ほんとのこというと・・・

本当のことを言ってしまうと

年々 年々 日常に埋もれてしまいたい自分がいる。
ただただ 食し 生活に追われ 眠りにつき 翌日を繰り返すだけの。

でも それでは 自分が育たないんだろうな・・・と 重い腰をあげて コンサートや 旅 や 文化に触れるような試みを自分に課してみると それは それで やはり 意義あることなのだろうとは 分かる。 が、 しかし、 どこかで エイヤッ と努めてる自分は一向にいなくならなく 更に驚くことに そういう 文化に触れることを喜びと愛しめる人々が 一方ではいるということが わかってくると・・・ まずいな 文化吸収にあまり積極的ではない自分・・・なんとかしたいよ と 心情穏やかでないまま 文化に 背伸びして 触れようとしている そんな様子なのだ。 

 そして それは この先も決してなくならないことは はっきりしていて。

 本音をいうと 焼き鳥屋で ビールでも飲みながら 一日の愚痴を言うよーな暮らしのほうに 自然に任せると いきたい性質。
 
 しかし、 世の中には 高尚な 文化や暮らしを楽しみ  きれいな言葉運び 楽しい冗談を交わしながらでも 決して、いない他人の批判などを簡単に口にしない人々もいるのだということを知ってしまうと 
 やはり ソッチの方が いいよなぁ・・・ と いくら 高尚さには欠けている自分でも そういう人たちには 憧れは持つ。

 注意して そういう人たちの 動向を観察してみると 決まって 文化を傍に置いているのだ。 自分の行きたいと思ったコンサートには積極的に出向き。 テーマをもって旅をし、なんというか そう 積極的なのだ。

 そうはいっても 自分の持って生まれた性分を 180度変えてまで 積極性を模倣するのもなぁ・・・と ためらう自分に 時々 えいや! っと 課すときに この言葉を唱える。

 庭をつくるのにも その作り手の文化度合いが出る。 庭のために 精進精進・・・と唱えながら 時々 えいや! っと 重い腰をあげての芸術 文化との 向き合い方をしています。

 

ハロウィーンいたしました^^

 10月22日の夕方、秋晴れの穏やかな夕暮れから ハロウィンのお楽しみ会しました。

 これまで 目を輝かせて お菓子につられてやってきた子たちが 皆成長されて
今回は とっても 少人数でしたが それゆえに 手作りチキンカレー と トマト・きゅうり、オニオンのヨーグルトドレッシングサラダで しめくくることが出来ました。

 今年は 夜の円山公園を 走り回りました。 しっかりと お菓子も getできて
カレーもおかわりをしっかりして 満足そうに 帰ってゆく子供たち・・・
日本に 生まれてよかったねぇ・・・ と このなんだかんだ言っても 平和な日本を うまく 調整しながら 維持してっておくれよ・・・と 見送りました。

 

まずは掃除しよう

人の目には ピエロが住んでいるような家に映るかもしれないし。

ごちゃごちゃして掃除しにくそう と思われる方もいると思う。

でも 自分にとっては この空間が 現在のところ 一番落ち着く。

自分は マメで丁寧な暮らしというのは 向いていなく。

あまり きっちりしすぎると 居心地が悪い。

そして 不思議な事に 張り切ってこの部屋のために買ったというものが殆ど無く。 いつのまにか 集まっていたものたちを 一番 伸び伸びしそうな場所に置いている。といった感じがする。

ランプも 旅行をしていて いいな と思うものを その都度 持ち帰ったものたちだし。 家具においては 実家やトンプソンの家から流れてきたもの トンプソンが作ってくれたもの。 ひとりがけのソファは独身時代に買ったものを生地を張り替えて使っている。

そして

秋休み終わりました。

9月の最後の週 今年は思い切って お休みをいただきました。

年間48週を開けるように これまで やってまいりましたが

他校さんに 派遣レッスンの仕事をさせていただくうちに

年間 大体41から43週のオープンで 行われているところが多いのだなぁということがわかってまいり、 今年は 思い切って46週で挑んでみました。 が、^m^ 結局は 忙しくてレッスンをとりづらい個人レッスンの方や 地震で行えなかった分などを 調整しながら 一日 数時間、開けるといった具合で ボチボチとやっておりました。

しかし その中でも  気持ちにゆとりが生まれるせいか したかったことも 出来たり 彼岸のお墓参りにも行けたり お友達と ゆっくりとした時間を持てたり すごく 充実した時間を持つことができました。

夏のお盆休みは トンプソンも 私も 家族 親戚などの行事がまだ重なるときで 忙しなく 終わってしまうのですが

秋の この 時間の静まりに 閑をいただけることは 幸せでした。 ありがとうございました。

また 雪の降り始める 北海道を楽しめるように 皆様も 気力体力 十分 整えられることができますように 応援しております。

 

逸見さん 阿部さんより 作っていただいた ステンドグラス ライトも 自分たちで 配線工事をして つけることもできました。

本当は 電気の配線は プロの頼まなければならないので いけないのですが 自分の家だから いいよね! と 秋のある日に 天井に穴を開けて 天井裏にコードを通すのが 一番 大変だった。

 

あとは 秋の夜長 少し 贅沢な空間で 楽しいひとときを持つこともできました。

整理することは大切なことだったのだ。ったのね・・・

至極 遅い発見だったけど、やっと やっと 分かったのだ。

 

何事も整理のあるところに 成就が宿るのか?・・・ということが。

整理整頓のできている家に幸せが訪れるということは 風水からなる考え方や 近頃の(ちょっとやり過ぎな感もあるが)断捨離考でも 何度も 唱えられている。

料理も 段取り、片付け、手順の整った仕事から 美味いものが生まれるとは 一流のお店や 人気のラーメン屋でも 感激の味に舌鼓をうった時に実感のできること。

衣服も 庭も いや 人間関係だって 挙句の果てには 男と女の関係でさえも 混沌とした中に 整理を求めている人と 求めていない人とでは、何か 微妙なニュアンスでも 出来栄えが違うのではないか??? と 思い始めていたところに・・・

最近になって やっと 勉強というものに 向き合うようになったわたくしですが・・・ 勉強っていうものも そうなんか?・・・と かつて知ることのなかった感触にたどり着いたのだ。 きっと 多くの人達が 高校生くらいでわかることを 50になって やっと気づいたこの感動・・・。

なんだ? なんなんだ?と、結果も出していないというのに 大きく語れないけれど 勉強って きっと その人のやり方で 詰め込み型でも スイスイ暗記型でも マイペース型でも ちょっと苦しみながら自分に合う方法を追求してゆくのが 勉強なのかな・・・と考える。

しかし どの型でも 共通してせねばならぬことが 一つある。

それは 勉強してきたことの 整理をしてみる。ということなのか?

これの 上手い人が 結果を出す。 ってことなのか?

言い換えると 整理をしようとすることは、それまで 積み上げてきたものがなければ出来ない。 何もない な〜〜〜んにもないところに 整理という作業は ありえないのだ。

恋愛も 心の整理 情の整理をできるところまで辿りつけた人は 彩りの多い生き方をされてお幸せでしたね・・・となれるが、まかり間違うと 痴情のもつれで事件に巻き込まれてしまった場合だってあるのだ。

衣服の整理も ある程度の 紆余曲折がなければ コーディネートに深みはでないような気もするし。

やはり 積み重ね ある程度の 分量まで到達することはマストでありながらも その中で 見直し 混み合っていたものを ひとまず 整理する大切さは どの分野にもあるのかもしれない。

自立 Self-reliance

皆さま 地震大変でした。

さらに震災にあった方々へは心よりのお見舞いを申し上げます。

今回の地震は エピセンター震源地がどれだけの破壊力を持っているのかを 私たちでさえも身の引き締まる規模の地震であったと、思います。

電気を使えなくなり ご近所単位で助け合った方々も多かった札幌市 自分たちの出来ることはないか? と 意識して動かれていた方々本当に頭が下がりました。 お疲れ様でした。

自分で立つということは このレベルから 昔の人達は訓練されて生きてきたのだ・・・と 想像をしてしまいました。

水を確保する。大切につかう。火をおこす。朝は早く起きて日が暮れるとともにやすむ。

昔の人達は その生活をじゅんぐりと行って。精神もそのように培われてきたのかなぁ。 そんな生活の中での暮らしは 心の贅肉も少なかったと思う。

 

 

見渡してみると

先日 自分に合った方法でしか ものごとはうまく運ばないのではないか? といった内容のことを述べさせていただきました。

部屋ひとつとっても  いや 部屋に一番 個性が映しだされるのかなぁと思ったりする。

スタイリッシュな部屋や、ものを外に一切置かない状態を好む人からみたときに

わたしが落ち着く部屋は ピエロの住む部屋のように滑稽なのかもしれない。

部屋を見渡しながら また もう一つ気づいたことがある。

自分の暮らす部屋は いただいたもの 気が付くと自分の手元に来ていたモノたちが 70%以上を占めている。

気が付くと 集まってきたランプたち。 気が付くと 実家やトンプソンの家からやってきた家具。 手作りの棚やサイドテーブルはいつのまにか手元に残った。 あるときは もうちょっと かっこいい北欧スタイルとかいいのになぁと憧れたりもしたが わたしには自分の主張を押し通すほどの 確固たる好みというものが実はないのだ・・・ということに気づく。

自分の周りにやってきてくれた 人やモノを大切にする生き方のほうが 自分には合ってるのかもしれない・・・と 物を眺める時がある。

自分に適した方法

お子さんたちの 試験の準備をみるにあたって もしや これは・・・と感じていることがある。

試験に合格するにあたって そりゃ 出来る出来ないということが大きく勝敗を分けるのだろうけれど。

それぞれの個性が 自分の勉強の仕方を分かって それにのっとりリズムをつくって 乗り越えてゆくかってことなのかなぁ と思ったりする。

例えば じっくり型のB君が ピカピカ電光のようなA君の真似をして挑んでも うまくいくわけがない。 じっくりB君は じっくりとしたペースで トランプのカードが次々と開かれていくような展開がくる波をじっと待つ・・・ そして 結果を出す。

ふんふんあれねこれね と 空気を泳ぐように 分かったつもりになりがちな Cちゃんは それはそれの良さがあるのだから なんども泳ぐように反復したら 点数につながる。

その個性が悪いわけではなく 自分の勉強の仕方 リズムを掴まないことが もったいのないことだったのだ・・・ と この年になってそうか そうだったのかと分かることが出来た。

考えてみたら 何に関してもそうだ。

人と交渉をしてゆくときにだって 自分のスタイル 自分に合った方法がある。 誰かのモノマネをしたところで それは 相手の心に響くわけがない。 交渉 交渉と 言ったところで 相手が人間である以上、まずは第一に自分という人間に合った方法スタイルで、相手と向き合い決着点にむけて話し合ってゆく。この面倒なことへの対処の仕方というのも 自分スタイルを 早いうちに見出すことも必要なのだと心から思う。

片付けの仕方、料理の仕方 なんの仕方も 自分に合う方法を見出そうというように進歩していくことって可能なのかな・・と 競争社会に身をおいたことのない自分はそんな流暢なことを考えている。

そんな流暢な戯れ言をいうと 飲み友達の おじさん達に 「普通の社会はね あつこさん 競争ってものがあるんですよ」とちくりと諭される。

私の台所

私の台所 と 沢村貞子さんの名作のタイトルのようですが

私は この台所 とても気に入っているのです。

中古で買った家だから 20年ほどの古さです。

なぜに HPで 自慢したいほど気に入っているか・・・というと

5年の間 ほぼ毎日のように立って 料理し続けた唯一の台所だから

愛着も湧いてきます。

それまでは 何かと理由をつけて 外をフラフラすることの多かった自分が ひっそりと身を隠すように この台所でなんつーか・・・心と向き合うことの出来た場所だったからでしょうか。

台が必要なところに 手作り台を自分たちでつけたり 七輪で焼き物したり、夏は蚊取り線香を外に置いたりと

この台所と出会えてよかったと思います。

きっと これからも 大切にして 傷んだ場所や 改善したいところを修理しながら できるだけ 毎日 毎日 ここに立ち続けたいなぁと

私の台所 と呼べる場所を初めて持てたそんな場所です。