糠漬け効力

糠漬けって 悪くないかも。 と実感が増している今日このごろ。

いつ頓挫するのかな くらいで始めた糠床。これが結構やさしげに育ってくれて 美味しく漬かるようになってくれてます。

漬物って 日本人のソウルフードであり、それはそれは 身体にいいことある食べ物だったんですね。

発酵食品をもっと積極的にと思っても ヨーグルトは食べ忘れること多いし。納豆も食べるタイミングってものがあるし。

それにしてはですよ。この 糠漬けは 糠床をかき混ぜるという動作のなかで 野菜を取り出して新しい野菜を漬けてあげるという 一連の作業さえインプットしてしまえば。気がつけば ワイン片手に漬物ポリポリしながら夕食作っている自分の流れにはピッタリの摂取の仕方であったようです。

糠漬けポリポリ ワイン片手に夕食作りが 1日の中で一番好きな時間・・・のわたくしではありますが。

そんな わたくし トンプソン水上敦子が 英検対策の授業をThompson Internationalでは担当しております。

どうぞよろしくお願い致します。

学びの秋

学ぶことに謙虚にならなきゃ・・・あかん。 と 思っていながらも ついに もう後がない!と行動にうつしたのは あれは 何年前だっただろう。

月日だけは経った中で、希望する箇所の能力開発の中にはあまり進歩はみられないが。

淡々と 続けられるようになったと思う。

謙虚でありたい・・・と門をたたいたはずなのに、無駄に落ち込んだりしたこともあったのかもしれないが。 最近ではまず、なくなった。

そこに行き、知らなかったことを教わり、ときには自分のおぼえの悪さに舌打ちをしたくなりながらも、その場所を後にして。ということを ただただ 繰り返しながら

そうか・・・

自分にとって学ぶことは 打たれ強くなれることがまず最初の一歩だったのだ。・・・と。

学ぶということは 能力の開花の楽しさが まず先にくるような人もいるだろう。

自分は きっと 年が若くて記憶力がいまより少しあった時でさえも そういう学び方は まず出来なかったに違いない。

だから 若い時の私は、学ぶことが出来なかったんだ。

上へ上へ 伸びてゆくことのできない学び方をする人もいるんだ。と 若いうちから 自分を理解していたら、もっと 若い時から学ぶことに謙虚になれたのになぁ・・・と 後悔というものは先にたてないものであるらしい。

上へ上へと 伸びてゆくことができない 自分なりのリズムを理解してみると、微力ながらも、人へと教えさせていただくことに不思議な熱がはいるようになった。

実用英語検定にむけての授業

美しさの基本づくり

美しさには色々とあります。 雑草のようにたくましいタイプもあり、すみれのように、儚げながらも愛くるしい感じもありでしょし。そしてバラのように色々と手間をかけてあげることで育つ植物もあり・・と、一概に、これが正解の美しさはないようです。

それでも 本当にきれいな人は 長持ちするのだなぁと感心するような人が時にいますね。

あれは 何故なのでしょね?

言葉を交わさなくても この小さな街ですれ違って顔を覚えているような何人かいます。 挨拶もするような間柄ではありませんが。姿を憶えていて 何年たっても そのままで 美しいなぁと思うような人がいるとすると、少しみないうちに お年をとられたなぁと思う人もいます。

自分は どちらに属するのかというと 間違いなく後者のほうでしょうし。まぁ・・・ 無理して頑張る必要もなし・・・と、自分自身に関しては生きていますが。

が、 昨日 数年ぶりにお会いする方がいました。

街で見かけて 声をかけて立ち話。

変わらぬ美しさに 「****さん、本当にいつまでもおきれいですねぇ」と伝えました。

私よりも7歳歳上なはずなのに。ツヤのある肌 発するオーラも清々として 活き活きしています。

「ありがとう^^・・ 私、いま こういうことをしているのよ」といただいた 名刺にはナチュラルフードのオーガニックライフ:ハーブ アロマの台所薬局 と 食べることから心と身体を養ってゆく 食事法を指導するお仕事の内容が書かれていました。

色々と身体の不調があったことを機に 食の見直しを図り、柔軟にかつ真摯に取り組まれていった姿が、目の前にありました。

身体に摂取するものに気を配り。フカフカの土作りをイメージして。

時には いらないものを 取り除き。 温かなお日様も享楽的に楽しみ。雨のときには自分の内側に養分を蓄積し。そして雪の下でじっとジッと 待つ時間を豊かな時間に変えて過ごしてゆくことが出来たのなら

人は、きっと 年をとりながらも 美しくなることが可能なのかもしれない。・・・と、輝いている彼女をみながら感じました。

もうすぐ50歳。 あちこち 痛いです。本調子ではない日も前より多くなりました。

自分を大切に慈しんでいる彼女を見習って 大好きなバラを育てることと同じくらい 自分を慈しんでみる価値はあるかもしれない。と、とてもよい刺激になりました。 お会いできて嬉しかったです。

 

あちこち移動

久しぶりに1日家にいれた日。秋のほどよい気候。

トンプソンの長期留守から持ち帰った大量の洗濯物を朝から洗濯機フル稼働。

その合間に掃除機をかけまわり。拭き掃除もしてしまえ。・・・と

動いている間に、増えたものの所定の位置を持つのに、今までのレイアウトではうまく収まらず。

色々と動かしていた。

家具はもう買うつもりはない。・・・となると となると 小さな置物なので受けとめていくしか いまは方法がなく。

それでも 実家からやってきた 漆の脚付きのお盆がやっと陽の目をみれた感じになった。

そして 結婚した当時にいただいた シルバーを収納するボックスも やっと陽の目をみた。

思えば・・・ この家にやってきた5年ほど前は、飾り付けるよりも まず衛生面を確立しようよ。・・・と、自分は掃除の仕方の基本がなっていないと色々な掃除、収納の仕方などを指示している本に従ってやってきた。 こういうことは 母親がしっかりときれい好きな人ならば 娘も身についているケースが多いけれど。 どうも 自分の場合はそうではないと どこかで悟ったのだ。ゆえに 掃除の先生は 私の場合は本や雑誌なのです。 だから まだまだ 足りないところがある。

・・・とは いいながらも 5年もまじめに取り組んでみると それなりに身についてきて 掃除が少しはできるようになったから 次の飾り物たちを 神様は 私のところへ こさせるようにしたのかなぁ・・・などと 秋の陽射しの差し込む部屋を見渡していた。

でも これも いまの預かり物だと 思うくらいでちょうどよくて。あずかりものだと 雑に扱えないし そして 次に渡すときに きれいにしておかなければいけない責任感も生まれる。

そして 万が一・・・ 災害などで なくなるような日があったとしても それまで 大切に扱ってきたのなら 多くの意味で言い訳もたつ。

 

ものをあずかる

義理の母の話になってしまうけれど。

とても女らしく、やさしい気持ちの人だったと思う。

 

日本人形をいただいたのなら その人形を美しく飾ろうと心がけるような そんな人だった。

ものを 簡単に捨てるようなことのない人だったと思う。

まず どうにかして 保存できないか 活用できないか そんなように考える時代の人だった。 それは 国が違っても 時代背景やその人の感性によるものであるらしい。

 

それに比べ 私は ものに感謝する感性に欠けたうえに 考えなしにものを捨してしまえるような、 考え無しなところがあった。要するに面倒くさがりなのだ。シンプルがいい とか なんとか言い訳したところで、管理する 面倒が嫌いだったのだと思う。

でも 義母のそんな優しいものとの付き合い方に触れて以来、少しずつ そういうところを改善していくように努めていたと思う。

いただいたものを 優しい視線で慈しんでいく心って 尊いものだと 義母から教わったことだと思う。 それが たとえ偽物であったとしても 安っぽいものだったとしても その心ばえがものを光らせる。と でも そうすることには 本当に 本当に 労力のいるものだと

去年 父と義母を同時に亡くした私たちは 彼らから遺品としてやってきてしまうものの中で・・・アップアップ ちかれたああ と言いながら ものの整理や収納に追われているところがある。

心映のよくない 私など・・・「重いものより 軽い紙切れ(お金)のほうがいいなぁ・・・」などと 愚痴ったりする。

ほとんどのものは トンプソンの二人の姉のところへ いってほしい。それがものも喜ぶと思う。という私からのリクエストを考慮にいれても それでも 義母はものを大切にした人故に、お姉さんたちもお手上げだったのだろう・・・トンプソンがあれこれカナダから運んできてしまった。

女らしいアンティークのティカップ、シルバーのものたち・・・

磨いて 洗って 一生懸命、使わせてもらおう。 これを使うには パイナップルケーキでも焼いてみようか。それに美味しい紅茶が似合うだろうか・・・

義母のあの姿勢を知る前の私だったら・・・わずかながらでも、ものを生かす気持ちなど知らずにいた。それはそれでありだけれど。いまは まだ 体力がある内は せっせと ものを大切にするように試みて 次の世代に渡してゆける 受け渡し人の役割を果たすよう務めている。

 

停滞期

1ヶ月間、外で自分が受けているある授業に出席できなく。

9月になり、久しぶりに受けてみたら。

もののズバリ、後退していた。 3年くらい続けいていることで、最初の打撃よりも、ここのところちょっと出来るようになってきたぞ。よしよし このままいけば 進歩が望めるぞ。と、一瞬でも思ったあの時はいったい何であったのか?と思うほど。 停まったというよりも 後退していたような気がした。 これは 落ち込みますよ。落ち込むけれど 止めるわけにはいかないから augment だなんて こんな単語・・・おぼえられんよ・・・というような言葉を ひたすらおぼえるしかないと また初心に戻って。出来ないからやるというところに立っています。

また違う授業の個人レッスンの師に、「先生・・・1ヶ月一週間一回の授業から遠のく期間が、たったの1ヶ月ですよ。1つきで この体たらく・・・って。いやになります。が、見方を変えれば 一週間に一度だけでも先生の授業を受けていた時の自分は 一週間 先生とのこのたった80分の授業のために 用意するわけですよ。その用意が・・・色々なひっかかりを作ってくれていたんだと改めて思います」とボヤいたところ。 先生は

「あなたは、どちらかといえば芸術家肌(苦肉のフォロー)なんですよ。だから感性で生きてしまっていると思うんですよ。でも こういう 理論 考える力を 常に意識して生活するのって 楽しいでしょう」

「いや・・・先生・・その域には 今生では辿り着けそうもないですが。でも 来生への呼び水として もう少しマシになって死にたいと思ってます・・・」

そう・・・ もう少しマシになって死にたい くらいで 私にはいいと思っている。

マシになりたいから 気を取り直して また 一歩 一歩 いまの停滞期を過ごして また どこかで マシになったと 錯覚して また落ち込んで その繰り返しに慣れよう。めげない めげない・・・(ため息)

読書

読書の秋 と以前はよく聞いたフレーズです。

読書をするには、少し落ち着いたトーンが必要なのでしょうか。

色々なお楽しみや行事続きの夏の喧騒どきには、読書をする時間をみつけるのは難しいようです。

・・・もっと 読解力があったなら、自分の人生もう少しいいセンいけたのではないか・・・と、色々と悔いの残る中で。

自分が本を読み終わった後に よかったあああと実感できることは、生活に根付いたものの発見をできたことに限るのです。

100ページ以上あるような文章の中で、スパゲッティの茹で方は

100グラムのスパゲッティに対して、1リットルの水と10グラムの海塩で茹でる。ということを見つけた時や。

カステラは手でちぎった方が美味しいよ。とか・・・

人の綴った長い文章の中から そんな 一言を拾うためだけに読んでいるような気がするのです。

考えてみると 装いとか お洒落とか そういったものを探す時でさえも ファッションに関わるそのものの雑誌よりも、アガサ クリスティやロザムンド・ピルチャーなどが書いた文章の中で、あるいはココ・シャネルの自伝などの装いの描写から、色々と空想したりすることの方が 面白いと思います。

人の書いた文章の中にも いいものと 悪いものが あることも段々と分かってまいりました。

その時期と共に 目が悪くなって小さな字を読むことがしんどくなってくるのですから・・・残念だなぁと思います。

そして 旅も人の心に多くの栄養を与えてくれると、よく言われます。

が、自分は 実は旅が嫌いです。・・・というのは極度の飛行機恐怖症が理由です。

でも行かねばなりません。で、行きます。

行ってみると 確かに 日常の時間から離れた数日間は、普段動かない神経やその他諸々のことを刺激してくれるようです。

ですが刺激は刺激でしかなく 日常ではないと思うのです。

これは 私個人に限った リズムですが 日常を大切にして、人の時間を通した、よい書物を読み。 自分の周囲にいてくれる人やあるものを楽しみながら、一年に一回、いえ もしかすると二年に一回 旅に出る。 そこでも 自分の小さな 円をイメージするのです。 それ以上のことは考えない。 英語も、すごいことを考えずに 自分の小さな円の中で 少しずつ 少しずつ 言葉を発してゆくとよい。くらいのイメージです。 この私がCNNのジャーナリストになれるわけではないのですから。

これから 留学をしようとする子供たちに伝えたい事は きっとそんなことなのかなぁ と 自分の失敗や堂々巡りを振り返りながら思います。

留学するときに、まず自分の小さな円(縁)を大切に 大切にね。そこから 少しずつ 必ず大きくなってゆくから。と 伝えたいと思います。

スタートしています!

帰ってきたら、木の葉が金色になり始めています。 暑いようでいても秋はもうやってきているのですね。

 

この度、念願のNYに寄ってきました。

NYは 素敵な街でした。 短い間の滞在でしたから、そう思えたのかもしれませんが。

色々なことがあった街の人々は、Happyな人もいれば もちろん Unhappyな人もいました。が、Happyな人の割合が多いように見受けられました。 気取った表現を許してもらえるのであれば、シャガールの1枚の絵のような街角がたくさん集まっているような街。そんな印象を受けました。

そこに暮らす人達がNYを愛している。という気持ちが伝わってきて、観光客の心をとても和ませてくれました。

エドワード ホッパーの絵も、NYで観ると 全く別のものにみえました。

お盆休み13日〜21日

お盆のお休みは 8月13日〜21日までいただいております。

24日まで 受付、わたくし受付担当の水上までも・・・カナダでの法要のために留守にしております。

そのような理由にて

22、23、24日まで 限られたレッスンのみOPENというイレギュラーなスケジュールでのご協力を皆様大変ありがとうございました。

また もしもお問合せをいただいても 24日まで受付音信不通になるご無礼をどうか、どうかお許し下さい。

8月25日より  心あらたに 毎日を磨いていくように皆様がレッスンにおみえになることを、通常のリズムでお待ちしています。

何卒 よろしくお願い申し上げます。

・・・私事ではありますが 先日 父の一周忌を終えました。

親戚の多くが集まり、遠方関西、東京方面から従兄弟の子供たちの代まで連れて来てくれ法要とはいえ、3ジェネレーションとても楽しい時間を過ごすことが出来ました。

お墓に行った際には、お墓は磨かれお花が飾られ 遠目からも輝いてみえました。 この お墓の前で、不良少女Aの14歳位だった私に父は最後の通告というような厳しい気持ちをもって、考えるということを知らなかった人間に、考えさせる機会をもたせるような重みで話してくれたことを、そんなことを回想しながらお墓の前におりました。

お墓参りをすると良いことがある・・・とか 巷では語られていますが・・・ 色々な人が集まり 水で清められ 美しいお花が飾られた お墓は キラキラと輝き 父が 本当に喜んでいるように感じました。

こうなると 生きている私達自身に、よいことがあるとか ないとかよりも 故人が喜んでいる・・・ その喜びだけで 十分ではないか。と 思えた そんな刻でした。

今度は カナダのオンタリオ州オタワにある トンプソンの母のお墓に行ってまいります。

よいお盆の時季をお過ごしください。

 

Laura Knight

雑誌から切り抜いた、1枚の絵を写したページ。

好きだなぁ と 感動して 額に入れて自分の眠る部屋に置いてある。

画家の名前は Laura Knight イギリスの女性画家。1877年から1970年まで生きた方らしい。

こんな 絵を描けるのなら 画家である意味も見いだせるよ。すごいよ。と感じた。

大らかな タッチで 正確な描写 ちょっと着古したサマーセーターの苺のシミまでも 感じるような一枚。

この絵と同じように、玄関アプローチにしても、まるで 本当に 意図をもたなかったように自然な様子で人を迎え入れてくれるような家ってあるのだろうな・・・と 想像をしていた。

コチャコチャとしていなくて 狙いがなくて おおらかに自然に 立派さを誇示するようでもなく 楽しげで やわらかい そんな玄関に この絵は きっと 似合うだろうな。 いやいや 英国を代表する画家の1枚 どこで この絵をみることができるのだろう・・・ 一度でいいから観てみたい。