十人十色

この秋の英検。皆様おつかれさまでした。

10人位の方が それぞれの 力試しをしているのを想像していた日曜日 試験を受けていない自分も なぜか 頭がぐるぐるとしていました。

それぞれの 個性を思い浮かべながら。

宿題をやってこない G君に 「G君! なんで宿題やってこないの!」と 投げかけたら

「宿題 やるのめんどくさい・・・」 「めんどくさい・・・って あんた そんなことゆったって 学校の宿題とかは どーしてんの? 高校で出されるっしょ」「 学校の宿題は やっている人のを見せてもらう。皆 そうしてる」「えっ・・・ まぁ・・ 水上さんもG君のような学生だったから その気持ちよーーーーく分かるけどさ。 分かるけど。 今回のこの試験に関しては 誰も助けてくれない 自分の力を頼る気持ち まず 持ってみ。誰もいない。自分一人しかいないって気持ちを 試すのも試験だしさ」・・・・と 3度めの準2級を受けている。大丈夫だろうか。でも 本当にこの1年弱で 変わったよなぁ。顔がしっかりとしてきたG君 よく あきらめずに がんばったよなぁ がんばれ がんばれ。

と・・・5級から一度も試験に落ちることなく 準1級まで突き進んできた Aちゃん。

「あああ! どうしよう 今回のテストは落ちます!ぜったいに落ちます!」 と あまりにも 騒ぎ立てるので。

「そんなに悲観することないよ。 よく構文も読めているしさ。あとは単語 単語 やろ」と 「それに。なんで そんなに 悲壮感抱えてるのか 私には理解できない。 高校2年で準1なんて 大したもんだし。今回落ちてもいいじゃん。次は十分な力で合格するよ」と 駿台予備校あたりの先生が聞いたら 立腹するような私の発言。

「わたしの学校で・・・(東西南北のひとつ)すっごい 性格の悪いグループがいるんですよっ 人を蹴落とすのがあたりまえ。というような 彼女たちが2級を受けるんですよ。それでですよ! それで今回私が落ちて 彼女たちが受かったら 次は同じ土俵に立つってことですよ! ・・・そんな屈辱もう・・・耐えられないっ」

「は・・・・ へ? そういう気持ちは 水上さんには 理解の及ばないところだけれど そういう Driving force 機動力っての? そういうのが Aの これまでの 人生支えてきたんだしさ。今回も その気張りで突破できんじゃないかい」 と ぼんやりと受け答えると。

「水上さん・・・水上さんには分からないかもしれないけれど。すごいんですよ あの根性の悪さはもう尋常じゃないんですから!」

「いや・・・あなたも それに対等なセンいってる故に避けられない摩擦ってあるのではないの?^^;。それにさ 戦いの後に気づく悟りの境地ってものが いわゆる Aちゃん達に課せられているのだろーしね」

「でも いい人達って・・・ あまり勉強ができない」

「おいおい(汗) それを、頭悪くていい人でもない私に言うか? でもさ オトナになると 頭の良い人は  更に高みをめざしてよい人格をつくっていかなきゃいけない義務があるように 見受けられるよ。 頭よくて 邪悪な性質っていうのが 一番 恐ろしいコンビネーションなんだろうしね。さっ! まずは やろっ」

と・・・ 色々な 個性が 自分のCalibration 目盛りをあげてゆく そんな勉強の仕方で いいのではないかなぁ と 競争社会を知らない 私などは 思ってしまうが それじゃ だめなのかな・・・

と、でも 自分の目盛り Calibrationを知るって 私は 勉強と同じくらい大切なことだと 心ひそかに思っております。

例えば この 写真の干した大根。 これは 先日の日曜日 皆が試験を受けている時間に 干し始めたものです。

やっと今夜あたりに ハリハリ漬けに出来るかなぁ と楽しみであります。

自分の目盛りはこの辺りなのですよ。 NYに行って違う空間に身を置いたとしても ちょっと 勉強して もしも知識が広がれたとしても

家のことが 整っていたり ハリハリ漬けが美味しく出来上がったり 家のことを 循環よく繰り回しができる毎日を失ったら 私の生きる意味はなくなるし。勉強したいと願う気持ちもなくなるような気がするのですよ。

私の目盛りは この辺り。 それを そばにおいていると 自分の場合はですよ。 もう 身の丈を忘れた上昇志向もなくなってきてしまった最近では

心の目が 少しずつ開いてくるように感じる 今日このごろであります。

 

盤渓ビレッジの野菜売場

盤渓スキー場の夏。11月始めまで 長沼町からやってくる野菜が新鮮でしかも安い。

朝の11時ころに到着して5時に店じまいだから。

昼時に車をとばして買いにゆく。

先日なんか 20個以上は入ったようなトマトの箱に 350円と書いてあった。 あれは買っておけばよかった>< と また 今度・・・などと言っていても その今度がなかなかない。

トマトは 玉ねぎとニンニクのみじん切りにブーケガルニと塩少々で蒸らし炒めしたものに 私は そのまま ザクザクと皮のままトマトの乱切りを入れて また蓋をしてソースにしてゆく。少し砂糖と塩を加える。

それだけの ソースを冷凍しておくと 本当に便利で助かる。

常にあるとよい冷凍モノは トマトソース 出汁 スープストック それらがあると 食事作りがホントに楽になる。

 

生き方上手なお手本

わたくしどもの暮らしている家のおとなりに 90代のご婦人がいらっしゃいます。

とても良い方で、学ぶところがたくさんある人です。

美味しいお稲荷さんや、天ぷら、粕漬けなど 真似のできない味をつくれる方でもあります。

私は ある時 その方に感心を込めて、こう言ったことがあります。

「Mさんは 生き方が上手な方だと思う。学びたいなぁと思うけれど とうてい 辿り着けそうもありません。 あっちにぶつかりこっちにぶつかりしている 私にとっては 憧れです」

と 伝えたら 彼女は はにかんだ表情で それでも 嬉しそうに

「奥さん (←わたしのこと)。わたしね ひとつだけ 自慢できることがあってね。 生まれてからね 人と争ったことがないの」

と。

 

それって すごいことだと思いますよ。 争いをしないですむ 93年の人生って 意志の力が相当働いていると思います。 あっぱれ。

争いが嫌い・・・とか 平和主義とか 言いながらもですね 生きてりゃ 人と摩擦の起きることなんか あちこちに待っているこの世の中でですよ・・・ Mさんは 母一人だけで 息子さんを育て上げながら 色々 声を荒げたいこともあったかと思うのに。 そんな人が 人と争ったことがない。と 言う言葉に 嘘はないだろうな と 信じられるのは。 私の知っている Mさんは 本当にそういう人だから。そういう人だから 93歳になったいまも 人に好かれて 可愛がられて 楽しそうに暮らしていらっしゃる。

生き方の上手な人 に 習いたいものだ・・・と Mさんレベルは 無理だとしても。 人のことを 必要以上に好きになることはないけれども 必要以上に嫌いな人をつくってしまう 人生も つまんないもんだろうな。と 最近思うようになった。

嫌いな人を 必要以上につくらないのって。簡単なようで これも けっこう 意志の力がいるよ~な気がします。

糠漬け効力

糠漬けって 悪くないかも。 と実感が増している今日このごろ。

いつ頓挫するのかな くらいで始めた糠床。これが結構やさしげに育ってくれて 美味しく漬かるようになってくれてます。

漬物って 日本人のソウルフードであり、それはそれは 身体にいいことある食べ物だったんですね。

発酵食品をもっと積極的にと思っても ヨーグルトは食べ忘れること多いし。納豆も食べるタイミングってものがあるし。

それにしてはですよ。この 糠漬けは 糠床をかき混ぜるという動作のなかで 野菜を取り出して新しい野菜を漬けてあげるという 一連の作業さえインプットしてしまえば。気がつけば ワイン片手に漬物ポリポリしながら夕食作っている自分の流れにはピッタリの摂取の仕方であったようです。

糠漬けポリポリ ワイン片手に夕食作りが 1日の中で一番好きな時間・・・のわたくしではありますが。

そんな わたくし トンプソン水上敦子が 英検対策の授業をThompson Internationalでは担当しております。

どうぞよろしくお願い致します。

学びの秋

学ぶことに謙虚にならなきゃ・・・あかん。 と 思っていながらも ついに もう後がない!と行動にうつしたのは あれは 何年前だっただろう。

月日だけは経った中で、希望する箇所の能力開発の中にはあまり進歩はみられないが。

淡々と 続けられるようになったと思う。

謙虚でありたい・・・と門をたたいたはずなのに、無駄に落ち込んだりしたこともあったのかもしれないが。 最近ではまず、なくなった。

そこに行き、知らなかったことを教わり、ときには自分のおぼえの悪さに舌打ちをしたくなりながらも、その場所を後にして。ということを ただただ 繰り返しながら

そうか・・・

自分にとって学ぶことは 打たれ強くなれることがまず最初の一歩だったのだ。・・・と。

学ぶということは 能力の開花の楽しさが まず先にくるような人もいるだろう。

自分は きっと 年が若くて記憶力がいまより少しあった時でさえも そういう学び方は まず出来なかったに違いない。

だから 若い時の私は、学ぶことが出来なかったんだ。

上へ上へ 伸びてゆくことのできない学び方をする人もいるんだ。と 若いうちから 自分を理解していたら、もっと 若い時から学ぶことに謙虚になれたのになぁ・・・と 後悔というものは先にたてないものであるらしい。

上へ上へと 伸びてゆくことができない 自分なりのリズムを理解してみると、微力ながらも、人へと教えさせていただくことに不思議な熱がはいるようになった。

実用英語検定にむけての授業

美しさの基本づくり

美しさには色々とあります。 雑草のようにたくましいタイプもあり、すみれのように、儚げながらも愛くるしい感じもありでしょし。そしてバラのように色々と手間をかけてあげることで育つ植物もあり・・と、一概に、これが正解の美しさはないようです。

それでも 本当にきれいな人は 長持ちするのだなぁと感心するような人が時にいますね。

あれは 何故なのでしょね?

言葉を交わさなくても この小さな街ですれ違って顔を覚えているような何人かいます。 挨拶もするような間柄ではありませんが。姿を憶えていて 何年たっても そのままで 美しいなぁと思うような人がいるとすると、少しみないうちに お年をとられたなぁと思う人もいます。

自分は どちらに属するのかというと 間違いなく後者のほうでしょうし。まぁ・・・ 無理して頑張る必要もなし・・・と、自分自身に関しては生きていますが。

が、 昨日 数年ぶりにお会いする方がいました。

街で見かけて 声をかけて立ち話。

変わらぬ美しさに 「****さん、本当にいつまでもおきれいですねぇ」と伝えました。

私よりも7歳歳上なはずなのに。ツヤのある肌 発するオーラも清々として 活き活きしています。

「ありがとう^^・・ 私、いま こういうことをしているのよ」といただいた 名刺にはナチュラルフードのオーガニックライフ:ハーブ アロマの台所薬局 と 食べることから心と身体を養ってゆく 食事法を指導するお仕事の内容が書かれていました。

色々と身体の不調があったことを機に 食の見直しを図り、柔軟にかつ真摯に取り組まれていった姿が、目の前にありました。

身体に摂取するものに気を配り。フカフカの土作りをイメージして。

時には いらないものを 取り除き。 温かなお日様も享楽的に楽しみ。雨のときには自分の内側に養分を蓄積し。そして雪の下でじっとジッと 待つ時間を豊かな時間に変えて過ごしてゆくことが出来たのなら

人は、きっと 年をとりながらも 美しくなることが可能なのかもしれない。・・・と、輝いている彼女をみながら感じました。

もうすぐ50歳。 あちこち 痛いです。本調子ではない日も前より多くなりました。

自分を大切に慈しんでいる彼女を見習って 大好きなバラを育てることと同じくらい 自分を慈しんでみる価値はあるかもしれない。と、とてもよい刺激になりました。 お会いできて嬉しかったです。

 

あちこち移動

久しぶりに1日家にいれた日。秋のほどよい気候。

トンプソンの長期留守から持ち帰った大量の洗濯物を朝から洗濯機フル稼働。

その合間に掃除機をかけまわり。拭き掃除もしてしまえ。・・・と

動いている間に、増えたものの所定の位置を持つのに、今までのレイアウトではうまく収まらず。

色々と動かしていた。

家具はもう買うつもりはない。・・・となると となると 小さな置物なので受けとめていくしか いまは方法がなく。

それでも 実家からやってきた 漆の脚付きのお盆がやっと陽の目をみれた感じになった。

そして 結婚した当時にいただいた シルバーを収納するボックスも やっと陽の目をみた。

思えば・・・ この家にやってきた5年ほど前は、飾り付けるよりも まず衛生面を確立しようよ。・・・と、自分は掃除の仕方の基本がなっていないと色々な掃除、収納の仕方などを指示している本に従ってやってきた。 こういうことは 母親がしっかりときれい好きな人ならば 娘も身についているケースが多いけれど。 どうも 自分の場合はそうではないと どこかで悟ったのだ。ゆえに 掃除の先生は 私の場合は本や雑誌なのです。 だから まだまだ 足りないところがある。

・・・とは いいながらも 5年もまじめに取り組んでみると それなりに身についてきて 掃除が少しはできるようになったから 次の飾り物たちを 神様は 私のところへ こさせるようにしたのかなぁ・・・などと 秋の陽射しの差し込む部屋を見渡していた。

でも これも いまの預かり物だと 思うくらいでちょうどよくて。あずかりものだと 雑に扱えないし そして 次に渡すときに きれいにしておかなければいけない責任感も生まれる。

そして 万が一・・・ 災害などで なくなるような日があったとしても それまで 大切に扱ってきたのなら 多くの意味で言い訳もたつ。

 

ものをあずかる

義理の母の話になってしまうけれど。

とても女らしく、やさしい気持ちの人だったと思う。

 

日本人形をいただいたのなら その人形を美しく飾ろうと心がけるような そんな人だった。

ものを 簡単に捨てるようなことのない人だったと思う。

まず どうにかして 保存できないか 活用できないか そんなように考える時代の人だった。 それは 国が違っても 時代背景やその人の感性によるものであるらしい。

 

それに比べ 私は ものに感謝する感性に欠けたうえに 考えなしにものを捨してしまえるような、 考え無しなところがあった。要するに面倒くさがりなのだ。シンプルがいい とか なんとか言い訳したところで、管理する 面倒が嫌いだったのだと思う。

でも 義母のそんな優しいものとの付き合い方に触れて以来、少しずつ そういうところを改善していくように努めていたと思う。

いただいたものを 優しい視線で慈しんでいく心って 尊いものだと 義母から教わったことだと思う。 それが たとえ偽物であったとしても 安っぽいものだったとしても その心ばえがものを光らせる。と でも そうすることには 本当に 本当に 労力のいるものだと

去年 父と義母を同時に亡くした私たちは 彼らから遺品としてやってきてしまうものの中で・・・アップアップ ちかれたああ と言いながら ものの整理や収納に追われているところがある。

心映のよくない 私など・・・「重いものより 軽い紙切れ(お金)のほうがいいなぁ・・・」などと 愚痴ったりする。

ほとんどのものは トンプソンの二人の姉のところへ いってほしい。それがものも喜ぶと思う。という私からのリクエストを考慮にいれても それでも 義母はものを大切にした人故に、お姉さんたちもお手上げだったのだろう・・・トンプソンがあれこれカナダから運んできてしまった。

女らしいアンティークのティカップ、シルバーのものたち・・・

磨いて 洗って 一生懸命、使わせてもらおう。 これを使うには パイナップルケーキでも焼いてみようか。それに美味しい紅茶が似合うだろうか・・・

義母のあの姿勢を知る前の私だったら・・・わずかながらでも、ものを生かす気持ちなど知らずにいた。それはそれでありだけれど。いまは まだ 体力がある内は せっせと ものを大切にするように試みて 次の世代に渡してゆける 受け渡し人の役割を果たすよう務めている。

 

停滞期

1ヶ月間、外で自分が受けているある授業に出席できなく。

9月になり、久しぶりに受けてみたら。

もののズバリ、後退していた。 3年くらい続けいていることで、最初の打撃よりも、ここのところちょっと出来るようになってきたぞ。よしよし このままいけば 進歩が望めるぞ。と、一瞬でも思ったあの時はいったい何であったのか?と思うほど。 停まったというよりも 後退していたような気がした。 これは 落ち込みますよ。落ち込むけれど 止めるわけにはいかないから augment だなんて こんな単語・・・おぼえられんよ・・・というような言葉を ひたすらおぼえるしかないと また初心に戻って。出来ないからやるというところに立っています。

また違う授業の個人レッスンの師に、「先生・・・1ヶ月一週間一回の授業から遠のく期間が、たったの1ヶ月ですよ。1つきで この体たらく・・・って。いやになります。が、見方を変えれば 一週間に一度だけでも先生の授業を受けていた時の自分は 一週間 先生とのこのたった80分の授業のために 用意するわけですよ。その用意が・・・色々なひっかかりを作ってくれていたんだと改めて思います」とボヤいたところ。 先生は

「あなたは、どちらかといえば芸術家肌(苦肉のフォロー)なんですよ。だから感性で生きてしまっていると思うんですよ。でも こういう 理論 考える力を 常に意識して生活するのって 楽しいでしょう」

「いや・・・先生・・その域には 今生では辿り着けそうもないですが。でも 来生への呼び水として もう少しマシになって死にたいと思ってます・・・」

そう・・・ もう少しマシになって死にたい くらいで 私にはいいと思っている。

マシになりたいから 気を取り直して また 一歩 一歩 いまの停滞期を過ごして また どこかで マシになったと 錯覚して また落ち込んで その繰り返しに慣れよう。めげない めげない・・・(ため息)

読書

読書の秋 と以前はよく聞いたフレーズです。

読書をするには、少し落ち着いたトーンが必要なのでしょうか。

色々なお楽しみや行事続きの夏の喧騒どきには、読書をする時間をみつけるのは難しいようです。

・・・もっと 読解力があったなら、自分の人生もう少しいいセンいけたのではないか・・・と、色々と悔いの残る中で。

自分が本を読み終わった後に よかったあああと実感できることは、生活に根付いたものの発見をできたことに限るのです。

100ページ以上あるような文章の中で、スパゲッティの茹で方は

100グラムのスパゲッティに対して、1リットルの水と10グラムの海塩で茹でる。ということを見つけた時や。

カステラは手でちぎった方が美味しいよ。とか・・・

人の綴った長い文章の中から そんな 一言を拾うためだけに読んでいるような気がするのです。

考えてみると 装いとか お洒落とか そういったものを探す時でさえも ファッションに関わるそのものの雑誌よりも、アガサ クリスティやロザムンド・ピルチャーなどが書いた文章の中で、あるいはココ・シャネルの自伝などの装いの描写から、色々と空想したりすることの方が 面白いと思います。

人の書いた文章の中にも いいものと 悪いものが あることも段々と分かってまいりました。

その時期と共に 目が悪くなって小さな字を読むことがしんどくなってくるのですから・・・残念だなぁと思います。

そして 旅も人の心に多くの栄養を与えてくれると、よく言われます。

が、自分は 実は旅が嫌いです。・・・というのは極度の飛行機恐怖症が理由です。

でも行かねばなりません。で、行きます。

行ってみると 確かに 日常の時間から離れた数日間は、普段動かない神経やその他諸々のことを刺激してくれるようです。

ですが刺激は刺激でしかなく 日常ではないと思うのです。

これは 私個人に限った リズムですが 日常を大切にして、人の時間を通した、よい書物を読み。 自分の周囲にいてくれる人やあるものを楽しみながら、一年に一回、いえ もしかすると二年に一回 旅に出る。 そこでも 自分の小さな 円をイメージするのです。 それ以上のことは考えない。 英語も、すごいことを考えずに 自分の小さな円の中で 少しずつ 少しずつ 言葉を発してゆくとよい。くらいのイメージです。 この私がCNNのジャーナリストになれるわけではないのですから。

これから 留学をしようとする子供たちに伝えたい事は きっとそんなことなのかなぁ と 自分の失敗や堂々巡りを振り返りながら思います。

留学するときに、まず自分の小さな円(縁)を大切に 大切にね。そこから 少しずつ 必ず大きくなってゆくから。と 伝えたいと思います。