石川、金沢、能登、輪島、七尾、和倉温泉そして富山の高岡を訪ねて。

小さな国土でも、歴史が古くから開けた日本では、特に北海道から北陸に旅をするだけで驚くほどお国柄が違ったり。・・・そもそも北海道での暮らしにはお国柄というのはないような気もするし。

まず、北陸、石川県あたりでバスに乗って街並みを拝見すると驚くのが、どのお宅も真面目にカーテン(レースとはいうものの、結構厚手のもの)をピタッと閉じていられる。

最近の札幌市の夜景を見下ろすような家で取り入れられているカーテンを取り付けていない家というのは、石川県の方々にとっては想像の外だと感じたところです。

歴史のある街というのは、歴史遺産で食べてゆけるからいいなぁ・・・などと、勝手に思い込んでいた自分も、何度かこの石川県を訪ねるうちに、歴史を持っている町はその財産を乱用しないように努力されているのだな。と、感じるようになった。

金沢、能登、輪島 七尾 と、とてもいい旅を終え、

富山の高岡という処に立ち寄った。御車山会館で御車山祭りの説明や山車を拝見し、大仏様、国宝高岡山瑞龍寺というコースで。

この地方の人は、真面目な気質なんだろうなぁと肌で感じた。

なぜか、それは町全体がきれいだったから。荒れていないということは町に住む人々の気質が生み出すもので。

瑞龍寺のお坊さんもとても楽しい方で、北海道大学に息子さんが学んでいるらしく、北海道にそのまま住むということだけはないように祈っている。と、とても心配されている姿が微笑ましかった。

そして、何よりも食事の味が・・・高岡の町で用意されたものが美味しかった。

食事が美味しいということは、旅する者にとって、すごくポイントの高いものなんだな。と、いたく感じた。

札幌を訪れた方々の多くが、札幌はいいよね 食べ物が美味しい。と 札幌に住む私を前におっしゃってくださるのは、お世辞を考慮しながらも、食べ物が美味しいから 札幌がいいよね。と言ってくれるのだろうな・・・と思う。

実際に、一昔前までは 北海道旅行はあまりいい印象を多くの人に与えられなかった。と、私は記憶している。東京の街角で女性グループのお一人が、「北海道、北海道っていうけど なんにも良くなかったわ」と言われているのを耳にしたことがあるし。また、京都のタクシーの運転手さんに、乗車して北海道からだと言うと「いやぁ北海道に旅行した時は、行くとこ行くとこ、鮭のちゃんちゃん焼きやカニばかりでえらい目にあった」と すかさず申し受けたり。

だが、最近の北海道、特に札幌は美味しいものがあるよねぇ。ととても評判が良いように思える。

ここが正念場なんだろうな・・・と 偉そうだけれど、そう思う。

札幌の街が、観光の方々(大きなお金を落としてくれるとはいえ)に必要以上に迎合し、もっとお金を落としてくれる仕組みづくりにばかり始終してしまうと、街は荒れてゆき、途端に魅力を失ってしまうのだろう。

街は、そこに住む人々が作り上げてゆくもの。

掃除をし、暮らしを大切にし、人と人との繋がりを大切にしてゆこうとする人が多く住む、そんな場所には自ずと光が差し込むような気がしてならない。

旅に出ると、その光が、なぜだか見えるようになる。

札幌での暮らしでは まったく見えないのに、旅先の街の状態は、少しだけみえたりする。

歴史物を継承してゆく権利と義務の中で、統率するリーダーありきで工夫をこらして努力を強いられる土地もあり、

豊富で恵まれた食材を使い、料理人が切磋琢磨され 知名度を上げている札幌も、歴史はないけれど、良き統率者に恵まれて、良い街にますますなっていかれますように。と願っている。

 

 

The 20th Anniversary

そういえば、今年はThompson Internationalを、店舗というか教室そのものを構えてから20年を迎えていたのだ。った、ということを先週の水曜日9月7日の朝の電話で、思い出すことが出来た。

朝11時頃、一本の電話が鳴った。若い女性の声が元気よく「私、****と申しますが」とフルネームを聞いたと同時に、私は「あら!Sちゃん??」と叫んでいた。

電話の向こうで、覚えてくれているんですか?と驚く声が。

その声の持ち主は、私たちがスクールを立ち上げたばかりの頃に、子供さんの方はまったく経験がないというのに、親御さんのご理解と彼女の利発さのおかげで、私たちも楽しく彼女との時間を刻むことが出来た、そんな特別な経験の出来た子のものでした。

それはいまから約20年前から15年前までのこと。

大きな企業にお勤めの父上の転勤で、15年前に一家は神戸へと引っ越しをされた。

この15年の間、彼女が高校生だった時に、マレーシアに留学(留学費用は奨学金)という嬉しいニュースを知らせてくれたり。 ああ、英語頑張っているんだなSちゃん。と私たちの心の支えでもあったSちゃん。いつも忘れることはなかった。

「嬉しいです!憶えていてくれて。実はいま、北海道を一人で旅行していてそちらに、今日、伺いたいんですけれどお時間はありますか?」

「わ!嬉しい では3時半くらいいかが?」

と、3時半に彼女は現れた。

背がすごく高くなってはいるけれど、あのままのSちゃんが 颯爽と歩いてくる。

Tシャツにジーンズ。飾らないその姿は、あの夏になると真っ黒に日に焼けてお母さんと円山に毎朝登り、バードウォッチングをしていたSちゃん、そのままだった。

彼女は、その頃から動物の先生になりたい。と言っていたのを私は記憶していた。

彼女は23歳になっているはずだった。 23歳でこの時期に旅行とはおそらく働いていないのだから、きっと大学院かな。と私は いま 大学院かなにか・・・?と聞きそうになった時、彼女は いま鹿児島大学の獣医学部に行っています。と、 あ だからか! と 私。 獣医さんの学校も6年間 行くのですよね。

それからつもる話もたくさんあり。いそいそとトンプソンも戻ってきて、彼女と英語で積もる話をたくさんたくさんできて、そのうち、いまのThompson Internationalに来てくれている あの当時のSちゃんのような子たちが集まってきて、ある子などSちゃんのことをずっと外国で暮らしている人と思うほど、英語が本当に自由自在に操れて、私は、Sちゃんに、神戸にはいい学校もたくさんあっただろうから、良かったねぇSちゃん。と、言いましたら。 Sちゃんは、いえ神戸ではなかなか自分と合う英語スクールがみつからなかったんです。ですので、英語は本当にこちらだけが自分の基本を作ってくれたところでした。こちらに来れたこと、自分では本当に良かったと思っています。発音と 英語が好きという心を持てた。それが自分の強みでした。

私は感動をしてしまい。 この 小さな学校を続けてこられて良かった。と その時、自分の20周年記念が出来ました。

続けてこれて良かった。と 身が震えるほど嬉しかった瞬間は、この時のそれが初めてでした。

私たちのしたかったこと、心のどこかで願い続けていたことを、彼女が 日本の西側に行き、実現して生きている。輝いて暮らしている。

私たちは、習いにおみえになる方々をネイティブ並みのスピーカーにするというような魔法は持っていなく。また、そんなことを謳うことは自分たちは無理なことも知っている。

だけれど、羽ばたいてゆく人たちの飛び立つ土台をつくることには精一杯の力を注げたら嬉しいと思っています。

嬉しそうな顔をしている私を みて、いま10歳のK君が、Sちゃんのことを 「あ 僕の完成形だね」と面白いことを言うから、皆で大笑いをして

そのうち 準1級目指して頑張っているK君がやってきて、K君は 真っ黒に日に焼けているSちゃんをどうしても日本に住んでいる人と認められないようで、「あちらでも頑張ってくださいね」などと、とんちんかんなことを言っているし。

とても楽しい時間を持ってきてくれたSちゃんに感謝。

あと もう少しだけ、Thompson Internationalは頑張ってみます。

あと5年と思っていたけれど、10年・・・ と思えるような そんな元気をもらいました。

ありがとう。

さて! いま こちら QRコードでクリックして手続きいただけると、無料30分実用英語検定査定レッスンが出来ます。

未来のSちゃん お待ちしています。

スクワランオイル

題名のスクワランオイル。私は、オリーブ油から出来たというものを使い始めました。が、これがすこぶる大効果です。

原因不明の皮膚炎に悩まされていた皮膚が、スクワランオイルを使用し、すぐ翌日から炎症が沈静始めました。

こういっては失礼ですが、何年も何年も皮膚科で処方されたクリームを使って、一時的に治ってもすぐに発生していたあの問題が、このスクワランというお名前のオイルで改善されつつあるのです。

この、スクワランというものを手に取ったのは、ある人のおかげでした。

それは友人でも知人でもなく、ただ サウナで偶然、居合わせたご婦人でした(おそらく年齢は70代くらい)。

ホテルのスポーツクラブで泳ぎ、お風呂、サウナというプロセスを踏んでいた時のこと。

サウナ室に入ると一人のご婦人が先客で。

私は こんにちは。とだけ言って座り、数分間・・・体が熱くなり、水風呂に入り戻りました。

その時には、もうお一人後に入られた方もいて、雑談されていました。

私が入ってきたということで、その後に入られた方が、会話を投げかけてくるその方に、きっぱりとした口調で「もう一人の方が入っていらしたので、会話は、この時期(コロナ感染)ですので、控えましょう」と言って会話を止めました。

私は、「あ いえ、気になさらずにどうぞ」とその申し出た女性の目をみつめて言いました。目をみた瞬間、仕事している人か、主婦の方でも、一言ありそうなタイプの人なんだろうな。という眼光の鋭さで、ちょっとビビりました。その人は私に無言で微笑み返し、サウナ室は無言になりました。

その意を決して、無言にする。というのも、なんだか疲れるもので、その申し出た方が、沈黙に耐えきれなくなったのか、また何かを、ずっとサウナ室にいる女性の方に話しかけました。

すると、話しかけられたほうの女性は、元来お話し好きの方なようで、言葉が連なり出てくるタイプときて話が止まりません。 で、また、その質問をされたその方が、「わたくし、耳が最近遠くなって、ちょっとお話が聞こえないものだから、またいつか・・・」とその話好きの人の会話を遮るといった、なんとも居たたまれない空気が。

なんか、居心地悪いなぁ・・・と 私、また水風呂へ。

・・・で、水風呂から帰ってくると、それまで残ったお二人で何かを話されていらしたのでしょうけれど、私が座ると同時に、

先ほどから会話をすることを躊躇しているけど沈黙も居心地悪いわ。とどっちつかずの方が「いえ、そういった治療はもうこちらで十分にしておりますから、結構ですから」とピシッと今度は手を振りもう一人の人の話を、気高く拒否した形でサウナ室の砂時計をみやり、砂が落ち終えたと同時に、サウナ室を後にされました。

私は、なんだか 会話を終えるにしても、もうちっと穏やかな終え方あるんでないの?・・・という感想を持ちました。

ですので、その残された話好きそうな方も水風呂に行き戻ってきたときに、お話の邪魔をしてしまったようで、ごめんなさい。と伝えました。

すると、その人はニッコリと笑って、首をふり(そんなことはないわよ)というようなジェスチャーをしながら、

「あの方、女医さんなんですって」と私に言います。

咄嗟にどう反応してよいのか分からなかった私は「そうですか」(イントネーションは さいですか・・・)と答えたはず。

その反応の満足がいかなかったのか、少しの沈黙があった後、「・・・あなた、」と 何かを問おうとする様子。

私は、なんだろうと一瞬、どんな質問が来るのだろうか。と頭の中で少し想像をめぐらす。会話の流れから行くともしも仕事のことを聞かれたら教育業くらいで答えればいいだろうか とか数秒の間に考えを巡らす。

「・・・あなた、化繊にかぶれやすいでしょ」と突如。

きっと 私の後ろ姿のお尻のあたりをみて この人はそう言っているんだな。と思い、「あ・・・お尻のあたり、みっともないですよね。いま色々とはい・・・ちょっとあって、でもあの、伝染性のものではないので・・」ともごもごと言っていると。

「お尻のお手入れも欠かしてはダメよ。三面鏡をみて、きちんとお手入れをするといいわよ」と・・・

ああ、この人はきっとアドバイスをしたい人なんだなぁ・・・この調子で、先ほどの現役感バリバリの60代くらいの女医さんにもアドバイスをしていたんだ。それなら、煙たがられるよなぁ。と思いながら

そうですね ありがとうございます。ただ、自分どうしても治らない皮膚炎にいま苦労しているんですよね。というと、その人は 目を見開き、スクワランをお使いなさい。と言い切った。

スクワランで自分もアトピー性皮膚炎から救われた。と、もう力説に力説を重ねられ、私に説ききってくれる。

そろそろ、熱くなったので、もう外に出ますが、アドバイスありがとうございます。早速買ってみます。と言って立ち去ろうとする私に、「もう、お会いできないかもしれないので、もう一つ!すぐには効かないかもしれないけれど、時間をかけてゆっくりとじんわりと、本当にいいわよ。スクワラン。肌ももっちりとしてくるし」と、確かにその人の肌は、独特の柔らかそうで、触りたくなるような肌質の人だな。と思った。

で・・・ 帰り道、さっそくスクワラン、購入しました。

顔からお尻から 化粧水で水分を与えた後に、スクワランオイルを摺りこむように塗ると、なんということでしょうか、あんなに悲鳴をあげていた皮膚の傷跡や、痛くて痒くてと辛かった部分が鳴りを潜めてゆきます。

そして たった数日で、自分の本来の肌に戻ってきたのです。

私は、うそでしょ・・・。と、正直半信半疑でありながらも、この状態がもしあと一週間続いたのなら、あのちょっとお節介なお話好きのおばさまは、天から降り立ち、あのサウナにいてくれたのではないか?と思うくらいです。

人からのアドバイスを、煩わしいと遮断するほどの・・・なんというか現役感のない自分に苦笑いしながらも、あの時、あの「・・・あなた・・・」と、いきなり何を言うのかと思ったら お尻が汚いから きちんとお手入れしなさい。と、驚きのアドバイスを拒否せずに耳を傾けておいてよかった。と、思います。

お盆時期・・・

お盆の時期は、いつも寂しくなる。

気を晴らすために盆踊りのような行事があれば、参加したいと思うほどに・・・

段々と日の暮れるのも早くなり。また、終戦記念日との兼ね合いから、テレビでは戦争の番組も多く、食い入るように観ては・・・どっ・・・と恐ろしい過去の現実に戦き。いまの平和のありがたさを噛みしめつつ、未来にあるかもしれない戦争の恐怖に不安になる。といった循環を繰り返す数日。

この気持ちの落ち込みは、必ず 自分の場合、夏の終わりに起こる。

そして ある事実に、また 今年は、はっとさせられた。

一緒に暮らしを伴にしている相手が2か月近く不在である。

最初の頃は、これもいいもんだなぁ と 楽しく 普段ゆっくりと観ることの出来ない日本映画をみたりしていたけれど。お盆も過ぎるころになると、人の気配のないことが、こんなにも寂しいものなのか。と 伴侶を亡くした一人住まいの高齢者の気持ちを慮る。

・・・と、そんな心持でいるところ、ある高齢者のお財布を拾ってしまった。

スクールの2階に居住している母に、仕事中だというのにらる畑の牛乳とヨーグルトを買ってきてくれとせがまれ、15分間の中で往復して買ってくるという具合で車を走らせていた。

買った後に赤信号で止まるので速度を落としながらいると左手歩道に折りたたみ財布が落ちている。

拾ったところで警察署に行く時間がないから見て見ぬふりをしようか・・・と一瞬思ったけれど

まだ夏休み中。この近辺を歩く子たちは落し物は交番に届ける良い子の皆さんに違いはないが・・・けれど若さとは魔がさすことも時にある。

仕方がない・・・と車を停めて財布を拾う。

見た目から、きっとお年寄りの男性のものだろうな。と中に入っている身分証明書になるようなものに

なんと 昭和10年 と記入されている。

うわ・・・ 亡き父と同じ年だ

と スクールに戻り、なにか電話番号らしきものは書かれていないかと探してみても どうしても 出てこない。

けれど、この世代は必ず104に電話登録をしているに違いないと、身分証明書の住所で調べたら案の定登録されていた。

電話をかけて留守電になったのでメッセージを吹き込んでいる途中で、本人らしき人が電話に出て、しっかりとした口調で私とやりとりをし、今から自転車に乗ってそちらへ行くから! と 威勢よい人のようだ。

それを聞いていた アンドリューやレイチェルは、あつこ年齢的に80も後半なら自転車にここまで来るの無理じゃないか? 家まで持っていってあげたら? と心配している。

いや 自分もレッスンあるから それは無理。それにあの口調はかなりお元気そうだったよ。と私。

で・・・しばらくもしないうちに、すごい速度で自転車を走らせているその年齢らしき男の人がスクールの前を通る。でも 看板に書いてある トンプソン・インターナショナルの字は英語が主でカタカナは小さいので見落とすのだろう、速度を落とさずに飛ばしてゆく。 焦って外に出て呼び止めようとしても もう遥か彼方の角まで行ってしまっている。というのを2回は繰り返しただろうか。

折り返して戻ってくる、その人をようやくとめることが出来、お財布を渡すことが出来た。

年齢は87歳。一人住まいだという。 いやあ 現金はなんぼも入っていないけれど、この銀行カードやクレジットなんとかというのがなくなったら大変なとこだった。 ばあさんが死んだときもえらい目にあったんだ・・・助かった。と 眉毛の太い 色黒のその方は、おそらく外仕事を生業にしていたのではないだろうか しっかりとした体格としっかりとした言葉の運びと・・・感心してしまった。

子供たちも 皆、東京に行ってしまって、一人でなんとかこの年でも暮らしている。とありがとう。とその人は自転車に乗って去っていった。

私は、英検準備特訓のクラスへ戻った。

レッスンが終わり、87歳 独居生活の男の人ってすごいな、我が父なら決して出来なかった偉業だよ。 奥さんを亡くしても一人でのやもめ暮らしをしていると言っていた人のことを母に話した。 きっとあの時は自宅から東光ストアにでも買い物に出かける途中だったんだろうな。 電話かけたとき、東光ストアのサービスカウンターに置いておいてくれないか?と言ってたもんなぁ。

104の料金と電話代かけておじさんに連絡して、人助けをして悦に入るほど単純な自分であれたら良いのだけれど。

人の悪い自分など、このお財布の主は、お財布を拾ってくれてありがとう。お礼に。と、お財布から数千円取り出し置いてゆく・・・というような洒脱な真似は きっとしないだろうな。と そのお財布を拾った瞬間にわかっていた。

警察に行って落とし物です。と、そこで面倒な時間を取られるのも困る。

正直、拾いたくないな。とあの時私は、思ったはずだ。

でも、拾ってしまった。 行きがかり上。

しかし昭和10年生まれという身分証明書をみたときに 私は その人に会ってみたくなった。

父と同じ年の人が どんな様に 生きているのだろうか? と 興味を持った。

もしかすると 父と同じ年ということでなければ 私は104で住所で電話番号など確認せず、自分に時間が出来るのを待って警察に行っていたかもしれない。不安に待っているだろうからすぐに連絡を取ってあげたい気持ちと天秤にかけていたかもしれない。

やってきたその人には、生命力があった。

力仕事で身体を動かしてきた人なのだろう。

戦時中に生まれ、奥さんに先立たれ、子供たちはみな東京に行ってしまった。

と それでも独りでなんとかやっているけれど、このクレジットカードとか銀行のカードがなくなってしまったら厄介なことになってたなぁ・・・。と笑う。

神は、独りで生きていける力のある人に、最後に残る人という役割を与えるのだろうか。

 

 

 

別れ話

いやぁ・・・帯広の例の事件、やはり多くの人が思っていた通り、別れ話のこじれが原因であったのですね。

別れ話って、むつかしいものなのですね。

こういう間柄は別れ話も場所も選ぶでしょうし。なかなか技がいるものと思います。

別れ話といって、実に面白い話をしてくれた元同僚がおりました。

このブログでも時々、話すことのあるYさんという30代のころ共に仕事をしたことのある、私の中では忘れることの出来ない面白い人でした。F女子大学時代の上昇志向の高い同級生との確執やなんかを、自虐的に自分を笑いながら話す技に長けている人でした。このブログをみていたら連絡ください。連絡先を失ってしまい残念です。また会って面白い話聞きたいです。

と、彼女がそれこそ高校教員をしていた時代にお付き合いをしていた男性がいたらしいです。

結果として、そのお付き合いは彼女がフラれた形で終了をしたらしいですが。

別れ話の際に、相手の振る舞いが十年以上も経ったいま(その当時)も忘れられない。いい人だった。というのです。

「ほう・・・別れの時に株をあげる男の人って少ないわよねぇ」と私。

「大した人だったのよ。別れ話の時によ。その時に、すっごいいいレストラン予約してくれてね。席について君とは残念だけれども結婚できない・・・。とその理由をまっすぐに伝えるのよ。最初はそりゃ腹立ったわよ・・・気が動転していたわよ。その場所から立ち去ろうと考えたけどさ。相手がまっすぐに私と向き合っている空気がそうさせてくんないのよ。それに担当のウェイターの人が、遠目からみているし。こちとて恥ずかしい真似できないじゃない。食べ物だけはやってくるし。それ食べなきゃと思うし。そして空になると、今度はウェイターさんがくるし。なんか話という話も出来ないまま・・・。最後までどんな罵詈雑言も受けても仕方がないと真正面に相手は座っているし。もう、こちらも・・・負けた。と思った」

「すごい人だね。そういう攻略もあるんだ。大体の人は、こそこそ逃げるように終わるんじゃないの?自分が別れたい場合は」

「それが、最後に家まで送ってくれるのも、あれも最後まで徹底して頑張ってくれたんだよね。その頑張りに拍手かな」

「それ大した人だわ。今頃、大した人になっているといいね」

「だと、いいね」

別れの話は、多様性に満ちていて、これが王道というのはないけれど。

演技を投じてでも、いいお別れが出来たら良いのになと思うのですけれどね。

もっと、本屋さんにかつての森瑤子さんのようなタイトルで「別れの法則」的な本が並んでいてもいいのにな。

と、いま、別れ方の下手な人が増えているんじゃないかな・・・世の中が短絡的になりすぎてるのかな・・・ラインで辞表を示す人もいるとかいうし。そんな感性の人種がこの世の中で最も難易度高い男女間の別れ話を扱えるとは到底思えないし。などといらぬお節介の危惧を持っています。

 

 

自分の怒りとの折り合い。

前回、結構好き勝手なことを書いてしまいました。

削除しようかな。と思いながらも、まぁ 賛否色々、好意的でない人もこの文章をご覧になっていることをわきまえながら。

一つだけ ああ。そうか。と、分かったことがありました。

利口な人は、望ましい生き方をもっている人は、自分の怒りとの落とし前のつけ方を心得ているのだ。ということ。

凝り固まった怒りを野放しにしない。

自分の怒りの終え時、そして折り合いのつけ時、相手に対して自分の狭い領域の正論をぶつけ合うのではなく、相手にも、そして自分にも、逃げ道を必ずひとつ用意してあげながら話し合いに臨む人は、言い方を変えれば、前に向けてのお互いの建設的な話し合いに臨める人なのだと思います。

そういう人になれたらいいな。と、思ってます。

 

からたち日記ならず腹立ち日記

最近、きかん坊になっている自分がいます。鍼灸の先生には あっ!怒ってる。と肝臓が怒ってますねぇと言われながら鍼を打たれている始末です。

まぁ、カッカとする理由などを、ちょっと挟み込むことにしますと、信頼出来ない相手とやり取りしなければいけないストレス・・・というところでしょうか。色々なやりとりの中で、プロの人、仕事が次から次へと舞い込んでくる人というのは、絶対の一人のファンを持つことに徹しているからだと。いうことを痛感しました。一人のお客の信頼を得るために頑張るから次の紹介がある。という仕組みを、恥ずかしながらこの歳になってやっとやっと人の振る舞いから学びました。

残念な目にあってしまう相手とは、自分は中庸な立場であって、どちらの味方にもつきませんから。と気取っている人は、結局、お客をみて仕事をしていなく、自分を守ることしか考えていないように受け止められるのかな・・・という印象を持つ出来事がありました。

と、まぁ、はらたち日記第一段はこのくらいとして。

それよりもなによりも、先日、こんなことがありました。

20年ほど前に会員だったことのあるホテルのスポーツクラブにまた、入会しました。それは81歳の母と一緒に全身運動が出来、彼女の運動時間の送迎のロスを省こうという考えから、スイミング施設の整ったそのクラブを選びました。

私は大体700メートルくらい泳ぎ、母もそれくらい水中で歩くという時間をこなし、お風呂に入り、鏡の前で髪を乾かしていた時に、かしましい声を発しながら入ってくる人がいました。

あらあ 混んでるわ。混んでる 混んでる」と、まるで人がいてはいけないかのようにその声の主は騒がしい空気を持って、母は早々と身支度を終え別室で按摩器にかかっていたので、パウダールームには私しかいなく、そんな静かな空間に入って来ました。おそらくロッカーの多くが使用中になっているのを見て、そう叫んだのでしょう。

私は、この声の主はもしや。とその人の顔を確認しました。するとなんということでしょう。その人は20年くらい前にもそのスポーツクラブにいて、まるでそのスポーツクラブの主のように振舞うようなそんな人でした。ある女性はその人に虐められているような印象を受けるそんな様子を見たことがありました。

うわ。この人、まだいたんだ。しかし、あんま年取ってないなあ。時が止まったようにあのまんまじゃないか。しかし、あの時、私はこの人すごい年上だと思っていたけれど、いまこうやってみると、もしかすると私と大した歳違わなかったのかな。でも70くらいになってんのかな。に、しても元気そうだなぁ。 と、思いながら知らんぷりして、鏡に向かっていましたら。

そうしましたら、水中アスレチックスの練習をしていたご年配の女性がお風呂に入る前にロッカーで自分のものを出し、そしてお風呂の方へゆっくりとゆかれました。

数十秒後くらいに、「ちょっと!! あの水の跡っ!みてぇ!これみてよ!あの人でしょあのいまお風呂に入っていった人よ。ちょっとぉ!」大声で騒ぎだし、あちら側のロッカーにいる人に対してなのでしょうか、賛同を求めているのか、ただの叫びなのか、兎に角煩いのです。

そのロッカー部屋の端の方に居合わせ、同意を求められた状態になったような人も、ふふっと笑い声は出しても決してコメントをされません。そういった細長いその空間の居合わせた方は、さー--っと、そこを立ち去られたようです。

利口で上品な方たちの処し方です。間違いのない振る舞いです。

ですが、私は、その時の私は、こう考えました。

この人が20年近く、こういった傍若無人の同じ振る舞いでいられるのは、こういった品の良い人たちに囲まれ、何も言われずにいてしまったからではないか???と、こうなったら私が言ってみせましょう!と 無謀な正義感に燃え立った自分は

そんな大声で騒ぎ立てるような事柄ですか?」とポロリと言葉を発してしまってました。

そうするとその20年前と同じ髪形をし、同じ化粧を施した負けん気の強そうな女性は、驚いて私のほうを振り返りました。

なに言ってんの?この新入りは?というような風にマスクの上にある目は訴えていました。

え!? 放っておけないことよこれは!」と言い返します。

水がカーペットに染みているのは、いつかは乾くことでしょ。それがそんなに大事なことなんでしょうか? それにここは公共の場ですよ。皆が使う場です。あなたがそれを不愉快だと思うのであるのと同じくらい、あなたのその騒ぎ立てる声が私にも不愉快です」

…ちょっと なによその言い方?」と ぎりぎりとした空気が生まれる。

一触即発ってこういう状態のことを言うんかなぁ・・・と私は脳裏のどこかで思いながら、こんなことをしでかしながらも気の弱い私は、この空気を早く終わらせねば。と

「皆さん、きちんとそれぞれが気を付けていらっしゃると、私は思います」と無理やり会話にピリオドを打つ。

「そうかしらー--?」と 皮肉めいた答えが返ってきたけれど、相手にもうしない。と決め鏡に向かった。

相手も諦めたらしく、黙り、ばたんばたんと忙しなく、いつまでも時間をかけて着替えていた。

そのうちにプールでのレッスンを終えたグループの方々がお風呂を終えて大勢、私たちの緊張の場へと戻ってらして、私は席を立った。

こんなことは、本来するべきでないのである。

放っておけばいい人なのである。しかし、こうやって放っておかれていたが故に、あの人はずううううっとあのままでいれたということに、私は腹が立ったのであった。誰かが言わねば!といきり立った。

が、きっと、あの人はきっとこう思っているだろう。なんだあの女は?新顔のくせにいきなり偉そうに。なんだなんだ?と、意表を突かれながらも腹の中は煮えくり返っていると思う。

が・・・

自分も、もうこれくらいにしておこう。と 腹立ち日記をお終いにしなくては、体に悪いと・・・そのうち鍼灸の先生からお𠮟りを受けるかもしれない。

怒りって倍増してくるんですよね。どこかで意識して終えなくては、ある人への不信感からの怒りが、それがホテルのスポーツクラブでのあの人への怒りへ繋がって。倍増倍増してくるのであるからして。どこかで自ら意を決して断ち切らないとあかんね。・・・と

そんな私へ、昨夜夫が

こんな言葉を私にくれた。

Its better to walk away quietly than to retaliate.

静かに立ち去ることは報復に勝る

 

日曜日のジュェリー売場

日曜日のジュェリー売場には若いカップルがおりますね。 特に4℃あたりの売場にはこの間まで中学生だったようなまだニキビのありそうな男の子・・・きっと23歳くらいなのでしょうが、初めて彼女へジュェリーを買ってあげる照れと、とまどいと、そしてしっかりとしてゆくぞという自覚とを一身に着ようとしている…そんな男の子の隣には、首をかしげて、男の子よりジュエリーをプレゼントしてもらえる幸せに輝いている女の子がいます。

いいねぇ・・・ と 私は、股上のマチの深いパンストを店員さんに探してもらっている母を待ちながら、若いカップルを眺めています。

私にもあんな時があったのだろうか。どうだったのだろうか・・・それにしてもいいなぁ若いって。と股上の深いパンストじゃなきゃお腹がおさまらなくって、わたしなど困るのよ。と大声でレジでの支払いを終わった母と歩きながら私はこう呟きました。

「おかあさんさぁ・・・ 自分で100万以上の宝石買える人とかさ、おかあさんみたいにさ夫がうるさい人でなかったから、さらえ構わず図々しく自分で好きなもの買えるような女とだよ・・・ 彼氏や夫にかわいい表情でおねだりしてジュェリーや宝石なんかを買ってもらう、そんなひと苦労の振る舞いが必要な人と・・・どちらが いいんだろうねぇ・・・ わたしは なんか後者のような気がするの」

「え? そんなの決まってるじゃない。自分で自分の好きな宝石買える女の方がいいに決まっているわよ」

と81歳の人は言うのですが。

どうでしょ。 どうなんだろう。

外商担当の人が出てきて、翡翠、エメラルド、ダイヤと一人で選んでいる女より

私は彼氏が一生懸命バイトで貯めたお金で数万円のジュェリーを買ってくれるという過程がなんとも意味のあるもののように思えたり。結婚しても理想は、理想は、何かの思い出に、その時々の記念にと、ポーズだけでも夫に買ってもらったという感じのメモリーが欲しいではないか。自分で自分にご褒美にも節目の記念が必要なように。

宝石、ジュェリーには思い出。記念。なにか思い出が必要な気がするの。

ただ、自分が求める思い出と、夫のそれとは、必ずひとつ桁が違うのが問題なわけですが。

庭師さん

先日、庭の樹木を移転先に移植しました。

その際に庭師さんたちのお仕事ぶりをみて、えらく感動しました。

カッコいいです。 力仕事、繊細な配慮、ダイナミックな動きと樹木に対する優しさ。プロ意識の高さ。

世の中にはたくさんのお仕事があることが大人になるにつれてわかってきます。

たくさんの仕事、仕事に誇りをもって働く方たち。

話術に自信のある人。体力に自信のある人。集中力に自信のある人。感覚、感性、もろもろの能力でそれぞれが本当にそれぞれが生活を立てられる社会が健康な社会なんだと思います。

こんな風にぼんやりと生きていても長く生きてると・・・ 男たちの社会、いえ人間社会は私の知っている小さな世界なので大きな官僚、上層社会は知りませんが、やはり人間は繋がりの中でしか食い扶持を生み出すことは出来ないのだ。ということです。

庭師さんたちに声をかけ、予定を組み配置やデザインなどを考える人は色々な折衝を行っていかなければなりません。その窓口には折衝力もまた、感じの良さも求められ、そういった人間のいざこざ、面倒なトラブルも請け合う。それが仕事であり、庭師さんたちは一切の人間のあいだのことを気にせず仕事に没頭できる。

その歯車がうまくいくと、その依頼者からのみではなく、その現場にいた誰か(例えば、新築家屋に移植であればその工事現場の人など)にも好印象が残り、次の仕事につながる。

だから窓口はあくまでも感じよい方が良いわけで。かといって庭師さんたちはにこにこしていても力仕事に精を出しているのだから愛想振りまくわけにもいかない。

大きなお金の動くところへの嗅覚が発達している人は、いつのまにかそういった人脈の中に加わり札幌の土地開発のようなことに関わってられるし。

人にはそれぞれの自分に合う型でお金を得てゆくことしかできないのだろうな・・・とつくづく思います。

それでよいのだと思います。 大きなお金の動く様が好きな人は、違法でない限り、自分の好みに合ったお金儲けをすることが良いはずで。でも、それが皆が皆に当てはまるはずはないのです。

自分の仕事に誇りをもって取り組んでいる人は、実に輝いていますね。

わたしは はたと・・・思いました。私に出来ることはなんだろうか・・・。

英語をもっと掘り下げて、プロ意識をもって取り組まないとと 省みました。

 

 

The Spring in Hokkaido

厳しい冬がようやく北海道から、終わっていってくれそうです。

どんなに厳しい冬でも終わりが来るのなら、いま現実に起こっている、この惨事も 早く 早く

終わりを告げてくれますように…毎日願うばかりです。

ニセコでの一枚です。

私たち夫婦にとって、これが北海道の春です。

桜だなんて、夢のまた夢です。

それでも、この冷たい空気の中でも春の匂いに幸せを感じることが出来るのですから、厳しい冬を乗り越えた体というのも、ありがたいものだなと、ここ数年春の遅さに不満を覚えなくなった自分がいます。