実力 

一人の人として実力を持っている人って、いいなぁ。と、心より思う。

人を使いこなしてお金儲けがうまい。と言われる人よりも、 ある時 ある日から 私の興味は いや 私の憧れは そちらの方へ向くようになった。

 

なぜなのだろうか。

 

実にシンプルなことで。 そうしている人の方が、安定していて そして やさしくて 楽しそうだからだ。

自分の得意なことをし、躍起に ワクワクと楽しみながら すごい仕事に結果としてなり、お金がついてきている人たちも中にいたりはするけれど。 基本は 今日一日の 仕事をしながら 実力もまた磨きつつ 今夜の飯と酒がうまい。くらいの 生活リズムをもって仕事に取り組むこと・・・と それが理想です。

このお彼岸の連休に、もう 実家のない室蘭へと 一泊でお墓参りに行ってきました。

普段は日帰りなのに 今回は 友達 そして お世話になった方にも挨拶をできたらと 計4名の人たちと再会するにあたり 夜の会食も予定に組み込むことに。 Go toキャンペーンも利用しながらのプチ故郷帰り。

夜の食事に指定されたレストランは、室蘭市をご存知の方ならピンと来るかもしれないが、生活保護区という名称もとるような地区の片隅にあった。

街灯の少ない夜道を歩きながら 私は失礼ながらも こう呟いた。

「Tちゃんさぁ 隠れ家的といえば聞こえはいいけれど・・・ 果たして こんな立地条件の悪い場所でやれるレストランって 存在するものなの?」と。

不安げにたどり着いた先の、暗闇の中で ぼぅっと灯りのついているその店は いかにも 美味しそうな空気を漂わせていた。

え? これって・・・ なんか期待できるのじゃない?・・・と ピンときた。

と 入った店内は 美味しいものが出てくるに違いない。と いうような匂いと そして 計算された寸法でインテリアが整えられていた。 無駄のないレイアウト。これは すごいことだ。と 席に着く。

シャンパンで始まり 3人で一本白ワインを 考え抜かれた構成と技術の料理で 楽しく開けさてもらった。

その夜は私たち3名の貸し切りだったので、店主から色々なお話をきけた。

札幌で 30年以上 有名店でシェフとして責任ある仕事をし、お店を一軒持った後、父親が倒れたことをきっかけに 一年弱前に自宅の一階を改装し、自分で作った料理を、自分一人で出せるカウンター6席のみのこういった店を持ちました。とのこと。

これだけの料理は 正直 札幌でもなかなか おめにかかれないというようなものを 人口数万人程度の、これまたその室蘭市でも えらくロケーションの悪い場所で  本物の存在をしっかりと意識しながら腕によりをかけて仕込みをしている店がこの世界に存在したのだ。

テレビ番組が喜びそうな 絵図だよこれは。と不思議な時空の中に私はその夜、いた。

人を酔わせるだけの力を持つ料理人が、この小さな町の これまた 決して好条件とはいえない街角で店を開こうとするのに かかった時間、偶然に それに巡り合えた幸運に感謝しながら 私たちは 楽しいひと時を持てた。

お彼岸の 祖先のお墓参り。

ご先祖様が ニヤリと笑いながら ちょっといたずら心をしかけてくるようなそんな出来事も もう一つあった。

それは ここでは書けないけれど。

ここ 最近 心より思うことがあって なんか こう ちょっと あちら側にいる誰かが 茶目っ気を出して 自分を試すような出来事って あるもんだなぁ。と 思ったりしている。

東室蘭に行かれる方がいらしたら こちらの お店 お勧めです。

ぜひ。

Multi Purpose Detergent

Multi purpose detergent 多目的用洗剤: 衣服を洗うのは使いませぬが、 ホワイトビネガー と 水を 半々の割合に 私はゼラニウムのエッセンスオイルを 100CC:100CC 合計 ワンカップというくらいなら そこに そうだなぁ 20滴くらい入れるかな。きつく感じる人は も少し減らして。

これ 気を付けて欲しいのが 必ずホワイトビネガーにしてください。 以前ホワイトビネガーの代わりに 米酢を使ったら えらい言われようでした^m^;。

このコロナ発生以来、ずっと火曜日に手伝いに来てくれていたMさんも 収まるまで 少し家で じっとしているようにと ご主人からの指示があったらしく これなくなってしまいました。・・・となると スクールのお掃除は この わたくしの役目。

そうなって 作り始めたのが この上記の割合の 多目的用洗剤です。

もちろん本に書いてあって。あ。これ良さそう・・・と シャカシャカ作って 使用してみると なんともはや 清々しい気持ちにさせてくれるし。なんといっても 手荒れの心配がない。

お寿司屋さんの手が何故にあんなにきれいかというと お酢のおかげもあると聞いたことがあります。

上記の洗剤、だまされたと思って 手荒れに苦しんでいるような方には 大のお勧めです。

スクールの お掃除は週に一回。掃除機をかけて 徹底的に水拭きしてゆきます。水拭きの時に この洗剤を雑巾にスプレーして 拭き掃除をすると 汚れもキリっととれるし、エッセンシャルオイル ゼラニウムの華やかで爽やかな香りに包まれて なんとも Happyな気持ちになります。

ゼラニウムでなくても ローズマリーでも グレープフルーツでもお好きな香りで。

強い洗浄力の化学合成洗剤を使っても ビクともしない手肌の人でも あの類は いつか 手をぼろぼろにしてしまうよーな・・・気がするのですが。

お酢を使ったこの 洗剤は 肌を傷めずに また 家具も 木目も傷めずに きれいにしてくれるなぁ と 掃除するのも楽しくなる優れもの。

ちなみに ホワイトビネガーは お値段がするのが悩みどころですが 大手スーパーよりも 札幌円山地区にお住まいなら あまり教えたくはないですが スーパースギハラさんの あの 輸入コーナーに 少し手ごろな価格で売ってるようです。

身だしなみ

 

髪を切ってもらうYさんとは、かれこれ 数えてみると15年くらいのお付き合いになる。

彼が50になるかならないか。で 私が30代の後半といったくらいに知人の紹介でお願いしたのが始まりだった。

15年間 多い時では毎月一回はヘアカットをお願いしていたのだから いいだけ その人のことを知り尽くしていてもいいはずなのに。

私たちは 最初の数年間 見事なくらい話すことがなかった。

職人気質のYさんは、今でこそ やわらかい雰囲気になったが、出会った頃は 話しかけられないほど 髪を切ることに集中していて 下手に話しかけて その集中力を乱すことなど小心者の私には、恐ろしくて出来なかったほどだ。

また 私も 話すことに熱中して手がおろそかになる髪結いさんより 無口でも手が動いている人の方が信頼できたし。何よりかにより 彼のカット技術は 自分にとっては最高峰だと感じている。

そんな 言葉を介さない間柄の 私たちは いつもの。 了解。 と  そんな言葉だけで 常に済んでしまうのだけれど。

昨日、たまたま 女性誌をパラパラみていて 歴史に残る 三人の女性のファッションアイコンの写真が数枚載っていた。

まずは 女性に根強い人気の ジェーンバーキン。 あの エルメスのバーキン を有名にしたフランス(イギリス出身)の歌手であり女優。 自然体の着こなしが得意で 白いTシャツにジーンズに海風にさらされたような風貌が素敵。

そして ジャクリーン ケネディ(オナシス) は あの大ぶりなサングラスに ストレートなラインに見えながらも 繊細な裁断で仕立てられたシャツや太目のパンツが ラグジェリアスな スポーティさを魅せている。

もう一人は オードリーヘップバーン。 ティファニーで朝食をの時のものかな? プチブラックドレスにジュェリーをきちんとつけて、髪を結いあげて、ハイヒールを履いている。 上の二人の服装に比べると、従来の女性らしい装い。

最近 ぽつりぽつりと話をするようになったYさんにおもむろに私は、こう尋ねてみた。

「Yさん、この3人の着こなしの中で どれが一番 Yさんなら 好み?」と。

Yさんは 60過ぎのおじさまである。ファンキーなTシャツに 夏は ショートパンツ 冬はハード仕立てのパンツ。といったスタイルの人だ。 ジェントルマンスタイルの人ではない。 ゆえに 私は 自然に ちょっとボヘミアンなジェーンバーキンスタイルの人を選ぶと思っていた。

が。

驚いたことに 指で示したのは きれいにきれいに仕立て上げたという感じの オードリーヘップバーンの装いを選んだのだ。

「ブッ」と 失礼ながら 私はむせてしまった。

「・・・ ちょっと Yさん・・・ この際だから もうちょっと尋ねてみてもいい? Yさんの好きな女優さんって・・・オードリーの他には、いったい誰?」と 私は 笑いを堪えながら 興味をもち聞いてみる。

「ん? ぼく? カトリーヌ ドヌーブ・・・が・・・好きかな」

「カ カトリーヌ ドヌーブ? って Yさんって ちょっと もしかして すっごく 分かりやすい 美人が 好きな人だったのね(笑い) ごめん 笑っちゃいけないけれど なんか なんか ね 結びつかなかったものだから。 ってことはよ ってことは・・・ 日本の女優さんなら あの若尾文子なんて すごく好きなんじゃない?」と 私が 失礼にも大笑いしながら 言うと。

強面の顔を ポッと赤らめながら。「もう ばっちり・・・」と恥ずかしそうに答える。

私は この瞬間に そうか と あることを悟りましたね。普遍的なものを。

どんなにファンキーな格好をした おじさんも きれいな女が好き。ということ。

この きれい というのは、生まれ持った容姿のことだけではなく。

汚いスポーツシューズのプレミアム物をありがたがって 履くといった ひねくれた感性ではなくて

普通の靴でも きれいに磨いて履くといった 分かりやすいきれいさの女らしさ。とか・・・

体の線を男っぽいラインで かっこよくみせようとするよりも。 既に持っているものを大切に引き立てようとする素直さとか。

ジェーンバーキンのような洗いざらしの雰囲気も 20代 30代最初頃までの年代なら 賛美されるものに映るかもしれないが Y氏は60過ぎのおじさんである。と、なると いくら 若いほうに目が行ったとしても 同世代は 50代以上になってくる。 白いTシャツと そのまんまのジーンズが似合う 50代というのも いることはいるのかもしれないが まず 大体は ちょっとくたびれた印象を残してしまうのは避けられない。はず。

それを鑑みて、分かりやすい きれいな身だしなみを重視した装いを よし。とするY氏の 答えは すごく自分の合点にいくものだった。

多くの人が 50代になったとたん 何を着ていいのか分からなくなった。これまで似合っていたものが 突然似合わなくなった。と 嘆く理由は ここにあるのかも、しれないな。 と そうか・・・と思う。

クローゼットから おもむろに出して ひっかけるように着ても なんとか様になったものが 似合わなくなってくるのが 残念ながら50代なのだろう。

和装をするように、仕立て上げるといった匙加減が必要な年代だというのに。

私を含め どれだけの中高年が きれいに仕立て上げようとする毎日の身だしなみを怠っていることか・・・と、Y氏の 独り言のような呟きが 耳に残る。

「ボクは、ヒールを履いた女性の方が 好きかな・・・どちらかというと・・」

私は自分の足元をみた。 ああ 今日は 街を少し歩くから ヒールを履いてきてよかった。 と いつも車なので移動の際のウォーキングシューズ や フラットなものが段々と増えてきているな 最近・・・と ひやりとした。 このセール時期に 自分に合う木型の店で 8センチヒール いや 6センチヒールを新調しようかと思い立つ。

桃井かおりのような魅力もおじさま方には受ける一方で、身だしなみを整えてゆくという 分かりやすい女性らしさも不動のものなのだろうな。と あれこれと 冷静に考えてみていた。

お洒落よりも 身だしなみというものを もう一度 考えてみようと 思えた Y氏との語らいだった。

整形手術

大きなため息で 「整形・・・って する価値あるものなのだろうか・・・」と呟くと。

「やめときなさい。 一か所じゃ済まなくなるから」と家人に窘められる。

どーゆーことよ?と、一瞬ムッとするけれど そうかもなぁと納得できるほど

一か所ではすまなくなるもの。 って 整形と家の修繕工事なのね。と、つくづくと思う。

神の創造で アインシュタインの “ I cannot believe that God plays dice with the cosomos”  「私には、神が宇宙を相手にサイコロを振ると信じることができない」 という言葉はあまりにも有名ですが・・・

神様の不公平・・意地悪。と、思うことが世の中たくさんありすぎて・・・それも 神のお考えなら・・・僕である自分も受け入れましょう・・・(涙)というくらい 世の中というのは不公平にデザインされている・・・その最たるものが顔の造作だと・・・また 大きなため息が。年月は全ての人に平等に訪れる。とはいえ、先輩の友達をみても やはり 美人は 年とっても美人だ。と 思う。

Thompson Internationalに小学生くらいから習いに来て 高校もずっとやってきてくれて 今年 慶應義塾大学に一般入試枠で合格したという 勉強が得意なHちゃんという子がおりました。英検準1級の試験まで 試験に落ちるということを知らずにいるような子で、準1級の試験後に 「水上シャン(彼女がさんというといつもシャンというように聞こえました)、今回 準1級落ちたかもしれない」と涙声で悲壮な顔で訴えるのです。私は 「いいっしょ これまで落ちるということを知らずにやってきて 高校1年生で準1級受けられる子なんて そんないないよ。それだけですごいんだから 何もそんなに悲観的になることないっしょや」と、ぼんやりと受け応えると。

「何を言っているんですか 水上シャン! いいですか! よく聞いてくださいよ。私の行っている学校に(札幌の超進学校)ですね。私の 大っ嫌い!な女の子のグループがいるんですよ。その子たちがですね 今回2級を受けているんですよ。で、きっと 受かるんですよ。そうするとですよっ! そうすると 今回、私が準1を落ちてしまうとすると、次は あの子たちと私は 同じ土俵に立つ!ということなんですよ。・・・・そんな そんな屈辱に・・・自分は耐えられないっ・・」 と、本気の表情で泣く素振りをみせたりする よーな 面白い子でした。

ある日 勉強の合間の雑談でまた、吹き出すような こんなことを言うのです。

「わたしは、顔とか 女であることとか そんな 頼りにならないものをあてにするよりも、勉強 自分の能力を高めることにしたい。 見た目とかそんなのは いつでも 風化してゆくけれど 勉強は自分を裏切らないものの一つだから」 と 高校2年生くらいの時に そんなことを語って聞かせてくれる まぁ なんともボキャ数の多い子でした。

私は そんな彼女の語りに 「Hはさぁ、自分が頑張った分 応えてくれる 頭をもって生まれたから よかったね・・・その幸運に感謝しなよ。 自分がこれだ と思うものを信じて 投じてゆけるものを 持てた幸せ。それを皆が持てるものではないんだからさ・・・」と 言えるだけでしたが。

これから 彼女は念願だった大学へ行き、そして 社会へ出て、きっと 競争の中で打ち勝ってゆくそんな人生を歩んでゆくのでしょう。

大学合格の報告の電話を切りながら

彼女を待っている人生は どういうものなのか ということを 思ったときに、そこに やはり 神の存在があって欲しいな・・・と 彼女が大好きだからこそ 私は なぜか そう願ったのでした。

自分の顔の造作には 神などいるものか と 思うくせに。

彼女のこれからの人生には 神の計らいが うまく うまく 存在しますように。と願うのですから 矛盾していますよね。

神様は その人のいいように 計らってくれる。

賢さと愚かさの間にある違いは、賢さには限界があることだ” これも 賢者の王者 アインシュタインさんの言葉らしいです。

勉強は自分を裏切らない。と 言った 17歳が どんな34歳になってゆくのか 15年後の あなたにとても興味がある 水上シャンは もしかしたら もうこの世にいないかもしれませんが、 いつか きっと あなたなら 上記の境地に立てるのではないでしょうか。そのときには 愚かさの中でしか学べないような 水上シャンのような人に色々なことを 面白おかしく 話して聞かせてください。

自分が持てた能力に心から感謝して人のために還元できる 人を勇気づけられる そんな人になっていて欲しいなぁ。と、蔭ながら応援しています。

そうだ 顔の造作も 人を幸せにできるレベルになって 初めて 価値があり、輝くものなのだから・・・

頭の良い人は 頭の良さで 人を幸せにしてあげてください。

よろしく頼みます。

ミツワ石鹸

このコロナのことが始まり。 戦中に生まれた実母に これまで意識したことのない質問を投げかけている。

「昭和16年生まれといえども、戦争の思い出はあるんでしょ? 戦時中ってお風呂はどうしていたの?石鹸という代物はあったの?」という私の質問に対し

「田舎だったから 比較的まだものはあったけどね。 あの当時は石鹸だなんてものは手に入らなくなっていたと思うよ。だから あの ほら 魚油から作った石鹸で 魚臭くってねぇ・・・ そこに 魚だから シラミがよけいに湧くという悪循環が生まれるわけ」

「ぎょっ・・・ 魚油から石鹸作る! クジラではなく?? けっこう辛いものあるね・・・で、あなたも それ使っていたんだ・・・えらいねぇ」

「 いやいや 私はミツワ石鹸使っていた」

「え? なんで??」

「そりゃ あのあんた、キクさんのことだもの 戦争が始まるとなる前に 五番館に行って 毛糸とか またそのほか必需品は数年分を現金で買ってきたっていうから・・・」

「うわ・・・でた。元祖買占めひんしゅく隊」

・・・と あのキクさん こと 西川キクさんは 母の祖母。つまり 私の曾祖母にあたる人である。

明治に長女として生まれ、実家が日露戦争で田畑をとられた後、父親が蚕の相場に手を出し失敗した。

その借金の支払いのために小学校を卒業するかしないかくらいの年に、石川県から船で一人、北海道の地に親戚の家に奉公人(働くために)渡ってきた。

その当時の北前船という船が小樽の港に到着し、札幌に向かってくる停車場でぼんやりと町の灯りが暗闇の中に見えたとき、あぁ 自分は 遠い遠い 未開の地にやってきたのだなと実感して涙で灯りが滲んでみえた。という話には、何度聞いても涙が出てしまう。

このキクさんが93歳で亡くなった時、私は18歳だった。 人の死もお祭りに思えてしまうような年齢の視線の中で、いろいろな親戚たちが集まり繰り広げられる会話。また お坊さんのお言葉などもかいつまんで集め、空知の9月青空の中に、火葬の煙が消えてゆくのを見つめながら・・・「私たちに気前よくお小遣いをくれた優しいひぃおばあちゃんは、もしかすると とても敵の多い人生を歩んだ人だったのではないかなぁ・・・」というう感想をもった。

都合のよいことに 私の母はその祖母に育てられたので、育ての親であるキクさんの話が、会話の端はしに出てくるから 私のその彼女に抱いた感想、疑問 知りたいことを、事あるごとに教えてもらえる機会があった。

13やそこらの痩せた少女は、まず吾妻にある雑穀屋に雇われた。そこでは頭の回転がよいことと数字に強いことで商売の方に間に合ったので、家のことではなく店のほうに駆り出されることとなる。 だから 晩年のキクさんの口癖は「私は、いつも店のほうに出されたから、家のこと料理、裁縫、女のすることを一つも知らないできてしまった」であった。

その雑穀屋で22歳の結婚する時までお世話になったという。

砂川の角ヨ角野という屋号の店に勤めていた曽祖父のところへ嫁にいくように。と、話を持ってきた親戚の叔父と叔母に言われるがままに、風呂敷包みひとつと、それこそ手鍋下げて東から砂川に向かい所帯をもった。

結婚してからしばらくの間、夫と二人でその大店にお世話になった。

そして、いつまでも人に使われているだけでは・・・と 夫と二人、まず最初に荒物屋から始め米穀店に拡げていった。きっとそれは、奉公先の雑穀店の仕込みがあったから踏見切った分野だったのかもしれない。

角ヨ角野さんから頂いた50円の退職金を元に、商売しても借金だけは絶対にしないという方針でキクさんは頑張ったらしい。

借金をしないで商売をするとなると 必ず仕入れてすぐに売れるものでなければならないわけで。 そうなると 味噌 醤油とか毎日消費されてゆくものをこまごまと扱う荒物販売で少しずつ資本をつくり、大きな金額を扱う米穀の商売にもキクさん独特の思い切りの良さというか・・・ここぞというときの決断の速さは大したものだと言われていた。

なのに 旗色の悪い話となると「西川の母さんときたら、流れのいい話にはこちらも出来ないような男並みの決断をするくせに。ちょっと具合の悪い商売の話となると、(いっとき算盤かりさせて、うちへ帰って父さんへ聞いてみないことには、いますぐには返事が出来ん)とくるから敵わん・・・」と 男の沽券で仕事をしている衆からは評判が悪かったと・・・私は想像する。

私の覚えているおばあちゃんは、もう半分寝たきりになっていたが、記憶の中にある着物姿は・・・それこそ 漫画の意地悪ばあさんの、あの姿なのである。

洗いざらした木綿素材の着物は丈が短く、骨だけになったような細っこく青白い足元がみえていたな。そしてなぜか、料理をするわけでもないのに前掛け(それもまたゴワゴワっとしたような質感の)をしていたような記憶がある。で、和服姿の肝である襟元(純白であったり素敵な柄の物をお洒落の工夫を凝らす場所)に 半襟を汚さないように白いハンカチを挟んで入れていたような。

私の知っている80代の姿がそうであったが、若い時は違ったかというとあまり様子は変わらないものであったということは、しっかりとしたかまどを持ちたいという一心でいた彼女は兎にも角にも、新品の着物はそのままにして置き、万が一の時はそれをお金に換えるとばかりに、着古した着物につぎはぎをあて、すりきれた袖口も補修しながら着ている姿に、たまたま訪ねてきていた角ヨ角野の大旦那さんが、見るに見かねて

「キク!おまえ、西川も男だぞ」と夫の代わりに怒鳴った。という話からうかがえる。

そんなキクさんは、おしんの世界を地でいって・・・着実にかまどを確かにしていった。

キクさんの残した数多くの名言の中で 「亭主とふたり、欲と二人連れで商売に身を入れている時が、人生の花だった」というのがある。

「おばあちゃんは、太平洋戦争でそれまで築いたものすごい財産と、大切な長男(母の父)を失くしたんだけれど、あの気質があったから また商売を立て直すことが出来たんだよねぇ・・・大した人だったと思う。おばあちゃんがあんな気性の人でなかったらさぁ・・・ お母さんは中学出たらすぐに働かなければいけないような身の上だっただろうに・・・女子大にまで行かせてもらえたんだから・・・。かえって 自分の実母(彼女は夫が戦死してから実家に帰り、違う人と再婚した)に育てられずにいた方が お母さんにとっては幸運なことだったんだよね」と よく言葉にする。

そのキクさんが したことだ・・・。 元祖買占め買い溜め派ではあるが 家族のことを思い、そして 先のみえる人であったから・・・ それに 嘘はつけなかったのであろう。 毛糸を買い占めた。石鹸を数年分買い求めた。あとは 何を調達したのだろうか・・・ 生きていたら ぜひ聞いてみたいことだった。

現在、ひんしゅくを買う行為であるのなら、当時もきっとそうであったと思う。影口をたたく人もいたと私はそう思う。お金にものをいわせてひどいことをするものだ。と、総ざらいになった空っぽの棚を見ながら訴えた人だっているだろう。

で、呑気に母は ミツワ石鹸を当たり前に使い暖かいものを着せてもらい育った。

キクさんは

日露戦争も知っている。 その後に親が相場に失敗し売られた立場となって遠い地にやってくる悲しさも知っている。借金がどれだけ怖いものかということを身をもって知っている。その怖さゆえ借金はしない方法で工夫をこらして商いを進め財を築けたちょっと珍しい人だった。そんな大した人である彼女の(誰もが必ずもっている)欠点のひとつは・・・計算が先に立ちすぎてしまう。そんなところであったと母は言う。

戦争が始まる。物がなくなる。早めに手をうたなくては。と・・・ それは当然人間の本能で起こす防衛行動ゆえに・・・仕方のない部分もあるが。

生きてゆく中で 曲がり角にくると必ず出てしまう欠点・・・・(それは 私も 誰でも必ずや持っているものだと 諦めるしかない種類のもの) それが そうであったという。

彼女のその先の利く性格おかげで、家族はミツワ石鹸を使いながら戦中を過ごした。が、大切な長男の命だけは買いつなぐことは叶わなかった。

そうだ いま 思い出した。 曾祖母の葬儀の時に、お坊さんがお経を唱えたのちに、故人を偲ぶお話が必ずあるが。そのときに

「西川のお母さんは、なかなか苦労も摩擦も多い一生であったかとうかがっております。(そんな感じのことを言ったかと思う)が、あの方ほど、一生懸命に念仏(お経)を唱える方をわたしは知りません。一心に心を込めて仏さまに向かう方でした」

戦死した息子のために一心にお経を読んだのだろうな・・・と 18の私はそう感じたのを憶えている。

 

 

 

 

真似したいこと

冬になり、多くの人が行き交う街の大型書店で気の付いたことがあった。

BO Body Odor いわゆる 体臭というの? 衣服についてしまいとれなくなるようなレベルの、言ってしまうと不愉快な匂い。

あれは 夏ではなく 冬の時期に気を配り、エチケットとし注意を図らねばならないものだったのか。と。

そうか。 冬のコートは毎日洗濯できるものではない。意外と汗をかく。ましてや子供などは外遊びで汗をかいたものを冬の間中、洗いもせずに着てしまうケースがある。防寒用の服を洗いもせず、風も通さずいる結果の匂いがそうか これなのか これなんだ。と 真冬の札幌市のと、ある大型書店で気づく自分の鼻は、東京に行ったばかりの19の夏、満員電車でのそれと同じものだった。

嗅覚の悪い自分がそういうのに気づくことは滅多にないのだが これは 自分自身気をつけねばならないなぁ・・・と 自分のや同居人の防寒ジャケットも、裏返しにして風にあてたり 洗うことは出来なくても 裏側をデリケート衣類洗剤を薄めたもので拭いたりと。やっているうちに

これって 家だけではなく どこかで コートをかけるときも 同じように裏返しにしてかけてもいいのではないか? と 思っていた矢先。

Thompson Internationalに札幌で有名な建築家の方がおみえになっている。

もちろんお仕事柄お洒落な方ではあります。そのうえに その方はいつも自然に自分のコートをスクールにある一畳ほどのクローゼットにかける。 そのコートに昨日何気なく目をやると なんと!仕立ての良いコートを裏返しにかけてあった。

おおお! これでいいのだ。 冬はこれでいこう。と確信しました。

昔 お茶の先生に、よくたしなめられたことを思い出した。 まず風呂敷をもっておいでなさい。

その風呂敷に自分の身の回りの物を包んでから それから ご挨拶です。と。

そーだ そんな教えもあったよなぁ・・・と、身についているのか身についていないのか あやしいもんだと反省しながらも。

気の利いたレストランに入ったときは まず コートを脱ぐ、または脱がせてもらう。そして お店の方に 必ず 預ける。 どこかへ行った際も コートをかけるところがないか。 それをみれるようになれたのは、あの教えのおかげであるの、かもしれない。

あの方は男性だというのに、この作法に加えて、コートをさらりと裏返しにしていることに いやぁ さすが 一流といわれる方なんだなぁ・・・と 昨日は改めて感心してしまった。

コートを裏返しにする。ということは 上記の問題も緩和できる・・・かもしれないし。それに 隣の人のコートが当たっても 自分のコートの表生地を傷めない。という 昔の知恵もあるのかもしれないな・・・。と考えさせられた。

2020年春🌸のコース

こちら、昨年からのものを引き続き、内容の調整をしたものです。

2020年春、4月よりスタートです。途中入会可ではありますが定員6名までと4月までのご入会の方は

入会費半額と🌸 この機会に 英語を始めてみようか。またはこれまで 習いながらも なにかモヤモヤとしたものが残り、話すときの自信に繋がっていない。そんな方 いかがですか。

Thompson Internationalで英語の時間を始めてみませんか。

お味噌汁

この味噌汁というものの美味しさに目覚めた今日この頃。

味噌汁に一魂込める。という具合に作ることに結構力をいれている。

出汁は、いりこ 煮干しが相応しいということで、朝出かけるときに、はらわたをとった煮干しの頭と身を200㎖に8匹くらいを目安に冷蔵庫において、それを夜に煮出して お味噌汁の実によってはその段階で少し火を通すものがあるけれど、昨日の夜は薄揚げと茗荷、そしてねぎの実にした。

揚げは、熱湯に一度通して一呼吸でとり、その端のほうをレーザーシン(細く)に包丁をいれて、二枚にはがす。わたしはそれを長さ5センチくらいにして、ほそくほそく刻む。薄上げがふんわりこんもり刻まれるイメージ。

それの細さと同じくらいに茗荷も刻み、ねぎは細かい小口切りにした。

出汁にお味噌をいれて煮立ちそうなあたりで 薄揚げから入れて もうちょい煮立ちそうなところで 茗荷とねぎをいれる。

味噌汁を塩分の塊としかみなさなく、拒否反応を示し続けたカナダ人の夫も最近は味噌汁を完食する。といったところに加えて昨夜は、美味しいねこれ。と呟いた。

このカナダ人の夫が、自分の調理に対する優劣の度合いを知らせる実験台であり反応が面白い。

材料が質素なものであっても、心をこめて集中して作ったものには面白いくらい反応を示す。

かつて一番驚いたケースは 大根の葉を、からからに素揚げして それにパラリっと塩をふったもの。それが今夜の食事の中で一番、うまい。と言ったことだった。

バター チーズ 動物性たんぱく質の中で 育ってきたDNAにも、日本の簡素ではあるけれども理に敵い、そこにうまくなれよ~~~と思い調理する食事には訴えかけるものがあるのだ。と、感動をした一瞬だった。その時からかもしれない、自分の料理の方向が少し変わったのは。

変わって良かったことは、食材を無駄にしなくなったことだと思う。

手元にある食材で、どうやったらおいしく仕上がるか。という目が強まった瞬間だったと思う。

 

食べるということ

私世代の人(昭和40年代初めころ生まれ)は、金ぴか先生という人を知っている人もいるのではないか?

進学塾の人気講師がやくざの様な出で立ちで、刀を片手に塾生に教えるというパフォーマンスで一躍有名になった人だ。

金ぴか先生というニックネームの通りに、私生活も金ぴかのイメージを打ち出してメディアで騒がれていた。

何台もの高級車。どこで買うの?というような成金の人にしか理解できないワードローブ。でもその先生の教える授業((英語であったらしい)は 生徒の人気を呼び、一コマ数百万円からの対価が生じたという。

そんな人が、数年前に生活保護を受給し、最後は栄養摂取不足のような状態で亡くなった。となにかで聞いた。

時代の流れとともに家計が破綻しても高級車を買いたい幼稚な駄々っ子のような行為に奥さんに愛想を尽かされ

ひとりになってからの晩年は、お酒とたばこの覚醒で体の痛みを忘れるように暮らし。食べることもせず そうやって体を蝕んでいかれたというようにきいている。

しかし・・・食べなければだめなのに。 この 食べるという大切な行為を最後までしっかりと出来る人がどれだけいるのだろうか。と、家族の顔ぶれをみても、男衆は落第点もらうに違いなく。高齢になり一人暮らしをする実母でさえも、ちょっと油断すると 白米に明太子だけというような夕食をとっている姿にあれやこれやと勧告を与える。

時には作ったものを差し入れするにしても、料理は最後までがんばって自分でしたほうが自分のためになると甘やかさないようにしている)

しかし、 金ぴか先生が痛みを忘れたいためにお酒を飲む・・・という その気持ちは分かる。分かってしまうのも危ういけれど、お酒との付き合いも30年以上になってしまうと どこかでお酒に対して快楽よりも痛み止めのような苦痛を和らげる役割を求めてしまっている・・・そんなモルヒネのような役割をお酒は自分に果たしてしまっているために、摂取量と 一緒にとる食事のバランスには、結構注意をしている方だと思う。

食材の求め方、食事の作り方、くりまわしかた。 基本的なものでいいから ご飯を炊いて 野菜を使ってタンパク質とあわせて副食をつくり、酵素の豊富な味噌でみそ汁を作れるくらいのことを 男の子にも教えなければならない、そんな時代だと思う。

塾で勉強を教えることは得意だった金ぴか先生も、そこのところを教えてくれる人は誰もいなかったのだろう。

自分でものを作り食べれる力を持たないと、生きていくことは難しくなる。外食だけだと年齢を重ねたときに立ち行かなくなる。オイシックスでもなんでもいいから、自助努力をすれ。と、夫より先に逝かなければならなく、また後添えの希望のなさそうな場合には「食べる努力しなさいよ」と遺言を残すかもしれません。

この写真は 我が家の台所に掲げているスローガンで thinking of you  これは相手だけではなく自分のことも考えて・・・と食事作りだけは コツコツと続けてます。はい。

 

同志Kindred spirit:同士 fellow

以前、林真理子さんが書いていたことで 大体仕事で波に乗っている男性の90パーセント(もしかすると95パーセントだったかもしれない)が浮気をしている、していた経験がある。というのがあった。

それを読んだとき、それも大げさな数字かなぁと自分は思ったが。

最近、どうも まぁこういうのも悔しいが 自分がそういう対象に入らない年齢になってきたのと、周囲の男友達(同級生から年上にかけて)これまで 会話のニュアンスに残るような発言はあっても、具体的な話をするようなことはなかったと思った。が、ここにきて もう時効となったことと割り切ったのか まぁ 付き合いも長くなりこんな話し、してもいいだろ。と割り切っているのか この私に過去のそういうちょっとした話しを 告白ともつかないような自然な形でしてくれるのだ。

それらの統計をとってみても 間違いなく サラリーマンから そして バブルの泡の中で生きたような人と異名をとるような人に至るまで、そういった出来事は皆持っているらしい。 一人だけ ううむ この方は間違えなく清廉潔白な人だろーな。と思えるのは弁護士のSさんくらいだ。

すごい人になると、17歳年下の20歳の女の子と20年の関係が続いた。というような人もいる。

「すんごい上昇志向の強い女の子でさ・・・贅沢を覚えさせてしまったんだ。ダイナースのブラックカード与えて買い物はし放題させて。あるとき 最後のほうになって 食事に行ってワインを頼んだ時にさ。俺そのとき、2万いくらくらいの頼んだのかな・・・そうしたときに、この私にそんな安いワインを飲ませるの? って訊かれたとき、思わず おれ え?って耳を疑った。それまで 会社の秘書でいたんだけれど、まぁ自分の会社も段々と落ち目になって ある時、社長わたし会社を辞めたいんですけど・・・って。まぁ 辞めるってことは関係が終わりになるってことを意味しているわけだから。ね」

「そのお話し・・・昭和ですねぇ。しかし二十歳とは、その女の子も勇気ありますね。どれくらい続いたんですか?」

「その子が40くらいになって退社したんだから まぁ20年は続いたってことになるのかな。最初の数年の鮮明な記憶しかなくて あとは 斜陽に向かっていくそのすったもんだの金の話ししか記憶に残らないんだから。最後っていうのはいかに肝心かってことだよね」

「でもねぇ その女性40歳ってことは、よほどのことがないと きっと子なしかな。 それに比べて Kさんはしっかりと二人お子さんがあって良かったですよね」と なんか 私の思いはそのへんにいってしまう。

「確かに、自分は妻とは残念ながら心が通じ合っていないままの結婚生活ではあるけれど。子供たち二人とは 心が繋がっているなとは思えるんだ。自分も子供たちは本当にかわいがったしね」

「よかったですね。よかった。でもKさんの罪作りなところは、(←でた。説教モード)あまりにも頭がよすぎてそして、仕事が出来すぎて、妻も愛人も 同志にしない。できないってところなのかも、しれないっすね」

「え?」

「自分たち夫婦は ほんっとに 稼ぎも 頭のよさも 人間の器も きっと Kさんのそれの 10分の一 いやいや もしかすると 100分の一 にも満たないと思うんです。でも 私たち 二人で やっと 一人なんですよ。二人いてやっと一人前。だから 二人一緒に 同志として生きてかなきゃいけないんです。だけど Kさんは 一人で仕事に没頭でき、一人で稼ぎ出せる力を持ち、また奥さんには 食い扶持 あ 失礼 生活費 その女性には 秘書という名のもとで お手当を与える。私には よく わからないけれど きっと なかなか そんな中では 双方、同志という感情は芽生えにくいよーな気がして。一人で完結できてしまう力のある男の人っていうのも 孤独な面を持ち合わせているんですね」

・・・と つらつらと語っているもう片方で、もし愛人の立場だった人が カードの利用額は結構ですので一か月の金額をもっとあげてもらい、貯蓄にまわし、会社になにかあったときに その金額を バンっと差し出す。くらいの人だったら すごいな それって まるで一豊の妻であって。そんな 同志となってくれるような相手は 残念ながら 愛人には存在しないのが これまでの 打ち明け話から 分かりきっていることではあったけれど、間違えがないと判明しました。