身だしなみ

 

髪を切ってもらうYさんとは、かれこれ 数えてみると15年くらいのお付き合いになる。

彼が50になるかならないか。で 私が30代の後半といったくらいに知人の紹介でお願いしたのが始まりだった。

15年間 多い時では毎月一回はヘアカットをお願いしていたのだから いいだけ その人のことを知り尽くしていてもいいはずなのに。

私たちは 最初の数年間 見事なくらい話すことがなかった。

職人気質のYさんは、今でこそ やわらかい雰囲気になったが、出会った頃は 話しかけられないほど 髪を切ることに集中していて 下手に話しかけて その集中力を乱すことなど小心者の私には、恐ろしくて出来なかったほどだ。

また 私も 話すことに熱中して手がおろそかになる髪結いさんより 無口でも手が動いている人の方が信頼できたし。何よりかにより 彼のカット技術は 自分にとっては最高峰だと感じている。

そんな 言葉を介さない間柄の 私たちは いつもの。 了解。 と  そんな言葉だけで 常に済んでしまうのだけれど。

昨日、たまたま 女性誌をパラパラみていて 歴史に残る 三人の女性のファッションアイコンの写真が数枚載っていた。

まずは 女性に根強い人気の ジェーンバーキン。 あの エルメスのバーキン を有名にしたフランス(イギリス出身)の歌手であり女優。 自然体の着こなしが得意で 白いTシャツにジーンズに海風にさらされたような風貌が素敵。

そして ジャクリーン ケネディ(オナシス) は あの大ぶりなサングラスに ストレートなラインに見えながらも 繊細な裁断で仕立てられたシャツや太目のパンツが ラグジェリアスな スポーティさを魅せている。

もう一人は オードリーヘップバーン。 ティファニーで朝食をの時のものかな? プチブラックドレスにジュェリーをきちんとつけて、髪を結いあげて、ハイヒールを履いている。 上の二人の服装に比べると、従来の女性らしい装い。

最近 ぽつりぽつりと話をするようになったYさんにおもむろに私は、こう尋ねてみた。

「Yさん、この3人の着こなしの中で どれが一番 Yさんなら 好み?」と。

Yさんは 60過ぎのおじさまである。ファンキーなTシャツに 夏は ショートパンツ 冬はハード仕立てのパンツ。といったスタイルの人だ。 ジェントルマンスタイルの人ではない。 ゆえに 私は 自然に ちょっとボヘミアンなジェーンバーキンスタイルの人を選ぶと思っていた。

が。

驚いたことに 指で示したのは きれいにきれいに仕立て上げたという感じの オードリーヘップバーンの装いを選んだのだ。

「ブッ」と 失礼ながら 私はむせてしまった。

「・・・ ちょっと Yさん・・・ この際だから もうちょっと尋ねてみてもいい? Yさんの好きな女優さんって・・・オードリーの他には、いったい誰?」と 私は 笑いを堪えながら 興味をもち聞いてみる。

「ん? ぼく? カトリーヌ ドヌーブ・・・が・・・好きかな」

「カ カトリーヌ ドヌーブ? って Yさんって ちょっと もしかして すっごく 分かりやすい 美人が 好きな人だったのね(笑い) ごめん 笑っちゃいけないけれど なんか なんか ね 結びつかなかったものだから。 ってことはよ ってことは・・・ 日本の女優さんなら あの若尾文子なんて すごく好きなんじゃない?」と 私が 失礼にも大笑いしながら 言うと。

強面の顔を ポッと赤らめながら。「もう ばっちり・・・」と恥ずかしそうに答える。

私は この瞬間に そうか と あることを悟りましたね。普遍的なものを。

どんなにファンキーな格好をした おじさんも きれいな女が好き。ということ。

この きれい というのは、生まれ持った容姿のことだけではなく。

汚いスポーツシューズのプレミアム物をありがたがって 履くといった ひねくれた感性ではなくて

普通の靴でも きれいに磨いて履くといった 分かりやすいきれいさの女らしさ。とか・・・

体の線を男っぽいラインで かっこよくみせようとするよりも。 既に持っているものを大切に引き立てようとする素直さとか。

ジェーンバーキンのような洗いざらしの雰囲気も 20代 30代最初頃までの年代なら 賛美されるものに映るかもしれないが Y氏は60過ぎのおじさんである。と、なると いくら 若いほうに目が行ったとしても 同世代は 50代以上になってくる。 白いTシャツと そのまんまのジーンズが似合う 50代というのも いることはいるのかもしれないが まず 大体は ちょっとくたびれた印象を残してしまうのは避けられない。はず。

それを鑑みて、分かりやすい きれいな身だしなみを重視した装いを よし。とするY氏の 答えは すごく自分の合点にいくものだった。

多くの人が 50代になったとたん 何を着ていいのか分からなくなった。これまで似合っていたものが 突然似合わなくなった。と 嘆く理由は ここにあるのかも、しれないな。 と そうか・・・と思う。

クローゼットから おもむろに出して ひっかけるように着ても なんとか様になったものが 似合わなくなってくるのが 残念ながら50代なのだろう。

和装をするように、仕立て上げるといった匙加減が必要な年代だというのに。

私を含め どれだけの中高年が きれいに仕立て上げようとする毎日の身だしなみを怠っていることか・・・と、Y氏の 独り言のような呟きが 耳に残る。

「ボクは、ヒールを履いた女性の方が 好きかな・・・どちらかというと・・」

私は自分の足元をみた。 ああ 今日は 街を少し歩くから ヒールを履いてきてよかった。 と いつも車なので移動の際のウォーキングシューズ や フラットなものが段々と増えてきているな 最近・・・と ひやりとした。 このセール時期に 自分に合う木型の店で 8センチヒール いや 6センチヒールを新調しようかと思い立つ。

桃井かおりのような魅力もおじさま方には受ける一方で、身だしなみを整えてゆくという 分かりやすい女性らしさも不動のものなのだろうな。と あれこれと 冷静に考えてみていた。

お洒落よりも 身だしなみというものを もう一度 考えてみようと 思えた Y氏との語らいだった。

真似したいこと

冬になり、多くの人が行き交う街の大型書店で気の付いたことがあった。

BO Body Odor いわゆる 体臭というの? 衣服についてしまいとれなくなるようなレベルの、言ってしまうと不愉快な匂い。

あれは 夏ではなく 冬の時期に気を配り、エチケットとし注意を図らねばならないものだったのか。と。

そうか。 冬のコートは毎日洗濯できるものではない。意外と汗をかく。ましてや子供などは外遊びで汗をかいたものを冬の間中、洗いもせずに着てしまうケースがある。防寒用の服を洗いもせず、風も通さずいる結果の匂いがそうか これなのか これなんだ。と 真冬の札幌市のと、ある大型書店で気づく自分の鼻は、東京に行ったばかりの19の夏、満員電車でのそれと同じものだった。

嗅覚の悪い自分がそういうのに気づくことは滅多にないのだが これは 自分自身気をつけねばならないなぁ・・・と 自分のや同居人の防寒ジャケットも、裏返しにして風にあてたり 洗うことは出来なくても 裏側をデリケート衣類洗剤を薄めたもので拭いたりと。やっているうちに

これって 家だけではなく どこかで コートをかけるときも 同じように裏返しにしてかけてもいいのではないか? と 思っていた矢先。

Thompson Internationalに札幌で有名な建築家の方がおみえになっている。

もちろんお仕事柄お洒落な方ではあります。そのうえに その方はいつも自然に自分のコートをスクールにある一畳ほどのクローゼットにかける。 そのコートに昨日何気なく目をやると なんと!仕立ての良いコートを裏返しにかけてあった。

おおお! これでいいのだ。 冬はこれでいこう。と確信しました。

昔 お茶の先生に、よくたしなめられたことを思い出した。 まず風呂敷をもっておいでなさい。

その風呂敷に自分の身の回りの物を包んでから それから ご挨拶です。と。

そーだ そんな教えもあったよなぁ・・・と、身についているのか身についていないのか あやしいもんだと反省しながらも。

気の利いたレストランに入ったときは まず コートを脱ぐ、または脱がせてもらう。そして お店の方に 必ず 預ける。 どこかへ行った際も コートをかけるところがないか。 それをみれるようになれたのは、あの教えのおかげであるの、かもしれない。

あの方は男性だというのに、この作法に加えて、コートをさらりと裏返しにしていることに いやぁ さすが 一流といわれる方なんだなぁ・・・と 昨日は改めて感心してしまった。

コートを裏返しにする。ということは 上記の問題も緩和できる・・・かもしれないし。それに 隣の人のコートが当たっても 自分のコートの表生地を傷めない。という 昔の知恵もあるのかもしれないな・・・。と考えさせられた。

まずは掃除しよう

人の目には ピエロが住んでいるような家に映るかもしれないし。

ごちゃごちゃして掃除しにくそう と思われる方もいると思う。

でも 自分にとっては この空間が 現在のところ 一番落ち着く。

自分は マメで丁寧な暮らしというのは 向いていなく。

あまり きっちりしすぎると 居心地が悪い。

そして 不思議な事に 張り切ってこの部屋のために買ったというものが殆ど無く。 いつのまにか 集まっていたものたちを 一番 伸び伸びしそうな場所に置いている。といった感じがする。

ランプも 旅行をしていて いいな と思うものを その都度 持ち帰ったものたちだし。 家具においては 実家やトンプソンの家から流れてきたもの トンプソンが作ってくれたもの。 ひとりがけのソファは独身時代に買ったものを生地を張り替えて使っている。

そして

整理することは大切なことだったのだ。ったのね・・・

至極 遅い発見だったけど、やっと やっと 分かったのだ。

 

何事も整理のあるところに 成就が宿るのか?・・・ということが。

整理整頓のできている家に幸せが訪れるということは 風水からなる考え方や 近頃の(ちょっとやり過ぎな感もあるが)断捨離考でも 何度も 唱えられている。

料理も 段取り、片付け、手順の整った仕事から 美味いものが生まれるとは 一流のお店や 人気のラーメン屋でも 感激の味に舌鼓をうった時に実感のできること。

衣服も 庭も いや 人間関係だって 挙句の果てには 男と女の関係でさえも 混沌とした中に 整理を求めている人と 求めていない人とでは、何か 微妙なニュアンスでも 出来栄えが違うのではないか??? と 思い始めていたところに・・・

最近になって やっと 勉強というものに 向き合うようになったわたくしですが・・・ 勉強っていうものも そうなんか?・・・と かつて知ることのなかった感触にたどり着いたのだ。 きっと 多くの人達が 高校生くらいでわかることを 50になって やっと気づいたこの感動・・・。

なんだ? なんなんだ?と、結果も出していないというのに 大きく語れないけれど 勉強って きっと その人のやり方で 詰め込み型でも スイスイ暗記型でも マイペース型でも ちょっと苦しみながら自分に合う方法を追求してゆくのが 勉強なのかな・・・と考える。

しかし どの型でも 共通してせねばならぬことが 一つある。

それは 勉強してきたことの 整理をしてみる。ということなのか?

これの 上手い人が 結果を出す。 ってことなのか?

言い換えると 整理をしようとすることは、それまで 積み上げてきたものがなければ出来ない。 何もない な〜〜〜んにもないところに 整理という作業は ありえないのだ。

恋愛も 心の整理 情の整理をできるところまで辿りつけた人は 彩りの多い生き方をされてお幸せでしたね・・・となれるが、まかり間違うと 痴情のもつれで事件に巻き込まれてしまった場合だってあるのだ。

衣服の整理も ある程度の 紆余曲折がなければ コーディネートに深みはでないような気もするし。

やはり 積み重ね ある程度の 分量まで到達することはマストでありながらも その中で 見直し 混み合っていたものを ひとまず 整理する大切さは どの分野にもあるのかもしれない。