それでいいのだ・・・

不気味な画像はこれ、先週庭の大木の根本だけが残っているのを、トンプソンと二人で取り除いていた時に 死んだ木の中から うわッと出てきた代物たち。 キャー!!なにこれ!と 大きく後ずさりしたものの・・・あれ? これって 昔 O太郎君がスクールに公園から拾ってもってきたあの幼虫と一緒じゃないか? ということは これは いずれはクワガタにかえる幼虫だよ。 ・・・と しばし冷静になる。

幼稚園児だった彼も もはや 中学校3年生。 もうクワガタ捕まえて嬉しがるような年でもないとは思うけれど。 喜ぶんじゃないか?・・・と、とっておいた。

で、写真で送って いる? と聞いたら、丁重に 「もとの場所に優しく戻しておいてあげてください」と大人な返事が返ってきた。

虫の死骸や あんな気持ちの悪いものをスクールに持って来ては私に怒られ。そしてレッスンも集中できず・・・ 落ち着かず。時にはネイティブの講師から 私も悩み相談を受けたりしていた あのO太郎が・・・ なんだかの学校以外の模試テストで英語の順位が2位になったと 先月その結果を嬉しそうにみせてくれた。

数学 国語 英語の 3つの数値があの 円で表わされていて、あまりにも 国語と数学の数値が英語と比べて ひっこんでいるから 「これ まずいじゃないの?O太郎?」と私が尋ねると。

「違うのこれ。数学と国語は平均点以上とれているの。でも 英語があまりにも点数高いからこうなってみえるだけ」と言う。

「へええ。すごいじゃないの キミ」と私、驚きながら じゃ やるか と演習を始める。・・・で

この 数年間 変わらず 一徹していることは 彼は まず ノートもとらない。演習とか もう スピードがありすぎて 字も書かない。というか書けない。

最初は 書きなさい~~~! と やっていたけれど。 ある時から 私は 悟った。

これが 彼のやり方なのだ。と。

そして 例えば、 Y君が じっくりとじっくりと 問題を読みながら 点数につなげていくタイプだとすると このO太郎君は 瞬発的に答えが頭の中に閃かないと もう そこで ストップ。 それから 思考が止まる。消去法とか こうではないか? とか 攻略とか あまり彼には関係ない。けれど すごい ものが天から降りてきたように いい訳をしたり、解答率が高くいくようになってくると もう 水がなみなみと漲っている。という状態になっているということ。

だから 彼との演習は とにかく スピードをもってリズムをつけて 彼の閃きを促していくといったことにしている。

字を書けとか もっと考える力を養いなさいとか そんなことより数をこなして 彼の頭の中にごっちゃごちゃとあちこちに乱雑に溜まったものが 噴火していく様子。 整理して 字をきれいに書いて 構築して とか そんなやり方は彼には 当てはまらないんだな。・・・と 思うようになった時と 彼の成長時期が重なったのか・・・すごいことに いま なっている。

そんな風になっているというのに 私の中では いつまでも こんな幼虫を追いかけていたO太郎のままでいたのだから 笑ってしまう。

やさしく元のところに返しておいてあげてください。・・・か なんだか この私が 諭されてしまったような気持ちになった。

Tresure every meeting.. 一期一会

Recently, I became to understand the meaning of ” Tresure every meeting..”for my own interpretation.

最近、自分なりの解釈で 一期一会の意味をとらえられるようになってきました。

今朝、Thompson Internationalで8年近く一緒に仕事をしてくれてアメリカに帰国したアンドリューの住んでいた家の前を通りました。ある人から、売りに出ていたその家は中国人に無事売れたようだ。と聞いていました。

もうすでにその家族が住んでいるようでした。桜の木が 山の上にあるその土地では いまが盛りでした。

アンドリュー、元気にしているかな? 幸せに皆アメリカで頑張っているんだろうな。と 花があちこちで咲き乱れる坂道を運転してきました。

8年間という長い時間を過ごせた、彼に敬意を払って あの出会いも一期一会だったんだろうな。と しみじみと思っていました。

もうお互いに接点がないから連絡をしあうのもおかしいけれど、常に彼のことは思い出にあり、いつも心の中で応援している相手。

そんな出会いを 一度だけの出会いでも出来るような そんな風に 人と出会っていきたいな。と最近思えるようになってきました。

自分事ですが、最近自分の演習が役立つと思ってくれるのか、小学校3年生4年生などで英検2級を受けるようなお子さんたちのお母様から多く要望をいただけるようになりました。

正直、もう平日は余裕がなく 休日月曜日に行うことと至っています。

それに対し発信元となられたお母様の一人が私に、「本当にごめんなさい、私がトンプソンさんのことを教えたばかりに 大変な目にあわせてしまい・・・」と謝られたのです。

私は 思いました。

役に立てることは嬉しいと。 そして その役に立てることも永遠ではないのだから だから 余計に貴重だと 心から思いました。

子供さんの一時期、その時間に携わっていられるのは そう 用があるから 役割があるから 私がいれる。その時間が終わり、役割を終える。

それで良い。

と・・・ その時間に その相手と向き合えばよい。と。

これは 家を建ててみて また しみじみと思うことでした。

いくら建築家さんが 先生、先生と呼ばれても、 壁の修繕工事の時には 私たちにとって一番必要な相手は左官屋さんなのである。

先月、竣工あとの修繕ということで左官屋さんが3人おみえになりました。

するとうちの壁はペンキで塗っているので 乾燥でひびが入っている部分が広範囲にわたりました。

最初は、午前中だけで終わるだろうとそのつもりでやってきたようですが、これは一日仕事になるなと内心焦った表情が、伝わってきました。

我家の建つ場所はセブンイレブンはまぁ あるといえばあるのですが 車で5分ほどといったところです。きっとお昼、食べるところ探すの大変だろうな。と これまでの経験で分かりました。

どうせ自分たちの夕食の分を作らなければならないし、一日中、家にいなければいけない。

ということで ミートソースを作り始めました。

それをお昼にいかがですか? と言ったら いただきます! ということで

お昼に ミートソースと ライスという不思議な組み合わせでしたが お出ししました。

そして夜の6時まで、通して頑張ってきれいなお仕事をしてくださいました。

その間、刺青がいかつい腕をした一人の彼がなんと3人の子持ちであること。女の子ばかりで、もうよく喋るんですよ。というような話や色々な話を嬉しそうにしていたことが印象的だった。

仕事が終わり、お疲れさまでしたと見送る私に「お昼ごちそうさまでした。美味しかったです」と、その一番やんちゃそうな刺青の彼が、他の人を出し抜いて言ってくれた。

また なにかあったらよろしくお願いします! と お別れした。

私は 俗物なのだろうか。 きっと 常に人は平等であるという気持ちを持とうとされる高尚な方に比べると、かなり即物で物を考える人間なのかもしれない。

けれど、私にとってあの日のあの時間、あの時には、先生と呼ばれる建築家さんより何より、左官屋さんが大切な相手であったと思う。

あの左官屋さんとは もう会うことがないのかもしれない。でも ごちそうさまでした 美味しかったという言葉を残してくれた彼のことは忘れない。

私は 一体、誰に その 思いを 残し そして 去り、去られてゆくのかな・・・と

自分が生産的なことで、もう人の役に立てなくなった時、今度は どんな景色がみえてくるのかな・・・

その景色は もう少しあとに みえてくるのだろう。

いまは 一期一会 の言葉の 自分なりの解釈が 前と違ってきた そんな気分を眺めています。

 

 

Youth is not a time of life, it is a state of mind.

サミュエル・ウルマンの詩にある、この Youth is not a time of life, it is a state of mind. 「青春とは人生のある期間をいうのではなく、心の様相を言うのだ」・・・てホントーなんだろうなぁと思うことがありました。

 

春休みが今日で終わりますが

春休み中にも子供さんたちは私たちスクールの授業に来てました。

するとですね。面白いなぁと思うことがありました。

いつも 天才チックでありたいと願っているK君という中学生男子と英検準1の勉強をしていた時のこと。

なんか変なのです。いつものキレ(冴え)がないのです。

「なんか K君、いつものキレがないねぇ どしたの?」と問う私に向けたときの どんよりとした瞳。

「どしたの? その死んだ魚のよーな目は・・・ どこかで見たことあると思ったらさ 私の寝起きの時の目と一緒。それ」・・・そーなのです。下手すると 一日中、こ~~ゆ~目をしてしまっているんだな 私。いかんいかん・・・と思わせるような あの目。

「どしたのさ?」と聞く私に

「いやぁ 学校がないとね・・・全く刺激がなくて そんで ゲームも← 彼に対しては このゲームも知識の結構な源になっているから、ゲームも否定できないなぁと思わせるもの。 そのゲームも なんか面白いものがもうなくなっちゃってね。 学校がないと こんなに刺激がなくなるもんかぁ・・・って」

「えええ 君のような年でも 刺激が無くなるとそんな目をしてしまうのならさ・・・私がそーゆー目をして年がら年中生きてしまうのも 無理ないわねぇ」と愕然。

いや・・・ホント。 年をとるということは中学生でも出来てしまうのねと思わせるワンシーン。

刺激というか 目標、充実、目的、課題 ワクワクすること 一日のうちに 持って生きたいものだよ。実に そうありたいものだ。と 鏡の中で 顔よりも 目をみるようになった今日この頃。

 

もてなし自分流

先日、友人2人が家を訪ねてくれた。 この祝日の存在が大変ありがたく。

翌日が平日で休みの定休日というのが 実に実に 貴重なのだ。

しかも!トンプソンはラオスに行き不在。

さあ 女友達を招こう! いくら肩肘張らない仲とはいえ、さて 何で招こうか。

と 決めたのが オーブンのパンそのままで作る パエリアと 普通のサラダ それにガスパッチョ。

その3品のみ。

自分が人に料理を作るとき まず3品くらいを目安にしている。 それ以上は雑な自分には難しいことがわかっている。

そして 一つだけ 課していることは、作る工程を必ず丁寧に丁寧に心がける。清潔に、丁寧に。味の美味しいまずいは そののちで。 プロの料理人ではないから とにかく新鮮なものと清潔さ。それだけである。

アルゼンチン、スペインと1っか月以上かけて過ごし帰国して3日目の友人と、旦那さんにお刺身をあたえて(犬のようですが)かけつけてくれた友に感謝。そして 札幌不在だからと、ニュージーランドのスパークリングとマヌカハニーのお土産の差し入れをしてくれたKさんに。

心よりの感謝を込めて。それなりに懸命に作りました。

平均年齢62歳の 女の集い。 少し遅めの桃の節句をイメージしてテーブルを意識してみました。

トンプソンのお母さんからいただいたリネンが大活躍でした。 お義母さん、ありがとう。

また、今度の会 今度はバーベキューできたらいいなぁと思ってます。

スクールを始めて、今年で22年目を迎えることになる。

一日は アッ!という間に終わり、一年も 瞬く間に過ぎ去り、でも22年という束の数になると、ひと昔もふた昔も前に感じる そんな年月です。

先日、休みの日に、ずっとThompson Internationalへ通い続けてくれたHちゃんが お母さんのMさんと自宅へ遊びに来てくださいました。

長い年月の間に、お母さんであるMさんとは心温まる交流をいただけて本当にありがとうございます。

思えば スクールを始めて当初は、仕事とプライベートは一線をひいて。などと意気込んでいましたし、もちろんいまでも、馴れ合いには私たちの立場からして、ご利用いただく方々にご迷惑になるので心して控えております。

けれど、長い年月の中で自然に繋がりをいただける方々に、頑なに 四角四面に 構えるのも 愚かしいのではないか? と あるときから肩肘張るのを 自然に おろしたような気がします。

いつの頃からだったのでしょうか・・・

いつの時も 永遠ではなく 一期一会なのかもしれないし でも こうやって 世界の中の日本国 札幌市という小さなところで 偶然に出会い、また その中でも 波長がよりそえあえる人だなんて 極々わずかなことだと思います。

Mさんの、ユーモアのセンス。そして包み込むような気づかいの優しさ。その中にも凛とした自分を持っていて。

小学校の頃泣きながらスクールに来ていたあのHちゃんも 25歳になるというのだから・・・月日は 光陰矢の如し 光の中で 私たちは生きているんかいな と思うほど 速すぎます。

みずほ銀行で働く彼女のお給料で美味しいお菓子と お土産と Mさんらしい可愛らしい花束が 我が家を彩ってくれました。

ありがとうございます。

教誨という題名の本

柚月裕子さんの書かれた教誨という本を、思い切って読んでみた。

ヘビーそうな内容の本は、ここ最近、気も体力も心もとなかったので全く読む気にならなく、年末からずっと枕元にありながらもページをめくることはなかった。

やっと読み始めたと思いきや、柚月裕子さんの本は毎回 一気に読めるというのに。この本ばかりは 何晩もかけて 僅かずつしか読み進むことが出来なかった。

題材は、我が子を含め二人の幼児を殺めた死刑囚のこと。 モデルは あの何年か前に橋から我が子を突き落としその後に他人の子に手をかけてしまった人のことだろうか・・・と か でも ここ数年 あまりにもそのような事件がありすぎて・・・どの事件の容疑者もそのモデルとなり得るのではないかと思えた。

気の沈むような内容のストーリーに、読む意味があるのだろうか?と疑問を抱えながらも、それでも じりじりと毎晩 数ページずつ読み進めていった。

ある箇所で、やっと これまで読み進めてきた理由に出来るような そんなくだりがあった。

教誨の役割を担う、お寺の住職さん(であったと思う、本がいま手元にないので記憶はあやふやです)の言葉で、 この世に一度も罪を犯さず生きている人間など、あなたも私も含めて誰一人としていない。(といったようなのだったと またここも記憶が・・・)

私は この言葉に改めて出会うために、この重苦しい一冊を手に取ったのかもしれない。と思えたほどに その通りだな・・・ と思えた。

この人気作家の重いテーマの作品は、わたしにこの言葉を投げかけてきた。

昨夜は 札幌、大寒波の真ん中に。猫は一番いい席を譲ってくれませんでした。

 

 

男一匹の仕事ぶり

いやぁ・・・わたくし共、この度いいだけ年いった二人が初めての家を建てることで、色々な業者さんに出会い、色々な人たちのおかげでなんとか家一軒が建つのだ。ということを学んだわけですが。

これまでも分かっていたことではあります。男の人の仕事ぶりは、大したもんだなぁ・・・と、私精一杯の仕事をする男の人を本当に尊敬します。

大工さんたち、外構工事の人、そして引っ越し作業のお兄さんたち。皆 一生懸命働いている・・・すっごいなぁと、もしも彼らの妻なら、お風呂用意してあげて、お弁当も出来れば作ってあげたい。出来るだけ温まるもの。夕食には好きなお酒用意してあげて、ささっと作ったあてでまず一杯やってもらって、出来たてのものが食卓に出てくるような・・・そんなお父さん優先の暮らしを心がけるのではないか? などと妄想を走らせるような始末。

肉体労働も兼ねた人たちの仕事ぶり、机の上で仕事をしてゆく人たち、交渉事を仕事にした人たち、それぞれの能力で皆それぞれに仕事がんばっている。

その中で、トンプソンと私が えらく感心してしまうのは 自分の手足を使いながら仕事をしている人たちなのかもしれません。

自分たちには出来ない、しているつもりでも肉体労働というそのレベルには至らない私どもの生業。

身体をつかい、手をつかい、気持ちをつかい、そんな男の人(女の人でも)の働きぶりには頭の下がるものがあります。

いまはどうなのか分かりませんが・・・

よく彼氏が忙しくてメイルをくれない、電話をくれない 2週間ほど連絡がありません。とか悩みを持っている女の子たちの声を聴いたことがあります。

50過ぎた私がみた景色には、男一匹仕事でお客さんの信頼、会社に対して信頼を得て、お金を得ようと頑張っている男の人たちは・・・ 仕事終わったら へとへとだわ・・・普通。

仕事が忙しくて連絡出来ないと言っている彼氏は きっと 本当なんだと思いますよ。

どうか、会ったときに思いっきり素敵な笑顔で彼を幸せにしてあげてください。

いいクリスマスになるといいですね。 でも 私が聞いた限りでは年末狂ったように建築業界、引っ越し業界、ガス会社多くの会社さん忙しさを極めるようですね・・・。

 

 

Thompson Internationalの猫をかわいがってくださった皆様へ

大切な相手を、最愛なるご家族を亡くされることは、苦しみ悲しみの極みであるはず。

そんな思いをしている方の前で、ペットが動物が亡くなったということで狼狽えるのは、どんな様に映るのだろうか。と、恐縮しながら・・・

Thompson Internationalの生徒さんたちに大変かわいがってもらっていました、母の愛猫 タビが、満6才で16日の早朝(おそらく午前3時くらい)に、突然死で逝きました。

母の電話で早朝たたき起こされ、顔も洗わず吹っ飛んで駆け付けたときは、まだ床が少し暖かく、体も硬直していなかったので また生き返るのではないか?というくらい安らかできれいな死に顔でした。苦しまなかったんだなぁ・・・と唯一それだけが突然の別れの中の希望でした。

当日中に火葬をしてもらい、お骨と一緒に帰ってきました。

皆さんには大変 かわいがってもらい ありがとうございました。

あっぱれなほど、多くの人にかわいがってもらうため、愛されるため、辛いことをしないのみの為に生まれてきたような、彼のその役目終わり。と・・・苦しまずに、虹を渡って逝ってしまいました。

残された私たちはあまりにも突然すぎて、驚いていると同時に、大した奴だなぁ・・・と 涙のむこうに彼の姿を探しています。

その涙で滲み、ゆがんだ先で、時の流れは刻々と動き、ただただ川の流れのように前へと進んでゆき、人の死も動物の死も・・・飲み込んでゆく、川の流れよりも早い時間の粒子の中にただただ消えてゆくような・・・そんなように一作日中は、感じていました。

人は、いえきっと、動物も役割を持って生まれてくるとよく、言います。

歴史上に名前を残さないような市井の人々や動物たちは、生まれ、子を産めるのなら子孫を残し、食べて、人間なら年の順番に死にゆくものを看取り、死んでゆくだけなのかもしれません。

生きている者には その役割が、つとめがある。・・・から、そのおつとめの間に、せいぜい せいぜい 楽しいことを見出して生きようとするのかもしれません。

食べることが大好きで、人間が大好きで、甘え、愛されることが大好きだったタビは、生きるというつとめの中で、彼の楽しいことを全うできた幸せな猫だったのだなぁ・・・と信じたい思いでいます。

みなさん、かわいがっていただき、大変ありがとうございました。

 

石川、金沢、能登、輪島、七尾、和倉温泉そして富山の高岡を訪ねて。

小さな国土でも、歴史が古くから開けた日本では、特に北海道から北陸に旅をするだけで驚くほどお国柄が違ったり。・・・そもそも北海道での暮らしにはお国柄というのはないような気もするし。

まず、北陸、石川県あたりでバスに乗って街並みを拝見すると驚くのが、どのお宅も真面目にカーテン(レースとはいうものの、結構厚手のもの)をピタッと閉じていられる。

最近の札幌市の夜景を見下ろすような家で取り入れられているカーテンを取り付けていない家というのは、石川県の方々にとっては想像の外だと感じたところです。

歴史のある街というのは、歴史遺産で食べてゆけるからいいなぁ・・・などと、勝手に思い込んでいた自分も、何度かこの石川県を訪ねるうちに、歴史を持っている町はその財産を乱用しないように努力されているのだな。と、感じるようになった。

金沢、能登、輪島 七尾 と、とてもいい旅を終え、

富山の高岡という処に立ち寄った。御車山会館で御車山祭りの説明や山車を拝見し、大仏様、国宝高岡山瑞龍寺というコースで。

この地方の人は、真面目な気質なんだろうなぁと肌で感じた。

なぜか、それは町全体がきれいだったから。荒れていないということは町に住む人々の気質が生み出すもので。

瑞龍寺のお坊さんもとても楽しい方で、北海道大学に息子さんが学んでいるらしく、北海道にそのまま住むということだけはないように祈っている。と、とても心配されている姿が微笑ましかった。

そして、何よりも食事の味が・・・高岡の町で用意されたものが美味しかった。

食事が美味しいということは、旅する者にとって、すごくポイントの高いものなんだな。と、いたく感じた。

札幌を訪れた方々の多くが、札幌はいいよね 食べ物が美味しい。と 札幌に住む私を前におっしゃってくださるのは、お世辞を考慮しながらも、食べ物が美味しいから 札幌がいいよね。と言ってくれるのだろうな・・・と思う。

実際に、一昔前までは 北海道旅行はあまりいい印象を多くの人に与えられなかった。と、私は記憶している。東京の街角で女性グループのお一人が、「北海道、北海道っていうけど なんにも良くなかったわ」と言われているのを耳にしたことがあるし。また、京都のタクシーの運転手さんに、乗車して北海道からだと言うと「いやぁ北海道に旅行した時は、行くとこ行くとこ、鮭のちゃんちゃん焼きやカニばかりでえらい目にあった」と すかさず申し受けたり。

だが、最近の北海道、特に札幌は美味しいものがあるよねぇ。ととても評判が良いように思える。

ここが正念場なんだろうな・・・と 偉そうだけれど、そう思う。

札幌の街が、観光の方々(大きなお金を落としてくれるとはいえ)に必要以上に迎合し、もっとお金を落としてくれる仕組みづくりにばかり始終してしまうと、街は荒れてゆき、途端に魅力を失ってしまうのだろう。

街は、そこに住む人々が作り上げてゆくもの。

掃除をし、暮らしを大切にし、人と人との繋がりを大切にしてゆこうとする人が多く住む、そんな場所には自ずと光が差し込むような気がしてならない。

旅に出ると、その光が、なぜだか見えるようになる。

札幌での暮らしでは まったく見えないのに、旅先の街の状態は、少しだけみえたりする。

歴史物を継承してゆく権利と義務の中で、統率するリーダーありきで工夫をこらして努力を強いられる土地もあり、

豊富で恵まれた食材を使い、料理人が切磋琢磨され 知名度を上げている札幌も、歴史はないけれど、良き統率者に恵まれて、良い街にますますなっていかれますように。と願っている。

 

 

The 20th Anniversary

そういえば、今年はThompson Internationalを、店舗というか教室そのものを構えてから20年を迎えていたのだ。った、ということを先週の水曜日9月7日の朝の電話で、思い出すことが出来た。

朝11時頃、一本の電話が鳴った。若い女性の声が元気よく「私、****と申しますが」とフルネームを聞いたと同時に、私は「あら!Sちゃん??」と叫んでいた。

電話の向こうで、覚えてくれているんですか?と驚く声が。

その声の持ち主は、私たちがスクールを立ち上げたばかりの頃に、子供さんの方はまったく経験がないというのに、親御さんのご理解と彼女の利発さのおかげで、私たちも楽しく彼女との時間を刻むことが出来た、そんな特別な経験の出来た子のものでした。

それはいまから約20年前から15年前までのこと。

大きな企業にお勤めの父上の転勤で、15年前に一家は神戸へと引っ越しをされた。

この15年の間、彼女が高校生だった時に、マレーシアに留学(留学費用は奨学金)という嬉しいニュースを知らせてくれたり。 ああ、英語頑張っているんだなSちゃん。と私たちの心の支えでもあったSちゃん。いつも忘れることはなかった。

「嬉しいです!憶えていてくれて。実はいま、北海道を一人で旅行していてそちらに、今日、伺いたいんですけれどお時間はありますか?」

「わ!嬉しい では3時半くらいいかが?」

と、3時半に彼女は現れた。

背がすごく高くなってはいるけれど、あのままのSちゃんが 颯爽と歩いてくる。

Tシャツにジーンズ。飾らないその姿は、あの夏になると真っ黒に日に焼けてお母さんと円山に毎朝登り、バードウォッチングをしていたSちゃん、そのままだった。

彼女は、その頃から動物の先生になりたい。と言っていたのを私は記憶していた。

彼女は23歳になっているはずだった。 23歳でこの時期に旅行とはおそらく働いていないのだから、きっと大学院かな。と私は いま 大学院かなにか・・・?と聞きそうになった時、彼女は いま鹿児島大学の獣医学部に行っています。と、 あ だからか! と 私。 獣医さんの学校も6年間 行くのですよね。

それからつもる話もたくさんあり。いそいそとトンプソンも戻ってきて、彼女と英語で積もる話をたくさんたくさんできて、そのうち、いまのThompson Internationalに来てくれている あの当時のSちゃんのような子たちが集まってきて、ある子などSちゃんのことをずっと外国で暮らしている人と思うほど、英語が本当に自由自在に操れて、私は、Sちゃんに、神戸にはいい学校もたくさんあっただろうから、良かったねぇSちゃん。と、言いましたら。 Sちゃんは、いえ神戸ではなかなか自分と合う英語スクールがみつからなかったんです。ですので、英語は本当にこちらだけが自分の基本を作ってくれたところでした。こちらに来れたこと、自分では本当に良かったと思っています。発音と 英語が好きという心を持てた。それが自分の強みでした。

私は感動をしてしまい。 この 小さな学校を続けてこられて良かった。と その時、自分の20周年記念が出来ました。

続けてこれて良かった。と 身が震えるほど嬉しかった瞬間は、この時のそれが初めてでした。

私たちのしたかったこと、心のどこかで願い続けていたことを、彼女が 日本の西側に行き、実現して生きている。輝いて暮らしている。

私たちは、習いにおみえになる方々をネイティブ並みのスピーカーにするというような魔法は持っていなく。また、そんなことを謳うことは自分たちは無理なことも知っている。

だけれど、羽ばたいてゆく人たちの飛び立つ土台をつくることには精一杯の力を注げたら嬉しいと思っています。

嬉しそうな顔をしている私を みて、いま10歳のK君が、Sちゃんのことを 「あ 僕の完成形だね」と面白いことを言うから、皆で大笑いをして

そのうち 準1級目指して頑張っているK君がやってきて、K君は 真っ黒に日に焼けているSちゃんをどうしても日本に住んでいる人と認められないようで、「あちらでも頑張ってくださいね」などと、とんちんかんなことを言っているし。

とても楽しい時間を持ってきてくれたSちゃんに感謝。

あと もう少しだけ、Thompson Internationalは頑張ってみます。

あと5年と思っていたけれど、10年・・・ と思えるような そんな元気をもらいました。

ありがとう。

さて! いま こちら QRコードでクリックして手続きいただけると、無料30分実用英語検定査定レッスンが出来ます。

未来のSちゃん お待ちしています。