日曜日のジュェリー売場には若いカップルがおりますね。 特に4℃あたりの売場にはこの間まで中学生だったようなまだニキビのありそうな男の子・・・きっと23歳くらいなのでしょうが、初めて彼女へジュェリーを買ってあげる照れと、とまどいと、そしてしっかりとしてゆくぞという自覚とを一身に着ようとしている…そんな男の子の隣には、首をかしげて、男の子よりジュエリーをプレゼントしてもらえる幸せに輝いている女の子がいます。
いいねぇ・・・ と 私は、股上のマチの深いパンストを店員さんに探してもらっている母を待ちながら、若いカップルを眺めています。
私にもあんな時があったのだろうか。どうだったのだろうか・・・それにしてもいいなぁ若いって。と股上の深いパンストじゃなきゃお腹がおさまらなくって、わたしなど困るのよ。と大声でレジでの支払いを終わった母と歩きながら私はこう呟きました。
「おかあさんさぁ・・・ 自分で100万以上の宝石買える人とかさ、おかあさんみたいにさ夫がうるさい人でなかったから、さらえ構わず図々しく自分で好きなもの買えるような女とだよ・・・ 彼氏や夫にかわいい表情でおねだりしてジュェリーや宝石なんかを買ってもらう、そんなひと苦労の振る舞いが必要な人と・・・どちらが いいんだろうねぇ・・・ わたしは なんか後者のような気がするの」
「え? そんなの決まってるじゃない。自分で自分の好きな宝石買える女の方がいいに決まっているわよ」
と81歳の人は言うのですが。
どうでしょ。 どうなんだろう。
外商担当の人が出てきて、翡翠、エメラルド、ダイヤと一人で選んでいる女より
私は彼氏が一生懸命バイトで貯めたお金で数万円のジュェリーを買ってくれるという過程がなんとも意味のあるもののように思えたり。結婚しても理想は、理想は、何かの思い出に、その時々の記念にと、ポーズだけでも夫に買ってもらったという感じのメモリーが欲しいではないか。自分で自分にご褒美にも節目の記念が必要なように。
宝石、ジュェリーには思い出。記念。なにか思い出が必要な気がするの。
ただ、自分が求める思い出と、夫のそれとは、必ずひとつ桁が違うのが問題なわけですが。