夏のベッド

母の猫です。

陶器の大皿が彼の夏のベッドだそうです。

4年前に母がこちらに引っ越してい来る際に 大事そうに抱えてきたので

もう人を招んで、大皿囲んで食事会などしないはずなのに 何に使うのやら?と不思議でいましたら

愛猫の夏用ベッドなのだとか。 ほんとかい? と 半信半疑でおりましたら

この夏は 札幌は猛暑が続き クーラーをつけながらいる母の家でも 彼はこのヒンヤリとした夏のベッドからあまり動こうとしません。

丸い体が 丸いお皿と一体化してます。

このお皿は みごとなくらいに 彼の夏の寝床です。

ライフオーガナイザー2級講座を受けてみて

先日日曜日に、札幌市で行われた ライフオーガナイザー2級の講座に行ってまいりました。

なるほどなぁと思ったことは。

右脳 左脳のバランスによって 整理整頓 掃除の仕方、はたまた生き方 行動のパターンも違ってくるのだとか。

指を組んでみて 左の親指が上になる人は 右脳がインプットだそうです。

そして

腕を組んでみて今度は左腕が下になる人は 左脳がアウトプットだったかと・・・

もう一度 確認しないと 上記ちょっと怪しい部分がありますが

それでいくと 自分は 右左脳タイプの人間なようで。

当てはまるかもと 思ったことは 結構ありました。

直感で 全て自分で仕上げたいタイプ。

デザインにこだわる方とか。コツコツと仕事を出来ない。とか。

あとは それそれ! と思ったことは ラベリングは字より、絵や写真でないと ダメなタイプ。

本当にそうです。

あの ラベリングをきっちりとして きれいにファイルして 管理できるタイプの方は まさに私の憧れの左左脳さんタイプだそうです。

で、わかったことが

左左脳さんタイプの方は お財布は 機能一本で選べるのだとか。

私 きっと 多くの 右左脳タイプの方は お財布選ぶのも 機能もあるけれど きっと 自分が好きかどうか、人の目にどう映るか。というように選ぶのではないかなぁ・・・。と そこの違いが それぞれのタイプであるんだ。ということが発見でした。

自分の思考回路 行動パターンを 整理して 人が主役になり 生活を効率化してゆく。ということに 興味を持ちました。

で・・・ 一級の講座も 受けてみることにしました。

18時間なので 9月 10月 11月 と 時々 水曜日不在にしますが 思い切って 行ってきます。

一級の検定 なんとか合格出来たら 何かもっと皆さんにお伝え出来るかもしれません。

 

サラダの味

サラダを作ることは、夕食時、当たり前のこととなっていて。

毎日 当たり前にサラダの一皿はある。 そんな習慣がついてしまったのは おそらくカナダ人と暮らしているからだと思う。

気負わなく なんでも サラダの材料になるのだ。

ほうれん草の茹でた残りがあれば それと、茗荷や アルファルファとかいうあーゆー野菜と組み合わせて ドレッシングは その時の気分で 大体は塩とお酢かレモンの汁、そして そこに オリーブオイルと菜種油を組み合わせたもので シャカシャカと混ぜてゆく。

このドレッシングは多めに作っておいて 保存して 使う。という方もいるが 私は その都度 その時の気分で作るのが好きです。

たまには 梅干しと 菜種油だけというようなときもあるし。 塩と油だけの時だってある。

で・・・ 昨日 夫から絶賛を受けた サラダの味があり、ここで それを お伝えしたくて書きました。

塩。 これは あくまでも 天然塩の方がよいと 頑なに 守ってきた私でしたが

ふと・・・いただいた おにぎり用のお塩というのがあり、こちらを そろそろ使い切ってしまわないと。と思って

こちら 写真のお塩を使ったのです。 いわゆる 調味されたお塩 ホタテの出汁や そういったもので うま味がついた味。

それを レモン汁 絞ったものが 冷蔵庫にあったので それを混ぜて いつものように オリーブ油と菜種油を足して 混ぜてゆきました。

そこに 昨日は セロリときゅうりと茗荷を千切りにしたものと レタスをちぎったものを 手に一握りずつ 小刻みに合わせてゆき 味をなじませてゆきました。 ここで 一気にドカッと 入れたり サラダそのものに ドレッシングをかけて 終わりといういよりも 私は この ドレッシングしてゆく 野菜にドレッシングを 着せてゆくような感じのサラダが好きです。

ワインビネガーも レモンや リンゴ酢の代わりに使っても美味しいですし。 自分は レモン汁とリンゴ酢を足した味が好きです。

サラダは その時 冷蔵庫にあるものを合わせて作る 野菜を 食べやすくして ドレッシングを着せてあげる感じ・・・とすると 気負いなく 美味しく野菜を食べられるかな と・・・ かぼちゃをサラダに入れるときもあるし フランス料理のフルコースに出てくるような 洗練されたサラダも 素敵ですが 私のは あくまでも 北アメリカの流れが入っているのかな・・・ 豆を入れたり ときには ちくわだって入れたいくらいです。(あまり夫には評判良くありませんが)。

この 調味塩 これからは サラダに積極的に使ってゆこうと 昨日開眼しました。

銀行での後ろ姿

夏がくる度に 心を鬼にして捨てなければいけないもの。 それはくたびれる直前の下着。と・・・踏ん張る自分がいる。

色々と、取っておきたい理由はある。 それなりに高かった。とか、あの 憧れて買った ワンセット。とか・・・ そりゃ 色々とある。

しかし、くたびれた下着は 心を鬼にして捨てねば 他の多くを失うことになるかも・・・なのだ。

時に、銀行のATMで 夏服からはみ出して見えてしまう ブラのストラップがみえている人がいる。 それが みせられるくらいの可愛い素材だったり ファッションの一部になっているのなら みていて心地は良いが 大概に 色が退化しているとか ゴムがくたっとへたってしまっているとか。 そういうような人が多いような気がする。

こりゃ・・・自分も気を付けなければならないなぁ・・・。と 自省の思いを持ちながら 後ろにいてしまう私。 そんな私も ジーンズのベルトの部分が なんと破れていて その隙間から 下着がみえているといった人であったりする。後ろの人は みっともないなぁ この人 と きっと眺めていたのだろうな・・・と トホホと苦笑い。

銀行ATMでの後ろ姿の自分。を 毎日意識して 一日を送ったのなら 相当 意識あがるだろう。と 思いながらも

この銀行のATMで 平常であり、後ろ姿にも自信をもって 毎日の生活にも気を配り という雰囲気、存在感を示される人は 相当毎日を充実して 申し分なく幸せな人なんだろう。と そんな後ろ姿を魅せる人が時折いる。

後ろ姿は けっこう 多くを語ってくる。 それが 通帳やお金の扱いのある 銀行ATMだと尚更なようである。

 

部屋着のおしゃれ

すっかり ツモリチサトさんのパジャマのファンになってしまった自分です。

7月にバーゲンの頃、またいそいそと買いに行こう。と、それが ここのところ唯一の楽しみにしていること・・・という

まぁ 物悲しい人生っていえば それまでですが・・・

この パジャマをうまあく部屋着に仕立て上げられる 技というものを テレビをみていて おおお🌸と 発見したことを ここに一つ。

カナダのコメディアン俳優の大御所 ユージン・レヴィとその息子、ダン・レヴィ原案の Schitt’s Creek というコメディ・ドラマを観られた方は よく解ってくださるかと、思います。 観ていない方 ぜひぜひ ご覧になってみてください。

私は 個人的に 大大大好きな番組です。

この番組の中で お母さん役のキャサリン・オハラは、 元昼ドラで活躍した女優で レンタルビデオチェーン店を経営する夫と2人の子供をもうける。 が、セレブな富豪一家(北アメリカには レンタルビデオ チェーン店で長者番付にのれる時代があったのだ)は、ビジネスパートナーに騙されて破産をしてしまう。仕方なく引越しした先は、以前息子へのプレゼントとしてジョークで買った小さな田舎町シッツ・クリーク。そこの古びたモーテルを拠点に一家は再起を目指すといったストーリーで。

なんとも ほんとに笑わせてくれる番組なのだ。

で。この番組でのキャサリン・オハラは 元女優 いや まだ再起を図り続けている女優で、妻で母であるという役どころ。

彼女のファッションは 相当、自律神経が乱れている人のもの・・・といった感じで。

お洒落なのだけれど スーパーエキセントリックな服装を これ きっと ダン・レヴィのコーディネートなんだろう。 面白くって 参考にはならないが 目が離せない。

ではありながら・・・

彼女のファッションは みるぶんには面白いが 取り入れることは 普通の人は相当むづかしい。といったもの。

が。

彼女の 部屋での服装が これは 私でも すっごく 参考になるな。と思えたので ここに一つ。

安モーテルの部屋を 長い間の仮住まいとして住居とするその一族は、身に着けるものはハイブランドでスタイリッシュということは最初から一貫して崩さない。で・・・番組の回数があがるうちに そのモーテルの部屋も それらしい ハイエンドな雰囲気に包まれてくるから不思議。

 

キャサリン・オハラ演じる モイラは 室内着。 夜のファミリーでの家族会議の時などに、パジャマは必ずシルク素材のもの 大きなドット柄(水玉模様)とか ストライプとか 真っ黒の光沢のいいシルクに白の縁取りがしたものとかを身に着ける。 そこに そこに 同じくシルク素材のジレ・・ベストというの?チョッキというの? そういったものをピシッと身に着けて それはそれは 美しくきまった部屋着にするのだ。時には そこに なんとも魅力的なコサージュや ビジューをつけたり。遊び心が可愛い演出。

シルクのパジャマを 美しい部屋着に変えるテクニックには 目からウロコ❣ でありました。

これ 使えるよ。 いや 取り入れたい! と 直球で思いました。

私の場合は パジャマとしてシルクシルクはあまり好きでなく シルクコットン というのかな? あのツモリチサトさん独特の素材。 それに アーガイルのカーディガンをはおったり、 そのうち 裁縫を得意とし最近副業にもしている友達に いかすジレを作ってもらう予定で、それを 羽織、夜の時間を過ごしたり 朝だって  それでコーヒー飲んだり、食事したっていいじゃないか。と もう楽しみ。

要(かなめ)は、 パジャマをだらしなくみせないこと。なんだ。 このコーディネートは すごくいいなぁ。と

この夏、シルクのパジャマも 探してみようかな。と思わせてくれるような そんな 本当に素敵なんです。

ぜひぜひ ご覧になってみてください。

汚れやすい 白いシルクのパジャマを勇気を出して買ってみて そこに黒のかっこいいジレを ピシッと着たら 汚れることも怖くなく コーヒー淹れられるし、 下手したら (これは無理かな) ちょっとゴミ出しまで行けるかな?なんて 考えています。

 

自負と自尊心

このフィルムに出てくる二人の女性と、絵付けの陶器や絵は、Thompsonの大祖母と、大叔母にあたる彼女たちの作品です。

Thompsonの祖父の母親、Emilyとその姉であるElizabethは 10歳と13歳の時に孤児となります。

彼女たちの両親は 南北戦争に夫が参加するためにイリノイへと渡り住みました。母親はその時に身体を壊し、27歳の若さで亡くなります。

それからしばらく父親は男手で二人の娘を育てるのですが、南北戦争の最中、一人の兵士として参加しながら娘二人を育てることに限界を感じたことと、また、自分自身の命も長くないと悟り、父親は二人の娘を、母方の親戚へとあずけます。 それで カナダへと 幼い二人は肩を寄せ合い、長い長い時間をかけて、アメリカから渡ってくるのです。

そこで 初めての 身を寄せる家庭で、思いのほか彼女たちは大切に育てられました。

姉のElizabethは活発で、利発。 容姿の美しさは妹のEmilyのほうに多く能わってしまったようですが、二人の姉妹は仲良く、そして固く結ばれた絆で、1880年代から1900年代の大きな時代の流れに、押しつぶされないように生き抜いていくのです。一度本当の親から違うところへと引き取られ、またもや 最初の親代わりの方が亡くなり、次の人たちに引き取られます。ですので2回彼女たちは保護者を失くすのです。しかし、幸運なことに 実の母親が残していったものと、この最初の母方の人のまとまった遺産が、彼女たちにアイルランド貨幣で残りました。その遺産は法に基づき、彼女たちが最終の教育を得る年齢になるまで、しっかりとした機関で管理されます。

そして 2回目の養父母になってくださった方々のところに身を寄せる頃には、二人は若さと、世の中を渡って行ける知力を持つ年齢となっていました。

二人は、おそらく 色々と相談をし、悩み決断をしたのだと思います。

妹のEmilyは、絵付けの道へ。 そして姉は 水彩画の道へと 専門の進路を決めるのです。

ちょうど その 1800年代が終わろうとしている時代は、クロードモネや ゴッホといった そういう画家たちが世を去ったあたり・・・

芸術が、まだ 一般の人々にとっても生きてゆく手段に結びつきやすかった時代だったのだと読み取れます。

親のいない女性二人が選んだ道として、手にした遺産を賢く遣い、自分たちの生きる糧にできるようにと きっと 手と手を取り合って離れることなく 必死に生き抜こうとしていたのだな。と彼女たちの残していったメモや手紙や また 家族内での思い出話を寄せ集め、想像が出来ます。

彼女たちは とても賢く 世の中を渡っていたようです。・・・と、いうのも いい人たちに囲まれて 若き日々を過ごしていたことが 色々な写真や文からわかります。

写真からの様子でみてとれるのですが、威厳を崩さずに、自尊心を大切にしながら いい品物を身に着けているのです。身繕いの費やし方を知っている。Ladyというのでしょうか。 決して馬鹿にされない、低くみられない 女性なら、すきをみせない着こなしというのかな・・・。そういう 美しい二人姉妹という様子で 紳士的な人たちに囲まれて写っている写真とか。 孤児であった二人がここまで しっかりとした存在でいることの方に 私は 不思議さを感じ、もっと この二人のことを知りたいと思ったのが 今回のこのフィルムで表現をしました。

そして 妹のEmilyはカナダの銀行員と結婚をします。その時に、その時代の特徴ですね。第一次世界大戦が始まる前あたり 1900年代前半には そういう方も中にはいたかと思うのですが、 妹の結婚ではありながらも、姉も一緒にと 結婚先の離れに 姉も住むこととなります。 常に一緒に生きる。と 誓い合った二人は そういう形をとりました。

Emilyには 男の子が一人出来ます。 それが Thompsonの母の父親。つまり祖父です。彼が10歳の時に Emilyは結核で亡くなります。

それ以後、姉であるElizabethが 母親代わりとなって彼を育ててゆきます。 その幼い男の子が成人し、妻をめとり、トンプソンの母親が生まれてからも彼女が16歳になるまで アント ナニー (Elizabethのあだ名)として79歳でこの世を去るまで、 トンプソンの母親のその一家と暮らします。トンプソンの母親にとっては実の母よりも あらゆる面で大きな影響を残してくれた人だそうです。

絵を描くことを生業として、そして 色々なことに長けた女性だったそうです。 あの時代に高価なカメラを購入し、写真を撮るために自転車を乗り回し、画の材料にするようなものから 他のことも仕事としていたのでしょうか、自立の道をしっかりと歩く活動的な人でありながら、また エチケット ハウスキーピングの基本 また Ladyとしての在り方も美意識高く持っていました。それらを のみこみがよく 気立ての良い 可愛い姪に 懸命に仕込んだのだと思います。

わたしは 時々、トンプソンの母の佇まいに触れるときに・・・・ カナダの田舎町で、その頃は農業をしていた両親のもとで育ち、どうして この人は こんなにエレガントなのだろうか・・・ 何が彼女をそうさせるのだろう。 自分で学び取って身に着けていったのだろうか? と不思議でなりませんでした。

その蔭には、Aunt ナニー Elizabethの存在があったのだ。と、義母が亡くなり、彼女の日記などからそういうことも知ることができました。

自負と自尊心 その二つは あまり強すぎても 困りものでありながらも

自尊心を失くすと、女性はたちまちに流され 下流に落ちていってしまう・・・と 激動の時代に、必死に流されまいと 二人で手を取り合って生きた 姉妹の健気さが 絵からも 伝わってきます。

我が家には 実は トンプソンの父方の祖父が アメリカで、少し名前を残した画家だったので、彼の作品が数点あります。聞くところによると 価値のあるものらしいのですが、 でも 私は 彼女たちの この ちょっと優し気で 素人っぽいタッチでありながらも 健気なタッチが すごく好きなのです。 正直 彼女たちの作品に癒されているな・・・と思う自分がいます。

土地

土地の持つ力。 というものは、あるのでは、ないかな。と、思う。

地縛霊までは いかないながらも、 その土地の持つ雰囲気、性質といったものは 当然 その土地から湧き上がってくると信じている方です。

去年、ある土地に縁があり、購入をしました。しかし、そこに行き着くまで、色々な土地をみて それはそれは長い長い旅路がございました。

まずは カナダ人である夫が 身の程知らずにも 界川にある土地を見つけてまいりまして 私を連れてゆくのです。

その土地は確かに カナダの実家の様にはいかないまでも 自然を背景にした 夫好みの土地でありました。

私がその土地を見たときの最初の印象は 素敵な土地だけれど造成にお金がかかりそうだな・・・と、この土地の上に家を建てていざ住むとなったら その空間は品よくまとめないと合わないだろうな・・・。私はもう少し 元気なエネルギーに満ちた空間が好きなのにな。・・・と思いながらも 彼の熱意に引きずられるように、長い間お付き合いのある不動産屋さんのM氏に その土地の相談をしました。

普通の不動産屋さんは市場に出ていない土地を調べて、持ち主を探し当てるというようなことはしません。

が、M氏は その売りに出ていない土地の持ち主を どんどんと探し当ててゆきます。

そうすると その土地は いまから30年以上前に東京から**省事務次官としてやってきた方が購入されたことが分かり。そうなるとその後のことは、いまのインターネット情報時代 次々と分かってまいります。

その方は札幌を後にしばらく**省に在籍され。その後は九州のある県の知事、そして一番最近の情報では生まれ育った場所近くの街で市長となられ。それを最後に公の情報は途絶える。

ゆえに現在住んでいられる所を辿ることも出来ないのか・・・連絡もつけることは難しい。と、なると・・・あの土地とは縁がないんだな。と、それでも市長の再当選を逃したK氏を応援する後援会なるところも 細々だが 数年前までは活動していたらしい・・・そこに連絡をつけるべきか。などと 考えあぐねていた。

ら、M氏から電話が入る。

「あつこさん、K氏(その土地の持ち主)が 住んでいる場所、大体わかったから。ボク 来週あたりそこに行ってみるよ」

「え? 行ってみるって Mさん。 飛行機に乗ってわざわざ行くの?(神奈川県のベイサイドと呼ばれるあたり)」

「うん だって 電話番号も調べられないしさ そうなると現地に行って 訪ねてみるのが一番手っ取り早い」

「ええええ!」と 驚きながらも

M氏を見送る私。

で なんとか連絡先を探り当てられたのは ***市の市長を終えたそのK氏は、少し離れた一家の本来の地元である町に戻られてた。そこにはK氏一族の不動産、何棟もの物件や土地があちこちにあり、そこに K氏の名前と電話番号が看板に大きく表示されているのだという。

グーグルマップでそれらしき場所を検索した際に、K氏の持ち物のアパートが写り、ものの知らぬ私など、あのようなキャリアを持った人が、こういうアパートで余生を送っていられるということは きっと 市長の座を若い候補者にとられたことが痛手となり すっかりと世を嫌い、世間から身を隠して住まれているのだろうか。・・・気の毒に・・・などと 思っちゃったりし、早合点・・・ どうか Mさん ご本人にあっても あまり ずけずけとしたことは言わないように。なんて釘を刺すなどしたりして。

ところが、現地に行ってみると、それはそれは その町はK家王国ではないか?というような有様で あらゆる場所がK氏の不動産であった。 私たちがたまたまグーグルマップで目にしていたアパートの近くにはK氏の立派な邸宅があり、そこから出てきたご本人に会ってみると、失脚した元政治家、落ち武者のごとくアパートにひっそりと身をひそめ・・・ なぁああんて勝手な私の想像は ばっかじゃないの?と一笑されるくらいの もう現役バリバリ 活力に溢れた大変魅力的な人物であったらしい。

が、結局 その土地は M氏が2度にわたって交渉のために札幌から神奈川県まで足を運んでくださったにも拘わらず、私たちとは縁がなかった。

色々と奔走してくださったM氏と お酒を酌み交わしている際に 普段は仕事のことの後追い三味線(恨み節)をせぬM氏が

「結局 Kさんは 官僚上がりの そういうやらしさ まぁ ああいう頭の良い人っていうのは 決して情では流されないからね。それが ああいう人の生き方なんだし 僕たちが あれこれ言う問題でもないけどさ、あまり いい感じではないね」

「ごめんね・・・ Mさん 実に申し訳ない Mさんには 多くの負担 そして 労力をかけてもらったのに・・・ 本当に嫌な思いをさせちゃって。本当に申し訳ない。この恩は必ず お返しします」と 新たなる 土地探しの意思表示をする私。

・・・と、 それからしばらくして M氏からの電話が鳴る。

「はいはい」と私。

「あつこさん、いやぁ びっくりすることがあってさ・・・ 今回は電話したの」と M氏。

「あの界川の土地あるでしょ。ボク たまたまね あそこの土地がよおおく見える人から仕事を頼まれたんだ。で、今朝 その人の住むマンションから その土地を指さしながら “いやぁ ボク あの土地、売りに出ていない土地を買いたいって人がいてね でも結局だめだった”って話を、何の気なしにしたの。そうしたらね そのお客さんが “Kさんの土地ですよね”って、おっしゃるんだよ」

「え?すごい偶然」と私

「いやいや そんな偶然というよりもね。その人、Kさんが***省の事務次官として札幌にやってきたときに、Kさんの奥さんとテニスクラブでお友達になったんだって。で、その人が言うのには Kさんの奥さんは この世の人とは思えないほど美しくってそれはそれは 知的で あんな女性初めてみた。っていうほどの才色兼備だったらしいよ。が・・・ね ここからなんだよ。30代で早死にしたらしいね。で・・・あっ・・・そうか って 合点がいったんだ。 そういうえば Kさん ボクが “Kさん、そんなに手入れ(伐採などの手入れ)がかかる土地で、お住みになる予定がない土地でしたら、これを機にいかがですか?と言ったときにね。一言さ こう言うんだよ。“分かっているんですがね・・・まだ 売る気になれないんですよ・・・”って」

私は その言葉を聞いたときに あの土地の持つ様子について・・・理解できた。

その上の建物暮らし方は、品よく暮らせる人が似合うだろうな。と感じたことは間違っていなかったのだ。

東大法学部を卒業し、***省官僚のエリートコースと・・・ そこへ 資産を持つ美しいお嬢様との組み合わせ。かつて都会でよくみられた 私たちの両親世代からいまの70代くらいまで続いた、能力高い男性の多くが辿った いわゆる逆玉といわれる結婚の形。またもや 私の勝手な妄想であるが、美しく聡明なお嬢様と若き日のエリートとの組み合わせは 周囲の多くの人々の目に幸福感を与えたのだろうな・・・と。

残酷にも、その美しく多くに恵まれた女性は、30代という若さで病気のために早逝される。30代ということは 札幌を後にしてすぐだ。

あの土地は奥様が好きで好きで買った土地だと その札幌でお友達になられた方がおっしゃっていたとM氏は教えてくれた。

余談ながらも 世間とは狭いもので、その札幌のお友達は私の母と知り合いというのにも驚いた。

初夏の風がそよそよと吹いている日に その土地の前に立ってみたことがある。

いい土地だな・・・と思った。 けれど なぜだろう どこか寂しそうなのだ。

この土地に建つ家を 頭の中で 描き始めた。

静謐な佇まいに、きちんと整えた暮らし方。硬質な家具が似合いそうな家になるな。と 思った。

残念ながら 私たちの 暮らし方じゃない。 どこか にぎやかで 色々な人がやってきて 出入りしてもらって、居心地の良さそうな椅子の上で お行儀悪く座っても許されるような家・・・が 私たちの身に着いた暮らし具合だ。

この私たちの身の丈に合わなかった土地は 30年以上もひっそりとずっと変わらずに札幌の四季を見続けている。ぽっつりと静かに 毎年毎年、雪が降りしきるのをみつめ、春の芽吹きを待ちわび、束の間の夏の心地よい風に身を任せ、そして秋の寂しさを孤独に受け止め繰り返し過ぎてゆく月日を眺めている。

 

その話を聞いた後、一人で また その土地の前に立ちそんな感情移入を勝手にしてしまったせいか 少し涙が出た。

早く この地に 素敵な家が建ちますように。相応しい人たちと出会い、人間の力と 土地の力が 融合しあえる そんな姿をみれますように・・・と そう願いながらその地を後にした。

 

お茶を一服

九谷のお煎茶セット けっこうな骨董のものを 親戚から受け取りました。

ここ最近、不思議な事象にみまわれています。

金銭そのものは 私のところにはまったく流れてきませんが。

その昔 繁栄のときを刻むことの出来た家の(現在は残念ながら没落したことに。家そのものがもう跡形もないわけですから)  その 栄華の名残りのような品物を もって嫁いだその家の娘たち 私の叔母や 大叔母たちが 身辺整理を始める年頃に。

その際に なぜか 私のことを思い出してくれるらしく。

めぐってやってきます。

最初は 困ったなぁ・・・と、特に着物(和服)など 大量にやってきたときは 途方に暮れましたが、 でも 物を整理したり きれいにして使おう。大切に ものに喜んでもらおう。と 気持ちをかけると 物が輝くような気がします。

そして 何より 一服される生徒さんの 美味しい の言葉が励みになります。

エレガント 

エレガントとはなんぞや・・・と、フランスにまつわる本なんかに出てきそうな課題であります。

このエレガントという言葉をなぞっている時は、どういうわけかわたくしの場合、インターネットで中古物件を観覧している場合に多いのです。

この中古物件、特に家具などが置かれていて 生活がありありと伝わってくるようなものを見るのが すごく好きであります。

それらをみながら、ううむ エレガントとは お金だけでは買えないもので また お金とうまい具合に相乗しながら鍛えられていくものでもあるのだな。と 強く思うのです。

1億円以上の物件の中には 頭をふりたくなるほど エレガントなものもあるし。こんなん・・・くれる。と言われても 欲しくないなぁというような 悪趣味の家もあるし。はたまた 何の記憶も残さないような 住まい方もある。と。

その逆で 2800万円くらいの値のついた物件で、住まい手のエレガントな暮らしぶりが 毎日の空気の粒子の中あちこちに美しく残された家もあります。

使い手によりそった形でカスタマイズされた台所。ここにこんな工夫をしたら暮らしやすいだろう。と金づちと釘で作った棚や、心地よく配置された趣味の良い家具。そして優し気に扱われた諸々の形。ときには小さな庭と出入りの出来る扉が台所からの動線に美しく設置されたりしている。

そして 2億円以上のものの中で、おそらく音楽関係の仕事の人の家だろうか。中目黒という洗練された街に建つその家には防音装置のついたオフィスめいた部屋が地下にあり、エレベーターがついていた。西洋式(トイレ、洗面台と共になった)のバスルームも各階につくられた個人部屋に其々設けられ、最上階のリビングルームには目の覚めるようなブルーのゆったりとした長いソファが曲線を描くように置かれ、それをピリリと引き締めるように幾何学模様のクッションがすてきなアクセントととして散りばめられていた。壁面はセンスの良い写真や絵で飾られ、ここで この家の人たちは 本当に寛いでいることが伝わってきた。きっと きちんとした出で立ちで。

そしてリビングルームの階下には食事室があった。食事室と呼ぶのに相応しいような作りなのだ。 台所は 対面式でもなんでもなく 料理をするためのオープンな部屋であり、そして 食事をするテーブルは 食事をいただくためにある。といった具合だった。 洗濯室や、なんとメイドルームというものまであった。 室内から床と同レベルのウッドデッキをつけた半室内ともいえる庭(バルコニー)に出れるのだ。その箱庭が えらく美しかった。

この洗練された エレガントな家は、色々なものを見聞きし それを仕事にし経験し、大きなお金に縁を持てた人が住んでいるものであるのは インターネットの画像からも伝わってきた。

美しいなぁ・・・とため息が出た。

残念ながら 私がこの人のインテリアの何か一部を真似したところで、まったく このようなエレガントな空間は作り出せないことは一目瞭然であり。 私には私にしか出来ない暮らしを コツコツと積み上げてゆくしかないことを 思い知るだけなのだ。

けれど

精一杯の衛生管理と、少しずつ少しずつでも 美しいものに向かって 生きてゆこうとする姿勢の中でエレガントという言葉はもしかすると宿ってくれるのかもしれない。と 思えた。

10万円を出して 一人かけのソファでも それは 素敵なものもたくさんあるし 高級品の部類だと思うが・・・なぜか ビビビッとくるものはないように思うのは私だけだろうか。

私は 私が20代の時に買った 店じまいセールで買い求めた28000円のソファが 死ぬほど好きであり、買った当時から表情のある家具だなぁと愛しく思っている。

この一人掛のソファは私の体の一部と言っても良いくらい。一緒に色々なところに行ったし、生地を張り替えたりして大切に使っているもので死ぬまで使おうと決めていたものである。

が、なぜに ここで 過去形を使ってしまうかというと。

いま このソファをぜひ交換してくれないか?とある人に請われているのである。北欧家具の Hans.J.Wegnerとかいう人のデザインしたレザーの一人掛用のフォルムのきれいなソファで・・・。実は上記の10万円くらいのよくあるタイプだったら 即NON! と言えるのだけれど。さすがに 有名なデザイナーさんの作った椅子だけあって 美しいし 座り心地もまるで宙を仰ぐように気持ちが良い。 ううむ 悩ましく いま 毎日 葛藤しながら 悩んでいる・・・。