Youth is not a time of life, it is a state of mind.

サミュエル・ウルマンの詩にある、この Youth is not a time of life, it is a state of mind. 「青春とは人生のある期間をいうのではなく、心の様相を言うのだ」・・・てホントーなんだろうなぁと思うことがありました。

 

春休みが今日で終わりますが

春休み中にも子供さんたちは私たちスクールの授業に来てました。

するとですね。面白いなぁと思うことがありました。

いつも 天才チックでありたいと願っているK君という中学生男子と英検準1の勉強をしていた時のこと。

なんか変なのです。いつものキレ(冴え)がないのです。

「なんか K君、いつものキレがないねぇ どしたの?」と問う私に向けたときの どんよりとした瞳。

「どしたの? その死んだ魚のよーな目は・・・ どこかで見たことあると思ったらさ 私の寝起きの時の目と一緒。それ」・・・そーなのです。下手すると 一日中、こ~~ゆ~目をしてしまっているんだな 私。いかんいかん・・・と思わせるような あの目。

「どしたのさ?」と聞く私に

「いやぁ 学校がないとね・・・全く刺激がなくて そんで ゲームも← 彼に対しては このゲームも知識の結構な源になっているから、ゲームも否定できないなぁと思わせるもの。 そのゲームも なんか面白いものがもうなくなっちゃってね。 学校がないと こんなに刺激がなくなるもんかぁ・・・って」

「えええ 君のような年でも 刺激が無くなるとそんな目をしてしまうのならさ・・・私がそーゆー目をして年がら年中生きてしまうのも 無理ないわねぇ」と愕然。

いや・・・ホント。 年をとるということは中学生でも出来てしまうのねと思わせるワンシーン。

刺激というか 目標、充実、目的、課題 ワクワクすること 一日のうちに 持って生きたいものだよ。実に そうありたいものだ。と 鏡の中で 顔よりも 目をみるようになった今日この頃。

 

もてなし自分流

先日、友人2人が家を訪ねてくれた。 この祝日の存在が大変ありがたく。

翌日が平日で休みの定休日というのが 実に実に 貴重なのだ。

しかも!トンプソンはラオスに行き不在。

さあ 女友達を招こう! いくら肩肘張らない仲とはいえ、さて 何で招こうか。

と 決めたのが オーブンのパンそのままで作る パエリアと 普通のサラダ それにガスパッチョ。

その3品のみ。

自分が人に料理を作るとき まず3品くらいを目安にしている。 それ以上は雑な自分には難しいことがわかっている。

そして 一つだけ 課していることは、作る工程を必ず丁寧に丁寧に心がける。清潔に、丁寧に。味の美味しいまずいは そののちで。 プロの料理人ではないから とにかく新鮮なものと清潔さ。それだけである。

アルゼンチン、スペインと1っか月以上かけて過ごし帰国して3日目の友人と、旦那さんにお刺身をあたえて(犬のようですが)かけつけてくれた友に感謝。そして 札幌不在だからと、ニュージーランドのスパークリングとマヌカハニーのお土産の差し入れをしてくれたKさんに。

心よりの感謝を込めて。それなりに懸命に作りました。

平均年齢62歳の 女の集い。 少し遅めの桃の節句をイメージしてテーブルを意識してみました。

トンプソンのお母さんからいただいたリネンが大活躍でした。 お義母さん、ありがとう。

また、今度の会 今度はバーベキューできたらいいなぁと思ってます。

スクールを始めて、今年で22年目を迎えることになる。

一日は アッ!という間に終わり、一年も 瞬く間に過ぎ去り、でも22年という束の数になると、ひと昔もふた昔も前に感じる そんな年月です。

先日、休みの日に、ずっとThompson Internationalへ通い続けてくれたHちゃんが お母さんのMさんと自宅へ遊びに来てくださいました。

長い年月の間に、お母さんであるMさんとは心温まる交流をいただけて本当にありがとうございます。

思えば スクールを始めて当初は、仕事とプライベートは一線をひいて。などと意気込んでいましたし、もちろんいまでも、馴れ合いには私たちの立場からして、ご利用いただく方々にご迷惑になるので心して控えております。

けれど、長い年月の中で自然に繋がりをいただける方々に、頑なに 四角四面に 構えるのも 愚かしいのではないか? と あるときから肩肘張るのを 自然に おろしたような気がします。

いつの頃からだったのでしょうか・・・

いつの時も 永遠ではなく 一期一会なのかもしれないし でも こうやって 世界の中の日本国 札幌市という小さなところで 偶然に出会い、また その中でも 波長がよりそえあえる人だなんて 極々わずかなことだと思います。

Mさんの、ユーモアのセンス。そして包み込むような気づかいの優しさ。その中にも凛とした自分を持っていて。

小学校の頃泣きながらスクールに来ていたあのHちゃんも 25歳になるというのだから・・・月日は 光陰矢の如し 光の中で 私たちは生きているんかいな と思うほど 速すぎます。

みずほ銀行で働く彼女のお給料で美味しいお菓子と お土産と Mさんらしい可愛らしい花束が 我が家を彩ってくれました。

ありがとうございます。

教誨という題名の本

柚月裕子さんの書かれた教誨という本を、思い切って読んでみた。

ヘビーそうな内容の本は、ここ最近、気も体力も心もとなかったので全く読む気にならなく、年末からずっと枕元にありながらもページをめくることはなかった。

やっと読み始めたと思いきや、柚月裕子さんの本は毎回 一気に読めるというのに。この本ばかりは 何晩もかけて 僅かずつしか読み進むことが出来なかった。

題材は、我が子を含め二人の幼児を殺めた死刑囚のこと。 モデルは あの何年か前に橋から我が子を突き落としその後に他人の子に手をかけてしまった人のことだろうか・・・と か でも ここ数年 あまりにもそのような事件がありすぎて・・・どの事件の容疑者もそのモデルとなり得るのではないかと思えた。

気の沈むような内容のストーリーに、読む意味があるのだろうか?と疑問を抱えながらも、それでも じりじりと毎晩 数ページずつ読み進めていった。

ある箇所で、やっと これまで読み進めてきた理由に出来るような そんなくだりがあった。

教誨の役割を担う、お寺の住職さん(であったと思う、本がいま手元にないので記憶はあやふやです)の言葉で、 この世に一度も罪を犯さず生きている人間など、あなたも私も含めて誰一人としていない。(といったようなのだったと またここも記憶が・・・)

私は この言葉に改めて出会うために、この重苦しい一冊を手に取ったのかもしれない。と思えたほどに その通りだな・・・ と思えた。

この人気作家の重いテーマの作品は、わたしにこの言葉を投げかけてきた。

昨夜は 札幌、大寒波の真ん中に。猫は一番いい席を譲ってくれませんでした。

 

 

男一匹の仕事ぶり

いやぁ・・・わたくし共、この度いいだけ年いった二人が初めての家を建てることで、色々な業者さんに出会い、色々な人たちのおかげでなんとか家一軒が建つのだ。ということを学んだわけですが。

これまでも分かっていたことではあります。男の人の仕事ぶりは、大したもんだなぁ・・・と、私精一杯の仕事をする男の人を本当に尊敬します。

大工さんたち、外構工事の人、そして引っ越し作業のお兄さんたち。皆 一生懸命働いている・・・すっごいなぁと、もしも彼らの妻なら、お風呂用意してあげて、お弁当も出来れば作ってあげたい。出来るだけ温まるもの。夕食には好きなお酒用意してあげて、ささっと作ったあてでまず一杯やってもらって、出来たてのものが食卓に出てくるような・・・そんなお父さん優先の暮らしを心がけるのではないか? などと妄想を走らせるような始末。

肉体労働も兼ねた人たちの仕事ぶり、机の上で仕事をしてゆく人たち、交渉事を仕事にした人たち、それぞれの能力で皆それぞれに仕事がんばっている。

その中で、トンプソンと私が えらく感心してしまうのは 自分の手足を使いながら仕事をしている人たちなのかもしれません。

自分たちには出来ない、しているつもりでも肉体労働というそのレベルには至らない私どもの生業。

身体をつかい、手をつかい、気持ちをつかい、そんな男の人(女の人でも)の働きぶりには頭の下がるものがあります。

いまはどうなのか分かりませんが・・・

よく彼氏が忙しくてメイルをくれない、電話をくれない 2週間ほど連絡がありません。とか悩みを持っている女の子たちの声を聴いたことがあります。

50過ぎた私がみた景色には、男一匹仕事でお客さんの信頼、会社に対して信頼を得て、お金を得ようと頑張っている男の人たちは・・・ 仕事終わったら へとへとだわ・・・普通。

仕事が忙しくて連絡出来ないと言っている彼氏は きっと 本当なんだと思いますよ。

どうか、会ったときに思いっきり素敵な笑顔で彼を幸せにしてあげてください。

いいクリスマスになるといいですね。 でも 私が聞いた限りでは年末狂ったように建築業界、引っ越し業界、ガス会社多くの会社さん忙しさを極めるようですね・・・。

 

 

Thompson Internationalの猫をかわいがってくださった皆様へ

大切な相手を、最愛なるご家族を亡くされることは、苦しみ悲しみの極みであるはず。

そんな思いをしている方の前で、ペットが動物が亡くなったということで狼狽えるのは、どんな様に映るのだろうか。と、恐縮しながら・・・

Thompson Internationalの生徒さんたちに大変かわいがってもらっていました、母の愛猫 タビが、満6才で16日の早朝(おそらく午前3時くらい)に、突然死で逝きました。

母の電話で早朝たたき起こされ、顔も洗わず吹っ飛んで駆け付けたときは、まだ床が少し暖かく、体も硬直していなかったので また生き返るのではないか?というくらい安らかできれいな死に顔でした。苦しまなかったんだなぁ・・・と唯一それだけが突然の別れの中の希望でした。

当日中に火葬をしてもらい、お骨と一緒に帰ってきました。

皆さんには大変 かわいがってもらい ありがとうございました。

あっぱれなほど、多くの人にかわいがってもらうため、愛されるため、辛いことをしないのみの為に生まれてきたような、彼のその役目終わり。と・・・苦しまずに、虹を渡って逝ってしまいました。

残された私たちはあまりにも突然すぎて、驚いていると同時に、大した奴だなぁ・・・と 涙のむこうに彼の姿を探しています。

その涙で滲み、ゆがんだ先で、時の流れは刻々と動き、ただただ川の流れのように前へと進んでゆき、人の死も動物の死も・・・飲み込んでゆく、川の流れよりも早い時間の粒子の中にただただ消えてゆくような・・・そんなように一作日中は、感じていました。

人は、いえきっと、動物も役割を持って生まれてくるとよく、言います。

歴史上に名前を残さないような市井の人々や動物たちは、生まれ、子を産めるのなら子孫を残し、食べて、人間なら年の順番に死にゆくものを看取り、死んでゆくだけなのかもしれません。

生きている者には その役割が、つとめがある。・・・から、そのおつとめの間に、せいぜい せいぜい 楽しいことを見出して生きようとするのかもしれません。

食べることが大好きで、人間が大好きで、甘え、愛されることが大好きだったタビは、生きるというつとめの中で、彼の楽しいことを全うできた幸せな猫だったのだなぁ・・・と信じたい思いでいます。

みなさん、かわいがっていただき、大変ありがとうございました。

 

石川、金沢、能登、輪島、七尾、和倉温泉そして富山の高岡を訪ねて。

小さな国土でも、歴史が古くから開けた日本では、特に北海道から北陸に旅をするだけで驚くほどお国柄が違ったり。・・・そもそも北海道での暮らしにはお国柄というのはないような気もするし。

まず、北陸、石川県あたりでバスに乗って街並みを拝見すると驚くのが、どのお宅も真面目にカーテン(レースとはいうものの、結構厚手のもの)をピタッと閉じていられる。

最近の札幌市の夜景を見下ろすような家で取り入れられているカーテンを取り付けていない家というのは、石川県の方々にとっては想像の外だと感じたところです。

歴史のある街というのは、歴史遺産で食べてゆけるからいいなぁ・・・などと、勝手に思い込んでいた自分も、何度かこの石川県を訪ねるうちに、歴史を持っている町はその財産を乱用しないように努力されているのだな。と、感じるようになった。

金沢、能登、輪島 七尾 と、とてもいい旅を終え、

富山の高岡という処に立ち寄った。御車山会館で御車山祭りの説明や山車を拝見し、大仏様、国宝高岡山瑞龍寺というコースで。

この地方の人は、真面目な気質なんだろうなぁと肌で感じた。

なぜか、それは町全体がきれいだったから。荒れていないということは町に住む人々の気質が生み出すもので。

瑞龍寺のお坊さんもとても楽しい方で、北海道大学に息子さんが学んでいるらしく、北海道にそのまま住むということだけはないように祈っている。と、とても心配されている姿が微笑ましかった。

そして、何よりも食事の味が・・・高岡の町で用意されたものが美味しかった。

食事が美味しいということは、旅する者にとって、すごくポイントの高いものなんだな。と、いたく感じた。

札幌を訪れた方々の多くが、札幌はいいよね 食べ物が美味しい。と 札幌に住む私を前におっしゃってくださるのは、お世辞を考慮しながらも、食べ物が美味しいから 札幌がいいよね。と言ってくれるのだろうな・・・と思う。

実際に、一昔前までは 北海道旅行はあまりいい印象を多くの人に与えられなかった。と、私は記憶している。東京の街角で女性グループのお一人が、「北海道、北海道っていうけど なんにも良くなかったわ」と言われているのを耳にしたことがあるし。また、京都のタクシーの運転手さんに、乗車して北海道からだと言うと「いやぁ北海道に旅行した時は、行くとこ行くとこ、鮭のちゃんちゃん焼きやカニばかりでえらい目にあった」と すかさず申し受けたり。

だが、最近の北海道、特に札幌は美味しいものがあるよねぇ。ととても評判が良いように思える。

ここが正念場なんだろうな・・・と 偉そうだけれど、そう思う。

札幌の街が、観光の方々(大きなお金を落としてくれるとはいえ)に必要以上に迎合し、もっとお金を落としてくれる仕組みづくりにばかり始終してしまうと、街は荒れてゆき、途端に魅力を失ってしまうのだろう。

街は、そこに住む人々が作り上げてゆくもの。

掃除をし、暮らしを大切にし、人と人との繋がりを大切にしてゆこうとする人が多く住む、そんな場所には自ずと光が差し込むような気がしてならない。

旅に出ると、その光が、なぜだか見えるようになる。

札幌での暮らしでは まったく見えないのに、旅先の街の状態は、少しだけみえたりする。

歴史物を継承してゆく権利と義務の中で、統率するリーダーありきで工夫をこらして努力を強いられる土地もあり、

豊富で恵まれた食材を使い、料理人が切磋琢磨され 知名度を上げている札幌も、歴史はないけれど、良き統率者に恵まれて、良い街にますますなっていかれますように。と願っている。

 

 

The 20th Anniversary

そういえば、今年はThompson Internationalを、店舗というか教室そのものを構えてから20年を迎えていたのだ。った、ということを先週の水曜日9月7日の朝の電話で、思い出すことが出来た。

朝11時頃、一本の電話が鳴った。若い女性の声が元気よく「私、****と申しますが」とフルネームを聞いたと同時に、私は「あら!Sちゃん??」と叫んでいた。

電話の向こうで、覚えてくれているんですか?と驚く声が。

その声の持ち主は、私たちがスクールを立ち上げたばかりの頃に、子供さんの方はまったく経験がないというのに、親御さんのご理解と彼女の利発さのおかげで、私たちも楽しく彼女との時間を刻むことが出来た、そんな特別な経験の出来た子のものでした。

それはいまから約20年前から15年前までのこと。

大きな企業にお勤めの父上の転勤で、15年前に一家は神戸へと引っ越しをされた。

この15年の間、彼女が高校生だった時に、マレーシアに留学(留学費用は奨学金)という嬉しいニュースを知らせてくれたり。 ああ、英語頑張っているんだなSちゃん。と私たちの心の支えでもあったSちゃん。いつも忘れることはなかった。

「嬉しいです!憶えていてくれて。実はいま、北海道を一人で旅行していてそちらに、今日、伺いたいんですけれどお時間はありますか?」

「わ!嬉しい では3時半くらいいかが?」

と、3時半に彼女は現れた。

背がすごく高くなってはいるけれど、あのままのSちゃんが 颯爽と歩いてくる。

Tシャツにジーンズ。飾らないその姿は、あの夏になると真っ黒に日に焼けてお母さんと円山に毎朝登り、バードウォッチングをしていたSちゃん、そのままだった。

彼女は、その頃から動物の先生になりたい。と言っていたのを私は記憶していた。

彼女は23歳になっているはずだった。 23歳でこの時期に旅行とはおそらく働いていないのだから、きっと大学院かな。と私は いま 大学院かなにか・・・?と聞きそうになった時、彼女は いま鹿児島大学の獣医学部に行っています。と、 あ だからか! と 私。 獣医さんの学校も6年間 行くのですよね。

それからつもる話もたくさんあり。いそいそとトンプソンも戻ってきて、彼女と英語で積もる話をたくさんたくさんできて、そのうち、いまのThompson Internationalに来てくれている あの当時のSちゃんのような子たちが集まってきて、ある子などSちゃんのことをずっと外国で暮らしている人と思うほど、英語が本当に自由自在に操れて、私は、Sちゃんに、神戸にはいい学校もたくさんあっただろうから、良かったねぇSちゃん。と、言いましたら。 Sちゃんは、いえ神戸ではなかなか自分と合う英語スクールがみつからなかったんです。ですので、英語は本当にこちらだけが自分の基本を作ってくれたところでした。こちらに来れたこと、自分では本当に良かったと思っています。発音と 英語が好きという心を持てた。それが自分の強みでした。

私は感動をしてしまい。 この 小さな学校を続けてこられて良かった。と その時、自分の20周年記念が出来ました。

続けてこれて良かった。と 身が震えるほど嬉しかった瞬間は、この時のそれが初めてでした。

私たちのしたかったこと、心のどこかで願い続けていたことを、彼女が 日本の西側に行き、実現して生きている。輝いて暮らしている。

私たちは、習いにおみえになる方々をネイティブ並みのスピーカーにするというような魔法は持っていなく。また、そんなことを謳うことは自分たちは無理なことも知っている。

だけれど、羽ばたいてゆく人たちの飛び立つ土台をつくることには精一杯の力を注げたら嬉しいと思っています。

嬉しそうな顔をしている私を みて、いま10歳のK君が、Sちゃんのことを 「あ 僕の完成形だね」と面白いことを言うから、皆で大笑いをして

そのうち 準1級目指して頑張っているK君がやってきて、K君は 真っ黒に日に焼けているSちゃんをどうしても日本に住んでいる人と認められないようで、「あちらでも頑張ってくださいね」などと、とんちんかんなことを言っているし。

とても楽しい時間を持ってきてくれたSちゃんに感謝。

あと もう少しだけ、Thompson Internationalは頑張ってみます。

あと5年と思っていたけれど、10年・・・ と思えるような そんな元気をもらいました。

ありがとう。

さて! いま こちら QRコードでクリックして手続きいただけると、無料30分実用英語検定査定レッスンが出来ます。

未来のSちゃん お待ちしています。

スクワランオイル

題名のスクワランオイル。私は、オリーブ油から出来たというものを使い始めました。が、これがすこぶる大効果です。

原因不明の皮膚炎に悩まされていた皮膚が、スクワランオイルを使用し、すぐ翌日から炎症が沈静始めました。

こういっては失礼ですが、何年も何年も皮膚科で処方されたクリームを使って、一時的に治ってもすぐに発生していたあの問題が、このスクワランというお名前のオイルで改善されつつあるのです。

この、スクワランというものを手に取ったのは、ある人のおかげでした。

それは友人でも知人でもなく、ただ サウナで偶然、居合わせたご婦人でした(おそらく年齢は70代くらい)。

ホテルのスポーツクラブで泳ぎ、お風呂、サウナというプロセスを踏んでいた時のこと。

サウナ室に入ると一人のご婦人が先客で。

私は こんにちは。とだけ言って座り、数分間・・・体が熱くなり、水風呂に入り戻りました。

その時には、もうお一人後に入られた方もいて、雑談されていました。

私が入ってきたということで、その後に入られた方が、会話を投げかけてくるその方に、きっぱりとした口調で「もう一人の方が入っていらしたので、会話は、この時期(コロナ感染)ですので、控えましょう」と言って会話を止めました。

私は、「あ いえ、気になさらずにどうぞ」とその申し出た女性の目をみつめて言いました。目をみた瞬間、仕事している人か、主婦の方でも、一言ありそうなタイプの人なんだろうな。という眼光の鋭さで、ちょっとビビりました。その人は私に無言で微笑み返し、サウナ室は無言になりました。

その意を決して、無言にする。というのも、なんだか疲れるもので、その申し出た方が、沈黙に耐えきれなくなったのか、また何かを、ずっとサウナ室にいる女性の方に話しかけました。

すると、話しかけられたほうの女性は、元来お話し好きの方なようで、言葉が連なり出てくるタイプときて話が止まりません。 で、また、その質問をされたその方が、「わたくし、耳が最近遠くなって、ちょっとお話が聞こえないものだから、またいつか・・・」とその話好きの人の会話を遮るといった、なんとも居たたまれない空気が。

なんか、居心地悪いなぁ・・・と 私、また水風呂へ。

・・・で、水風呂から帰ってくると、それまで残ったお二人で何かを話されていらしたのでしょうけれど、私が座ると同時に、

先ほどから会話をすることを躊躇しているけど沈黙も居心地悪いわ。とどっちつかずの方が「いえ、そういった治療はもうこちらで十分にしておりますから、結構ですから」とピシッと今度は手を振りもう一人の人の話を、気高く拒否した形でサウナ室の砂時計をみやり、砂が落ち終えたと同時に、サウナ室を後にされました。

私は、なんだか 会話を終えるにしても、もうちっと穏やかな終え方あるんでないの?・・・という感想を持ちました。

ですので、その残された話好きそうな方も水風呂に行き戻ってきたときに、お話の邪魔をしてしまったようで、ごめんなさい。と伝えました。

すると、その人はニッコリと笑って、首をふり(そんなことはないわよ)というようなジェスチャーをしながら、

「あの方、女医さんなんですって」と私に言います。

咄嗟にどう反応してよいのか分からなかった私は「そうですか」(イントネーションは さいですか・・・)と答えたはず。

その反応の満足がいかなかったのか、少しの沈黙があった後、「・・・あなた、」と 何かを問おうとする様子。

私は、なんだろうと一瞬、どんな質問が来るのだろうか。と頭の中で少し想像をめぐらす。会話の流れから行くともしも仕事のことを聞かれたら教育業くらいで答えればいいだろうか とか数秒の間に考えを巡らす。

「・・・あなた、化繊にかぶれやすいでしょ」と突如。

きっと 私の後ろ姿のお尻のあたりをみて この人はそう言っているんだな。と思い、「あ・・・お尻のあたり、みっともないですよね。いま色々とはい・・・ちょっとあって、でもあの、伝染性のものではないので・・」ともごもごと言っていると。

「お尻のお手入れも欠かしてはダメよ。三面鏡をみて、きちんとお手入れをするといいわよ」と・・・

ああ、この人はきっとアドバイスをしたい人なんだなぁ・・・この調子で、先ほどの現役感バリバリの60代くらいの女医さんにもアドバイスをしていたんだ。それなら、煙たがられるよなぁ。と思いながら

そうですね ありがとうございます。ただ、自分どうしても治らない皮膚炎にいま苦労しているんですよね。というと、その人は 目を見開き、スクワランをお使いなさい。と言い切った。

スクワランで自分もアトピー性皮膚炎から救われた。と、もう力説に力説を重ねられ、私に説ききってくれる。

そろそろ、熱くなったので、もう外に出ますが、アドバイスありがとうございます。早速買ってみます。と言って立ち去ろうとする私に、「もう、お会いできないかもしれないので、もう一つ!すぐには効かないかもしれないけれど、時間をかけてゆっくりとじんわりと、本当にいいわよ。スクワラン。肌ももっちりとしてくるし」と、確かにその人の肌は、独特の柔らかそうで、触りたくなるような肌質の人だな。と思った。

で・・・ 帰り道、さっそくスクワラン、購入しました。

顔からお尻から 化粧水で水分を与えた後に、スクワランオイルを摺りこむように塗ると、なんということでしょうか、あんなに悲鳴をあげていた皮膚の傷跡や、痛くて痒くてと辛かった部分が鳴りを潜めてゆきます。

そして たった数日で、自分の本来の肌に戻ってきたのです。

私は、うそでしょ・・・。と、正直半信半疑でありながらも、この状態がもしあと一週間続いたのなら、あのちょっとお節介なお話好きのおばさまは、天から降り立ち、あのサウナにいてくれたのではないか?と思うくらいです。

人からのアドバイスを、煩わしいと遮断するほどの・・・なんというか現役感のない自分に苦笑いしながらも、あの時、あの「・・・あなた・・・」と、いきなり何を言うのかと思ったら お尻が汚いから きちんとお手入れしなさい。と、驚きのアドバイスを拒否せずに耳を傾けておいてよかった。と、思います。

お盆時期・・・

お盆の時期は、いつも寂しくなる。

気を晴らすために盆踊りのような行事があれば、参加したいと思うほどに・・・

段々と日の暮れるのも早くなり。また、終戦記念日との兼ね合いから、テレビでは戦争の番組も多く、食い入るように観ては・・・どっ・・・と恐ろしい過去の現実に戦き。いまの平和のありがたさを噛みしめつつ、未来にあるかもしれない戦争の恐怖に不安になる。といった循環を繰り返す数日。

この気持ちの落ち込みは、必ず 自分の場合、夏の終わりに起こる。

そして ある事実に、また 今年は、はっとさせられた。

一緒に暮らしを伴にしている相手が2か月近く不在である。

最初の頃は、これもいいもんだなぁ と 楽しく 普段ゆっくりと観ることの出来ない日本映画をみたりしていたけれど。お盆も過ぎるころになると、人の気配のないことが、こんなにも寂しいものなのか。と 伴侶を亡くした一人住まいの高齢者の気持ちを慮る。

・・・と、そんな心持でいるところ、ある高齢者のお財布を拾ってしまった。

スクールの2階に居住している母に、仕事中だというのにらる畑の牛乳とヨーグルトを買ってきてくれとせがまれ、15分間の中で往復して買ってくるという具合で車を走らせていた。

買った後に赤信号で止まるので速度を落としながらいると左手歩道に折りたたみ財布が落ちている。

拾ったところで警察署に行く時間がないから見て見ぬふりをしようか・・・と一瞬思ったけれど

まだ夏休み中。この近辺を歩く子たちは落し物は交番に届ける良い子の皆さんに違いはないが・・・けれど若さとは魔がさすことも時にある。

仕方がない・・・と車を停めて財布を拾う。

見た目から、きっとお年寄りの男性のものだろうな。と中に入っている身分証明書になるようなものに

なんと 昭和10年 と記入されている。

うわ・・・ 亡き父と同じ年だ

と スクールに戻り、なにか電話番号らしきものは書かれていないかと探してみても どうしても 出てこない。

けれど、この世代は必ず104に電話登録をしているに違いないと、身分証明書の住所で調べたら案の定登録されていた。

電話をかけて留守電になったのでメッセージを吹き込んでいる途中で、本人らしき人が電話に出て、しっかりとした口調で私とやりとりをし、今から自転車に乗ってそちらへ行くから! と 威勢よい人のようだ。

それを聞いていた アンドリューやレイチェルは、あつこ年齢的に80も後半なら自転車にここまで来るの無理じゃないか? 家まで持っていってあげたら? と心配している。

いや 自分もレッスンあるから それは無理。それにあの口調はかなりお元気そうだったよ。と私。

で・・・しばらくもしないうちに、すごい速度で自転車を走らせているその年齢らしき男の人がスクールの前を通る。でも 看板に書いてある トンプソン・インターナショナルの字は英語が主でカタカナは小さいので見落とすのだろう、速度を落とさずに飛ばしてゆく。 焦って外に出て呼び止めようとしても もう遥か彼方の角まで行ってしまっている。というのを2回は繰り返しただろうか。

折り返して戻ってくる、その人をようやくとめることが出来、お財布を渡すことが出来た。

年齢は87歳。一人住まいだという。 いやあ 現金はなんぼも入っていないけれど、この銀行カードやクレジットなんとかというのがなくなったら大変なとこだった。 ばあさんが死んだときもえらい目にあったんだ・・・助かった。と 眉毛の太い 色黒のその方は、おそらく外仕事を生業にしていたのではないだろうか しっかりとした体格としっかりとした言葉の運びと・・・感心してしまった。

子供たちも 皆、東京に行ってしまって、一人でなんとかこの年でも暮らしている。とありがとう。とその人は自転車に乗って去っていった。

私は、英検準備特訓のクラスへ戻った。

レッスンが終わり、87歳 独居生活の男の人ってすごいな、我が父なら決して出来なかった偉業だよ。 奥さんを亡くしても一人でのやもめ暮らしをしていると言っていた人のことを母に話した。 きっとあの時は自宅から東光ストアにでも買い物に出かける途中だったんだろうな。 電話かけたとき、東光ストアのサービスカウンターに置いておいてくれないか?と言ってたもんなぁ。

104の料金と電話代かけておじさんに連絡して、人助けをして悦に入るほど単純な自分であれたら良いのだけれど。

人の悪い自分など、このお財布の主は、お財布を拾ってくれてありがとう。お礼に。と、お財布から数千円取り出し置いてゆく・・・というような洒脱な真似は きっとしないだろうな。と そのお財布を拾った瞬間にわかっていた。

警察に行って落とし物です。と、そこで面倒な時間を取られるのも困る。

正直、拾いたくないな。とあの時私は、思ったはずだ。

でも、拾ってしまった。 行きがかり上。

しかし昭和10年生まれという身分証明書をみたときに 私は その人に会ってみたくなった。

父と同じ年の人が どんな様に 生きているのだろうか? と 興味を持った。

もしかすると 父と同じ年ということでなければ 私は104で住所で電話番号など確認せず、自分に時間が出来るのを待って警察に行っていたかもしれない。不安に待っているだろうからすぐに連絡を取ってあげたい気持ちと天秤にかけていたかもしれない。

やってきたその人には、生命力があった。

力仕事で身体を動かしてきた人なのだろう。

戦時中に生まれ、奥さんに先立たれ、子供たちはみな東京に行ってしまった。

と それでも独りでなんとかやっているけれど、このクレジットカードとか銀行のカードがなくなってしまったら厄介なことになってたなぁ・・・。と笑う。

神は、独りで生きていける力のある人に、最後に残る人という役割を与えるのだろうか。