あるじなしとて春を忘るな

スクールの近くに、長らく空き家になっているお宅があります。

現在のところに移動してからかれこれ5年は経っているのに、そこのお宅は主は不在のようです。

毎年、春になると木々に花が咲き、そして5月の声を聞くころには濃い朱色の薔薇が見事に花を咲かせています。

このお宅の主が一生懸命、庭を手入れされていたころのことを想像します。

このバラを植えたときのお気持ち。春を待ちわびて庭づくりに精を出していた一年の時刻にも、いつか終わりが来るのだということを、その主のいない家は教えてくれます。

きっと菅原道真は、違う思いで 東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春を忘るな と歌を詠んだのでしょうけれど、私はそのお宅の前を通るたびに、この歌を思います。

お宅が5年間そのままだということは、(不動産屋さんらしき人達がよく行き来しているのを見かけながらも)きっと、どこかのホームに入られているのだろうか。不動産の整理をされたくても、それをする気力や諸々の事情がそれを許さないのだろうか・・・。とか、想像を重ねながら、夏至に向かってゆく季節の中で、朱色の薔薇が揺れるその庭を眺めます。

あるじがなくとも、薔薇は今年も美しく花を咲かせてます。そしてその姿は、何一つその主と面識のない私のような者にも、その方の時間を伝えてくるような気がします。