Low key 目立たなく
I want to start things with low key. 目立たなくものごと始めたいの。
と、全てにおいて思ってる。
鳴り物入りとか 脚光とか 注目されてとか おっそろしくて 身の毛もよだつほど 逃げ出したくなる状況と、想像するだけで そんな目にあっている人が気の毒に思える。しかし、そういうことに慣れている人や その状況に相応しい人は 結果がついてくるのだから。ちゃんと なっているのだ。
同じ注目をされるのにも、
目をつけられる状況。
それから始まることには なぜか 慣れている。
劣等生の生活に慣れているからか。
期待されず というか どーせ ダメなんだろうな。と思われることのほうが楽。
春から始めた通訳クラス。 通い始めて半年以上が過ぎた。
最初は 名前が 名前なもので。
先生も お手並み拝見 という様子。
そして 頭が悪いから 先生の言ったことを ツーカーで理解できる力に欠ける。
と、なると 先生も 出来ないんだな。と イラリとくるし 悪い意味で注目する。
しかし、この図々しくなってしまったAfter 40
出来ないから ここに来るのだ。と 最初から開き直っているのでめげない。
とはいえ、図々しくのらりくらりと、めげないながらも 一つだけ 気をつけようとは思っていたことがある。
無遅刻 無欠席で いこう。と。
それだけ 徹底すれば あとは なんとかなるさ。と、その 決め事があったので 遅刻はせずに 1回だけ カナダに行くのに 休んだだけで なんとか かんとか 行きづらくはなくなることもなく、続けられている。
そうしている内に、先生が なんとなく あら この人 そんなに悪くないじゃないの? と 最初の頃より ちょっと 認めてくれたような気もする。気のせいかな。 相変わらず 厳しいし レッスンでは ビビりまくっていながらも 止めようとは 思わずに 通うことが出来ている。
先日の授業で 先生が このクラスは8人になりました。と おっしゃった。
最初は15人以上はいたような記憶がある。
クラスが変わったりしたのかな。と 思っていたら クラスメイトが
「たくさん やめられたけど、でも そんなに きついかなぁ・・・」と 呟いた。
そうかぁ そうなんだ 続けたら 力になるのに 勿体ないなぁと思いながらも。 タイミングってあるもんなぁ 物事には タイミングが合わないと 続けられることも 続けれないことってたくさんあるし、仕方がないよな。
と、自分など ふと 明日 行きたくないな と 脳裏をよぎっても あの 3月のカーリングイベントでの 大恥をかくことを 思い出したら 絶対に行くよ。と何が何でも行く!と、そちらを自動的に選んでしまう。
大恥の経験で始めようと思ったきっかけ。と 注目脚光とは全く逆の、目をつけられてのマイナスからのスタート。というのが 自分にとっての 何かを始める時の黄金バランスなのだと 思ってたりする。