Things belong to someone.

持ち物。もの。というのは、実は自分の意思とか趣味嗜好を貫いて集まるのは極々わずかで。

多くのものは、どこかの時点で家族から譲り受けたものだったり、人様からいただいたものだったりするようにある日、思いました。

と、いうことは もう集まって来てくれた物たちを軸に、自分が求めるものを自然に制限をしていってしまうものが モノたち。

トンプソンの実家からやってきたモノたちは、1890年代頃から始まる少しロマンティックな線のものが多く お義母さんもそれらを母親や叔母さんたちからきっと受け継ぎ、大切に慈しんできたのだと思う。

気が付けば 我が家は、黒のクールな漆器の皿は 全く合わない空間になっていた。

シンプルな削ぎ落された空間は 憧れるだけのもの。と、なってしまった。

と、そんな我が家の空間に、先日、東京から遊びに来てくれた従妹が かわいいかわいい うさちゃんの置物をプレゼントに持ってきてくれた。

なんて かわいいのだろう 愛らしいのだろうと、お義母さんの持ち物たちと しっくりと馴染み、最初からそこにあったかのように 首をかしげている。

心のこもった贈り物は、自分が求めるものより強い光を放つものだ。と、実感した。

そうすると 自分が自ずと求めるものに また そこに これだよ と、光を当ててくれる そんな役割を 人から受け取る 受け継ぐモノたちは持っているように私は思う。

うさぎに触発されて、あるお店で、これを買いなさい。と、お皿たちは教えてくれたりする。

不思議だな モノって。

ものは 自分の意思よりも、もっと強いところからやってくるように 思う時がある。