今朝 早くにピンポーンと鳴った。
灯油を入れに来る人かな?とドアを開けると、おとなりのおばあちゃまが 一人用の琺瑯ポットを手に持って立っている。
「今朝、コーンスープ作って美味しく出来たから持ってきたの。息子に こんなに朝早く となりのばあさん気でも触れたかと思われるからやめれって言われたんだけど。 遅くなったら 値がないと思ってね 持ってきたの」 と バラ色の頬を輝かせている 92歳。
しばし お正月の料理はどんなもの作る?と お話し、 M間さんの昆布巻き楽しみにしている。私 いつもの 豚の角煮だけれど 持って行きますね。などと お正月のことを予定し合ったり。
M間さんと出会って 美味しいお料理を作る人を身近にでき、本当に勉強になった。
お料理は 珍しい物や高いものがよいわけでもなくて また こねくり回すことではなくて。清潔感を持たせることなんだろうな・・・と 92歳の方の作る 美味しいお料理を食べて 身にしみながら学べた。
時間をかけてしっかりと作る料理。テキパキとスピードをもって仕上げる料理。
一品の中に、映える心意気は、やはり 清潔感を持って挑む。というものなのだろうか。
まだまだ まだまだ 遠い道のりだけれど いつか そんな一品をたくさん作れる人になりたいな。と、思う。
料理本も、自分の好みがはっきりとしてきた。
せっかく 料理本を読むのなら、贅沢を知っている人の本を読んだほうが為になる。と、いうこと。これだけは 自分に対しては はっきりと言える。 自分の知らない世界の人のエッセンスを行間から読み取って何か学び取って 自分の生活の経済料理は自分の中で消化して作ってみる。 最初からそれに沿って作ってしまったって 面白くないじゃないか。
自分の知らない世界を知っている人たちの料理のレシピを読むのは、きっと 料理の腕を磨いてほしいために 美味しい料理やさんに奥さんを連れて行った昭和の男性の真理と一緒なのだと思う。
贅沢を知っている人の料理のレシピは、たとえ きんぴらごぼうであっても 何か光るものがあるし。 素材は同じ牛蒡なのに きれいなものになるような気がする。
鳩山幸さんのレシピや 成田屋の奥様や 江崎グリコの奥様などのお料理本が出る理由はそのあたりにあるのかなぁ・・・と 手に取る。
料理は、清潔であろうとする心ばえと、美味しいものを作ってみたいという好奇心と 訓練で 美味しい一品ができるのかなぁ。と、