試しください。

豚肉肩ロースでも ロースでもどちらでも 塊肉を600グラムくらい。

(3等分くらいに切って塩をもみこんで 一晩はラップにきっちりと包み、冷蔵)

当日は 水分が出ているので キッチンペーパーでふき取り 1センチくらい角に切る。

玉ねぎ 2個くらい

ニンジン1本

セロリ1本

ニンニク2~3カケ

(全てみじん切り)

トマト缶2缶。

バター10グラム

赤ワイン 白ワイン 各200CC 程

水 500CC くらい

ローレル 2枚

まず みじん切りにした野菜群を 厚手の鍋に こめ油でもオリーブ油でも なんでもよいので じっくりと炒める。時間にすると40分くらいかな。

そこに トマト缶を入れて 10分から20分くらい煮込んでゆく。

その間に フライパンにバターを入れて 肉を焼き付けるように 木べらで押しながら ジュゥワー--ッと焼いてゆきます。 そこに白ワイン 赤ワインを入れて 煮詰めてゆきます

その半分くらいに煮詰まった肉を汁ごと 野菜群とトマトの煮込んでいる厚手の鍋に入れて

あとは 水3カップくらいとローリエを入れて 2時間くらい煮込んでゆく。そこで塩、コショウと味付けを ちょこちょことしながら。という感じです。

もうこの味を知ってしまったら、ひき肉から作るミートソースには戻れなくなり。塊肉が市場から消えてしまっては、困るのです。

どうか塊肉の買える世の中であって欲しいと願います。

 

 

 

 

日曜日のジュェリー売場

日曜日のジュェリー売場には若いカップルがおりますね。 特に4℃あたりの売場にはこの間まで中学生だったようなまだニキビのありそうな男の子・・・きっと23歳くらいなのでしょうが、初めて彼女へジュェリーを買ってあげる照れと、とまどいと、そしてしっかりとしてゆくぞという自覚とを一身に着ようとしている…そんな男の子の隣には、首をかしげて、男の子よりジュエリーをプレゼントしてもらえる幸せに輝いている女の子がいます。

いいねぇ・・・ と 私は、股上のマチの深いパンストを店員さんに探してもらっている母を待ちながら、若いカップルを眺めています。

私にもあんな時があったのだろうか。どうだったのだろうか・・・それにしてもいいなぁ若いって。と股上の深いパンストじゃなきゃお腹がおさまらなくって、わたしなど困るのよ。と大声でレジでの支払いを終わった母と歩きながら私はこう呟きました。

「おかあさんさぁ・・・ 自分で100万以上の宝石買える人とかさ、おかあさんみたいにさ夫がうるさい人でなかったから、さらえ構わず図々しく自分で好きなもの買えるような女とだよ・・・ 彼氏や夫にかわいい表情でおねだりしてジュェリーや宝石なんかを買ってもらう、そんなひと苦労の振る舞いが必要な人と・・・どちらが いいんだろうねぇ・・・ わたしは なんか後者のような気がするの」

「え? そんなの決まってるじゃない。自分で自分の好きな宝石買える女の方がいいに決まっているわよ」

と81歳の人は言うのですが。

どうでしょ。 どうなんだろう。

外商担当の人が出てきて、翡翠、エメラルド、ダイヤと一人で選んでいる女より

私は彼氏が一生懸命バイトで貯めたお金で数万円のジュェリーを買ってくれるという過程がなんとも意味のあるもののように思えたり。結婚しても理想は、理想は、何かの思い出に、その時々の記念にと、ポーズだけでも夫に買ってもらったという感じのメモリーが欲しいではないか。自分で自分にご褒美にも節目の記念が必要なように。

宝石、ジュェリーには思い出。記念。なにか思い出が必要な気がするの。

ただ、自分が求める思い出と、夫のそれとは、必ずひとつ桁が違うのが問題なわけですが。

庭師さん

先日、庭の樹木を移転先に移植しました。

その際に庭師さんたちのお仕事ぶりをみて、えらく感動しました。

カッコいいです。 力仕事、繊細な配慮、ダイナミックな動きと樹木に対する優しさ。プロ意識の高さ。

世の中にはたくさんのお仕事があることが大人になるにつれてわかってきます。

たくさんの仕事、仕事に誇りをもって働く方たち。

話術に自信のある人。体力に自信のある人。集中力に自信のある人。感覚、感性、もろもろの能力でそれぞれが本当にそれぞれが生活を立てられる社会が健康な社会なんだと思います。

こんな風にぼんやりと生きていても長く生きてると・・・ 男たちの社会、いえ人間社会は私の知っている小さな世界なので大きな官僚、上層社会は知りませんが、やはり人間は繋がりの中でしか食い扶持を生み出すことは出来ないのだ。ということです。

庭師さんたちに声をかけ、予定を組み配置やデザインなどを考える人は色々な折衝を行っていかなければなりません。その窓口には折衝力もまた、感じの良さも求められ、そういった人間のいざこざ、面倒なトラブルも請け合う。それが仕事であり、庭師さんたちは一切の人間のあいだのことを気にせず仕事に没頭できる。

その歯車がうまくいくと、その依頼者からのみではなく、その現場にいた誰か(例えば、新築家屋に移植であればその工事現場の人など)にも好印象が残り、次の仕事につながる。

だから窓口はあくまでも感じよい方が良いわけで。かといって庭師さんたちはにこにこしていても力仕事に精を出しているのだから愛想振りまくわけにもいかない。

大きなお金の動くところへの嗅覚が発達している人は、いつのまにかそういった人脈の中に加わり札幌の土地開発のようなことに関わってられるし。

人にはそれぞれの自分に合う型でお金を得てゆくことしかできないのだろうな・・・とつくづく思います。

それでよいのだと思います。 大きなお金の動く様が好きな人は、違法でない限り、自分の好みに合ったお金儲けをすることが良いはずで。でも、それが皆が皆に当てはまるはずはないのです。

自分の仕事に誇りをもって取り組んでいる人は、実に輝いていますね。

わたしは はたと・・・思いました。私に出来ることはなんだろうか・・・。

英語をもっと掘り下げて、プロ意識をもって取り組まないとと 省みました。

 

 

バッグについて考えてみた。

女性が 高級バッグを持っていて 誰かに とても素敵ね 似合っていますね。 と 言われたら

素直に受け取ってよいと思う。

似合っていなかったら あまり 褒められることのない アイテム、それは バッグだと思うのですよ。

知り合いの方で、ロエベ シャネル セリーヌ はたまた エルメスといった バッグたちが 嫌味なく とても似合う人がいる。なぜだろう その人が持つと そういったバッグたちが 普通の人が持つよりもとても素直に光を放ち、側にいる私などが 素敵だなぁ と口からポロリと出てしまう。

バッグだけが悪目立ちすることなく その人も輝いて映るから、その言葉は出てくるのですよ。

私は ある時 「なぜか ***さんが 持つと CHANEL と 大きな字で書いた バッグも 素敵にみえる。普通そういう人は滅多にいないと思う」 と スパッと言ったのです。

「あたし バッグがすごく 好きなのよ~」 と 笑って 嬉しそうに言う彼女を見て

それが 絶対の理由なんだ。と 感心しました。

これは 皆さんに 信じてもらいたいのですが 自分が素敵というときは 心からそう思っているときのみです。

それも きっと 彼女に伝わったのだと思います。 色々な話をしてくれて 彼女のバッグ熱がすごく伝わってきました。

はた・・・ と そうか・・・ と自分が持っていて 褒められることの重なるバッグは この写真にある

この変哲のないバッグ。黒く 中身まるみえの このバッグ。 このバッグは、なぜだか褒められる。

Arts and Science の もので 味も素っ気もない

5年くらいのもので 最近 自分の身体の一部のようになり 自分も愛着を感じるようになってきた一品。

別に褒められたくて持っているわけではないといいながらも、ちょっと ハイエンドなバッグを持っていても 褒められたことはこれまで一度もなく、そして これからもないような気がしている。

それは おそらく 上記の 愛着・・・という情熱が バッグに対してはそんな熱意が足りないからなのかもしれない。いいものなど持っていても 照れや あれだけ 投資したのに 使いにくいなあ とか どこかで けち臭いことを ネガティブに考えているからだと思う。

大体 清水の舞台から飛び降りた気持ちで求めたバッグの4つのうち3つには裏切られる。

だから バッグを求めることに対しては 至極 消極的である。

それに比べて 彼女のバッグに対する愛情とか熱意は 豊かだし おおらかだ。

経済的余裕も 関係あるといえばそうでもあるし

バッグ は 靴と比べて 慎重になり これまでの経験がいうことを効かない買い物と。

一種 ギャンブル性を持っているもの。

25パーセントしか うまく いかないものに対して どこまで 投資する価値があるのか・・・

そう いつも うじうじと捉えているから 輝かない かわいそうな 私のバッグ。

靴は 流行が出るから Updateした方がよいと、そう思っている方もいるのかな・・・

自分は 違うタイプかもしれないな・・・と シューケースをみながら思っている。

逆に、靴は 時代性を求めて買うと もろに もろに 時代遅れになってしまうものかもしれないな。と思っている派かな・・・

一足あたり結構な値段のするものだから 流行は追いかけない方が無難なもの。 それが靴なのだろうな。

流行を求めるよりも 求めるツボは 自分の好きな靴 自分が心動かされる靴。 それを 徹底して 手入れして 履いて 手入れしてを繰り返し甲斐のある一足を求めることなのかもしれない。 と 自分の手元(足元)に残ってくれている靴たちを 愛しく眺めている。気味悪いかも。

冬靴はほとんど10年選手。 茶色のひも靴と 黒のショートブーツは おそらく10年以上と 10年くらいだと思う。 右のはまだ6~7年くらいかな。 これらの靴を長持ちさせるコツは 自分で磨くことも大切でありながらも それよりも 季節が終わると ドライクリーニングのお店に靴のクリーニングに出すと、すっきりと生き返ったように戻ってくる。そして また 季節を待って履き始めるうちに 10年以上が経ってしまった。

白いレザーのウォーキングは これは まだ新しいので 靴ひもを自分で洗って(シューレースの差し込み方が不安なので 一本ずつ外して洗い、片方の見本をみながらいれるという不器用さ) 今年はシュークリームで磨いて 冬の間はお休みしてもらう。 自分の見立てでは おそらくこの靴は 自分が70代も生きていたら 履いているはずの靴である。そういうつもりで思い切って買った。

靴は面白い。 普遍性を追った方が間違えなく 長持ちするけれど あまり 優等生な トラッド一本やりなデザインも その普遍性に裏切られることもあり、流行遅れな感じにみえたりする。

買うときに 普遍性 または 流行うんぬんよりも 靴が自分を呼んでいるような 招いているような 美しいなぁ 履きたいなあ と思うものは、なぜだか 自分に寄り添ってくれる。 そして かなり長い間、側にいてくれる。

靴は 買い物の中で 一番面白いし 好きなアイテムであります。

 

洗濯機

財務省事務次官の矢野さんという人が「このままでは国家財政は破綻する」と ついに言われた。

ついに 口に出して 言ってくれる人がいたか・・・ と このままでは 日本はあのタイタニック号のように氷山に向かって突き進んでいるとまで。

誰か はっきり言ってくれないと 国がどうにかしてくれると思うようになっては いかんのよ・・・と こんな 算数のできない私でさえも 危機感を感じているのだから 相当 相当な事態に違いないと思う。

言葉をかえれば 言葉をもっと直球にすると もっと 私たちは 自分の生活レベルと向き合わなければならん と あの財務省事務官は言われたんだろう・・・。

自分を反省する こととして、最近 この夏、あの高級電化製品 ミーレの商品が 最大20パーセントOFFになるという 手紙がある代理店から届いた。 なぜ 私の手元にそんなものがやってきたかというと、私はある時期 すごい手荒れに苦しんでいた。 それをみていて 夫と夫の母が 「食器洗浄機を買いなさい」と 夫の母親が少しお金を出してくれ合わせたお金で ミーレの食器洗浄機を導入した。 それはそれは 画期的な投資で 自分の手荒れは改善し 苦しみから解放された。 それは 食器洗い機のおかげのみではなく、手荒れの原因となるような強い洗剤はいっさいやめて、クリーナーは ホワイトビネガーとアロマオイル そして水という手作りのものにかえたのだ。 落ちない汚れはメラミン 激落ちくんで ちょちょっと落とすようにして ビネガーで洗浄 肌にもやさしい。という具合のものだ。・・・ あ・・・ 話が脱線してしまいました。そう なぜ 反省しているかというと

その20パーセントディスカウント のお知らせをみながら 憧れの ミーレの洗濯機も欲しい・・・・と むくむくと真剣に思い始めたのだ。 色々とネットで調べ始めたら 仕上がりの高級感とか そんな声が目につき始める。ミーレの洗濯機にミーレで販売している 香りのよい洗濯洗剤 それと合わせたら 白いものは白く 素材感はしっかりと保護され仕上がるのではないかと そして なぜだか高級感あふれる暮らしが約束されているように思い描く。 あの 経済学者のいうところの Veblen goods

それを使うと自分がワンランクもツーランクもあがると信じ込ませるような 一品。真剣に20パーセントオフになった価格を計算し始める。それでも 40万近くする。40万近くするような洗濯機って すごいが それを自分があと 20年以上生きると仮定してなどと いま買うべきなのじゃないか? と ああ まずい まずいぞ 視野の中に そのミーレの洗練された洗濯機しかみえなくなっている。

・・・と、あれやこれやと考えていると お隣のおばあちゃまが おしんこ巻きとおいなりさん作ったからと持ってきてくれる。

ありがとう! Mさんの おしんこ巻き もう売ったものなんか食べられなくなるほど美味しいです。と 世間話をしていたら

まるで Mさんが 私の心を透かし見たかのように 洗濯機の話を始めた。

「もう うち 洗濯機買い替えなきゃと 思っていたんだけど・・・。私がほら病院に入院していた時 息子が洗濯して、退院してからも 洗濯、俺がやるから って それは ありがたいんだけれど なんか パッとしない仕上がりに思えてねぇ そろそろ買い替え時かしら って思っていたら 私が洗濯したら 白く きれいに仕上がるんだから 男の人の仕事って・・・ねぇ だめだね」

「え! Mさん なにか 白い仕上がりの秘訣はあるんですか」

「やっぱり 白いものは 粉せっけんを溶いたある程度熱いお湯に 30分はつけてから洗わないと。 そして 柄物は、私は 必ず裏返しにして洗うよ。そしてある程度乾いたころに 正面に裏返して干すの」

「そうですよね そうだ 洗濯の基本は 下準備ですよね・・・ ほんっと わたしったら  だめだなぁ Mさん ありがとう いい意見 感謝」

「?」と きょとんとするMさん さすがに 戦前 戦中 戦後を生き抜いた 96歳の方には 正価50万円くらいするような洗濯機のことは話さず・・ 洗濯機は あくまでも 機械で 自分の下準備や諸々の工夫をしないと 日本魂にそむくことになる。と

話しをごまかしましたが。

Mさんには 本当に多くのことを教えてもらったなぁ 本人はそんな気は一切ないのでしょうが・・・ 始末にして みぎれいにして 生活にメリハリつけて 美味しいものをひと手間かけて作って 人を喜ばせることが大好きで そんな90代に 自分もなれたらいいなあ と 思えるような人に会えた幸せ。

そして 自分のかまどのことをしっかりと冷静に 俯瞰してみれる 自分でありたいと。 そうすれば 少しは 財政のあり方に口出しできる自分になれるのだろうか と思ったりして。

誤解しないでいただきたいのは 買える方は どんどん そういうものを買うべきです。 経済の循環 経済の活性 そうされてください。

ひとりひとりが 収支の計算して それこそ昔の格言  入るを量りて出ずるを為す もっと 己を知らんとあかん・・・と反省。 足元をみて なるべく 人に迷惑をかけないように 自分で自分の始末をできる暮らしを 私たち 一人一人が意識して行えたら きっと 日本の財政状態は 健やかに 安定してくるのだろうな と 願うのです。

 

 

支払いは待ってましたとばかり出船の様に…

明治生まれの小学校しか出ていない 曾祖母の語録を 時を経て母から聞くことが時々ある。

3つほど 印象に残り、ここ最近 なるほどなぁ 本当にその通り 昔の人は 高い教育がなくても知恵を持っていたのだ。と感心することがある。

キクさん語録その一。

カラスが、かぁあと鳴いたら 利息が増える。← 分割払い、利息の付いた買い物は極力するな の教訓。

その二。

ツケで物を買うということは、亭主を質(抵当)に置いたようなもんだ。 ← 上と同じで利息のついた買い物は避けるように

そしてその三。

支払いは、待ってましたとばかりに。← お金にルーズなのは信用を失う。

 

この 三つは 私も年を重ねるごとに ほんとに感じ入ることで

とくに この その三 支払いは待ってましたとばかりに出船のごとく・・・ は 人の心理をよくついているなぁと

どこそこ大学出身です・・・と 誰も聞いてやしないのに言うような人が お金にルーズだったりするのを 垣間見ると・・・

小学校しか出ていなくても、利口者は 世間から多くを学び生きてゆけた そんな時代のほうが、今よりよほど良かったんじゃないか? と思ったりする。

キクさんは 出入りの業者さんが来る日には 必ず 支払いのお金をちょっきり封筒に入れて待っている。そんな人だったらしい。

その姿をみて 育った母は、ダスキンさんや その他 マッサージで来てくれる人 お米をご厚意で自分がとるついでだからと届けてくださる方 そんな方々が 来る日の前に、封筒にお金を用意して 宛名を書いて待っている。

私は こんなに いいお手本が近くにあったというのに 全く いったい 何をみていたのだろうか・・・ と最近になり

とても反省しながら その点に気をつけながら 見習っている最中で。

でも・・・ 最近 注意して 暮らすようになったら 分かったことがある。

 

生き金・・・って このことだな。と。

私は生き金の意味を はき違えていた・・・と これまでの自分を 心から反省した。

生き金っていうのは 自分の得や、自分への投資とばかりに使うことではなく・・・ 相手に気持ちよく思ってもらう様に使う。ということだ。と。

お茶の先生が 封筒に新札でお稽古代はお願い申し上げます・・・と うるさく 言った 真意は これを教え諭したかったのだろう・・・ けれど 私は 茶室ではなくストリート(世間の出来事)からしか物事を学べない 愚かなところがあって 最近やっと わかった。

封筒を用意し、新札に気持ちをこめて 待ってましたとばかりに 支払うところにお金を支払う心構えを持ってみたら

何か 少しずつだけれど 違うような気がする。 まず 支払われた相手様が 気持ち良いと思う。

銀行での後ろ姿

夏がくる度に 心を鬼にして捨てなければいけないもの。 それはくたびれる直前の下着。と・・・踏ん張る自分がいる。

色々と、取っておきたい理由はある。 それなりに高かった。とか、あの 憧れて買った ワンセット。とか・・・ そりゃ 色々とある。

しかし、くたびれた下着は 心を鬼にして捨てねば 他の多くを失うことになるかも・・・なのだ。

時に、銀行のATMで 夏服からはみ出して見えてしまう ブラのストラップがみえている人がいる。 それが みせられるくらいの可愛い素材だったり ファッションの一部になっているのなら みていて心地は良いが 大概に 色が退化しているとか ゴムがくたっとへたってしまっているとか。 そういうような人が多いような気がする。

こりゃ・・・自分も気を付けなければならないなぁ・・・。と 自省の思いを持ちながら 後ろにいてしまう私。 そんな私も ジーンズのベルトの部分が なんと破れていて その隙間から 下着がみえているといった人であったりする。後ろの人は みっともないなぁ この人 と きっと眺めていたのだろうな・・・と トホホと苦笑い。

銀行ATMでの後ろ姿の自分。を 毎日意識して 一日を送ったのなら 相当 意識あがるだろう。と 思いながらも

この銀行のATMで 平常であり、後ろ姿にも自信をもって 毎日の生活にも気を配り という雰囲気、存在感を示される人は 相当毎日を充実して 申し分なく幸せな人なんだろう。と そんな後ろ姿を魅せる人が時折いる。

後ろ姿は けっこう 多くを語ってくる。 それが 通帳やお金の扱いのある 銀行ATMだと尚更なようである。

 

生命力=筋力=人間力=財力

お隣の90代のおばあちゃまは、命よりもお金が大事なことを 90を過ぎて知ったわ。・・・と 真面目におっしゃった。

そして 母世代は 大切なのは 財力と筋力と合言葉をかけあっているし。

私世代と言うと その域に達する前に・・・ 事あるごとに痛感していることは・・・

お金では買えないものって・・・意外と多いもんだな。・・・と。

財力に恵まれて 人間力の高い方って いる。 本当にいらっしゃる。それは間違いない。 この私世代 50代そこそこ いや40代くらいでも そんなすごい人物は 存在する。

が、 大体は お金にスポイルされてしまうか・・・ この人 お金を介する間柄では成り立つ関係も 介さない関係は・・・ う~~~ん きっと 友達いないだろうな・・・と思う方も、中にはいる。

で・・・ 私なりに 考えてみた。 その二パターンの 決定的な 違いはなんだろうか? ・・・・と。

前者の方は お金は 多くの人を幸せにできる方便になるもの。 と 考えている、そんな行動が自然にできる。

後者の方は お金は 自分を守るもの 相手に頭を下げなくてすむもの。もの 労力を買うもの。 と

人と人との間に ありがとうと言い合う隙間をつくらなくて 済むもの。と  思われてしまっているの。かな。 その違い。かな。・・・と。

働き盛り 人生の盛りの時は 人との繋がりにありがたさを感じて  人と人との間に ありがとうの気持ちを介在できる機会を多く持てた人の方が 仕合せなんじゃないかな・・・と思う。

そして その仕合せのかんに 財力と筋力が 自然についてきた人は もっと 幸いなんだろうな。 と 思う。

自負と自尊心

このフィルムに出てくる二人の女性と、絵付けの陶器や絵は、Thompsonの大祖母と、大叔母にあたる彼女たちの作品です。

Thompsonの祖父の母親、Emilyとその姉であるElizabethは 10歳と13歳の時に孤児となります。

彼女たちの両親は 南北戦争に夫が参加するためにイリノイへと渡り住みました。母親はその時に身体を壊し、27歳の若さで亡くなります。

それからしばらく父親は男手で二人の娘を育てるのですが、南北戦争の最中、一人の兵士として参加しながら娘二人を育てることに限界を感じたことと、また、自分自身の命も長くないと悟り、父親は二人の娘を、母方の親戚へとあずけます。 それで カナダへと 幼い二人は肩を寄せ合い、長い長い時間をかけて、アメリカから渡ってくるのです。

そこで 初めての 身を寄せる家庭で、思いのほか彼女たちは大切に育てられました。

姉のElizabethは活発で、利発。 容姿の美しさは妹のEmilyのほうに多く能わってしまったようですが、二人の姉妹は仲良く、そして固く結ばれた絆で、1880年代から1900年代の大きな時代の流れに、押しつぶされないように生き抜いていくのです。一度本当の親から違うところへと引き取られ、またもや 最初の親代わりの方が亡くなり、次の人たちに引き取られます。ですので2回彼女たちは保護者を失くすのです。しかし、幸運なことに 実の母親が残していったものと、この最初の母方の人のまとまった遺産が、彼女たちにアイルランド貨幣で残りました。その遺産は法に基づき、彼女たちが最終の教育を得る年齢になるまで、しっかりとした機関で管理されます。

そして 2回目の養父母になってくださった方々のところに身を寄せる頃には、二人は若さと、世の中を渡って行ける知力を持つ年齢となっていました。

二人は、おそらく 色々と相談をし、悩み決断をしたのだと思います。

妹のEmilyは、絵付けの道へ。 そして姉は 水彩画の道へと 専門の進路を決めるのです。

ちょうど その 1800年代が終わろうとしている時代は、クロードモネや ゴッホといった そういう画家たちが世を去ったあたり・・・

芸術が、まだ 一般の人々にとっても生きてゆく手段に結びつきやすかった時代だったのだと読み取れます。

親のいない女性二人が選んだ道として、手にした遺産を賢く遣い、自分たちの生きる糧にできるようにと きっと 手と手を取り合って離れることなく 必死に生き抜こうとしていたのだな。と彼女たちの残していったメモや手紙や また 家族内での思い出話を寄せ集め、想像が出来ます。

彼女たちは とても賢く 世の中を渡っていたようです。・・・と、いうのも いい人たちに囲まれて 若き日々を過ごしていたことが 色々な写真や文からわかります。

写真からの様子でみてとれるのですが、威厳を崩さずに、自尊心を大切にしながら いい品物を身に着けているのです。身繕いの費やし方を知っている。Ladyというのでしょうか。 決して馬鹿にされない、低くみられない 女性なら、すきをみせない着こなしというのかな・・・。そういう 美しい二人姉妹という様子で 紳士的な人たちに囲まれて写っている写真とか。 孤児であった二人がここまで しっかりとした存在でいることの方に 私は 不思議さを感じ、もっと この二人のことを知りたいと思ったのが 今回のこのフィルムで表現をしました。

そして 妹のEmilyはカナダの銀行員と結婚をします。その時に、その時代の特徴ですね。第一次世界大戦が始まる前あたり 1900年代前半には そういう方も中にはいたかと思うのですが、 妹の結婚ではありながらも、姉も一緒にと 結婚先の離れに 姉も住むこととなります。 常に一緒に生きる。と 誓い合った二人は そういう形をとりました。

Emilyには 男の子が一人出来ます。 それが Thompsonの母の父親。つまり祖父です。彼が10歳の時に Emilyは結核で亡くなります。

それ以後、姉であるElizabethが 母親代わりとなって彼を育ててゆきます。 その幼い男の子が成人し、妻をめとり、トンプソンの母親が生まれてからも彼女が16歳になるまで アント ナニー (Elizabethのあだ名)として79歳でこの世を去るまで、 トンプソンの母親のその一家と暮らします。トンプソンの母親にとっては実の母よりも あらゆる面で大きな影響を残してくれた人だそうです。

絵を描くことを生業として、そして 色々なことに長けた女性だったそうです。 あの時代に高価なカメラを購入し、写真を撮るために自転車を乗り回し、画の材料にするようなものから 他のことも仕事としていたのでしょうか、自立の道をしっかりと歩く活動的な人でありながら、また エチケット ハウスキーピングの基本 また Ladyとしての在り方も美意識高く持っていました。それらを のみこみがよく 気立ての良い 可愛い姪に 懸命に仕込んだのだと思います。

わたしは 時々、トンプソンの母の佇まいに触れるときに・・・・ カナダの田舎町で、その頃は農業をしていた両親のもとで育ち、どうして この人は こんなにエレガントなのだろうか・・・ 何が彼女をそうさせるのだろう。 自分で学び取って身に着けていったのだろうか? と不思議でなりませんでした。

その蔭には、Aunt ナニー Elizabethの存在があったのだ。と、義母が亡くなり、彼女の日記などからそういうことも知ることができました。

自負と自尊心 その二つは あまり強すぎても 困りものでありながらも

自尊心を失くすと、女性はたちまちに流され 下流に落ちていってしまう・・・と 激動の時代に、必死に流されまいと 二人で手を取り合って生きた 姉妹の健気さが 絵からも 伝わってきます。

我が家には 実は トンプソンの父方の祖父が アメリカで、少し名前を残した画家だったので、彼の作品が数点あります。聞くところによると 価値のあるものらしいのですが、 でも 私は 彼女たちの この ちょっと優し気で 素人っぽいタッチでありながらも 健気なタッチが すごく好きなのです。 正直 彼女たちの作品に癒されているな・・・と思う自分がいます。