断捨離イズムが、あちこちで行われている いま。 また 世代的に モノを増やさない心構えを持ち始めなければいけない歳だというのに。
私達夫婦のところに この2年間 ドッ! とものが流れてきた。
いらない いらない! と 抗っても 抗っても 父が亡くなり、一人になった母が札幌にやってくるにあたり、実家の仕分け 処理を手伝うのは 兄弟の中で 自分しかいなく
いくら いただけるものは 紙の軽いもの(¥)だけで けっこー。 と宣言してみせたところで。 「これは 大切にしてきたものだから オマエがもっていって」と 言われると 弱く 引き取っているうちに まず そこで ひとかたまり。
更に 先日の月曜日 カナダのトンプソンの実家から 荷物が押し寄せた。
トンプソンの母も 私の父と同じ 2年前の8月に亡くなった。 して、トンプソンの父親は家を売り ケアつきハウスへ移り住んだ。
その際に 大体の家がそうなように 多くのものを整理しなければならなく
私はいらない。 頼むから 頼むから カナダのものはカナダでなんとか始末して。お姉さんもいることだし。
と 何度も話し合ったが
トンプソンは お母さんの思い出のあるものを 傍においておきたい。と 頑として譲らず・・・
高い運送料を かけて トンプソン家のアンティークたちがやってきた。
今年いっぱい荷解きと整理に追われると 覚悟しながら
昨夜 家に帰ってみて ソファで 一息ついて 辺りを見まわしてみると 第一段階、紐解いたもの中のものが まわりにあった。
なんだか 周囲が トンプソンのお母さん色に染まっていた。
私なら 使わないような ピンクのリネン・・・ 洗うのが面倒だし 手入れも大変なものを なぜ 所有し 使わなければならないのか・・・ 正直 理解できなかった自分がいた。
が・・・ こやって 眺めてみると いいもんだなぁ と思った。
お義母さんの 優しげなコレクションたち・・・・ 銀の食器なんて いま時代 使う人なんかいないよ・・・ ましてや 私達の暮らしぶりに そんなものがあったって 埃集めるだけなのに・・・ と 思っていたけれど、ある以上は やってきてしまった以上は使うしか ないじゃないか。と 思った。
私の生活に リネンと銀という 負担が介入してきた。 しかし 持った以上は きれいに 活かしきって 次の世代に 渡してゆくしかない。
時代がミニマリズム 断捨離に 向かっているというのに なぜ 自分は いま これらのものを 受け取るのだろうか
もしかすると
私には 子供がいない けれど これを しっかりと 手入れよく 活かしきって 次の世代 トンプソン家の誰かに バトンタッチして 渡したとする・・・
その時に 時代は 2050年位の どこかの時間で 「これはね 日本にわたって 英語学校を開いていた 日本人と結婚した あの おじさんがね くださったのよ。 そうそう あの日本人のおばさんが 送ってくれたのよね」 と 私のちょっとした役割もそこにあるかもしれない。
古いもの と 言えば それまでかもしれない が 200年前の ピアノの椅子 細工の美しいワゴン 銀食器に刻まれた1900年という数字
昨夜は お義母さんのエレガントな世界というものに 身を置くことで 代々受け継がれる物の意味なるものを 考えてみた。