整形手術

大きなため息で 「整形・・・って する価値あるものなのだろうか・・・」と呟くと。

「やめときなさい。 一か所じゃ済まなくなるから」と家人に窘められる。

どーゆーことよ?と、一瞬ムッとするけれど そうかもなぁと納得できるほど

一か所ではすまなくなるもの。 って 整形と家の修繕工事なのね。と、つくづくと思う。

神の創造で アインシュタインの “ I cannot believe that God plays dice with the cosomos”  「私には、神が宇宙を相手にサイコロを振ると信じることができない」 という言葉はあまりにも有名ですが・・・

神様の不公平・・意地悪。と、思うことが世の中たくさんありすぎて・・・それも 神のお考えなら・・・僕である自分も受け入れましょう・・・(涙)というくらい 世の中というのは不公平にデザインされている・・・その最たるものが顔の造作だと・・・また 大きなため息が。年月は全ての人に平等に訪れる。とはいえ、先輩の友達をみても やはり 美人は 年とっても美人だ。と 思う。

Thompson Internationalに小学生くらいから習いに来て 高校もずっとやってきてくれて 今年 慶應義塾大学に一般入試枠で合格したという 勉強が得意なHちゃんという子がおりました。英検準1級の試験まで 試験に落ちるということを知らずにいるような子で、準1級の試験後に 「水上シャン(彼女がさんというといつもシャンというように聞こえました)、今回 準1級落ちたかもしれない」と涙声で悲壮な顔で訴えるのです。私は 「いいっしょ これまで落ちるということを知らずにやってきて 高校1年生で準1級受けられる子なんて そんないないよ。それだけですごいんだから 何もそんなに悲観的になることないっしょや」と、ぼんやりと受け応えると。

「何を言っているんですか 水上シャン! いいですか! よく聞いてくださいよ。私の行っている学校に(札幌の超進学校)ですね。私の 大っ嫌い!な女の子のグループがいるんですよ。その子たちがですね 今回2級を受けているんですよ。で、きっと 受かるんですよ。そうするとですよっ! そうすると 今回、私が準1を落ちてしまうとすると、次は あの子たちと私は 同じ土俵に立つ!ということなんですよ。・・・・そんな そんな屈辱に・・・自分は耐えられないっ・・」 と、本気の表情で泣く素振りをみせたりする よーな 面白い子でした。

ある日 勉強の合間の雑談でまた、吹き出すような こんなことを言うのです。

「わたしは、顔とか 女であることとか そんな 頼りにならないものをあてにするよりも、勉強 自分の能力を高めることにしたい。 見た目とかそんなのは いつでも 風化してゆくけれど 勉強は自分を裏切らないものの一つだから」 と 高校2年生くらいの時に そんなことを語って聞かせてくれる まぁ なんともボキャ数の多い子でした。

私は そんな彼女の語りに 「Hはさぁ、自分が頑張った分 応えてくれる 頭をもって生まれたから よかったね・・・その幸運に感謝しなよ。 自分がこれだ と思うものを信じて 投じてゆけるものを 持てた幸せ。それを皆が持てるものではないんだからさ・・・」と 言えるだけでしたが。

これから 彼女は念願だった大学へ行き、そして 社会へ出て、きっと 競争の中で打ち勝ってゆくそんな人生を歩んでゆくのでしょう。

大学合格の報告の電話を切りながら

彼女を待っている人生は どういうものなのか ということを 思ったときに、そこに やはり 神の存在があって欲しいな・・・と 彼女が大好きだからこそ 私は なぜか そう願ったのでした。

自分の顔の造作には 神などいるものか と 思うくせに。

彼女のこれからの人生には 神の計らいが うまく うまく 存在しますように。と願うのですから 矛盾していますよね。

神様は その人のいいように 計らってくれる。

賢さと愚かさの間にある違いは、賢さには限界があることだ” これも 賢者の王者 アインシュタインさんの言葉らしいです。

勉強は自分を裏切らない。と 言った 17歳が どんな34歳になってゆくのか 15年後の あなたにとても興味がある 水上シャンは もしかしたら もうこの世にいないかもしれませんが、 いつか きっと あなたなら 上記の境地に立てるのではないでしょうか。そのときには 愚かさの中でしか学べないような 水上シャンのような人に色々なことを 面白おかしく 話して聞かせてください。

自分が持てた能力に心から感謝して人のために還元できる 人を勇気づけられる そんな人になっていて欲しいなぁ。と、蔭ながら応援しています。

そうだ 顔の造作も 人を幸せにできるレベルになって 初めて 価値があり、輝くものなのだから・・・

頭の良い人は 頭の良さで 人を幸せにしてあげてください。

よろしく頼みます。

ミツワ石鹸

このコロナのことが始まり。 戦中に生まれた実母に これまで意識したことのない質問を投げかけている。

「昭和16年生まれといえども、戦争の思い出はあるんでしょ? 戦時中ってお風呂はどうしていたの?石鹸という代物はあったの?」という私の質問に対し

「田舎だったから 比較的まだものはあったけどね。 あの当時は石鹸だなんてものは手に入らなくなっていたと思うよ。だから あの ほら 魚油から作った石鹸で 魚臭くってねぇ・・・ そこに 魚だから シラミがよけいに湧くという悪循環が生まれるわけ」

「ぎょっ・・・ 魚油から石鹸作る! クジラではなく?? けっこう辛いものあるね・・・で、あなたも それ使っていたんだ・・・えらいねぇ」

「 いやいや 私はミツワ石鹸使っていた」

「え? なんで??」

「そりゃ あのあんた、キクさんのことだもの 戦争が始まるとなる前に 五番館に行って 毛糸とか またそのほか必需品は数年分を現金で買ってきたっていうから・・・」

「うわ・・・でた。元祖買占めひんしゅく隊」

・・・と あのキクさん こと 西川キクさんは 母の祖母。つまり 私の曾祖母にあたる人である。

明治に長女として生まれ、実家が日露戦争で田畑をとられた後、父親が蚕の相場に手を出し失敗した。

その借金の支払いのために小学校を卒業するかしないかくらいの年に、石川県から船で一人、北海道の地に親戚の家に奉公人(働くために)渡ってきた。

その当時の北前船という船が小樽の港に到着し、札幌に向かってくる停車場でぼんやりと町の灯りが暗闇の中に見えたとき、あぁ 自分は 遠い遠い 未開の地にやってきたのだなと実感して涙で灯りが滲んでみえた。という話には、何度聞いても涙が出てしまう。

このキクさんが93歳で亡くなった時、私は18歳だった。 人の死もお祭りに思えてしまうような年齢の視線の中で、いろいろな親戚たちが集まり繰り広げられる会話。また お坊さんのお言葉などもかいつまんで集め、空知の9月青空の中に、火葬の煙が消えてゆくのを見つめながら・・・「私たちに気前よくお小遣いをくれた優しいひぃおばあちゃんは、もしかすると とても敵の多い人生を歩んだ人だったのではないかなぁ・・・」というう感想をもった。

都合のよいことに 私の母はその祖母に育てられたので、育ての親であるキクさんの話が、会話の端はしに出てくるから 私のその彼女に抱いた感想、疑問 知りたいことを、事あるごとに教えてもらえる機会があった。

13やそこらの痩せた少女は、まず吾妻にある雑穀屋に雇われた。そこでは頭の回転がよいことと数字に強いことで商売の方に間に合ったので、家のことではなく店のほうに駆り出されることとなる。 だから 晩年のキクさんの口癖は「私は、いつも店のほうに出されたから、家のこと料理、裁縫、女のすることを一つも知らないできてしまった」であった。

その雑穀屋で22歳の結婚する時までお世話になったという。

砂川の角ヨ角野という屋号の店に勤めていた曽祖父のところへ嫁にいくように。と、話を持ってきた親戚の叔父と叔母に言われるがままに、風呂敷包みひとつと、それこそ手鍋下げて東から砂川に向かい所帯をもった。

結婚してからしばらくの間、夫と二人でその大店にお世話になった。

そして、いつまでも人に使われているだけでは・・・と 夫と二人、まず最初に荒物屋から始め米穀店に拡げていった。きっとそれは、奉公先の雑穀店の仕込みがあったから踏見切った分野だったのかもしれない。

角ヨ角野さんから頂いた50円の退職金を元に、商売しても借金だけは絶対にしないという方針でキクさんは頑張ったらしい。

借金をしないで商売をするとなると 必ず仕入れてすぐに売れるものでなければならないわけで。 そうなると 味噌 醤油とか毎日消費されてゆくものをこまごまと扱う荒物販売で少しずつ資本をつくり、大きな金額を扱う米穀の商売にもキクさん独特の思い切りの良さというか・・・ここぞというときの決断の速さは大したものだと言われていた。

なのに 旗色の悪い話となると「西川の母さんときたら、流れのいい話にはこちらも出来ないような男並みの決断をするくせに。ちょっと具合の悪い商売の話となると、(いっとき算盤かりさせて、うちへ帰って父さんへ聞いてみないことには、いますぐには返事が出来ん)とくるから敵わん・・・」と 男の沽券で仕事をしている衆からは評判が悪かったと・・・私は想像する。

私の覚えているおばあちゃんは、もう半分寝たきりになっていたが、記憶の中にある着物姿は・・・それこそ 漫画の意地悪ばあさんの、あの姿なのである。

洗いざらした木綿素材の着物は丈が短く、骨だけになったような細っこく青白い足元がみえていたな。そしてなぜか、料理をするわけでもないのに前掛け(それもまたゴワゴワっとしたような質感の)をしていたような記憶がある。で、和服姿の肝である襟元(純白であったり素敵な柄の物をお洒落の工夫を凝らす場所)に 半襟を汚さないように白いハンカチを挟んで入れていたような。

私の知っている80代の姿がそうであったが、若い時は違ったかというとあまり様子は変わらないものであったということは、しっかりとしたかまどを持ちたいという一心でいた彼女は兎にも角にも、新品の着物はそのままにして置き、万が一の時はそれをお金に換えるとばかりに、着古した着物につぎはぎをあて、すりきれた袖口も補修しながら着ている姿に、たまたま訪ねてきていた角ヨ角野の大旦那さんが、見るに見かねて

「キク!おまえ、西川も男だぞ」と夫の代わりに怒鳴った。という話からうかがえる。

そんなキクさんは、おしんの世界を地でいって・・・着実にかまどを確かにしていった。

キクさんの残した数多くの名言の中で 「亭主とふたり、欲と二人連れで商売に身を入れている時が、人生の花だった」というのがある。

「おばあちゃんは、太平洋戦争でそれまで築いたものすごい財産と、大切な長男(母の父)を失くしたんだけれど、あの気質があったから また商売を立て直すことが出来たんだよねぇ・・・大した人だったと思う。おばあちゃんがあんな気性の人でなかったらさぁ・・・ お母さんは中学出たらすぐに働かなければいけないような身の上だっただろうに・・・女子大にまで行かせてもらえたんだから・・・。かえって 自分の実母(彼女は夫が戦死してから実家に帰り、違う人と再婚した)に育てられずにいた方が お母さんにとっては幸運なことだったんだよね」と よく言葉にする。

そのキクさんが したことだ・・・。 元祖買占め買い溜め派ではあるが 家族のことを思い、そして 先のみえる人であったから・・・ それに 嘘はつけなかったのであろう。 毛糸を買い占めた。石鹸を数年分買い求めた。あとは 何を調達したのだろうか・・・ 生きていたら ぜひ聞いてみたいことだった。

現在、ひんしゅくを買う行為であるのなら、当時もきっとそうであったと思う。影口をたたく人もいたと私はそう思う。お金にものをいわせてひどいことをするものだ。と、総ざらいになった空っぽの棚を見ながら訴えた人だっているだろう。

で、呑気に母は ミツワ石鹸を当たり前に使い暖かいものを着せてもらい育った。

キクさんは

日露戦争も知っている。 その後に親が相場に失敗し売られた立場となって遠い地にやってくる悲しさも知っている。借金がどれだけ怖いものかということを身をもって知っている。その怖さゆえ借金はしない方法で工夫をこらして商いを進め財を築けたちょっと珍しい人だった。そんな大した人である彼女の(誰もが必ずもっている)欠点のひとつは・・・計算が先に立ちすぎてしまう。そんなところであったと母は言う。

戦争が始まる。物がなくなる。早めに手をうたなくては。と・・・ それは当然人間の本能で起こす防衛行動ゆえに・・・仕方のない部分もあるが。

生きてゆく中で 曲がり角にくると必ず出てしまう欠点・・・・(それは 私も 誰でも必ずや持っているものだと 諦めるしかない種類のもの) それが そうであったという。

彼女のその先の利く性格おかげで、家族はミツワ石鹸を使いながら戦中を過ごした。が、大切な長男の命だけは買いつなぐことは叶わなかった。

そうだ いま 思い出した。 曾祖母の葬儀の時に、お坊さんがお経を唱えたのちに、故人を偲ぶお話が必ずあるが。そのときに

「西川のお母さんは、なかなか苦労も摩擦も多い一生であったかとうかがっております。(そんな感じのことを言ったかと思う)が、あの方ほど、一生懸命に念仏(お経)を唱える方をわたしは知りません。一心に心を込めて仏さまに向かう方でした」

戦死した息子のために一心にお経を読んだのだろうな・・・と 18の私はそう感じたのを憶えている。

 

 

 

 

真似したいこと

冬になり、多くの人が行き交う街の大型書店で気の付いたことがあった。

BO Body Odor いわゆる 体臭というの? 衣服についてしまいとれなくなるようなレベルの、言ってしまうと不愉快な匂い。

あれは 夏ではなく 冬の時期に気を配り、エチケットとし注意を図らねばならないものだったのか。と。

そうか。 冬のコートは毎日洗濯できるものではない。意外と汗をかく。ましてや子供などは外遊びで汗をかいたものを冬の間中、洗いもせずに着てしまうケースがある。防寒用の服を洗いもせず、風も通さずいる結果の匂いがそうか これなのか これなんだ。と 真冬の札幌市のと、ある大型書店で気づく自分の鼻は、東京に行ったばかりの19の夏、満員電車でのそれと同じものだった。

嗅覚の悪い自分がそういうのに気づくことは滅多にないのだが これは 自分自身気をつけねばならないなぁ・・・と 自分のや同居人の防寒ジャケットも、裏返しにして風にあてたり 洗うことは出来なくても 裏側をデリケート衣類洗剤を薄めたもので拭いたりと。やっているうちに

これって 家だけではなく どこかで コートをかけるときも 同じように裏返しにしてかけてもいいのではないか? と 思っていた矢先。

Thompson Internationalに札幌で有名な建築家の方がおみえになっている。

もちろんお仕事柄お洒落な方ではあります。そのうえに その方はいつも自然に自分のコートをスクールにある一畳ほどのクローゼットにかける。 そのコートに昨日何気なく目をやると なんと!仕立ての良いコートを裏返しにかけてあった。

おおお! これでいいのだ。 冬はこれでいこう。と確信しました。

昔 お茶の先生に、よくたしなめられたことを思い出した。 まず風呂敷をもっておいでなさい。

その風呂敷に自分の身の回りの物を包んでから それから ご挨拶です。と。

そーだ そんな教えもあったよなぁ・・・と、身についているのか身についていないのか あやしいもんだと反省しながらも。

気の利いたレストランに入ったときは まず コートを脱ぐ、または脱がせてもらう。そして お店の方に 必ず 預ける。 どこかへ行った際も コートをかけるところがないか。 それをみれるようになれたのは、あの教えのおかげであるの、かもしれない。

あの方は男性だというのに、この作法に加えて、コートをさらりと裏返しにしていることに いやぁ さすが 一流といわれる方なんだなぁ・・・と 昨日は改めて感心してしまった。

コートを裏返しにする。ということは 上記の問題も緩和できる・・・かもしれないし。それに 隣の人のコートが当たっても 自分のコートの表生地を傷めない。という 昔の知恵もあるのかもしれないな・・・。と考えさせられた。

2020年春🌸のコース

こちら、昨年からのものを引き続き、内容の調整をしたものです。

2020年春、4月よりスタートです。途中入会可ではありますが定員6名までと4月までのご入会の方は

入会費半額と🌸 この機会に 英語を始めてみようか。またはこれまで 習いながらも なにかモヤモヤとしたものが残り、話すときの自信に繋がっていない。そんな方 いかがですか。

Thompson Internationalで英語の時間を始めてみませんか。

お味噌汁

この味噌汁というものの美味しさに目覚めた今日この頃。

味噌汁に一魂込める。という具合に作ることに結構力をいれている。

出汁は、いりこ 煮干しが相応しいということで、朝出かけるときに、はらわたをとった煮干しの頭と身を200㎖に8匹くらいを目安に冷蔵庫において、それを夜に煮出して お味噌汁の実によってはその段階で少し火を通すものがあるけれど、昨日の夜は薄揚げと茗荷、そしてねぎの実にした。

揚げは、熱湯に一度通して一呼吸でとり、その端のほうをレーザーシン(細く)に包丁をいれて、二枚にはがす。わたしはそれを長さ5センチくらいにして、ほそくほそく刻む。薄上げがふんわりこんもり刻まれるイメージ。

それの細さと同じくらいに茗荷も刻み、ねぎは細かい小口切りにした。

出汁にお味噌をいれて煮立ちそうなあたりで 薄揚げから入れて もうちょい煮立ちそうなところで 茗荷とねぎをいれる。

味噌汁を塩分の塊としかみなさなく、拒否反応を示し続けたカナダ人の夫も最近は味噌汁を完食する。といったところに加えて昨夜は、美味しいねこれ。と呟いた。

このカナダ人の夫が、自分の調理に対する優劣の度合いを知らせる実験台であり反応が面白い。

材料が質素なものであっても、心をこめて集中して作ったものには面白いくらい反応を示す。

かつて一番驚いたケースは 大根の葉を、からからに素揚げして それにパラリっと塩をふったもの。それが今夜の食事の中で一番、うまい。と言ったことだった。

バター チーズ 動物性たんぱく質の中で 育ってきたDNAにも、日本の簡素ではあるけれども理に敵い、そこにうまくなれよ~~~と思い調理する食事には訴えかけるものがあるのだ。と、感動をした一瞬だった。その時からかもしれない、自分の料理の方向が少し変わったのは。

変わって良かったことは、食材を無駄にしなくなったことだと思う。

手元にある食材で、どうやったらおいしく仕上がるか。という目が強まった瞬間だったと思う。

 

食べるということ

私世代の人(昭和40年代初めころ生まれ)は、金ぴか先生という人を知っている人もいるのではないか?

進学塾の人気講師がやくざの様な出で立ちで、刀を片手に塾生に教えるというパフォーマンスで一躍有名になった人だ。

金ぴか先生というニックネームの通りに、私生活も金ぴかのイメージを打ち出してメディアで騒がれていた。

何台もの高級車。どこで買うの?というような成金の人にしか理解できないワードローブ。でもその先生の教える授業((英語であったらしい)は 生徒の人気を呼び、一コマ数百万円からの対価が生じたという。

そんな人が、数年前に生活保護を受給し、最後は栄養摂取不足のような状態で亡くなった。となにかで聞いた。

時代の流れとともに家計が破綻しても高級車を買いたい幼稚な駄々っ子のような行為に奥さんに愛想を尽かされ

ひとりになってからの晩年は、お酒とたばこの覚醒で体の痛みを忘れるように暮らし。食べることもせず そうやって体を蝕んでいかれたというようにきいている。

しかし・・・食べなければだめなのに。 この 食べるという大切な行為を最後までしっかりと出来る人がどれだけいるのだろうか。と、家族の顔ぶれをみても、男衆は落第点もらうに違いなく。高齢になり一人暮らしをする実母でさえも、ちょっと油断すると 白米に明太子だけというような夕食をとっている姿にあれやこれやと勧告を与える。

時には作ったものを差し入れするにしても、料理は最後までがんばって自分でしたほうが自分のためになると甘やかさないようにしている)

しかし、 金ぴか先生が痛みを忘れたいためにお酒を飲む・・・という その気持ちは分かる。分かってしまうのも危ういけれど、お酒との付き合いも30年以上になってしまうと どこかでお酒に対して快楽よりも痛み止めのような苦痛を和らげる役割を求めてしまっている・・・そんなモルヒネのような役割をお酒は自分に果たしてしまっているために、摂取量と 一緒にとる食事のバランスには、結構注意をしている方だと思う。

食材の求め方、食事の作り方、くりまわしかた。 基本的なものでいいから ご飯を炊いて 野菜を使ってタンパク質とあわせて副食をつくり、酵素の豊富な味噌でみそ汁を作れるくらいのことを 男の子にも教えなければならない、そんな時代だと思う。

塾で勉強を教えることは得意だった金ぴか先生も、そこのところを教えてくれる人は誰もいなかったのだろう。

自分でものを作り食べれる力を持たないと、生きていくことは難しくなる。外食だけだと年齢を重ねたときに立ち行かなくなる。オイシックスでもなんでもいいから、自助努力をすれ。と、夫より先に逝かなければならなく、また後添えの希望のなさそうな場合には「食べる努力しなさいよ」と遺言を残すかもしれません。

この写真は 我が家の台所に掲げているスローガンで thinking of you  これは相手だけではなく自分のことも考えて・・・と食事作りだけは コツコツと続けてます。はい。

 

同志Kindred spirit:同士 fellow

以前、林真理子さんが書いていたことで 大体仕事で波に乗っている男性の90パーセント(もしかすると95パーセントだったかもしれない)が浮気をしている、していた経験がある。というのがあった。

それを読んだとき、それも大げさな数字かなぁと自分は思ったが。

最近、どうも まぁこういうのも悔しいが 自分がそういう対象に入らない年齢になってきたのと、周囲の男友達(同級生から年上にかけて)これまで 会話のニュアンスに残るような発言はあっても、具体的な話をするようなことはなかったと思った。が、ここにきて もう時効となったことと割り切ったのか まぁ 付き合いも長くなりこんな話し、してもいいだろ。と割り切っているのか この私に過去のそういうちょっとした話しを 告白ともつかないような自然な形でしてくれるのだ。

それらの統計をとってみても 間違いなく サラリーマンから そして バブルの泡の中で生きたような人と異名をとるような人に至るまで、そういった出来事は皆持っているらしい。 一人だけ ううむ この方は間違えなく清廉潔白な人だろーな。と思えるのは弁護士のSさんくらいだ。

すごい人になると、17歳年下の20歳の女の子と20年の関係が続いた。というような人もいる。

「すんごい上昇志向の強い女の子でさ・・・贅沢を覚えさせてしまったんだ。ダイナースのブラックカード与えて買い物はし放題させて。あるとき 最後のほうになって 食事に行ってワインを頼んだ時にさ。俺そのとき、2万いくらくらいの頼んだのかな・・・そうしたときに、この私にそんな安いワインを飲ませるの? って訊かれたとき、思わず おれ え?って耳を疑った。それまで 会社の秘書でいたんだけれど、まぁ自分の会社も段々と落ち目になって ある時、社長わたし会社を辞めたいんですけど・・・って。まぁ 辞めるってことは関係が終わりになるってことを意味しているわけだから。ね」

「そのお話し・・・昭和ですねぇ。しかし二十歳とは、その女の子も勇気ありますね。どれくらい続いたんですか?」

「その子が40くらいになって退社したんだから まぁ20年は続いたってことになるのかな。最初の数年の鮮明な記憶しかなくて あとは 斜陽に向かっていくそのすったもんだの金の話ししか記憶に残らないんだから。最後っていうのはいかに肝心かってことだよね」

「でもねぇ その女性40歳ってことは、よほどのことがないと きっと子なしかな。 それに比べて Kさんはしっかりと二人お子さんがあって良かったですよね」と なんか 私の思いはそのへんにいってしまう。

「確かに、自分は妻とは残念ながら心が通じ合っていないままの結婚生活ではあるけれど。子供たち二人とは 心が繋がっているなとは思えるんだ。自分も子供たちは本当にかわいがったしね」

「よかったですね。よかった。でもKさんの罪作りなところは、(←でた。説教モード)あまりにも頭がよすぎてそして、仕事が出来すぎて、妻も愛人も 同志にしない。できないってところなのかも、しれないっすね」

「え?」

「自分たち夫婦は ほんっとに 稼ぎも 頭のよさも 人間の器も きっと Kさんのそれの 10分の一 いやいや もしかすると 100分の一 にも満たないと思うんです。でも 私たち 二人で やっと 一人なんですよ。二人いてやっと一人前。だから 二人一緒に 同志として生きてかなきゃいけないんです。だけど Kさんは 一人で仕事に没頭でき、一人で稼ぎ出せる力を持ち、また奥さんには 食い扶持 あ 失礼 生活費 その女性には 秘書という名のもとで お手当を与える。私には よく わからないけれど きっと なかなか そんな中では 双方、同志という感情は芽生えにくいよーな気がして。一人で完結できてしまう力のある男の人っていうのも 孤独な面を持ち合わせているんですね」

・・・と つらつらと語っているもう片方で、もし愛人の立場だった人が カードの利用額は結構ですので一か月の金額をもっとあげてもらい、貯蓄にまわし、会社になにかあったときに その金額を バンっと差し出す。くらいの人だったら すごいな それって まるで一豊の妻であって。そんな 同志となってくれるような相手は 残念ながら 愛人には存在しないのが これまでの 打ち明け話から 分かりきっていることではあったけれど、間違えがないと判明しました。

男のプライド

いじわるばあさんという四コマ漫画の中で、小学生の私でも笑ってしまったお話に。

不細工な八百屋のおじちゃんに、いじわるばあさんが小指をたてて「まけないと、小指(彼女)のこと言っちゃうわよ」的なことを言う。すると八百屋のおじちゃんが、「いやあ~~ まいっったな」と値段をまける。

八百屋の帰り道、いじわるばあさんの連れのおばさんが「へぇ~~~あの顔で?(彼女・・というか愛人 いるの??」の問い掛けに いじわるばあさんが 「男には見栄ってもんがあるのよ」というオチ。

なぜに小学生が、そんなジョークを理解できたのかわからないが、子供といえど、なんつうか人間の真理をついたものには反応できるのかもしれない。

話はかわって・・・ 昨日皮膚科の薬をもらいに調剤薬局に行った。人が5人も入ると満員になりそうなその調剤薬局の扉を開けると 70代くらいの初老の男の人が、薬局の窓口のまだ20代くらいの女の子に、「薬は病院で処方されてから4日以内に取りに来ないとお渡しできないんですよ」と諭されている。

無知な私は へぇ~~ そうなのか。自分も気を付けないとと思う。

女の子は 大きな声でそのおじさまをゆっくりと正すように続ける。「病院にこの紙をもう一度持っていかれて処方されなおしてください。それでないとお渡しできませんから」と、おじさまは、その言葉が続いてゆくのを拒否するかのように、無言で横を向いた。 そして受付に背を向けて出口に向かった。その後ろ姿に 彼女は叫び続ける 「***さ~~ん!この用紙をお持ちください。***さ~~~ん!」 と。

ありゃ・・・他の人たちも いづらくなるような空気が狭い空間に立ち込める。

そして、その名前を呼ばれているおじさんは、出口が開くとくるりと振り返り、「そんな使えないものを貰ったってしょうがないだろ」と怒った口調で言い。立ち去った。

私には、あのおじさんの気持ちが痛いほど、分かった。 4日以内に薬をとりにくる・・・ ということを当然の常識と人はいうかもしれない。また記載されていることですから・・・と言われればそうかもしれない。

だが、この自分でさえも病院の受付で聞いたことはないし ぼんやりなので まったく 昨日の昨日まで知らなかった常識であった。

取りに来れなかったのには色々な理由が色々あったのだろう・・・と思う。病院後には すぐに用事があった。とか はたまた年金が出るまでちょっと待とうか・・・とか 色々あるはずだ。

自分がすぐに来れなかった理由を反復し考えてみても、なぜに自分はこの若い女に咎められるのだ?とだんだんと腹が立ってくる。更にそのおじさまが一番、我慢ならなかったことは 孫の年ほどの女の子に幼児を諭すような口調で、行いを矯正され 人前で恥をかかされたことだと思う。

しかし、若くまた忙しい薬局業務のなかで、男のプライドを汲み取って言葉選びをすれというのも、難しい注文であり、それが人間模様の複雑さに繋がってゆく。

しかし あそこの受付にいたのが もしも 私くらいの まぁいわゆる いい年した人だったら、どういうように対応できていたのかな・・・と 自分だったらどう言っていただろうか・・・いや 申し伝えるのが好ましいあらまほしき姿なのか・・・と想像をしてみた。

まず

他にも事務の人がもう二人ほどいることを察すると、席を外してもよいはず。

そこで

「***さん、病院の受付がきちんと伝えてなかったのですね、ほんっとに申し訳ございません。 4日たってしまうと なんと!薬局での薬が出せなくなってしまうんですよ・・・」

と ここで おじさまが何かを言ってくる。

「どこの病院にかかられましたか?(大体 間違いなく その調剤薬局に隣接している病院であるはず)」

「**病院」とおっしゃる。

と そこで 「では いま わたくしご一緒にその病院まで参ります。そこで事務のほうにも重々伝達の不足のあったことを伝えます。 ***さんには大変お手数ですが新しい処方を書いてもらうためにもご一緒いただけますか?」

・・・・あたりかな・・・それくらいが精いっぱい かもしれない・・・

しかし  本当に こんな対応ができるであろうか・・・できるように 心にシミレーションを描き続けるくらいでちょうどいいのかもしれない。

男には見栄とプライドがある・・・ってことを なぜに この年になって やっと気づけたのだろうか。

もっと もっと 若い時から 心得ていたなら 私の人生 もっと違っていたんだろうーなーと 後悔と共にでしか人は学べないのだろうか。

Royal Family gossip

年が明けてからでしたっけ? Harry王子と Meghanさんのカナダ移住計画の騒動が起こったのは?

イギリスの人たちの意見は二つに分かれているとか。もちろん賛否で。

否定派の人たちの意見の中に、イギリスでの皇室の中で生きるということは色々と不自由が生じることなのに、なにを今さら、差別、偏見などを持ち出す?という意見も。そこに そんな分かりきったことを言うくらいならなぜ最初から結婚をしたのか?・・・と 責める非難の声も。

でも、そういう意見に対しては わたしは Meghanさんの肩を持ちたくなる。

運命に逆らえない時。ってある。この運命にのらなくては、良くも悪くも自分の人生が前に進んでいかない。そんな選択を迫られるときって、どんな人の人生の中でもあると思う。

前に進む為にしなければならない決断。その決断をする瞬間は人は絶対に、エゴイスティックにならなければならないと思う。

そのエゴイスティックさというのは、この扉を開けないと次に進まないから開けるのよ。という他人の入り込む隙間などを全く介さない開き直りにも似たもので。開けた後の展開はその時はまた、その時のこと。という一か八かの賭けだ。 それは Meghanさんのみではなく、私たちの多くが人生のどこかで経験をする、そういう代物であるのに、彼女にその質問を投げかけるのは、なにか違うと思うのだ。

いづれにしても、結婚し妊娠、出産も成し遂げた。すでに賽は投げられた。The dice  has been cast.

運命に流されずに 新しい時代の アメリカ女性の Fairy tale おとぎ話を 私は楽しみにしている。

成人式も終わり

成人 英語ではなぜに coming-of-age  というのでしょうね。 you are of drinking age  とか you are of regal age.  あたりでもいけるでしょうね。

 

成人式が終わると、寒い寒い空気の中に少しだけ春が混じってきます。

季節の中で この変わり目が、自分は一番好きです。

季節の変わり目 春から夏へかけては ああ この季節が終わってしまうと・・・と、思うし。夏に秋が現れ始める頃には、心が憂うし。 秋から冬は覚悟を決め。だから 冬から春への道のりの中に希望が宿るのかな。と、思います。

成人式の頃 冬の中に春が入り始めます。

スクールの2階の母の家に住む、この猫は人間でいうならおそらく成人を迎える頃。

もうおっさんの風情が漂い始めています。