トモダチ

夏の気温があまり上がらない太平洋沿いにあるその町で、わたしスミコとイタさんは育った。
中学2年の時に一緒のクラスになり、いつとはなしに友達になれていた。
これもまた、いつとはなしにとしか言いようがないのだけれど、
ある時から母親への反抗から突然に不良少女を目指すことに陶酔した中学校時代のわたしは、混沌とした時間の中に入り込んでしまい、灰色の砂の中にいるような毎日の中で、学校といえば海辺からあがってくる霧の潮の匂いと、そして わたしに対して悪意のない口調で話しかけてくる人の少数派であったイタさん。その二つの記憶くらいしかないのだ。
自分自身は灰色の粉の中に埋まっていたにも関わらず、いや そのどうにもならない存在の中にいたからこそ、彼女の放つ明るい粒子を、わたしは学校にいるときは目で追いかけていたのだと思う。
おそらくその彼女に寄せるわたしの好意の具合が彼女にも通じたのか、彼女もわたしを主な友達グループの他、ときどきかまう人というように扱っていた。

彼女とどうやって友達を続けていられたのかが、分からないほど中学校時代のわたしは荒れていた。どうやって軌道修正をはかっていいものか全てのものから脱線してしまい。気持ちは暗いもの暗いものへと吸い込まれるように、学校外の色々と家庭に問題を抱えた友達といつのまにか付き合うようになっていった。

それでも、昭和のその時代は学校へ行かないなどという選択肢はなく、とりあえず学校へは行かなければならない。学校へ行くとイタさんがいた。
ときどき、仕方がない不良のスミコにかまってやるかという具合に、イタさんはわたしに話しかける。そんな関係であったと思う。
その話しかけは
なんであんな人たちと付き合うのさ やめなさい。との言葉だったり、
円美がさぁ突然学校にラジカセ持ってきて、昼休み窓辺に座って、外をみながら松山千春の「恋」を聴きだしたんだよ、ちょっと・・・あれ、どーしたんだべか。という話を聞かせてくれたり。
もう問題ばかり起こすあんたなんか嫌いだと意思表示をするべく、わたしを徹底的に避けてはみるが、結局それでも 最後は スミコと話しかけてきてくれたイタさんはあれ、きっとまぁ、よほど前世でも縁のある相手だったのかもしれないと思ったりする。

わたしの学力は、公立高校は無理だろうというくらい低下していたはず。というか勉強をいっさいしなかったわたしがなぜに公立高校に行けたかというと、ある日イタさんが「スミ、高校どうすんの?」 と私に聞いてきたことが関係している。
なにも考えていなかったわたしは、「え?高校?うううん 私立のO谷はちょっと怖いし、おそらくV高校くらいしかいけないんじゃないあたし」と、答えた。

イタさんは真面目な顔をして、「スミコさぁ、ちゃんと真面目に考えないとダメだよ。自分の進路。あたしはさ、お姉ちゃんは頭いいからS高に行けたけれど、そこは自分は無理だと思う。でも私立はお金かかるし、やっぱり公立じゃないと母さん父さんに迷惑かけるし。それにあんたさ、Vなんて行って女ばっかで楽しいと思うかい?一緒にH高いこうよ。そして一緒に青春しようよ」
「へえ そうなんだ・・・H高ってあのH高?楽しそうだね・・・ イタさんそこに行くんだ」と、親の懐具合も考えている中学生ってすごいな。と、感心しながらわたしが言うと
「スミコも目指せばいいっしょ」と、いとも簡単なことだと叶いそうに言った。
その簡単そうに無責任に言ってのけたのは、本当は赤いジャージの裾を少しめくって足首をみせることに神経を集中させていたからであったのだろう。けど。

テニス部での練習の時に同じグランドで練習するサッカー部の松村君の目にどう映るかということに最近のイタさんは熱心であり、新調したてのプーマの赤いジャージの裾をいじくりまわしている。
・・念入りにめくり具合を気にしてこれでいいか?とわたしに何度も尋ねる。なぜにわたしだったかというと、同じテニス部仲間では具合(ぐつ)が悪く、そしてどこかでわたしの感覚というものを、イタさんは認めていたのではないか?と、大人になったいまいつか機会があったら聞いてみようと思って、忘れる。
と、その趣旨のことが主だった会話であった中での、その何気ない一言が私の心に何かの火を点けた。
わたしは母に、前後の説明もなく家庭教師をつけて欲しいと頼んだ。
わたしのことをもう見捨てつつあった母は、どうせすぐ辞めるんだろうけどと期待を込めずに家庭教師を探して、翌週から家庭教師を生業としている女の先生が来てくれた。
家庭教師の先生は面白い女の人で、その先生が来るのが楽しみになっているうちに少しずつ勉強はおそらくしていたのだろうと思う。そうこうしているうちに学校外の人たちとは会うこともなくなっていた。
春、イタさんと同じ高校に行けることになり、嬉しかった。

久しぶりに春の陽ざしを感じたわたしは、このままこの光の中にいるような生活をしてみたいなと初めて自分の意志でそう願った。

高校ではイタさんと同じクラスになることはなく、それぞれがお互いの世界を築いていった。
やっとわたしの世界にも色彩が戻り始め、美術部にはいった。
相変わらずイタさんはテニス部で、いつも明るく友達に囲まれる高校生になっていた。
テニス部の部長なんかも2年の時には務めていたと思う。
団体行動は苦手で、いつも一人でいるわたしに、廊下ですれ違う度にイタさんはちょっかいをかけてきてくれた。
そんな人間と美術というのは大変相性がよくのらりくらりと絵を描くという隠れ蓑に身を隠しながら、展覧会へ出品したりし、また学校外の人たち(この時期は東京の講習会の際に出会ったような人たちと文通や電話、またやりとりをしながら)高校での時間を過ごしていた。高校を終え東京の女子美というところへ出発した。
イタさんは 親が認める国立は無理だと思うから看護の道にいくよ。と、一大決心をしてお母さんの実家のある青森の看護学校に向かった。

18.19.20歳という娘盛りを競い合うように帰省がお互いにあうたびに、他の2人の友達とあわせて時を消費し。
お互いに それぞれに過ごす街での時間のなかでどれだけ色々なことがあったかを発表するのに忙しい夏があり冬があり、とにかく休みのときは自分のことを知らせなくてはと集まった。わたしは中学、高校という場所を出てからあれほど嫌っていた団体行動が嫌いでなくなっていた。
わたし達はある夏に突然札幌に出てすごくきれいになったノリちゃんに対して、羨望と嫉妬と入り混じった感情を持ちながら、それでも彼女のもつオーラ、その性の精霊とでもいうのか彼女をおおう、そのようなものに反感をおぼえながらも、魅了された。

「あの時の、ノリちゃん、・・・っとにきれいだったよねぇ」と、わたしのベッドに寝ころびながら横の机で勉強しようとしているわたしに語り掛ける。
25歳になったわたしとイタさんは、わたしの実家の部屋にいた。
「スミ。これさ みたことある?」とわたしにある雑誌の広告をみせる。

あなたもこの香水で意中の人を夢中に。

「このフェロモン香水。これさ どう思う」とイタさんは真剣な表情でわたしに聞く。
どう思うって・・・ そんなの情けないと思う。とも、その真剣な口調に対しては、言えなく。 
「ああ、それね、他の雑誌にも結構宣伝しているよね」と、答える。

「…これさ、これを 一本、半分ずつ買わない?」
「え??」
「ずっと気になっていたんだけど、なんか一本そのまま買う気になれなくってさ」

「ええ!ヤだよ~~ そんなの 買う人の気が知れないって 思うようなもの。あたしずっと思っていたもん。あんたそんなもん買ってどうすんの?」
「スミさあ あたしたち もう25だよ。25といえば立派にもう旬は過ぎている年だよ。あたしに彼氏いたのいつだったか覚えてる?」
「あの青森の看護学校に行っていた時に付き合っていた人と婚約までいったのに婚約破棄したときだから・・・だから たぶん ええっと かれこれ4年ほど前?」
「そーだよぉっ。この4年 まぁったく仕事とアパートと あと海外旅行。それだけの生活だけ送ってる間に4年過ぎたわよ…。で、あたしに足りないのは、多分このフェロモンっってものなような気がしてきてさ。だから彼氏が出来ないのよ」

「…て、いうか。あんた 高給取りなんだから そんなもの自分で一本買いなさいよっ」とわたし。

「それが、なんか一本そのまま買うのは惜しいような気がするのはなぜでしょうか。なんか 値段だけみればそんなに高くはないのに。一本そのまま買う気になれない。なぜだろう・・・」ともう一度広告の細かい字をすくい上げるように読みとるイタさん。成分はなんなのだろうかと呟きながら。

「成分よりもなによりもさ… その香水つけていると、もし、相手にわかったら、なんかとてもばつの悪い思いするんじゃないか? そこでうまくいくものも うまくいかなくなるんじゃないの。 それにさ あたしだったら そんな香水に惹きつけられてきた相手と思うと そこでもうバカにしてしまう気がするのだけど。普通の香水買った方がいいんじゃない?あのシャネルとか結構いいのあるっしょ。ポアゾンはだめだわ。あれ嫌いだって昔付き合っていた人が言ってた」

「あんたはいいよ。スミはさ昔っから、なんか大した努力もしていないのにいっつも男の人が周りにいたもんなぁ。それでも、こういっちゃなんだけどノリちゃんほどの美貌はさわたしたちは望めないゆえに、こういうの買ってなんとかなるもんなら、やっぱりこの数年だと思うよ。勝負は」
「ちょっと!あたしまで仲間に巻き込むのやめてよっぉ。・・・あなたの場合、フェロモン香水よりなにより、あの服脱いで、そのままの形状にして翌日着るとか。その辺りに問題があると思うんだけど!」と、美人でムードたっぷりのノリちゃんの話をされて、きっとおそらく沈めていた嫉妬心がむくむくっと蘇ってしまったのか・・・勉強机から、南西に向いた自分の部屋の午後の陽ざしで温まったベッドのブランケットの上にずっと寝ころんだまま話すイタさんへ反撃する。

25歳になったわたしは、東京の学校へ行った後、3年ほどした仕事を辞めて、親のすねをかじって一か月後に一年の海外留学に行くことになっている。それには少し勉強をするべく自宅で毎日机に向かう日々を過ごしていた。そこに時々、青森の看護学校を卒業し、地元の大きな病院で働いていたイタさんは顔を出して仕事場の話や、雑談をして帰る、お互いに生まれ故郷を離れて暮らした時間を取り戻すかのように、この半年の間、よく会っていた。

ある日私たちは、たまには外に行って焼き鳥を食べに行こうかと
5時から開店するその焼き鳥屋へと
まだ陽のある夏の夕暮れどき、西日に向かって二人並んで歩いていた。
私たちの前に、カップルが歩いていた。後ろ姿から、男の方が若いと分かるカップルだった。
なぜ男の方が若いという印象を受けたのか。
西日が眩しかったくせに、二人の頭皮がわたしの目にはよくみえた。
男の人は生まれたての頭皮をしていて
女の人は何度も毛染めを行ったような頭皮をしていたから。それだけのことでわたしは女の人のほうが年上だなと勝手に思ったのか・・・

小さな町の繁華街は一か所にまとまっていて。私たちは仕方なく同じ方向へ進む形とで歩き続けた。
女の人の白い手がからみつくように相手の手を握りしめる。
別にカップルとして自然のことなんだろうけど、なぜに 爽やかでない空気をこの二人から感じてしまうのだろうか・・・ 
それは、きっと この不思議な匂いのせいか。と、わたしはそう思うことにしてカップルの後ろを歩いていた。

なんだろう この匂いは。と 鼻を上に向かせて 嗅ぎ取ろうとする。

ああ これか。とわたしは思った。 わたしは頭は悪いくせに、妙に勘だけがいい子で 幼い頃に、婚期が近づいている女の人がわかったのだ。
婚期が近づく女の人は、みないい匂いがした。
花の匂いとでもいうのか、とてもいい匂いなのだ。
実家は昔、店と家が一緒になっていた。それなりの人数がいたその環境の中、若いお姉さんたちもたくさんいてその中でお嫁に行く人たちが毎年誰かはいた。 そのお姉さんにむかって お姉さんお嫁にいっちゃうんでしょ。と何も知らないわたしが言うから、大人たちはすごく驚いた。
前にいる女の人からは、その匂いではなく、人工的ななにか気持ちの悪い匂いがした。
これは恋をしている女の人から放つものではなくて・・・ また こういっては失礼だけれど 花の盛りのオーラが放つその匂いでもないのだ。
でも それに疑似しようとしているような不自然な匂い。これは
なんなのだろうか・・・
と、 うなぎ屋に入っていく二人を目で追いながらぼんやりと考えていた。

イタさんとわたしは焼き鳥屋の席に座り
「スミ。あたし、あの香水買うのやめるわ」と、またもやイタさんは真剣な顔で言った。
「あら。突然どして?」
「あの前歩いていたカップルいるっしょ。 あの女の人の匂い、あの香水の匂いだよ」
「えええ? あんたどーして知ってるの?」
「実はさ、ある先輩が持っているっていうから少し嗅がせてもらったんだ。間違えない。その匂いだった」
「うあ・・・ センセーショナル・・・ えええ そんなことってあるんだぁ」と なかなか うまい言葉が出てこないわたし。
「・・・同性に分かってしまうというのも なんかみじめったらしい部分もあるし。またさ 人工的なものってやっぱ。よくないわ。あたし それよりも 煙草止めることにする」

イタさんは看護学校でおぼえてしまった煙草を、これを機に止めると宣言した。

わたしたちは、ここに来るまでに一体どれだけの小さな決断を繰り返してやってきたのか。
その都度その都度、人からみると滑稽にみえるかもしれない決断をしながら前に進んできた。
それに付き合って時を共にしてくれた相手をトモダチと呼ぶのなら
まぎれもなく、わたしとイタさんはそのトモダチなのだな・・・と思った。
同じ程度の知能で同じ程度の境遇で、同じ町に同じ程度の運命をもって同じ時代に生まれてきてくれたイタさんに感謝した。

これから どれだけのことを少ない経験値で乗り越えてゆくのか分からないけれど。そして これからもしかすると違う方向に向かい疎遠になっていくのかもしれないけれど…と 前に座りメニューを選ぶイタさんをみつめる。

30年後の自分たちは 年金大改正に備える本 などについて語っているのかもしれない。
でも 中学のときは受験の話しをしてくれ、25歳のときはフェロモン香水について自問自答を重ね、結局 煙草をやめようという結果に至ったのが わたしたちの時間だった。