Recently, I became to understand the meaning of ” Tresure every meeting..”for my own interpretation.
最近、自分なりの解釈で 一期一会の意味をとらえられるようになってきました。
今朝、Thompson Internationalで8年近く一緒に仕事をしてくれてアメリカに帰国したアンドリューの住んでいた家の前を通りました。ある人から、売りに出ていたその家は中国人に無事売れたようだ。と聞いていました。
もうすでにその家族が住んでいるようでした。桜の木が 山の上にあるその土地では いまが盛りでした。
アンドリュー、元気にしているかな? 幸せに皆アメリカで頑張っているんだろうな。と 花があちこちで咲き乱れる坂道を運転してきました。
8年間という長い時間を過ごせた、彼に敬意を払って あの出会いも一期一会だったんだろうな。と しみじみと思っていました。
もうお互いに接点がないから連絡をしあうのもおかしいけれど、常に彼のことは思い出にあり、いつも心の中で応援している相手。
そんな出会いを 一度だけの出会いでも出来るような そんな風に 人と出会っていきたいな。と最近思えるようになってきました。
自分事ですが、最近自分の演習が役立つと思ってくれるのか、小学校3年生4年生などで英検2級を受けるようなお子さんたちのお母様から多く要望をいただけるようになりました。
正直、もう平日は余裕がなく 休日月曜日に行うことと至っています。
それに対し発信元となられたお母様の一人が私に、「本当にごめんなさい、私がトンプソンさんのことを教えたばかりに 大変な目にあわせてしまい・・・」と謝られたのです。
私は 思いました。
役に立てることは嬉しいと。 そして その役に立てることも永遠ではないのだから だから 余計に貴重だと 心から思いました。
子供さんの一時期、その時間に携わっていられるのは そう 用があるから 役割があるから 私がいれる。その時間が終わり、役割を終える。
それで良い。
と・・・ その時間に その相手と向き合えばよい。と。
これは 家を建ててみて また しみじみと思うことでした。
いくら建築家さんが 先生、先生と呼ばれても、 壁の修繕工事の時には 私たちにとって一番必要な相手は左官屋さんなのである。
先月、竣工あとの修繕ということで左官屋さんが3人おみえになりました。
するとうちの壁はペンキで塗っているので 乾燥でひびが入っている部分が広範囲にわたりました。
最初は、午前中だけで終わるだろうとそのつもりでやってきたようですが、これは一日仕事になるなと内心焦った表情が、伝わってきました。
我家の建つ場所はセブンイレブンはまぁ あるといえばあるのですが 車で5分ほどといったところです。きっとお昼、食べるところ探すの大変だろうな。と これまでの経験で分かりました。
どうせ自分たちの夕食の分を作らなければならないし、一日中、家にいなければいけない。
ということで ミートソースを作り始めました。
それをお昼にいかがですか? と言ったら いただきます! ということで
お昼に ミートソースと ライスという不思議な組み合わせでしたが お出ししました。
そして夜の6時まで、通して頑張ってきれいなお仕事をしてくださいました。
その間、刺青がいかつい腕をした一人の彼がなんと3人の子持ちであること。女の子ばかりで、もうよく喋るんですよ。というような話や色々な話を嬉しそうにしていたことが印象的だった。
仕事が終わり、お疲れさまでしたと見送る私に「お昼ごちそうさまでした。美味しかったです」と、その一番やんちゃそうな刺青の彼が、他の人を出し抜いて言ってくれた。
また なにかあったらよろしくお願いします! と お別れした。
私は 俗物なのだろうか。 きっと 常に人は平等であるという気持ちを持とうとされる高尚な方に比べると、かなり即物で物を考える人間なのかもしれない。
けれど、私にとってあの日のあの時間、あの時には、先生と呼ばれる建築家さんより何より、左官屋さんが大切な相手であったと思う。
あの左官屋さんとは もう会うことがないのかもしれない。でも ごちそうさまでした 美味しかったという言葉を残してくれた彼のことは忘れない。
私は 一体、誰に その 思いを 残し そして 去り、去られてゆくのかな・・・と
自分が生産的なことで、もう人の役に立てなくなった時、今度は どんな景色がみえてくるのかな・・・
その景色は もう少しあとに みえてくるのだろう。
いまは 一期一会 の言葉の 自分なりの解釈が 前と違ってきた そんな気分を眺めています。