この週末に、叔母が2年に一度定期的に催している絵画、革製品の個展に行くことを目的に東京へ。
はとバスツアーも組み込んで、毎晩親戚たちのおもてなしを受けて楽しや 嬉しやの旅でした。
銀座みゆき通りで個展が行われているために、宿泊先は 銀座のど真ん中。アクセスのよい銀座ソラリアとかというお宿に決めました。
いわゆる 銀ぶらもでき、はとバス集合にも楽、そして今回席を設けてくださった方々が夜のレストランを予約するのにも選択肢が豊富と・・・三拍子そろって 銀座って ええとこなんだなぁ・・・と それこそ おのぼりさん丸出しの私の視線の中にも、それなりに屈折した人生経験も織り交ざった視点が宿ったのか、洗練された建築模様の重なりの中に 苦悩・・・というものもあるのではないかな・・・と、今回はそのような印象を受けました。
都市開発が進んでいる日比谷、日本橋などは地主も手放すことの許された地区なのかもしれませぬが、銀座という独特な場所では、自社ビルを売りたくても 自分の代だけでさっさと身仕舞をして泳ぎ切りたくても 一族がらみの外野席の誹りや、先祖の代から受け継いだ家訓などがあるに違いない老舗は、重責の中で必死に研鑽、工夫、手堅く営まれているのだろうに違いなく、そんな彼らの地上げなど許すものかという存在が街に複雑な美しさを生んでいることは間違いない・・・と大きな都市開発は敵わないといった様子の細切れの建物をみながら考えていた。
紙、お香、文房具を扱うご商売、はたまた 舶来物のバッグ専門店などは これからどのように変革を遂げてゆくのだろうか・・・。そして 空也さんのように自社ビルであんこを作り、銀座6丁目の店でしか買えない和菓子を売り続ける、その凛とした気概を享受でき続ける日本であって欲しいと願う。
それとは対照的に、発売当初ただでさえ奇異にうつった苺大福も外国人観光客の注目を浴びるために更に進化されて毒々しい様子のものも売られて、そこに人だかりが集まっているのも、それも銀座のいまのひとつの姿。
気取ってばかりいてもお客は集まらなく、かといって銀座ブランドに肖る以上は 銀座の華は、老舗の苦悩のおかげと・・・苦悩なくして 華は生まれず ということは 街並みにも宿ることだったんだ。 と 田舎でのんびりしすぎている自分を反省しながら 都の風にあたっておりました。