エレガント 

エレガントとはなんぞや・・・と、フランスにまつわる本なんかに出てきそうな課題であります。

このエレガントという言葉をなぞっている時は、どういうわけかわたくしの場合、インターネットで中古物件を観覧している場合に多いのです。

この中古物件、特に家具などが置かれていて 生活がありありと伝わってくるようなものを見るのが すごく好きであります。

それらをみながら、ううむ エレガントとは お金だけでは買えないもので また お金とうまい具合に相乗しながら鍛えられていくものでもあるのだな。と 強く思うのです。

1億円以上の物件の中には 頭をふりたくなるほど エレガントなものもあるし。こんなん・・・くれる。と言われても 欲しくないなぁというような 悪趣味の家もあるし。はたまた 何の記憶も残さないような 住まい方もある。と。

その逆で 2800万円くらいの値のついた物件で、住まい手のエレガントな暮らしぶりが 毎日の空気の粒子の中あちこちに美しく残された家もあります。

使い手によりそった形でカスタマイズされた台所。ここにこんな工夫をしたら暮らしやすいだろう。と金づちと釘で作った棚や、心地よく配置された趣味の良い家具。そして優し気に扱われた諸々の形。ときには小さな庭と出入りの出来る扉が台所からの動線に美しく設置されたりしている。

そして 2億円以上のものの中で、おそらく音楽関係の仕事の人の家だろうか。中目黒という洗練された街に建つその家には防音装置のついたオフィスめいた部屋が地下にあり、エレベーターがついていた。西洋式(トイレ、洗面台と共になった)のバスルームも各階につくられた個人部屋に其々設けられ、最上階のリビングルームには目の覚めるようなブルーのゆったりとした長いソファが曲線を描くように置かれ、それをピリリと引き締めるように幾何学模様のクッションがすてきなアクセントととして散りばめられていた。壁面はセンスの良い写真や絵で飾られ、ここで この家の人たちは 本当に寛いでいることが伝わってきた。きっと きちんとした出で立ちで。

そしてリビングルームの階下には食事室があった。食事室と呼ぶのに相応しいような作りなのだ。 台所は 対面式でもなんでもなく 料理をするためのオープンな部屋であり、そして 食事をするテーブルは 食事をいただくためにある。といった具合だった。 洗濯室や、なんとメイドルームというものまであった。 室内から床と同レベルのウッドデッキをつけた半室内ともいえる庭(バルコニー)に出れるのだ。その箱庭が えらく美しかった。

この洗練された エレガントな家は、色々なものを見聞きし それを仕事にし経験し、大きなお金に縁を持てた人が住んでいるものであるのは インターネットの画像からも伝わってきた。

美しいなぁ・・・とため息が出た。

残念ながら 私がこの人のインテリアの何か一部を真似したところで、まったく このようなエレガントな空間は作り出せないことは一目瞭然であり。 私には私にしか出来ない暮らしを コツコツと積み上げてゆくしかないことを 思い知るだけなのだ。

けれど

精一杯の衛生管理と、少しずつ少しずつでも 美しいものに向かって 生きてゆこうとする姿勢の中でエレガントという言葉はもしかすると宿ってくれるのかもしれない。と 思えた。

10万円を出して 一人かけのソファでも それは 素敵なものもたくさんあるし 高級品の部類だと思うが・・・なぜか ビビビッとくるものはないように思うのは私だけだろうか。

私は 私が20代の時に買った 店じまいセールで買い求めた28000円のソファが 死ぬほど好きであり、買った当時から表情のある家具だなぁと愛しく思っている。

この一人掛のソファは私の体の一部と言っても良いくらい。一緒に色々なところに行ったし、生地を張り替えたりして大切に使っているもので死ぬまで使おうと決めていたものである。

が、なぜに ここで 過去形を使ってしまうかというと。

いま このソファをぜひ交換してくれないか?とある人に請われているのである。北欧家具の Hans.J.Wegnerとかいう人のデザインしたレザーの一人掛用のフォルムのきれいなソファで・・・。実は上記の10万円くらいのよくあるタイプだったら 即NON! と言えるのだけれど。さすがに 有名なデザイナーさんの作った椅子だけあって 美しいし 座り心地もまるで宙を仰ぐように気持ちが良い。 ううむ 悩ましく いま 毎日 葛藤しながら 悩んでいる・・・。

 

 

パジャマ

すっかりと ツモリチサトさんのパジャマの大ファンになってしまった。

この 優しい着心地。そして夢のある模様など。死の床でもこのパジャマを着ていたいなぁ。着れるものなら。

これまで シルクのナイティがベストなもの。と 思い込んでいたけれど。

記憶を辿ってみたら 私が小学生くらいの時に愛用していた リンゴ模様のパジャマと質感が良く似ているではないか。

着ぐるみに包まれて すやすやと眠っている赤ちゃんのように 眠れるのではないか?と このパジャマはそんな魔法をかけてくれる。

それが ツモリチサトの世界。 この良さが分かってくるのも 昔の自分に出会い始める ある年齢を越えた醍醐味だろう。

 

Manage (ment)

この Manage どうにかする うまくする 愚かにもする そして 時間をなんとか都合する 処理する 都合をつける。という英語 自分は Money(通貨、交換の媒介物)から 語源はきていると信じているのですが、どうなのでしょう。

・・・これぞ林真理子氏の真骨頂。と、思える本「最高のおばはん」の中で

あるフードライターという職業を持つ30代後半の女性が、20代後半くらいから ずっと ずるずると妻子持ちの人と不倫をしている。おおよそ10年以上のその腐れ縁の相手に、300万円程貸してもらえないか?と頼まれる。その相手は一応そこそこの商社に勤め、部長職であり。持ち家のマンションはあり、一人娘も大学を卒業をしているのに なぜ?と思いながらも これまたずるずると

彼女は父親からの遺産の中からその金額を借用書もなく、銀行を通すと分かってしまうという理由から、その相手に現金で渡した。(恐ろしいことに)

それから一年たつが お金は戻ってこなく。段々と会う回数も減っていく。自分は騙されたのだろうか・・・10年以上の仲なのに・・・と 父親からの遺産がなければ こんなお金のことで嫌な目にも合わなかったのに・・・と タイアップもダメになったような仕事で、キャンセルにするべきであったようなパリの街で、偶然に出会った主人公であるハルコに、上記のようなことを相談してしまう。

すると主人公のハルコ52歳は、こう答える。

「その男のことはどうでもいいけど、300万円は惜しいね」と。

「え?」と驚く彼女に

「私が 300万円は勉強代だったと思って、その男のことはさっさと忘れなさい。とでも言うと思った? 冗談じゃないわよ。300万円貯めるってことがどれだけ大変なことか、よく知っているわよ。最初に事業を起こしたときなんか 別れた亭主に 泣いてお金の打診をした あの屈辱は忘れはしないわ」というような感じのことをセリフにしていたと思う。

そして、彼女はその30代の女性にこう指示する。

日本に帰ったら まず その男のところに請求書を送り、それもきちんとした書式にのっとったやつ。何の感情も入らないやつ。それをとにかく送り付け、そして相手の様子をみるように。と。

もう少し待ってくれ と言われたらどうするんですか? の質問に 「期限をつくる。そうね、今月中にしなさい。払えないって言ったら、マチ金から借りてでも返せ、って言うのよ」と。

そして 彼女は日本に帰り、ハルコから言われたとおりにした。

案の定、もう少し待ってくれと泣きついてきたので、マチ金から借りて返してくれと言い、それから期日までに払ってくれない時は、家庭か会社に話すって言ったんです。そうしたら思わぬ展開になりました。

と すでにパリから日本に戻っているハルコに電話で

なんと 奥さんが利息をつけて借金を返済に来てくれた。その理由は その不倫相手には、ハルコの睨んだ通り、もう一人女がいて、性質の悪い女でうしろにいた男の人が あれこれとせびっていたようです。それでにっちもさっちもいかなくなって、奥さんに泣きついたらしんです。との報告に・・・

ハルコは一言、こう言い放つ。

「今度の場合は、奥さんが向こうからやってきた。しかも下手(したで)に出てるお金っていうのはこういう時に利用したいもんね

夫が借金してなかったら、奥さんはあなたを上から見て嫌味をさんざん口にしたはずよ」

私はこの件を読んだときに、これぞ・・・林真理子だよなぁ・・・となぜだか妙に・・・感心したのをおぼえている。

最近、年を重ねるごとに この・・・お金っていうのはこういう時に利用したいものね。という言葉を自分に・・・ときどき 投げかけながら行動するときがある。

ひじょーに 日常的なことすぎて お話にもならないかもしれないが。先日、こんなことがあった。

ある対面式のお肉屋さんにて、ずっと 買いたかった 牛のもも肉が置いてあった。

いつもいく大金さんにはなくて、ある商店に入っている精肉店にあったのだ。

私は嬉しくなって「このモモ肉、焼き肉にするくらいの薄さで250グラムほどください~~~」と頼んだ。

すると そこのご店主は「これは 塊でしか売れません。それに 牛のモモ肉は薄く切っても使えないですよ。料理になりませんよ」と バシッ!と言い切る。

私は「なんだかね メキシカンの エンチラータとかっていうレシピがあってね。それに 牛モモの薄切りって書いてあったから 作りたいなぁと思って・・・そうなんだぁ この モモ肉って 塊でしか売れないんだ」

と そこのご店主は、原則に従ってといえばそうだし。頑固っていうとまたそうだし。まぁ 柔軟な対応は望めないだろーなーと 分かりながらも 私はその肉をずっと みつめてみた。 3048円。 グラム300円と書いてあるから 1キロくらいかぁ どうだろ。 そのエンチラータで250グラム使って あとは ローストビーフ? それでも 二人でローストビーフ500グラム以上食べるのきついなぁ・・・ あ 食べさせてもらうの大好きっていつも言っている あの人・・・母でも呼ぶか。で、残りの250グラムは カレーか煮込みにする。

っよし!買お! と 頑なに(流されまいと) 背中をみせている そのご店主に

「こちら いただいていくわぁ🌷」と つややかな声で呼びかける。

このつややかな声音の中には どこか 勝ち誇った印象もあるのか。

店主は えっ?と 少しひきつった表情で 私を見返す。そして おどおどと 「すみませんね・・・ お客さんの要望に応えられなくって」と なぜだか 謝りの言葉を述べる。

それに対して 目が笑っていたかどうか不安だが、にっこりと 「いえいえ、これって やっぱり ローストビーフが適切なのかしらね 料理には」と尋ねると「ええ、ローストビーフが一番だと 思いますよ」と 急にてきぱきと答える。 きっと ローストビーフとして使ってもらいたい一心で、この人、この品を店頭に出したのかな?と思うほど。

「じゃあ ちょっとそれにも挑戦してみますね」と ☻塊肉を手にし、その場を離れながら 私は こう思った。

・・・お金っつーのは かく使いたいもんだなぁ・・・ ああ 私に余りあるほどのお金がもし、あったのなら こんな使い方いつもしたい~~~~~! と 心で叫んでいた。

ごちゃごちゃ、しみったれたことを言わずに、金持ち喧嘩せず。言葉は悪いが お金で 多くのことは解決できる。

残念ながら いまの私には お肉単位でのことでしか その快感を得ることは出来ないが。

常に 念頭に このハルコさんの名文句 お金っていうのはこういう時に利用したいもんね を、置きながら 自問しながら生きていくように心がけたいと どこかで 思っている。そうでないと なぜだか お金があるのにお金の苦労をしている親戚のおばさんの様になってしまうのではないか? と、申し訳ないが悪い例で彼女のことを思う時がある。

その叔母は、妾さんのところに行ったきり帰ってくることのなかった夫の死後 多額の遺産が入っても それまで お金は使うものではなく、節約に節約を重ねて、少しでも貯めるものとしか考えなかった故に、使い方がわからないのだ。   人をみると お金が目当てで寄ってくると疑心を抱き。娘たちからは 税金でもっていかれないために 一年に何回か名義変更を強制的にさせられる。と、その娘たちからの攻撃に ただただうちひしがれる 毎日。って・・・ 私は思う。 おばさん。 妾さんのところに行ったきりの夫から 食い扶持を与えられるように 受け取っていたお金から 多くのことを学べと 言われても 時代が許さなかったのかもしれないけれど。

けれど なければないで嘆き、あればあったで苦しみの種にもなりえるもの。が もし お金の正体だとしたのなら。

お金に対する ハルコさんの意気込みは、日常単位からも持ちたいものだと。最近、よく 思う。

気働き

この気働きのまったく出来なかった(現在も・・・おそらくその傾向あり)自分が言うのもいかがなものかと思うけど。

女の子は、多くのことが例え出来たとしても、この気働きの全く利かない子は、あかん。と 思う。

気働き、気を働かす。 ということ。 なぜに これが 出来ん? と 自分に問いかけてみながら これまで生きてきたけれど。

ほんと・・・ 若いころから これが 出来ている人は、違うのよ。違うの 色々なことが。

一度 ほんと―に 気働きが もう少し出来るようになれないものかと 夜のホステスさんとかに弟子入りしようか。とまで、思ったくらい。 きっと あちらから断られたかとも思うけど。

灰皿持ってきて。と 言われたら ライターも 一緒に持ってくるのは今時、時流ではないにしても、書くものある? と言われたら 当たり前のように 紙とペンを差し出すとか。 石田光成じゃないけど お茶は最初の一杯は少しぬるめに、次は熱く。とか 何かしていただいたら まず最初のありがとう。そして 次に会った際にも その節は・・・とありがとう。と 記憶に留める。とか、あるお茶のお家元の 娘さんは、 お母さんから どなたかに偶然にでも会った際には、その方に何か お世話になったことはないか? と まず 一目散に 考えるように。それから挨拶と 教えられた。とか。

これは 家庭環境が ものを言うのだな・・・と 思ったときに 随分 我儘放題に また いくら親が教えてくれたとしても 聞く耳を持てなかった 私は 自分の失敗からしか学ぶことが出来ない。という 随分 遠回りで損な生き方をしてしまっている。と、思う。

そんな風に思っている中。

昨夜 小学校6年生の女の子を 窓際のカウンターで 読み書きを教えていた時に。

今 この寒中、外で仕事をなさっている方々がいて、その中に毎日、道路に立ち棒や旗を振って頑張っている女の子がいる。

その娘さんが、昨夜 5時近く(もはや暗い中) スクールの前の窓は大きい。外から 棒を振るようにみえたが あれは単に手を振ってくれていたのだろう。 私と 教えているRちゃんは 「なんだ?なんだ?」と 彼女に それでも 手を振り返す。すると彼女が近くに寄ってきて 手袋をスクールの前で拾ってくれたのだろう その手袋を 私たちの方にみせてくれた。 するとRちゃんが 「・・・あ・・あたしのだ」と呟いたきり、 動こうともしない。

私は  すかさず 立ち上がり、 Rちゃんの首、襟元を(お母様には申し訳ないが、昔の 猫をつかむような形で) ガシッとつかみ。

「Rちゃん! そういうときは まず 立つ! そして自ら近寄り、お礼を 言うもんだよ。 拾ってくれた人が なんで あんた(お母様には 怒られてしまうかもしれないが 幼稚園から来てくれている 彼女には どうしても 他人事とは思えないなにかを感じてしまった)の方に 歩み寄って持ってきてくれなきゃいけないの! そういうときは まず 自分から行く! そして まず ありがとうございます! そして 外で寒い思いして仕事をされている人には 寒い中 ご苦労様です! と言うんだよ。さあ 行くよ!」と すっかり大きくなった体を引きづるようにして 外に出て お礼を 二人 頭を下げた。

・・・と なぜに この子は 体が パッ! と動かんの? と 私はしばらく 不思議に思っていたが。

きっと 自分もこの子のような少女だったんだろうな。と 思いながらも いや 昭和は もう少し 子供も 大人に混じって こうしなきゃ ああしなきゃ。とか考える 環境があったようにも 信じたいが。どうだったのだろう・・・。

いま この時代、親が厳しく躾けたい。とか思っていても 社会が色々面倒をみてくれるようになってしまっているのだろうか。

社会の雰囲気が なんつーか 人を鈍感にさせてしまっているのではないか?

私はある 光景を思い出した。

10年くらい前だろうか 東京で地下鉄に乗っていた時に、乗車してきた女の子のバッグが扉に挟まってしまった。

女の子は叫んだ。 私は何かと思って ハッ! とそちらを見た瞬間、その中で すぐに体を動かしその子を助けた男の人が一人いた。 なんと 扉を力ずくで開き バックを中に入れてくれた スーパーマンだった。 その人が誰だか 私にはすぐに分かった。

なぜかというと その人が乗車してきたとき、 とても原始的な表情をした 目つきの鋭い人で ちょっと  怖かったからだ。

しかし その人は 実は 感度の優れた人だったのだ。 ・・・驚いたことに、信じられなかったが・・・彼以外の 他の男の人たちは その出来事が起こった瞬間、後にも、 スマホ(その当時は携帯?いや スマホかな?)をみながら ずっと下を向いていた。

その光景をみたときに ゾッとしたのを、今回の出来事とはちょっと違うけれど 少し重なって 思い出した。

鈍感になりすぎている 自分を振り返ってみる価値は この時代 重要だと 思った。

虎屋の羊羹

最近の自分で周囲の影響を受け、わずかながらも進化したこと。といいますと、他人様の家に伺う時は大体ですが手土産を持って伺うことに気を付けるようになった。

これは いい習慣をつけてもらえたなぁ。と、時々ぼ~~~っと 手土産の内容を考えあぐねてみると。

 

ある程度のお年で、健康志向の方には 厳選された高級塩(自分では決して買わないようなの)

オリーブオイル 等。

元気な子供さんのいる家庭には 若々しいお菓子。(和菓子でないの)

南アフリカのワインが好きという言葉 言っていたかなぁと 思って南アフリカのワインを用意したり。

あとは 華やかな美人には その人のイメージの花束。くらいが 自分の持っているカードだ。

そういえば 何かあると 美味しいチョコレートを(どこでみつけたの?)というような厳選されたものを小さな箱で必ず持ってきてくれる友人がいる。 彼女を思う時は チョコレートにワインに そして 花束。そんな 洒脱なイメージが彼女だ。

自分の親世代が 何かあると お遣い物には虎屋の羊羹 虎屋の羊羹と 騒ぎ立てる その虎屋の羊羹は 今時 どんな際に出番があるのだろうか・・・・ と、人様にものを差し上げることを、おぼえはじめた私は、時々そんなことをずっと考えていた。 そんな折に ジャストタイミングで 昨日 こんな発言をし 私を笑わせてくださった人がいた。

「あっちゃん いい? お遣い物は 仰々しくなく。が鉄則ながらも、それでもよ 心から お詫びを入れなければならない相手。そんな時には 何を持っていけばいいかわかる?」

「え・・・ 興味あります。な、なんですか?」

「・・それはね。・・あっちゃん。羊羹よ」

「・・・ブっ」と はじけたように 何故か私は笑ってしまった。 その人の言う間がおかしいのと。また 羊羹など 絶対求めたことのないようなタイプの人なのだ。

「へぇええ! そうなんですか 羊羹って そういう時に出番があったんですね」と ひとしきり感心する私に

「いい? それもね 虎屋の羊羹よ 虎屋の。 しかも 木箱入りよ!」

「おおお なんか 分からないけど 勉強になります。 木箱入りの虎屋の羊羹ですね。 一生忘れないようなアドバイスです。 ありがとうございます!」と 虎屋の羊羹のお遣い物の出番について、自分には無用なのかもしれないとまで考えていた私にとってすっごく Good Timingな 話だったのでえらく感銘を受けるお言葉だった。

木箱入りの虎屋の羊羹を持ち 私が参上した際には 心からの謝罪と みなしてください。

きっと そのアドバイスに真摯に向き合い 参考にし 実行する日が 長い人生の中であるはずです。いえ これまでにもありました。 その時に この アドバイスを知っていたとしても 事が好転したとは思い難いながらも 何か 違ったのではないか・・・と 思ったりしてます。

Multi Purpose Detergent

Multi purpose detergent 多目的用洗剤: 衣服を洗うのは使いませぬが、 ホワイトビネガー と 水を 半々の割合に 私はゼラニウムのエッセンスオイルを 100CC:100CC 合計 ワンカップというくらいなら そこに そうだなぁ 20滴くらい入れるかな。きつく感じる人は も少し減らして。

これ 気を付けて欲しいのが 必ずホワイトビネガーにしてください。 以前ホワイトビネガーの代わりに 米酢を使ったら えらい言われようでした^m^;。

このコロナ発生以来、ずっと火曜日に手伝いに来てくれていたMさんも 収まるまで 少し家で じっとしているようにと ご主人からの指示があったらしく これなくなってしまいました。・・・となると スクールのお掃除は この わたくしの役目。

そうなって 作り始めたのが この上記の割合の 多目的用洗剤です。

もちろん本に書いてあって。あ。これ良さそう・・・と シャカシャカ作って 使用してみると なんともはや 清々しい気持ちにさせてくれるし。なんといっても 手荒れの心配がない。

お寿司屋さんの手が何故にあんなにきれいかというと お酢のおかげもあると聞いたことがあります。

上記の洗剤、だまされたと思って 手荒れに苦しんでいるような方には 大のお勧めです。

スクールの お掃除は週に一回。掃除機をかけて 徹底的に水拭きしてゆきます。水拭きの時に この洗剤を雑巾にスプレーして 拭き掃除をすると 汚れもキリっととれるし、エッセンシャルオイル ゼラニウムの華やかで爽やかな香りに包まれて なんとも Happyな気持ちになります。

ゼラニウムでなくても ローズマリーでも グレープフルーツでもお好きな香りで。

強い洗浄力の化学合成洗剤を使っても ビクともしない手肌の人でも あの類は いつか 手をぼろぼろにしてしまうよーな・・・気がするのですが。

お酢を使ったこの 洗剤は 肌を傷めずに また 家具も 木目も傷めずに きれいにしてくれるなぁ と 掃除するのも楽しくなる優れもの。

ちなみに ホワイトビネガーは お値段がするのが悩みどころですが 大手スーパーよりも 札幌円山地区にお住まいなら あまり教えたくはないですが スーパースギハラさんの あの 輸入コーナーに 少し手ごろな価格で売ってるようです。

タオル

暮らしの質(クオリティー)は、タオルに宿るのではないか?と脳裏には常にございまして。

ここさえ、ほんとにここさえ、底上げ出来たなら 私も、も~~~ひとランク上の生活というものを手に入れることは出来なくても、演出することは出来るのではないか??と、思うほど。

どうやったって この ワンランクを突き破ることが出来ないのが タオル。

銀行とかでたまに貯金なんかすると貰えたり、年末に魚屋さんなどから貰ったりするようなあのタオル。実は あのタオルが自分は一番使いやすくて好きだから困る。

世の中には あのタオルを布巾とか雑巾がわりにしか使わない。という方もいるらしいが、どうやったらそんなもったいない事が出来るのだろうか?・・・と、いうくらい あのタオルが好きだ。

まず あの薄さ。乾かしやすさ。そして なによりもかによりも あの寸法(丈具合)が どれだけパーフェクトであるか? ということを 皆様ご存知なのだろうか? 知ったかぶりに聞こえるかもしれないけれど 良いホテルというのは タオルの丈が 長すぎず、短すぎず 出しゃばらずと 大変よい心地のものを置いている。

その寸法にぴったりと合致しているのは、百貨店やこだわりのお店で売っているような 厚地のタオルではなく

たくぎん(北洋銀行の合併前の銀行)とオレンジ色の字で記された あのタオルであると思うのです。

しかし、室蘭信用金庫と記されているタオルをタオル掛けにつるす勇気はなく、こそこそと(誰も見てやいやしないのに)棚から出して、お風呂上がりの体をそそくさと乾かし、それで頭も乾かし、巻いて 化粧したりしながら過ごした後は また そそくさと 洗濯機に入れて 洗濯、乾かし 使い続ける。といった日々の中で へたってきたものは 自然に雑巾となってゆく その自然な淘汰のされ方も出来る このタオルを愛おしく思う。

これが、ちょっと 奮発して購入したもので たまに 自分の好みにすごく合ったものがあったとする。

そうだ! 数年前に すごく好みにあうものが、売られていたのだ。色合いも薄い卵色のものがピッタリと好みで。表はガーゼで裏は薄いタオル地 薄さも 丈も 色味も すべて好み!という代物があった。そこで 私なりに大人買いをして 嬉しく 使わせてもらっていた。 (タオル掛け用のものとして) それが! なんと もう製造停止になる。と そのお店の人もとても残念そうに知らせてくれた。

驚いた私が 「なぜ! なぜなの?あんなにいいものなのに~~~~」と涙交じりに尋ねると。

「その、良いものである。というのが問題だったらしんですよ」とお店の人。「え???」と私。「どうも・・・いいものすぎて 採算がとれなかったらしいんです」「ありゃ・・・ それなら 価格あげてでも また 売って欲しい・・・」「中途半端な値上げ設定も また リスクが高いらしく・・・。実は 私も 製造停止になると聞いて すぐに大量買いをしたんですけど。 そのなかのものから 少しお譲り(もちろん有料で)いたしましょうか?」「いや それも 申し訳ないし・・・」などというやりとりのあったものを、後生大切に使っている。もう 黒ずんで どうみても 雑巾だろ? と 思うものなのにどうしても 往生際悪く 捨てられない。・・・だって 新しいものを新調できないのだもの。 同じように一瞬みえる代物でも 若干 丈が違っていたり なにかが違うのだ。

こうやって このタオルという小さな代物に宿る 一ランク上の暮らしに 一生、たどり着けずに 私の人生は終わってゆくのかもしれないし。 最近では もう上質な暮らしとか どうでもよくなってきてしまっているけれど 一つだけ どうにかしなければいけないことは 捨てられない 販売停止となったあの くたびれ切ったタオルの始末で。

そうなのだ・・・ この 始末するときに 往生際が悪くなるような もう二度と会えないかもしれない・・・。と、いうものに囲まれすぎていても 暮らしは 埃っぽく くたびれて 辛気臭さが漂ってくる。そうなると 私の生活のレベルは あの 薄く 乾きの良い おしみなく使え、おしみなく雑巾におろし 潔く捨てることの出来る あのタオルということなのだろう。

8センチヒールか庭仕事か

2020年の現代も、昔の言葉ならお妾さんという生活の仕方が、あると、憶測ではなく、存じ上げている。

昔はお妾さん、いまは愛人というように呼ぶのだろうか? ものすごい金額の邸宅を与えられるようなレベルのその立場の彼女たちに、共通している姿は、常にきれいにしていることだ。

100足以上は収納出来そうなシュークローゼットには、ずらりと平均8センチヒールの靴が並び。その中でウォーキング 長靴などは 5%くらいでしかない。

生活臭を一切排除された空間の中で、華奢な靴と衣服を身に着け、美しく身を整えて 時々訪れるマスターを迎える。

真っ赤なパラソルテーブルのあるガーデンはあるが、庭仕事をするようなそれではなく。

計算された緑は常に庭師の手が入る。

家庭 って 家と庭と書く。 家と庭 二つも与えられながらも 家庭を築くことのない 許されない その立場は、常に 常に ガラスの床に置かれるように つま先で歩くように華奢な靴で軽やかに呼吸する。

そういう生き方が好き、という生き方も世の中には、ある。

自分は庭仕事が好きだ。 土を触り 花がどういう風になっていくのかを見ていたい。今年はクレマチスが美しくなってくれた。と嬉しく思う。

ぬか床もかき混ぜたり、手の届くところに台所用品が待っててくれたりするような、そんな台所が好きだ。

ただ、どたどたと作業を済まそうとしてしまう自分の姿を、はっ!と省みるとき。

あの華奢な靴のコレクションの中にある、わずかなウォーキングシューズから一足を選び、犬の散歩に出かけるその人の姿は、まるで妖精のようで 文句なしに美しかった。

家庭の出来事を 生活臭にさせない その技は天性のものではあり、義務ではあるのでしょうが・・・

ガラスの床を歩くような気持を、私たち家庭を当たり前のものとし、ずかずか歩く人たちも、持てたら きっと

彼女のそれとは逆の、違った作用が生まれて も少し素敵になれるのではないかな。と 反省した。

 

真似したいこと

冬になり、多くの人が行き交う街の大型書店で気の付いたことがあった。

BO Body Odor いわゆる 体臭というの? 衣服についてしまいとれなくなるようなレベルの、言ってしまうと不愉快な匂い。

あれは 夏ではなく 冬の時期に気を配り、エチケットとし注意を図らねばならないものだったのか。と。

そうか。 冬のコートは毎日洗濯できるものではない。意外と汗をかく。ましてや子供などは外遊びで汗をかいたものを冬の間中、洗いもせずに着てしまうケースがある。防寒用の服を洗いもせず、風も通さずいる結果の匂いがそうか これなのか これなんだ。と 真冬の札幌市のと、ある大型書店で気づく自分の鼻は、東京に行ったばかりの19の夏、満員電車でのそれと同じものだった。

嗅覚の悪い自分がそういうのに気づくことは滅多にないのだが これは 自分自身気をつけねばならないなぁ・・・と 自分のや同居人の防寒ジャケットも、裏返しにして風にあてたり 洗うことは出来なくても 裏側をデリケート衣類洗剤を薄めたもので拭いたりと。やっているうちに

これって 家だけではなく どこかで コートをかけるときも 同じように裏返しにしてかけてもいいのではないか? と 思っていた矢先。

Thompson Internationalに札幌で有名な建築家の方がおみえになっている。

もちろんお仕事柄お洒落な方ではあります。そのうえに その方はいつも自然に自分のコートをスクールにある一畳ほどのクローゼットにかける。 そのコートに昨日何気なく目をやると なんと!仕立ての良いコートを裏返しにかけてあった。

おおお! これでいいのだ。 冬はこれでいこう。と確信しました。

昔 お茶の先生に、よくたしなめられたことを思い出した。 まず風呂敷をもっておいでなさい。

その風呂敷に自分の身の回りの物を包んでから それから ご挨拶です。と。

そーだ そんな教えもあったよなぁ・・・と、身についているのか身についていないのか あやしいもんだと反省しながらも。

気の利いたレストランに入ったときは まず コートを脱ぐ、または脱がせてもらう。そして お店の方に 必ず 預ける。 どこかへ行った際も コートをかけるところがないか。 それをみれるようになれたのは、あの教えのおかげであるの、かもしれない。

あの方は男性だというのに、この作法に加えて、コートをさらりと裏返しにしていることに いやぁ さすが 一流といわれる方なんだなぁ・・・と 昨日は改めて感心してしまった。

コートを裏返しにする。ということは 上記の問題も緩和できる・・・かもしれないし。それに 隣の人のコートが当たっても 自分のコートの表生地を傷めない。という 昔の知恵もあるのかもしれないな・・・。と考えさせられた。

お味噌汁

この味噌汁というものの美味しさに目覚めた今日この頃。

味噌汁に一魂込める。という具合に作ることに結構力をいれている。

出汁は、いりこ 煮干しが相応しいということで、朝出かけるときに、はらわたをとった煮干しの頭と身を200㎖に8匹くらいを目安に冷蔵庫において、それを夜に煮出して お味噌汁の実によってはその段階で少し火を通すものがあるけれど、昨日の夜は薄揚げと茗荷、そしてねぎの実にした。

揚げは、熱湯に一度通して一呼吸でとり、その端のほうをレーザーシン(細く)に包丁をいれて、二枚にはがす。わたしはそれを長さ5センチくらいにして、ほそくほそく刻む。薄上げがふんわりこんもり刻まれるイメージ。

それの細さと同じくらいに茗荷も刻み、ねぎは細かい小口切りにした。

出汁にお味噌をいれて煮立ちそうなあたりで 薄揚げから入れて もうちょい煮立ちそうなところで 茗荷とねぎをいれる。

味噌汁を塩分の塊としかみなさなく、拒否反応を示し続けたカナダ人の夫も最近は味噌汁を完食する。といったところに加えて昨夜は、美味しいねこれ。と呟いた。

このカナダ人の夫が、自分の調理に対する優劣の度合いを知らせる実験台であり反応が面白い。

材料が質素なものであっても、心をこめて集中して作ったものには面白いくらい反応を示す。

かつて一番驚いたケースは 大根の葉を、からからに素揚げして それにパラリっと塩をふったもの。それが今夜の食事の中で一番、うまい。と言ったことだった。

バター チーズ 動物性たんぱく質の中で 育ってきたDNAにも、日本の簡素ではあるけれども理に敵い、そこにうまくなれよ~~~と思い調理する食事には訴えかけるものがあるのだ。と、感動をした一瞬だった。その時からかもしれない、自分の料理の方向が少し変わったのは。

変わって良かったことは、食材を無駄にしなくなったことだと思う。

手元にある食材で、どうやったらおいしく仕上がるか。という目が強まった瞬間だったと思う。