腕の良い料理人さんというのは凄い人たちだなと思う。
腕の立つ料理をこしらえながら、カウンターを通して お客さんの話し相手として 決して出すぎず分をわきまえた神業的な対応をする姿を目の当たりにすると… 首の垂れる思いがする。
わたしは 大した余裕もないくせに 美味いものを食べたいと思ってしまう質なようで
鍼灸の先生にいわせると舌に喜びを求めるタイプなのだそうです。
ですので、せっかくの外食に行く場合は 3か月に1度で十分なので すごいな この料理人さん。と思うような人の処へ行きたいのです。
すると そこでは 必ずと言ってよいほど、料理を作る人は、お客さんには 男の見栄 女の虚栄心 が満載の話しぶりをするような人も中にはいるというのに 自分の境界線を出ずに お客さんたちの話に対応する姿があります。
今年最後のお昼営業のお寿司屋さんに、シンガポールからトンプソンを置いて、一足先に帰国する自分の予定に合わせて、帰国の翌日ではあるものの 今年最後の自分の早めの年取りと、ひたすら お寿司10カンを頬張っている自分の横に 若いカップルが座りました。
垢ぬけた感じの若い まだ20代だろうなと思うようなカップルで 物おじしない様子が、きっと余裕のある家庭で育った二人なんだな。と 女の子のダメージのジーンズが視界に入る。
年末の28日 二人はビールを頼み、話し始めると。どーしても 一人もぐもぐとお寿司を前にしている自分の耳に会話が届いてしまう。 聞いてはいけない いけない と でも聞こえてきてしまう。
「お父さんとの 旅行に 2泊3日で使ったお金が…」と女の子がひそひそ声であればあるほど ひろってしまう音声。普段はすこぶる耳遠いのに。
「230万」
「え?」と男の子
「・・・に・ひゃく・さんじゅう・まん!」とひそひそ声を強めて言う。
「?にひゃくさんじゅうまんって なに? きみんとこ 金閣寺にでも泊ったの?」と なん十歩もひいていしまっていることを悟られないように 男の子が 精一杯の冗談でかえす。
「あはは 金閣寺 いいね」と女の子。
私は 思わず 寿司をもくもくと握っている Oがねさんの顔を見る。 ピクリとも表情を変えなく 真剣な眼差しで板場 まな板の前で ネタを用意している。
・・・と 突然、女の子が
「一番 いいのは あれよね 不動産所得よね。寝ていてもお金が入ってくるんだから」と こともなげに男の子との会話にそんな意見を注入してくる。
この時ばかりは 私は 思いっきり横を向いて彼女の横顔を確かめた。 どんな面しているのだろうかという気持ちで。
少し剣があるけれど、20代の普通のきれいな女の子だった。
若さも 未来もある あなたが 修行を積んだこのOさんに 素晴らしいお寿司を 握ってもらいながら、ビールを片手に どちらの奢りか知らないが きっと キミを好きでいてくれるであろう 男の子の前で なぜに そんなことを言うのか? 例え ご家族でそういうことがあったとしても 好きな男の子の前でそんなことは言わないのではないか?
更に 横にいてくれる男の子。君はそれでいいのか? 馬鹿にされているとプライドのある男の子なら 思わないのか? そして そんな 数百万円単位を2泊3日で使ってしまうような家の女の子を人生の伴侶にしたのなら 一体 自分はどんなことになってしまうのだろうか…と思わずにいれるのか? と 余計なことを なぜか 横に座っているだけの 自分等は 思うのである。
が・・・・
が…ですよ。
前にいる 料理人さんたちは いっさい そういうことを 思わないのではないかと 私は感じているのです。
そうとしか思えないのです。
それは 自分の分を弁えた 仕事場があるから。 境界線がピシッとひかれているからなのです。
その境界線は 料理人自らの 自分の腕に対する修練から自ずとできてしまう結界。
その 凛としたものが 張られる その空気にも 自分などは 美味しいものをいただくときときは恐れ入る。と 拝見する時があります。
修行を重ねた人の仕事から 学ぶことは きっとここなのだと思います。
無駄な嫉妬心。無駄な感情から 仕事を通し 分を弁えた姿勢を知っている人は 守られているのかもしれません。
利益を追求するために働く人。生活のために仕事をする人。先の女の子の会話のように 不労所得で暮らしていける人。
私は生活のために働いている部類に所属しながら この腕の良い料理人さんたちのように 職人としての 自分の分を弁えられる心を鍛えられるような そんな仕事ぶりをしている方々を 本当に、心から尊敬している。