英語での小説読書法 私流。

このGWは、北海道はとても寂し気なお天気でしたね。

緊急事態宣言も出ていることですし 諦めがつくっていえばそうですが。それでもお天気が良ければ人の心も救われるってもんだなぁ・・・と痛感したお休みでした。

ほとんどの時間を、本を読んで過ごしていました。

英語の小説を、意を決して 読んでいました。

意を決するということが 自分の場合は 英語の文章を読む際には必要となります。

そうかといって 分からない単語を ひとつひとつ引いているようでは 前に進みません。

亡き義母が贈ってくれた数冊さえも 着手していないものがまだまだあります。

で・・・ 自分流の読書法が これです。

一度 読む 辞書など使わずに 誤解でもなんでも 読む。その時点の自分の実力なりに読む。

その中で 面白いかも? と思ったものを もう一度 その気になる箇所だけ 言葉の意味を調べるものは調べて読む。

そして もう一度 読みたいと思ったものを しっかりと 行間を拾えることを喜びとしながら読む。

その 挙句の果てが 写真手前のぼろぼろの一冊。 奥の右側が 一回読みのもの。左が二回目を通したもの。

何冊も何冊も読んでいける人もいるかと 思います。

でも 好きな一冊を 味わう様に読んでゆき、理解を深めることに特に小説はそういう読み方をしよう。と 割り切っています。

ですので おそらく このペースでゆくと 英語の小説は 一生のうち 数十冊 というところでしょうか。

 

このボロボロになった一冊の中に 亡くなった義母がよく使っていた unfathomable (計り知れない)とか そのレベルの語彙が散りばめられていて。 やっとそんな言葉たちが自然に目に入ってきて あ・・・と嬉しかったり。

そして ・・・文章の中に、 その本を贈ってくれた際に彼女が、もしかすると私に伝えたかった そんなメッセージを 前よりも多く読み取ったり。これは 日本語の書物でも一緒ですけれど。

読書クラブに所属していた 義母の言葉使いは とても魅力的でした。 人を決して傷つけずに 配慮があって、温かい人柄を残しながら ユーモアに秀でていて。 こんな 会話を出来る人・・・と いつも憧れでした。

その彼女がいなくなってしまってから やっと 時間の限りを知ることとなり・・・ それまで逃げていた 学ぶ ということを始めた自分でした。

彼女が生きていたら こんな話しが 今なら出来たのに。とか この本について感想を語りたかった・・・とか

後悔を最小にしながら 人生を進めていける人は どんなに倖せだろう。と 思いながら 読み進んでいると こんな言葉が書かれていました。

Happiness is making the most of what you have.