棚卸し

今年は 庭のラズベリーの実がつくのに 通年より2週間ほど遅かったかと思います。

各地で大変な災害にあっている方々を思うと、寒いとかなんとか 文句は慎むべきと・・・そんな中、遅くはありながらも 赤い実のなる木をみて嬉しくなりました。

遅くても 自然の摂理で 実がなれば 花が咲けば それは幸せ と

あれることの幸せを深く思いました。

数十年前 自分がまだ20代であった頃に きれいな花束をみながら

深い溜息とともに 「咲かない花っていうのも あるんですよねぇ・・・」 と 蕾のままに終わってしまう花もあるんだよなぁ とポロリと口から出たことがあります。

それを隣で聞いていた 自分より年配の女性が 大笑いしました。おかしくておかしくて 仕様がない といった様子で。

いま 思うと あれは わたしが 自分の様子に その咲かない花をみたてて ふと 吐露した言葉に 彼女はなんともいえないおかしみを感じたのだと思います。

その頃の自分は きっと 咲きたくて咲きたくて仕方のない なにかの花だったのかもしれません。 けれど 咲き方が分からず なにをどうして どうやったら うまくいくのか分からずに もしかすると 自分は 花をつけることもなく終わってゆくかもしれないなぁという焦りを抱えながら 生きていた ただ ただ 上をみて。 下を足元をみることを知らない そんな22歳だったと思います。

野苺も 生きてさえいれば いつか遅くても実をつけるってもんです。

それで いいんじゃないかなぁと 野苺をみながら思います。

今朝 野苺を ひとつひとつ 摘みながら

これからの自分に必要なのは 自分を棚卸しして これまで 足りなかったことのひとつでも 改善していけたらよいな・・・と 庭の片隅で思いました。

例えば 小さな遅刻を 少しでもなくして 時間通りの人になりたいな。(小刻みに 3分 5分と 遅刻してしまう人は なぜか 自分の周りの 幸せそうな人 または お金と楽しく付き合っているような方々の中にはいないことに 気づいてしまったのです・・・)

例えば 払うべきお金は 出船のように 待ってましたとばかりに きれいに出すようにしたいなぁ ( これは 自分は プライベートビジネスの方々には意識して努めていますが 税金だけは どうしても ぎりぎり いや 期日をちょっとすぎて支払ってしまう あかんところがあります。 これを 改めないとあかんなと思います)

明治生まれの 商売人の鏡のような曾おばあちゃんが言っていた言葉のなかに。

「お金は生き金を支払う気持ちが大切だ。人間っていうのは きれいにお金を払ってくれるところには いい品を持って行きたいって思うもんだよ。払わなければならないお金は 出船が待ってましたと出るように払うもんだ。 そうすれば お金持ちにはなれなくてもな お金に見放された生き方はしなくてすむ」 というのがあった。

自分は そんな祖先の言葉を どれだけ 実践できているのかと

出来ていないことだらけじゃないか・・・ と 苺をつみながら涙ぐんでしまった。

上をむいて むいて 咲かない花があると焦っていた あの日から

野苺を摘みながら 足元をみて 出来ていないことの棚卸しをして、これからは 少しでもましにしてみようかと 思えたそんな朝でした。