先日 ほうれん草のおひたしが ある程度まともに出来るようになるまで私には20年位の月日が必要だった。と 記しましたが。
昨日 この写真の光景を一人がけの椅子から眺めていましたところ。
ものとの付き合いも 自分の場合は 長い年月が必要なのではないか? と 思ったのです。
この 小さなコーナーにある スタンドや 大皿や 麻の布 は すべて 20年以上前に いいな。と 思って 自分のところにやってきたものたちでした。
スタンドは イタリアのアッシジという小さな村で きれいだな と思い 買い求めようとしたところ 4つのセットでなければ 売れないのよ と 言われ えええ そんなの あり? と 交渉しても 無理そうだったし、 これは 思い切って買わないと 後悔するなと思ったので 思い切って 求めた。 そして 海をわたって やってきた。 スクールにも そのうちの一つを置いています。
大皿は、20年ほど前に 結婚するとき 両親が用意してくれたもの。
こんな 大皿 どうするんだ? と ずっと 棚の奥にいて パーティの時くらいにしか 出番のなかったこの大皿は、いまは いつも果物を待っているお皿となっている。
淡いピンクの麻の布は、自分が働き始めて 買ったもの。
これも 20代の自分には まったく 使うことはなかったけれど。生活というものが 身近になかったし。 ただ きれいで、いつか これを使うようになれたら いいな。と 思って求めた。案の定 15年以上は 使える機会もなかったように思う。
20年の月日のおかげで、やっと それらの もの ものたちが 役立ち始めた。 使われ始めた。
と、なるとだよ・・・
ものでさえも そういう性質が多いことがあるというのに。
自分のやり始めたことに 決着を早急につけようとするのは 傲慢で、特に私の場合には 無理な話だなと 思えた。
いま やっていることが いつか いつか 花開けば いいし。開かずとも 小さな 自信となって 自分の中に根をおろしてくれればいいさ。くらいに 欲張らないことだ 焦らないことだ と
昨日も ダメダメな自分にうんざりしながら 能力のなさを憂いたが。
ゆっくりいこうよ。と 思う。 でも 20年は少しゆっくりすぎかな。もう 自分は残り時間そんなに残されていないかもしれないし。
20年を10年位に したいところだなぁ