ジャン・ギャバンでさえも トンプソンインターナショナル

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    ジャン・ギャバンでさえも

    昔の俳優さんで ジャン・ギャバンという人がいて。

    フランスの国民的男優である。日本で言うなら高倉健さんである。

    その人が 亡くなる少し前、70歳の誕生日に「オレの人生」というレコードを出し、その中で「要するにオレという人間はまったく何でもない、とるに足らぬヤツだった、それがわかった」と歌ったらしい。

    私は その話を数十年前に人の本か何かで読んだ時に、国民的俳優になるほどの幸運に恵まれ、お金持ちにもなれた人が 随分と気取ったことを言っているな。彼のイメージに対するポーズなんだろう。くらいにしか思っていなかった。

    しかし、ここにきて、あのセリフは 本当に本当の彼の本心であったのではないか? と、 ジャン・ギャバンの人生の密度に比べると まったくお話、比較することも出来ないような自分の持ち時間を生きている私なのに。

    最近、彼と、その発言がいやに耳に鳴り響く。

     

    彼は芸人の家に生まれ、俳優という仕事に就いた。 皆が彼を放って置かなかった。それは それは ものすごい存在感のある俳優であったらしい。

    でも でも もしも、彼の望んでいた彼の エネルギーの使い方、自分の持ち時間で 成したいことの希望が 俳優ではなかったとしたならば?

    それに気づいた後でも、自分の居心地の良い場所から離れることをせずにチャレンジをしなかったとしたならば。

    私なら・・・ 人から賞賛を得ながらお金を得ることの出来る人生なら それがバラ色の人生となる。

    しかし ジャン・ギャバンくらいに感度のよい人なら 自分のことを騙し騙し 終わりにすることは むつかしかったのかなぁ・・・と思ったりする。

    この2ヶ月間 父や義母を見送り。 トンプソンも葬儀だのなんだのでカナダへの往復が重なり。 一人になる時間の多い中で 余計なことを考えたりするもので。

    家族がいて 仕事があって、その中で やることがあり、人の出入りがあり やることに追われているうちは 自分の時間をごまかしごまかし 1日を終わりにすることはできるけれど。

    これが まったく 予定もなく 訪ねてくる友もいなく 電話を出来るような相手も 実は 本当は誰も いない。そんな得体のしれない孤独感に襲われるとき。 その時に 自分の心を奮い立たせて  自分がするべきことを探し出そうと 心に力を入れようとするとき。

    その時に 自分は ジャン・ギャバンの この言葉が浮かぶ。

    「要するにオレという人間はまったく何でもない、とるに足らぬヤツだった・・・」

    華やかな時間を過ごせた人であればあるほど その言葉に力が入るのではないのかな?・・・と 変なことをツラツラと考えていた ただ暇があるだけの私でした。